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第12話 追憶

 手配した天幕の数は目に見えて減っていた。


 エクバラーナ陥落の報により、予想される侵路上の村人達が次々に避難を開始し、エクバラーナとパルティーヌポリスの中間に位置するアルトリア高原には、多くの人々が身を寄せ合っている。



「食事は栄養を重視して、簡素な物が増えるけど贅沢は言っていられないわ」


「ヴェネディア商人どもはここぞとばかりに値をつり上げておりますが?」


「これを持っていって。巫女様直筆の宣書よ」


「…………うわ。分かりました」


 手渡された書類に目を走らせた神官が、思わず嘆く。

 それだけで、宣書の内容が予想できるモノであろう。――――意に沿わぬことになれば、即滅亡を意味するということであったが。


 難民となった人々が身を寄せ合う野営地に、白地の衣装に青い装飾を施した衣装に身を包んだ者達が足早に走り回っている。

 その中心にある女性神官は、普段は巫女の側近として、彼女を頂点とする教団の運営を担っている。


 巫女は事実上の国家元首となっているが、いわゆる幹部である地位の人間がこうして現場で動かなければならないほど、直属の機関はまだまだ発展途上にあるのだった。



「ユマ様…………、西地区への医薬品の輸送及び軽傷者の治療は終了致しました」


「お疲れ様です。あなたも、怪我の具合はどう?」



 各部署からの報告書類に目を向ける女性神官、ユマ・スィン・コルデーは、自分とは異なる衣服に身を包んだ女性からの報告に頷くと、彼女へと視線を向ける。


 全身を黒を基調とした衣服に身を包み、その表情は黒いベールに包まれているためうかがい知れず、わずかに見えている部分から見える白い包帯が痛々しげに目立っている。



「お気遣いなく。次は、いかなることを?」



 静かにそう応えた女性であったが、その声は美しく澄んでいるものであったが、どこかに影を感じさせる。弱々しいモノとは違うが、すべてを拒絶しているような、そんな感じを抱かせていた。



「そうですね。……あなたは少し動きっぱなしでしたから、少し休んでいてください」


「…………そうですか」


「あまりうれしく無さそうですね? 何か悩み事でも?」


「…………いえ、そのような事は」


「そうですか? でも、元気がないように見えますよ? 一応、あなたよりは年上だと思いますし、悩みぐらいでしたら聞くことも出来ますよ?」



 少し、お節介が過ぎるのかも知れなかったが、そでもユマは目の前の女性が何か悩んでいるようにも見え、力になれないかと素直に思っていたのである。



「……………………」


「――――っ!?」



 しかし、女性は黙ったままユマに視線を向けると、徐々にそれが鋭くなり、やがては殺気を帯びるようになっていく。

 その様子にユマは目を見開き、先ほどまでの弱々しい印象を抱いていた女性を前に、身体が硬直していくように感じていた。

 それは、あの日、皇妃アルティリアと対峙したときと同等。もしくは、それ以上の恐怖であったのかも知れない。



「…………っ!? 失礼する。おいおい、二人とも。何をやっているんだ?」



 凍り付く天幕に響く男の声。

 二人が対照的な視線を向けた先には、小山の如き大男が慌てた様子で中に入ってきたところである。



「こ、これは……、ダルトス殿」


「何のようだ?」


「えっ!?」



 天幕内に入ってきた大男、ジョルジュ・ダルトスに対し、ユマは普段と変わらぬ様子で、女性は敵意のこもった声で応える。

 その女性の声に、ユマは驚き、再び女性へと視線を向けるが、その姿は先ほどよりも殺意や憎悪に満ちているように思えた。



「…………ったく。俺達が憎いのは分かるけどよお、外の民間人が怯えるような殺気を出すな」


「私に指図するなっ!!」


「いいや、するね。俺達に対するのは、分かる。でも、民は関係ないんだからな。民のために生きるよう教育されてるんだろ?」


「…………ぐっ」



 ダルトスの言に、女性が言葉を詰まらせる。


 ダルトスは巫女の側近の一人で、教団の司法や信徒兵のとりまとめなどを行っている。ユマにとっては、謀略の類を楽しんでいるロジェスや何をやっているのかよく分からないジェスよりも話の分かる男であるという印象もあった。


 しかし、女性が自分や彼に憎悪を向ける理由はいまだに分からなかったが。



「はあ…………。まあ、憎いってのは分かるけどねえ。謝る気はねえけど。――――それより、二人とも戻るぞ。巫女様がお呼びだ」


「えっ…………? 彼女もですか?」



 ダルトスの言に、ユマは首を傾げながら口を開く。


 自分が呼び出しを受けるのは分かるが、素性の知れぬ女性が呼び出される理由がよくわからなかった。



「むしろ、お前さんがおまけだよ。え~っと、これをこうして」



 そう言って、懐から取り出したカードをいじり始めるダルトス。

 ユマと女性は何をしているのか分からず、黙ったままその様子を見つめている。



「ようし。それじゃあ、少し待っていてくれ」


「は、はあ…………」


「それよりどうだ? 様子は?」


「今のところは。ただ、数が多いですからね。時機に問題も出てくるかと思います」


「まあなあ。テルノアはしっかり締めているけど、悪さをするヤツは必ずいる。さらに増えると見て間違いもないな」


「ええ……。ですが、昨年と比べればマシでもありますけどね」


「悪かったな」


「別に、あなたを責めているわけではありません。ですが、それに乗じて」


「あなたに言う資格があるのですか?」


「えっ?」


「………………」



 以前のことを思い出していたユマに対し、棘を含んだ女性の声が届く。

 驚いて振り向くが、声の主は黙ったまま顔を背けている。



(…………そうですよね。私も…………)



「お、来た来た」



 そんなことを思ってたユマの耳に、ダルトスの声が届いたとき。三人の足元に柔らかな光を放つ魔方陣が現れた。



◇◆◇



 光が消えたとき、目の前には一人の少女と数人の男女が待つ一室に立っていた。



「来たか」


「すまん、遅くなった」



 ロジェスの言に、ダルトスが口を開く。

 中央に座った少女が、「ん」と短く呟くと、周囲の者に促されて中央付近まで歩みを進める。傍らに立つ女が困惑しながら視線を向けてくるが、事情を話してやる義理はない。



「状況を確認する。エクバラーナに入城した反乱軍であるが、大きな混乱もなく次なる戦に備えているとのことだ」


「こっちは?」



 ロジェスの説明にシヴィラが興味なさげに口を開く。



「信徒兵の招集は終えておりますが、国軍の編成が滞っております。帝国兵はいまだに信服せず、国民兵は練度不足であります故」


「とはいえ、共和政権に軍を手なづけられるわけもないんでね。戦に関しては我々に任せるそうですよ」


「あと、防衛のためにヴェネディアの傭兵団を招き入れるとのことです」


「ふうん」



 次々に届けられる報告にも特に表情を変える様子は無い。


 ヴェネディアの傭兵団が入城することの意味すらも考える気がないと言うことであろう。



「戦費は政権が用意するとのことですが」


「また、民が泣くことになるのですね」



 その報告に、傍らに立つ女が声を落とす。しかし、誰もそれに応えることなく、話は続く。



「また、巫女様に骨をおって戴くことになりますが」


「別に良いわよ。今度は誰を斬ればいいわけ?」


「いえ、転移法術を」


「そう。アレって疲れるのよね……」



 そう言って、はじめて感情らしいものを見せ始めたシヴィラであったが、それに応えることもなく、ロジェスがこちらを振り返る。



「さて、いよいよ出番が来ましたよ」


「…………」



 値踏みするかのような、笑みを浮かべるロジェスに対し、全身が熱くなるのが分かったが、今ここで暴れたところで意味は無い。


 自己を満たしてところで意味など無いのだ。



「ふう…………。いい加減、それをとってはいかがです? 美しいお顔が台無しですよ? ジェスもそこだけはきれいにしておいたようですが」


「馬鹿言うな。どこにも傷付けてねえよ。それこそ罰があたるっ…………あいてえっ!?」



 ロジェスの言に、軽薄そうな口調を返す男。ジェス。

 眉目秀麗といった美しい容姿をしているが、その見るからに忌々しい顔に、髪留めを思いきり投げつけてやった。


 顔面に直撃し、苦しそうに俯く様が心地よい。


 髪を下ろすとなんとなくだが東部が軽くなったような気がする。それから、顔を隠していたベールを脱ぎ、包帯を外していく。



「えっ!?」



 その一連の動作を黙って見つめていた女や他の者達がざわめきはじめる。



「ふう…………」


「ふぇ、フェスティア皇女っ!?」


「な、い、生きていたのか??」



 自身に目を向け、そんなことを口走る者達。だが、相手にする価値などはじめから無い者ばかりであった。



「静まれ。――――そう、この方は元パルティノン皇女フェスティア殿だ。今では巫女様の軍門に下り、我々に協力してくれるそうだ」


「協力はするといったが、軍門に下った覚えは無い」


「へっ、言うねえ――――ぶっっっ!?」


「寄るな。汚らわしい」



 勝ち誇った表情でそういうロジェスに対し、沸騰しかけた感情を抑えながら応える。

 しかし、それもロジェスの背後で立ち上がった男の前ではあっさりと解放されることになった。



「馬鹿か? まあ、これまで何も言わなかったのは謝る。まあ、信徒兵には巫女様直々に紹介してもらっているから問題はない」


「…………もう、下がらせてもらおう。戦に関しては、素人の貴様らの言うことを聞く気はないし、戦略を聞かせてもらう資格もないだろう。だが、テルノアもイナルテュクもシハヴディールも……相手にとって不足はない」


「ふ、頼もしいことで。ユマ、陛下はお疲れだ。同行しろ」


「は、はいっ」



 ロジェスの言に頷く女、ユマを一瞥すると巫女をひとにらみしたのち踵を返す。

 背後から女の足音が耳に届くが、振り返る気にはならなかった。




 皮肉なことに、宛がわれたのはかつて自分が使っていた部屋であった。

 ここに連れてこられたのは半年ほど前。

 ちょうど、血の粛清が収束に向かいはじめた頃であったが、その頃は部屋のことを気にする気にもならなかった。いや、気にする意志そのものが消えていたと言うべきであろう。

 巫女の言う、『天命』とやらに頷きはしたが、それに対しても興味が湧くというわけではなかった。



「それで、貴様は何しに来たのだ?」


「…………着替えをなさいますか?」


「いい。自分でする」


「では、湯殿か食事を」


「まだいい。…………それより、貴様は私を憐れんでいたようだが…………、何のつもりだ?」



 座り慣れたイスに腰掛け、先ほどから所在なせげに立ち尽くしているユマに対して声をかける。

 半年前より、この女の行く先々に同行してきたが、悪人というわけではないことは分かっている。

 だが、それだけだった。


 先ほど、自分の正体を告げられ、ほとんどの人間は敵意か困惑と言った具合であったが、この女からは憐れみを含んだ視線を感じたのだ。



「言わねばなりませぬか?」


「ほう……いや、別によい」



 思いがけない返答であった。

 ともに行動する間に、偽善者ぶったところのある女という印象を抱いていたため、謝罪なり同情なりの言葉が出てくるものと思っていたのだ。



「すまなかったな」


「え、何がですか?」


「試すような真似をしてだ」


「……………………」


「半年間、貴様と行動をともにしてきたが、少なくとも、私に生きる気力を取り戻させてくれたことには感謝している」


「そうでありますか…………ですが、皇族が民のために生きるというのは、あなた方が口にし続けてきたことではありませんか?」


「うむ。だから、感謝している」


「…………では、何故。いえ、なんでもないです」


「言えばよかろう? 大方、何故苦しむ民を救わなかったと言いたいのであろうな。我々の能力不足としか言えぬが」


「あなた達はそれでよろしいでしょう。言い訳をしていれば、生きていられる。ですが、」


「民はそうもいかない。我々がきれいごとを並べている間に、幾人もの人間が死んでいる」


「……………分かっているならば」


「だから、報いを受けたのであろうよ。もっとも、本来であればスラエヴォに屍を並べていたのは貴様らであっただろうがな」



 自分でもなぜここまで言葉が出てくるのか分からない。しかし、目の前にいる女が、普段、民草に向けている慈愛に満ちた笑顔を完全に捨て去っていることが、よけいにそれを煽っているのかも知れない。



「転移法術とはな。まさか、平気で使える人間がいるとは思えなかった…………。それに加えて、掠奪等の解禁。愚か者を煽るには十分だ」


「それは」


「ああ、そなた達は義憤を感じて参加したのであろう? 責めはせぬよ。だが、ここや教団馴れ合いで偉そうにしている場合ではないのではないか?」


「………………」


「ふ、まあいい。小娘の相手をする人間も必要であろうしな。あと、せっかくだから、用を頼むとするか」


「…………なんなりと」


「食材を調達してきてくれ。簡単なモノでいい」


「こちらで調理を?」


「そういう作りになっている。食事に何を入れられるか分かったものではないからな」


「食材も同じでは?」


「それぐらいは見抜ける」


「…………分かりました。――――皇女殿下」


「なんだ?」


「先ほどまでの言動。再び私を試そうとしているのは分かります。ですが、私は後悔などしておりません。あなた方に国を、民を任せていては、人は疲弊し、さらなる悲劇を生んでいた。これだけは確信できます」



 そこまで言うと、ユマは足早に部屋から出て行った。


 一人になると、静寂が耳を付く。



「ああに考えるモノか…………」



 姿見の前に立ち、自身を見つめながらそう呟く。



「母上が為そうとしていたのは、その衰亡の打破であったのだがな」



 見るからに衰えた肉体。一年前と比べて、そこいらの女子とほとんど変わらぬほどにまで筋力などは落ちているように思える。

 外へ出るようになって、身体は動かしはじめたが、それでも以前のようにはなっていない。



「だが、今の私にとってはどうでもよいことよ…………。少なくとも、私が…………」



 そこまで呟くと、不意に脳裏に蘇る者達の姿。


 大半がもう二度と会うこと無き者達である。しかし、その中の一人こそが、自分にとっての最後の希望のようなモノであった。



「アイアース…………。どうか、生きていて」




 室内に響く声は、先ほどまでユマに対して向けていた覇気ある声ではなく、弱々しい少女のそれであった。


 一年前のあの日。一つの帝国が崩壊したときより続く戦い。


 フェスティアにとっての終わることなき戦いは、一人の少年のためだけに続いていくことになるのだった。

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