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第9話 闇夜の覚醒

「ん……?」


 月明かりが灯る中、アイアースはふと目を覚ました。


 隣には穏やかな寝息を立てるフェルミナとのんきな笑みを浮かべながら眠るミュウが居るが、キーリア達の姿を見ることはできなかった。

 谷間にある小さな洞窟である。峠道からも外れており、族の類も正面以外からの攻撃は困難地形であった。

 入り口の火は残されており、敵の襲撃に備えるという風ではない。そもそもそれならばアイアース達を起こすだろう。


 歴戦のキーリア達が逃亡することも考えづらい。



「誰かいないのか?」



 アイアースは入り口に立ち、静かに口を開く。


 と、よく見ると火の周りにうっすらと結界のようなモノが張られていた。触れられるかは分からなかったが、ゆっくりと手をかざす。

 するとアイアースの手は、何事もなかったかのように結界を通り抜ける。



「うーん? どういうことだ?」



 そんなことを呟きつつ、アイアースは自分が抜け出た洞窟を振り返る。すると、それまで崖にぽっかりと空いていた空洞は消え失せ、白灰色の山肌が月明かりを受け、青白く光っていた。



「…………。こんな法術あったかあ??」



 一瞬の困惑の後、アイアースは我に返って先ほどの空間に手をかざす。すると、何かに吸い込まれたかのように、無色の空間に手が吸い込まれている。

 見ての通り、周囲に擬態して洞窟そのものを覆っているのだが、魔力を感じることを考えれば刻印によるモノであると思われる。しかし、姿を消す類の法術を仕えるようになる刻印など聞いたことがなかった。



「まあ、キーリアの秘匿技術なんだろうけど。あいつ等、どこにいったんだ? ――むっ!?」



 そんなことを考えつつ、キーリア達の姿を求めて周囲へと視線を向けるアイアースであったが、ほどなくおなしな気配を感じ始める。



(…………5つ?? よく分からないけど、大きな何かが激しく動いているな……って、5つと言うことは)



 アイアースは自身が感じた気配の正体を脳裏に浮かべはじめる。



(交戦中か…………っ。でも、下手に動くわけにはいかんよなぁ)



 と、そんなことを考えつつ、結界の張られた場所へと身を隠すアイアース。


 外からだと見ることのできなかった火も中に入ると当然のごとく確認できる。

 アイアースは、いまだに眠り続ける二人を一瞥すると、火の傍らへと腰を下ろした。

 数本の薪をくべると火は少し大きくなる。それだけで、不思議と不安が取り除かれていくように思えた。



(不安…………?)



 火を見つめながら、アイアースはそんなことを考えた。


 今、自分がいる場所は結界の中。それも、外からは見ることのできない空間である。効果がどの程度から走らぬが、キーリア達の誰か一人が戻ってくるまでの時間はあるはずだった。

 現に、フェルミナとミュウはぐっすりと眠っており、交戦中のキーリア達が対峙する敵が近くにまでやって来ている様子は無いのだ。



(一人だからなのかな……?)



 そう思ったアイアースは、これまでの自分のことを思い返しはじめる。


 思えば、生まれてこの方一人になると言うことはなかった様に思える。皇宮の私室にいても、周囲は人の気配に満ちていて、完全なる静寂というのは経験していない。


 常に誰かに守られながら生きていたのである。


 そう考えれば、あの日、フェルミナを逃がすために一人で叛徒兵に立ち向かったときが唯一の孤独だったのかも知れない。

 すぐに父帝ゼノスが現れ、その後も永遠の別れとなるまでともに行動し、その後はメルティリアや看守達が守ってくれていた。

 今、自分の知らぬところで戦っているキーリア達は、たしかに自分を守っているのだろう。だが、自分以外は静かに眠る二人の少女がいるだけの状況。


 守られる立場から守る立場に自分は立っている。そんな気がしていた。



「ふっ…………イレーネにあれだけの啖呵を切っておいて、一人になると孤独に怯えるってか。情けないねえ」



 一人そう毒づく。


 剣の腕前などは、彼女のおかげで上がっているのだとも思う。リアネイアに課せられたことも有利に働き、今では双剣を振るってもひどく重さを感じることはない。

 膂力が常人よりも有利であることがあるのだから当然でもあるのだが、単純な腕力の類と剣の扱いはイコールではないという。


 しかし、それでも不安は消えることはない。



(別に人を殺すことへの恐怖ってわけでもないんだよな……。実際、俺は何人も殺しちまっているし………………考えているひまは無いようだな)



 そんなことを考えているうちに、アイアースは腰から下げた双剣の留め具を外す。

 火に灯された谷間の闇間に静かに蠢く何かを感じ取ったのだった。

 鼓動が跳ね上がる。

 余裕はあったはずでだが、不気味な何かを感じ取った瞬間、それは耳に届くほど大きなモノとなっていく。



「四つともほぼ全滅だって言うぞ?」


「くそっ、化け物どもめ」


「キーリア相手に百人ぐらいじゃ無理ってことははじめっから分かってるだろ。それより、さっさと探すぞ。火もないし、どこかで寝入ってんだろ」


「賊徒どもに無駄金を払った甲斐はあるな。これで、皇子を捕らえりゃ、キーリア達までおまけについてくらぁ」



 声を出さぬように固く口を閉ざすアイアースに耳に、そんな者達の声が届く。谷間をゆっくりと歩いてくる声の主達。


 それは、朝方に抜けた関所の守備兵達のようであった。


 話を聞く限りでは、賊徒を囮にしてキーリア達をおびき出し、アイアースを捕らえることで抵抗の意志を奪うつもりであったのだろう。

 しかし、キーリアがそんな馬鹿みたいな策に引っかかることは普通はありえない。

 仮にあったとしても、何事もなかったかのように戻ってくるはずであった。



(…………あいつら、わざとやりやがったなっ!? 俺を試そうってのか??)



 ふと、イレーネの不機嫌そうな顔が脳裏に浮かび上がる。


 その表情は、なんとなくであるが、やれるモノならやってみろと告げているように思える。


 見たところ、正規兵の姿はなく、叛徒兵のみで構成されている様子である。


 アイアースの剣を奪おうとした叛徒兵は、たしかに剣伎は巧であったが、それでも精鋭兵には及ばないし、キーリアであれば赤子の手を捻る様な腕前である。


 だが、今のアイアースにとっては、当然格上。しかし、やり方次第でもある。



「薪の匂いはしているってのに……どこに居やがるんだ?」


「まったく、てめえらは散々好き勝手生きてたんだ。死ぬ前ぐらい俺らの助けになって見ろってんだよ」


「散々、助けたつもりなんだがなあっ!!」



 そして、外から聞こえる悪態に頭の中で何かがキレたような気がした。


 目の前では、突然の声に目を見開き、慌ただしく周囲を見まわしている。



「お、おいっ!! 今の声っ!!」


「ああ、ガキの声だぞ」


「探せ探せっ!!」



 そんな調子で、アイアース等の居る結界の周辺に散開する兵士達。

 アイアースは息をひそめつつ、件の叛徒兵が近づいてくるのを待った。


 腕前を知っているのは、その兵士のみ。手練れであることは分かっているし、手強い敵は一人でも減らした方がいい。

 数は全員で六名。一人でも減らせば、法術を遣うのにも有利なはずであった。



 そして、件の兵士が結界の縁へと歩み寄ってきた。



「…………あのガキがっ、あの時無理矢理でも剣を奪っとけばよかったぜっ!!」


「そんなに欲しいのか?」


「な、なにっ!?」



 アイアースの声に兵士が驚きの声を上げた刹那。


 右手に持った剣を兵士の左胸へと突き刺す。そのまま引き抜き、ついで襟首を掴んで結界の中へと引きづりこむ。

 いまだに驚きのまま目を見開く兵士。ためらうことなく頸を切り裂いた。

 骨を削り取る感触。同時に真っ赤な血が吹き上がり、アイアースの全身を濡らしていた。



「ん~~? あら、殿下、どうしっっ!?」



 さすがに、目を覚ましたミュウとフェルミナ。すぐにかけより、両手に抱きしめる形で口を塞ぐ。



(さっきの兵士達だ。死にたくなければ黙っていろ。分かったな)



 全身を血で濡らしたアイアースと胸と頸を斬られて身体を痙攣させる兵士。どうあっても、悲鳴を上げかけない状況であったが、アイアースは二人の口を強引に塞いでいた。



(わ、わかったわから…………っ!! 苦しい、息できない、離して~)


(く、くるしいです~~)


(だまってろっつうのがわからねえのかっ!!)




「お、おいっ!! どこにいったんだ」


「うわっ!? な、なんだこの血は?」


「どこから……」



 三人がどこか滑稽なやり取りをしている間に、仲間の姿が消えた兵士達が集まりはじめる。そして、ついには血だまりになっている場所を見つけてしまったようだ。



「やばい!! ミュウ、法術は?」


「ぷはあっ!! ちゃんと説明してよっ」


「敵がいるから、法術使え。以上」


「分かりやすい説明ありがとう」



 それを受けて、ようやく解放されたミュウとフェルミナであったが、寝ぼけ眼に受けた仕打ちである。咄嗟に行動しろと言うのは無茶な話でもあったが、なんとか状況を理解したようだ。



「ええいっ!!」


「ぐわあっ!?」


「おわっ。今度は火球がっ!!」


「ま、まて……、なんだぁこりゃぁっ!?」


「知るかっ!! 中にいるのは間違いねえんだ。ぶち殺してやるっ!!」


「それは、貴様らだっ!!」



 ミュウの両の手の平から放たれる火球。


 それが、二人の叛徒兵を弾き飛ばす。結果、自分達の所在を教えることになったが、姿が見えないという利点は消えていない。


 歩みを向けてきた二人の兵士へと走る。ちょうど中に入りこんできたところで、両の手を突き出す。



「ぎゃっ!?」


「ぐわっ!? こ、このガキっ!!」


「おわっ!?」



 一人の左胸部を貫いたが、もう一人はわずかに剣がそれる。目の前の少年の思いがけない反抗に、兵士は怒り心頭といった様子で剣を振るう。目の前を通り過ぎた白刃。


 後方へと転がるように身を委ね、一回転して体を起こしたアイアースは、即座に右手の刻印に精神を集中する。


 兵士が突っ込んでくるわずかな間であったが、それでも十分であった。


 目を見開くと同時に、溢れ出す火炎。真っ直ぐに突っ込んできた兵士にそれを避ける術はなく、一瞬にして全身を焼き尽くされる。



「殿下っ!! 危ないっ!!」



 殺気。身体を思いきり地面に投げ出す。すぐ脇を剣が振り下ろされる。



「がっ!?」



 再び転がり、身を起こすと、大柄な叛徒兵の胸からは、鋭利な氷柱が鮮やかな赤い色に染まりながら突き出ている。


 駆けよって居倒し、頸を切り裂いた。



「あと、二人か」


「逃げるみたいよ?」


「そうはいくか」



 残ったのは女の叛徒兵。ミュウの火球でなぎ倒された叛徒兵を連れている。

 地面を蹴り、岩肌を蹴ると、叛徒兵達の前へと着地する。



「お探しの皇子だが。何か様か?」



 そう言って、二人の兵士を睨み付ける。すでに抵抗の意志はないようで、全身に血を浴びたアイアースの姿を唖然とした表情で見つめている。


 思いきり右手に持った剣を振るう。



「うっ!?」


「きゃっ!?」



 血糊が二人の顔面に思いきり降りかかった。


 怯えた表情を浮かべた二人を見下ろす。戦いの高揚か、血を見たことによる興奮か、普段以上にどこか強気に感じている。



「俺を捕らえたいんじゃなかったのか?」


「…………」


「そ、それは…………」


「俺達だって、好き勝手に生きていたわけじゃない」


「で、殿下っ!! 申し訳ありません。ど、どうかお命だけはっ!!」


「てめえっ!! 何頭を下げて居やがる。こんなガキ相手っ!!」


「とりあえず。抵抗できないようにはさせてもらう」



 アイアースの言を受け、即座に膝をつく女兵士に対し、男の方はアイアースを睨み付けたまま跪いた女を怒鳴りつける。


 抵抗の意志は健在のようであるが、それを許すわけにはいかない。

 ためらうことなく、男に両腕の剣を突き刺した。



 ◇◆◇



「殿下、申し訳ありませんでした」



 そう言って頭を下げたイレーネに対し、アイアースは無言でもって応えた。

 アイアース達が眠った後、周囲を取り囲む賊徒の動き察知したキーリア達は、四方向へと散り、それぞれの場所にて賊徒達と交戦した。

 全部で五〇〇人以上からなる規模の大きい賊徒であり、それなりに連携も取れていた様で、それぞれが一〇〇人以上を相手にする状況とあっては、少々骨が折れたという。


 イレーネはアイアース等の守護のために待機していたが、四人による掃討が思いのほか時間が掛かったこと。ついでに、件の兵士達の接近を察知したため、法具を用いて結界を張り掃討に向かったのだという。


 彼女の技量を考えれば、迎え撃つだけでも十分であったはずだったが判断を誤ったのだという。



「そんなことより、あの二人は何か吐いたのか?」


「オアシスの情勢が動いたこと以外はなにも」


「テルノアがついに動いたのか?」


「ええ……。ですが、我々には関係のないことであります。殿下、もうお休みになられては?」


「しかし……」


「気が昂ぶっているのは分かりまするが、無理矢理にでも寝てください。身体は消耗しているはずです」


「わかったよ。あとで、話てくれ」


「御意に」



 降伏した兵士は、ハイン等によって尋問中である。曲がりなりにも正規の兵士である以上、このまま生きて返すわけにはいかないが、どんな些細な情報でも得ておくことは悪くない。


 しかし、今のところ、アイアースが知る必要は無いとのことであろう。


 口調は丁寧であったが、イレーネはまったく聞く耳を持っていないのだった。



「ふう…………」


「あ、あの……殿下」


「ん? ああ、濡らしておいてくれたのか。ありがとう」


「い、いえ」



 寝床へと戻ると、身体を震わせながら濡れたタオルを差し出してくるフェルミナ。アイアースの血に塗れた姿や躊躇無く兵士の頸を切り裂いた姿が目に焼き付いているのであろう。今も必死にアイアースの側にいようとしているが、身体の震えは止まらない様子であった。



(これが普通だよなあ……)



 そんなことを思ったアイアースに対し、ふるえるフェルミナを優しく抱きしめたミュウが、休みましょうと視線にて訴えてくる。


 頷いたアイアースは、横になり広げられた布を身体に被る。すると、全身がふるえていることを感じた。



(頭では分かっていても、身体は分かっていないのかな?)



 頸を斬ったときの骨のこすれる感触。あの後も剣の切れ味は落ちず、ためらうことなく三人の兵士を殺害した。


 はじめてなわけではないのだが、意識をしてのことははじめてであるのだ。



(まあ、後悔したってどうしようもないんだよな……。母上達の仇を取るのならば、どっちにしたって慣れなきゃダメだし)


 そう思い、震える手を天にかざすと、思いきり握りしめる。

 こうやることで、少しは震えが収まるような気がした。


 視線の先に輝く星々。

 思いかえすと、あの日の前夜リアネイアとともに見上げた夜空も同じようにきれいであった。

 そんなことを考えたアイアースの意識は、ゆっくりと薄れていった。

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