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第8話 やらない善よりやる偽善

「ふう…………上りはやっぱり疲れるな。フェルミナ、大丈夫か?」


 なだらかな上りが続く峠道を馬に揺られながら歩くアイアースは、ようやく見え始めた山頂を一瞥し、背後のフェルミナへと声をかける。

 子どもであり、体重が軽いため馬への負担は少なくてすむ。アイアースが馬の扱いが巧であるからこそであったが、それでも急ぎ足かつ上りの荒れた道ではさすがに馬が潰れてしまう。


 そんなアイアースの声に、フェルミナは控えめに口を開いた。



「はい……。私はいざとなれば飛べますので」


「ああ、そっか。とはいえ、馬たちも大分疲れたようだし、少し休憩にするとしよう。イレーネ、いいよな?」


「御意に」



 後方にて、馬を進めるイレーネに向き直る。その顔には、擦り傷や小さな痣が残されていた。



「殿下、閣下……申し訳ありませんでしたっ!!」


「申し訳ありませんでしたっ!!」


「うおっ!? な、なんだよ急にっ!?」


「先ほどのことであろう。気にするなといったはずだぞ。貴様ら」


「それでも、主君と上官に手を上げたんです。――殿下、どんな罰でもお受け致します故、御裁可をっ!!」



 普段のひょうひょうとした態度はどこへやら、地面に頭をこすりつけるハインと二人のキーリア。

 フェルミナ、ミュウ、エナの三人もどうすればいいのかと困惑していた。



「んなこと言われてもなあ」


「まったく…………、馬鹿なヤツラだ」



 関所を通る際の暴行のことを気にしているのだろうが、状況的にはあれで兵士達が困惑したのはたしかだった。

 元々、アイアースがリアネイアの剣を叛徒兵に奪われかけ、それにハイン達が反応したことから事態は動いている。素顔を兵士に見られたのも自分達の不注意だという思いがアイアースやイレーネにはあった。



「まあ、いいや。三人とも顔を上げてくれ」


「はっ……。――――っ!!」



 そう言って、三人の前に立ったアイアースは、三人の頬を続けざまに殴りつける。


 目を閉ざして、三人は黙ってそれを受け止めた。



「これでいいだろ? っていか、全然応えてないみたいだけど」



 少年とは言え、ティグの血を引く者。その膂力は成人男性よりも上であるが、キーリアはすでに人としての領域を超えている。それゆえに、もろに拳を受けたにもかかわらずアイアースが拳を痛めないように、上手く威力を抜く動作まで瞬時に入れている。



「貴様らもくだらんことを気にするな。立場上、殿下が決めることではあったが、殿下が許すといった以上、私は何も言わぬ。元々、貴様らの暴行ごときで痛みを感じることもない」



 そう言うと、イレーネはすでに三人から興味を失い、少し広くなった崖の縁へと立つ。

 アイアースもその背を追い、彼女の脇へと立つ。



「――――すごいな」



 顔に吹き付ける柔らかな風は、わずかに草の匂いを含んでいた。

 アイアースはそれをいっぱいに吸い込み、ゆっくりと吐き出すとそう口を開く。


 彼の眼前には、麓の針葉樹林帯から石の転がる荒野、砂漠、ステップ、草原、森林、山岳の連なりが一望できていた。

 後背の荒野に点在するオアシスがポツリポツリと点在する景色が続いている世界とは趣の異なる景色が広がっている。

 そして、生まれてこの方、平地や小さな草原、都市、深い森という世界で生きていたアイアースにとって、その場所は異なる世界への入り口のような、そんな気がしていた。



「ここから先は、遊牧民とキャラバンを駆る隊商の天地となります」


「極北軍管区……だったか」


「はい。キャプラク州とシヴェルス州からなる帝国最大の面積と最少の人口密度を誇る地域でございます」


「それで? どこに向かうんだ? いい加減教えてくれてもいいだろ」



 旅の目的地はいまだに聞いていない。


 多少の知識はあっても、実際に足を踏み入れた地がほとんどないアイアースにとって、逃避行の先は部下達の意に任せる以外になかった。



「シヴェルス州都オルクス。我々の目的地はそこです」


「気候の厳しいシヴェルス唯一の行政区ですね。元々は、イレーネ閣下の任地でもあったんですよ」



 イレーネの言をハインが引き継ぐ。先ほどまでの殊勝な態度から、普段通りの柔らかい口調に戻っていた。



「おっ? 復活したな。――――それにしても、イレーネの任地か」


「何か?」


「なんとなくだが、落ち着いて過ごせそうな土地だろうなとな」


「草原と魚もろくに捕れぬ湖があるだけ……ですよ」



 不機嫌そうな表情を浮かべてそう言ったイレーネは、アイアースを促して皆の元へと戻る。ちょうど、エナとミュウが食事の用意を終えたところであった。



◇◆◇



 苦痛に歪んでいた青白い顔に赤みが差し、表情を落ち着きはじめる。


 その様子を見ていた周囲の人間達が感嘆の声を上げるが、横になった老人の頬に手を当てた少女は、表情を変えずに頷く。


 ふっと一息ついて立ち上がると、老人の家族が揃って口を開いた。



「巫女様っ!! ありがとうございました」


「ん」



 その声に興味なさげに頷いた巫女の手を握りしめ、目尻に涙を溜めた女性はさらに言葉を続ける。



「父は……、助かるのでしょうか?」


「それは無理。私にできるのは、痛みを和らげてあげるだけ」


「そうですか」


「ごめん」


「い、いえっ!! そんなことは。父の安らかな顔を見れただけでも」


「お姉ちゃん、ありがとね」


「ん。……それじゃあ」



 病を治したわけではない。


 医師も手の施しようのない末期の病である。それを治癒できるほどの法術はないし、それこそ神の御業でも無ければ不可能。


 それゆえ、痛みを取り除いて静かに死を迎える。


 苦痛に身体を蝕まれる老人とそれを見ているしかない家族にとっては、それだけでも救いになるのだった。



「困ったことがありましたら、教団へとお伝えください。こちらは政府の承認無しに動くことができますので」


「教団?」



 巫女と同じ装飾の衣服に身を包んだ女性が進み出る。


 巫女の使える女神官で、生活面のサポートや表情に乏しい彼女と民衆の間に立って折衝役などを務めている。



「巫女様の降臨は、来るべき女神様の降臨への先駆けであります。私たちは、女神様によってもたらされる救いのため力を尽くす。そのための準備段階として皆様のお力になりたく思っております」


「は、はあ…………」


「相談などもお受け致しますのでご遠慮なく。それでは、失礼致します」



 柔らかな笑顔ととみに女神官は巫女に外套を着せると民家を後にする。


 ここは首都パルティーヌポリス近郊の農村である。間もなく訪れる本格的な冬に備え、村人達は忙しく走り回っているため、二人の姿を目にしても、気にすることなく脇を通り抜けていく。


 元々は皇室のお膝元であり、名目上滅亡したとしてもその影響力はいまだに強い。シヴィラの姿を知っている者がいる可能性もあり、下手な姿を見せることは憚られているのである。



「…………あまり、いい顔をしている人はいないわね」


「そうですね。皆、不安そうです」


「私のせいなんだけどね」


「巫女様……」


「皇帝を倒せばみんな幸せになるって言ってたけど、やっぱりそんなに単純じゃないのよね」


「…………」


「ユマはどう思う?」


「それは…………」



 ユマと呼ばれた女官は、普段よりも口数の多いシヴィラの問い掛けに対して思わず口ごもる。


 元々、宗教の類がそれほど盛んではないこの地域。アニミズムの一種で、天や大地、そして皇族そのものをある種の信仰対象としていた。

 神官の類もいたが、それらは皇室による宮中祭祀の担当官や純粋に自然信仰の下で修行を積んだり、慈善活動を行う人間を指すことの方が多い。


 シュネシスとともにいたフォティーナは前者にあたる。


 ユマは後者の人間で、刻印の力による傷病人の治癒や戦災孤児などへと福祉活動に従事していた。

 これらは、機会の平等を掲げ、実力本位での立身が可能な帝国の風潮の中では、弾圧とまではいかないものの、やんわりと無視される傾向が強かった。



「帝国の制度は限界を迎えておりました。機会をいくら設けようと、競争で敗れてしまう人間は必ず出てきます。そのような方達は、結局は貧困に落ち、奴隷身分へと身をやつすしかない。奴隷への弾圧は禁止されていても、巨大な帝国にあってはそのすべてが守られれて居るわけではないのですから」


「なら倒すべきであったと思う?」


「いえ…………ロジェス閣下達の真意は知れませぬし、共和政府のやり方など論外です。私は、皇帝陛下をはじめとする皆様であれば、話し合うことでよりよいやり方を見つけてくれたと思っているのですが…………」


「皇妃に怒られていたもんね。よく生きていたわ」


「…………閣下は、我々を生かすことで、罪を償わせようとしたのかも知れません」



 シヴィラの問いにユマは、あの時の戦いのことを思いかえす。


 それは、恐怖と同時に、熱いモノとなって心に残る戦いでもあった。



 ◇◆◇



 広間へと続く主通路に殺到した叛徒の群れの中に、ユマをはじめとする神官達は身を置いていた。

 キーリアをはじめとする近衛兵達の激しい抵抗は、死傷者を量産し彼女達もまた治癒法術を用いて彼らを救うために奮闘していたのだ。



「見つけたよっ!! 覚悟しなっ!!」



 そんな神官達の耳に届いたのは、凛とした女性の声。


 視線を向けたユマの目には、白地の衣服に身を包んだまるで少女のような背格好の女性が、叛徒達を薙ぎ払い、自分達の下へと跳躍してくる姿だった。



「えっ? な、なぜ、アルティリアがここにまで?」



 アルティリア・フィラ・テューロス。

 帝国第2皇妃にして、皇太子の実母であり、キーリア№2の実力者である。

 現在のところ、大広間の前面で行われている戦闘はキーリア達によって圧倒されていた。とはいえ、数に関してはこちら側が上回っているのだ。現に、数千人が入場可能な主通路は、反乱軍の兵士達が群がり、皇帝の首をとらんと大広間へと殺到しようとしている。

 回復手段は、水と聖の刻印による面が多く、水はともかく聖に関しては、宗教集団が発見し管理している場合が多く、ユマも水と聖の刻印を持って死傷者に治癒に当たっていた。

 とはいえ、個々で治療に当たっていたところで、戦闘が激しくなれば手遅れになることが多い。

 なれば、数人掛かりでの上位法術を使った方が、範囲や回復量の面でも効率が良い。


 そのため、彼女達の周囲では、神官達が法術のための精神集中や詠唱を行っていたのだ。


 そして、近衛兵達からすれば数が圧倒的な以上、回復をされてはキリがなくなる。

 人間を超えた力を持つ彼女達が、自分達の常識を越えた行動に出てくることも不思議ではなかったのだ。


 そんなことを考えていたユマの目の前で、大型の鎌が薙ぎ払われる。周囲を固めていた叛徒兵とともに長年苦労をともにした同僚の神官達の首が舞い上がる。すぐに周囲の叛徒が襲いかかってゆくが、結果は同じであった。

 そうして、アルティリアの周囲に空白が出来。目の前にいるのは、白地に身を包んだ美しい女性。しかし、ユマにとってのその姿は、死神のそれでしかなかった。



「貴様等が救うべきは、傷つく民ではないのか?」


「…………っ!?」



 静かなる問いかけであったが、恐怖に支配された肉体が言葉を返すことも、そこから動くことも許さない。



「乱を起こし、人々を戦乱に巻き込み、あげくは帝国を滅ぼす。だが、そこには救いの神などおらんぞ」



 そう言って、アルティリアは鎌を構える。


 斜めに走った光跡を最後に、ユマの意識はしばらく途切れることになった。




 元々、彼女達に帝国への反乱や皇室に対する反逆の意志はなかった。しかし、いかなる手を尽くしても救えない命、救えない人間達はおり、それは大きな虚しさとなって彼女達を襲っていた。


 天災による飢饉、内戦による混乱。


 時代の波は次々に人々に襲いかかる。そんな混乱の中、匿名の人間達による善意による活動資金も底をつき始め、なすすべはなくなりかけていたのだ。

 そんなさなか、現れた一人の少女。彼女によって、傷ついた人々はその身を癒し、疲弊した人々はそんな彼女に救いを見た。


 そして、何かに導かれるように、彼女達は少女の掲げる御旗の下へと集まっていったのであった。



 脳裏を駆け巡った一連の光景。それが消えていくとともに全身を襲う激痛。

 それによって意識を取り戻したときは、すでに巫女も皇帝も離宮から離れた後のことである。



「ユマ、起きた?」


「…………フォティーナ? 私は…………」


「仲良く、皇妃様に叩き斬られたみたいよ。運がよかったみたいだけど」


「そう…………」



 同僚の言にそう頷いたユマであったが、傷に手を当ててみると、ほんの僅かの差で内腑に致命傷は負っていない。


 なにか、運命的なそれをユマは感じてもいた。



「さて……、ユマ起きたところでお願いがあるんだけど」


「何?」


「回復を続けてくれる? あのままだと、本当にみんな殺されちゃう……。だから、一か八か」



 フォティーナの視線の先では、全身に矢を受け、白地の衣装を赤く染め上げた皇妃アルティリアが叛徒達の群れの中で大鎌を振るっていた。

 その姿は、先ほどの死神の姿とともに、何か触れてはいけない神々しさをす等も感じさせる。



「あの人を…………倒すの?」


「…………巫女様、いえ、帝国の未来のためよ」



 そう言ったフォティーナは、何かの決意をもって目を閉じる。法術のための精神統一。一撃にすべてを賭けるつもりであったようだ。

 そして、年若い女性の兵士がアルティリアに一騎討ちを挑んで敗れ去ったとき、狙いをすましたフォティーナの法術がアルティリアを襲った。

 無数の光の十字架が浮かび上がり、周囲の叛徒もろともアルティリアの全身に突き刺さる。そして、膝を折った皇妃は、自身と肩を支えたフォティーナへと向き直った。



「ほう、生きていたのか………………私もまだまだ甘いな……」



 そう言うと、アルティリアは、ゆっくりと自分達の下へと歩み寄ってきた。


 すでに顔から血の気は失せ、死相が見え始めている。同時に、先ほどまでの彼女を覆っていた覇気の類も消え、そこにいたのは無慈悲な死に神ではなく、一人の女性であった。



「そなた、名は?」



 目の前までやって来たアルティリアは、肩を貸したフォティーナへと視線を向ける。しかし、その瞳の光はすでに消え失せようとしたいた。



「……フォティーナ・ラスプーキア」


「そうか…………、私の首で、どれだけの民が救える…………?」


「それは…………」


「すべての民を…………」



 その問い掛けに、二人はまともに応えることができなかった。しかし、ユマがなんとか絞り出した言葉にアルティリアは優しく微笑んだようにも見えた。

 静寂が通路を覆い、フォティーナが斃れたアルティリアの目をゆっくりと閉ざしたとき、周囲の叛徒達が一斉に歓声を上げた。



 ◇◆◇



「あの時、皇妃様の最後を見た時、自分達のなしたことは過ちでしかなかったと私は思いました。友人もそうであったのか、彼女はすぐに姿を消しました」



 ユマはあの戦いのすぐ後で自分達の下を去ったフォティーナの姿を思い出す。



「立派だったみたいね。だまし討ちで皇妃を討った私とは大違い」


「それは…………」



 シヴィラの言にユマは思わず言葉に詰まる。アルティリア等に続いて、近衛軍総帥のリアネイア・フィラ・ロクリスはシヴィラの手によって討たれたが、それは彼女の油断を誘ってのだまし討ちのようなものであったという。



「今も帝都で流れる血。そのすべては私の責任。おじいさんを救って満足するなんてダメなんだろうけどね」


「それでも、あの家族にとっては意味のあることかと」


「偽善ね」


「その通りです」



 シヴィラの言にユマは短く答える。


 あの戦いが終わった後、ユマはシヴィラを通じてロジェをはじめとするシヴィラの側近達に談判し、今回のような慈善活動を行わせてもらっている。

 どういった手段を遣ったのかは分からないが、自分達の活動を鼻で笑っていた共和政府の首脳達からも資金を確保してきてくれている。


 償いをしたところで許されるとは思えないが、今の彼女にはそのくらいのことしかできなかったのだ。



「私も戦いがなければヒマだし、付き合えるときは付き合うわ。さっきのおじいさんみたいな人は私じゃなきゃ無理だろうし」


「巫女様……、ありがとうございます」



 反乱の象徴となっている少女、『天の巫女』シヴィラ・ネヴァーニャ。


 叛徒の首魁として帝国の臣民から忌み嫌われる存在であった少女は、こうした行動によって下界へと認知されていくことになる。

 それが、今後の帝国にどのような影響を与えていくことになるのか、今の彼女達には分からなかった。


 ただ一つ、彼女達を動かしているのは、一人の女性の死に様であった。

 もっとも、その死をもって彼女達を動かす女性が、生前匿名を持って慈善活動の活動資金を供与していたと事実までは、彼女達は知る事はなかったのであるが。

なんとなく中央の情勢を書いてみたくなりました。

毎日更新は何とか続けたいところですが、出来る限り頑張ります

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― 新着の感想 ―
んー?????なんでこいつら間違ってると自覚した癖に暴走政府を止めたり皇族を救出しようとか動かないの?????巫女の言うことなら何か変えること出来るんじゃないの???なんで思考停止する???意味不明す…
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