第7話 母子と剣
目に映る山々が徐々に大きくなり始めていた。
周囲に針状に葉をにぎわせる針葉樹林も増え、乾いた荒野に背の低い草花が生え始めてきてもいる。
気温もいくらか下がっているように感じた。
「オアシスは寒暖の差が大分あったけど、この辺りまで来ると大分寒いな」
アイアースは出発の時より一枚余分に身を包むことになった衣服を撫でながら口を開く。ややくたびれた衣服であり、その分だけ動きやすそうな格好であったが、見るからに小間使いと分かる姿になっている。
キーリア達も身体の一部のように馴染んだ白地の衣服を脱ぎ、各々が地味めな格好に身を包んでいた。
「緩やかではありますが、上り坂になっております。標高が上がったぶんだけ気温も下がったのでしょう。……それにしても、殿下の馬はずいぶん元気ですね」
「馬に関しては母上と姉上に鍛えられたからな」
「…………申し訳ありませぬ」
「ああ、気にしないでくれ。むしろ、思い出させてくれる方がありがたいよ。忘れずにすむ」
アイアースの言に応えた女性キーリアがアイアースの駆る馬の表情に目をやりながら、そう口を開く。
リアネイアはアイアースが物心ついた頃から馬と交流させていたし、フェスティアはよく遠乗りに付き合ってくれていた。
おかげで馬に負担の少ない力の入れさせ方や無理をしているときの落ち着かせ方などは、自然と身についていった。馬術だけなら下手な騎兵にも負けない自信はある。
それに、失ったものは帰ってこない。
そう思ってしまうのは悲しいことなのかも知れないが、アイアース自身、それに囚われて悲しみに沈むだけでは前に進むこともできない。ということをよく知っているつもりであった。
とはいえ、その女性キーリアがアイアースの心情のすべてを理解しているわけもなく、幼い主君を不用意な言葉で傷付けてしまったと思い込み、その柔らかな印象を与える容姿を曇らせる。
見習いから上がったばかりの若いキーリアであるため、まだまだ精神的なタフさは年相応のようである。
「…………エナ、手形の入手の件はよくやったぞ」
「えっ? は、はいっ」
「何をしたのかは知らんが、これで通行に関しても多少はマシになるだろうな」
微妙な空気を察したのか、イレーネが口を開く。手にしている書類は、エナが昨日入手をしてきた物で、各所に設けられた関所の通行が有利になる。
フォルシムを中心とするオアシス諸国家の挙兵を受け手の街道の封鎖であったが、オアシス諸都市は細々とした農業を盛んな交易によって支えている。
その脈動とも言える街道の封鎖は自信の首を絞める結果になりかねないための代替手段としての手形発行であった。
もっとも、交易という大義名分があるため、手段を選ばねば通行は可能なのであったが。
「いやあ、おかげで昨日駄目だと思った手が仕えるんだ。本当に助かるぜ」
「は、はい。ありがとうございます」
「ふふふ、私の存在も欠かせなかったわよ~~」
ハインもまた手形に視線を向けたまま笑顔を浮かべ、エナの肩をぽんと叩く。少し、照れがあったのか、エナは軽く頬を染めながら、控えめに笑顔を浮かべる。
その光景を見ていたミュウもまた、得意げな顔をしながら口を開いた。
「いや、貴様は居なくても誰かを化けさせる」
「そ、そんなっ!! ひどい~~」
「うるさい。そう思うんだったらそのなよなよした態度を何とかしろ。普通にしていりゃいいんだ普通に」
「これが素よ~」
「嘘をつくな。小娘」
「本当なのに~~」
さっそく、イレーネが不機嫌そうに眉をひそめながら口を開く。ミュウもまた、やめておけばいいのに不必要な反抗をするため、イレーネはよけいに癇に障るようだった。
とはいえ、アイアースはイレーネの変化をなんとなくではあるが感じるようになっていた。
はじめは口や態度も悪く、忠誠心の類は何ら感じることはできなかった。
しかし、いざこのような状況になってみると、何事にも先頭を切って行動している。口では、自分の命がと言っているが、それだったら自分を守るだけで十分であり、今のようにエナに気を遣ったり、ミュウと口論をしたりする必要は無い。
実力、経験ともに他の者は彼女を頼るしかない以上、孤高を保っていても皆が付いていくのだから。
「閣下、口喧嘩はその辺りに。見えてきましたよ」
「ふん。小娘、しくじるなよ」
「分かってるわよ。イレーネ、さっさとこの小箱を持って」
「何だとっ!!」
「何よ、関所から出るまでは私が主。あなたは、従者でしょ」
「ちっ、後で覚えていろ」
苦笑しながら先頭を進んでいたキーリアが、そう言って振り返ると、睨み合っていた二人は表情を正す。
当初は否定された刻印師ご一行様案であったが、手形を入手したことで説得力が増し、そちらへと変更になった。
仮に刻印の専門知識を尋ねられたとしても問題なく応えることはできるし、いざとなれば専門技術の一つでも披露してやればいい。
賄賂用の路銀もすでに用意してあった。
奴隷オークションに行った際に、シュネシスから渡された黄銅貨と赤銀貨を複数枚所持していたのである。
リアネイアにはこっぴどく怒られたが、返さずに隠していたことが幸いしている。
緑金貨ほどではないが、辺境では数年間は遊んで暮らせるだけの財貨になり得る。両替には相当苦労したが。
「止まれっ!!」
詰め所と移動式の柵を街道に設置した簡易の関所。
一行がそこへ馬を進めると、街道に立っていた兵士が槍を構え、そう声を上げた。
ミュウを除いた全員が下馬をし、男のキーリアがおずおずと手形を兵士に差し出す。
「ふむ……。刻印の行商か……戦を前に何故北へ?」
「何とな? そなた達が街道を封鎖しているからに決まっておろう。おかげで我らも商売があがったりよ」
「刻印であれば、我々も購入しているし、刻印師ならば雇用も考えているが……」
「あいにくだが、人に仕えるのは嫌いなのだ」
「…………見たところ、ずいぶん若いようだが?」
「刻印師として腕前に年齢が関係あるのか?」
「いや……、少し話を聞かせてもらおう。荷物も調べさせてもらう」
兵士の問い掛けに、ミュウは普段の態度がどこへ行ったのか、真面目な姿となって兵士の問いに応じている。
アイアース達も、馬に背負わせていた荷物を降ろし、兵士の検分を見守る。今でこそ、箱積みになっている刻印であったが、普段はヒュプノイアお手製の特殊な携帯袋でミュウが一括に管理している。
原理は分からないが、数十個の刻印が傷つくことなく入れられていた時は、アイアースも自分の目が信じられなかった。
「おいおい……これ」
「すげえな」
刻印を見て目を見開き、賤しい表情を浮かべている兵士も居れば、真面目に検分をしつつそんな兵士達を忌々しげに見つめる兵士もいる。
(正規兵と叛徒兵が一緒に配属されて居るみたいだな)
(そうっすね。で、指揮官は叛徒側っぽい見たいですけど)
(難癖をつけて刻印を奪おうって態度が見え見えだもんな)
「むっ? 貴様は、奴隷か?」
「ひっ!! は、はい……」
「それにしてはずいぶんきれいじゃないか」
「あ、あの……」
「ご主人様のご命令であります故。見ての通り、彼女は飛天魔。愛玩として愛でるにも十分なものでして」
「ほう……ちなみにいくらだったんだ?」
「これだけです」
「………………っ!? まあ、大事にしろよ」
ハインとアイアースは作業をするふりをしながら周囲の兵士の様子を見つめる。最悪、強行突破もあり得る以上、質の見極めは重要である。
そして、叛徒兵と思われる男が、野卑た表情を浮かべながらフェルミナに気付く。
奴隷と聞いて奪い取ろうかとも考えたのかも知れなかったが、値段を聞いてすっかり消沈したような様子を見ると、真っ当に買い取ろうとも考えたのかも知れない。
「刻印ばっかりだな……んん?? これは?」
「あっ!?」
(で、殿下っ!!)
ふと、刻印を検分し終えた兵士が各自の荷物をまさぐりはじめ、アイアースの荷に手をかけたとき、アイアースは思わず声を上げかけハインに抑えられる。
布にくるまれた一対の剣。
スラエヴォ近郊の森にて『受け取った』リアネイアの形見とも言える双剣であった。
「おお……すげえな、こりゃあ」
「も、申し訳ございません。そちらは、逸品にございましてあまり乱暴には」
「ああん?? 刻印屋がなんで剣なんか持っている必要があるんだ?」
「このご時世でございます。売れる物は何でも扱いませんと」
「ふうん。しっかし、俺が見てもすげえもんだと分かる剣をねえ……」
「おい、その辺にしておけ」
「うるせえな。怪しい物を見つけたんだぞ? もっと、よく調べた方がいいんじゃねえか?」
「剣の一振りぐらいどうってことがあるか。まったく、お前らは毎回毎回……」
「んだよ。皇帝も助けられず巫女様の導きにも従わなかった連中が偉そうにすんな」
「なんだとっ!! 反逆者風情か」
「あれ? そんなこと言っちゃって良いの?」
「くっ…………」
「あ、あのそのくらいにしていただけませぬか? 剣に傷が」
何やら不穏な空気が漂いはじめた関所。男のキーリアが、近づき剣を持った叛徒兵をなだめようとする。しかし、元正規兵との口論で頭に血が上り、自分達が官軍であると勘違いした男は、思いがけない暴挙に出かける。
「そんなに、傷が心配かい? じゃあさ、切れ味は健在ってことを……、証明してやるよっ!!」
思いがけない角度からの一閃。
叛徒兵と口論をしていた正規兵とキーリアが一瞬にして両断されるには、十分な間合いである。
しかし…………。
「あれっ?」
目線の先から標的が消えていることにキョトンとした表情の兵士。
と、応対をしていた男のキーリアがゆっくりと後方へと舞い降り、先ほどまで口論をしていた正規兵は、背後で様子を見守っていたエナに抱きかかえられる形で安全圏へと下がっていた。
「お前ら…………」
「まあ、誰でもいいんじゃないですかねえ?」
さらに訝しげな視線で男のキーリアとエナを交互に見やる叛徒兵。剣の腕から察するに、相当な手練れであるようで、二人の動きが素人のモノではないというのは、すでに感ずいている。
しかし、それ以上好き勝手をさせる気もアイアース達にはなかった。
すぐになだめるような態度をとって男の間合いに入りこんだハインは、上手く死角を造りながら叛徒兵の急所に短剣を突き立てる。
「て、てめ……っ!?」
「おっと、まだ死にたくないだろ? さっさと手を放した方がいいぞ?」
強がりを見せる叛徒兵であったが、ハインが突き立てた短剣を押す力を強める。
「こらっ!! なにをやっておるかっ!!」
そんな騒ぎを聞きつけたのか、詰め所から隊長とミュウが姿を見せた。
「い、いや。こいつらが、たいそうな剣を持っていたもんで」
「……それに、動きも商人のモノではありません」
慌てて取り繕う叛徒兵に対し、エナを一瞥しながら口を開く正規兵。その言葉に、エナは少なからず衝撃を受けたようだが、兵士の立場を考えれば、命の恩人と言えど怪しい者をかばう理由はない。
「…………悪いが、もう一度話を聞かせてもらおうか?」
「ちっ」
兵士の言に全員を睨み付けた隊長は、全員を見まわしてそう口を開く。
イレーネが舌打ちをともに、隠した暗器に手を伸ばし他の者達がそれに続こうとしたとき。
「どうしたのかね?」
関所に落ち着いた男の声が響き渡った。
「ゼ、ゼークト閣下っ!? 総員、捧剣っ!!」
数人の兵士を連れ、蓄えた口ひげが印象的な壮年の男が峠道から馬を進めてくる。
「うむ。それで、どうかしたのかね?」
「はっ…………、実は」
ゼークトとお呼ばれた壮年の男は、隊長からの報告に耳を傾けた後、アイアース等一行を見つめる。
「ふむ……。腕の立つ護衛ということに違和感はないが」
「し、しかし…………っ!!」
「君達も、大義を持った兵士であると思うのならば、少しは自重したまえ。峠を歩く商人や旅人達から話は聞かせてもらっているぞ?」
「うっ…………」
そう言って、周囲の叛徒兵達を黙らせたゼークトは、アイアース等に先へと進むように促す。この地方の上役のようだが、叛徒兵達へ苦言を呈すに留まるところを見ると、公平ではあるが職務への熱心さは無さそうである。
とはいえ、この場が血の海に沈むことは避けられた様であり、この場はゼークトに感謝をする以外になかった。
しかし、そんな安堵の気持ちが思わぬ方向へと自体を動かそうとしていた。
(あっ……!?)
馬を引き始めたアイアースが、叛徒兵から取り返した双剣に目を向けると、ちょうどに持つからこぼれ落ちそうになっているところであり、馬が石を乗り越えるために軽く身を上げた際に、勢いよくこぼれ落ちる。
冷静に考えれば、慌てずとも手に取ることができたであろう。しかし、この時のアイアースは、母の形見が叛徒兵に穢されたという思いが残っており、それが手元から離れることにひどく敏感になっていた。
あわてて、剣にすがりつくように飛びつくと、バランスを崩して盛大に転倒する。
「あいてっ!!」
「何をしている? うっ!?」
幸か不幸か、アイアースのすぐ側を歩いていたイレーネが声をかけるが、それを狙ったように風が砂を巻き上げ、イレーネの顔へと吹き付ける。
二人のフードがとれ表情が露わになるのはそのすぐ後であった。
「大丈夫か…………む、やはりお前達、どこかで……」
「い、いやその」
「ま、まさかっ!?」
先ほどの正規兵がアイアースとイレーネの元へかけより、二人の素顔を注視する。
そして、彼の脳裏に写ったのは、先の親征での凱旋式典であった。
「四太子殿下とキーリア」
そう正規兵が呟くのと、アイアースが頬に熱いモノを感じたのは、ほぼ同時であった。
ハインがアイアースの頬を張り、男のキーリア二人がイレーネの足をはらって転がす。
「このやろう。てめえが四太子殿下に似ていやがるせいで、何回疑われてると思ってんだっ!?」
「お前もだ。ろくに働きもしないで、外見だけはキーリアの真似事か? いっそ死ね。その方がよっぽど役に立つ」
罵倒を含めた暴行がはじまり、兵士達は唖然としたままその光景を見つめてきていた。
「こ、これっ!! やめぬかっ!!」
「そ、そうだぞ。本当に殺してしまうつもりかっ!!」
さすがに暴行を見つめるのに耐えかねたのか、ゼークトをはじめとする兵士達が止めに入る。それをみて、気を見るように3人が離れ、イレーネがわざとらしくアイアースを抱きしめる。
「まったく……。閣下、ご迷惑をおかけ致しました」
「いや、そんなことは」
「ふう……、偽物として一稼ぎできると思ったんですけどねえ。そんばかりでなんの役にもたちゃしない」
ミュウもまた、主人然とした姿でゼークトに話しかける。
普段から落ち着いた女性を演じる場面があるため、年齢を感じさせない態度が不気味な妖艶さを醸し出している。
「それにしても、まったく剣を離そうとしない……。少年にとっては大切なモノなのだな」
「さてねえ……、手に入れたときからあの調子ですわ」
何を思ったのか、アイアースが持つ剣に視線を向けたゼークトであったが、何やら嫌な予感がしたミュウは、さっさとその場を離れた。
そして、立ち上がったアイアースとイレーネにばつが悪そうな視線を向けた三人が続く。
「…………お母さんを大事にしろよ。少年」
そんなゼークトの声が、アイアースの耳に届いたのは、そのすぐ後のことであった。




