第6話 その先
フォルシム女王決起の報が帝国全土を駆け巡ったのは、冬の訪れを告げる北風が吹き荒れる日であった。
旧帝都パルティーヌポリスにある共和政権の首脳達は、はじめこそ散発的な反抗の類と高を括っていたのだが、各地からもたらされる早馬や烽火による情報に徐々に顔を青ざめていく。
オアシスの道の周辺国家が牙を剥くことはある程度予測していた。
特に、その盟主的な地位にあるフォルシム。かつてはオアシス世界を制していた大帝国であり、パルティノンへの服属後もそれは変わっておらず、血の結びつきも非常に強いのである。
そのため、エクバラーナをはじめとする石の道行路上の軍管区への軍備増強や衛星国への動員令の発令などの手は打ってあった。
しかし、極東部、東部、中東部の三軍管区軍が揃って反旗を翻すところまでは考えてもいなかったのである。
もちろん、それは単なる楽観でしかなかったのだが。
「国民兵の招集はどれほどの時間が掛かる?」
「迎撃に徹するならば、武器や糧秣は十分すぎるほどにある。テュルコ地方は堅固な要塞ラインが並んでいることだしな」
「相手は、あの『東の女帝』だぞっ!! まともな教練も終えておらん国民兵が相手になるものかっ!!」
「だが、ヤツも人には変わりは無かろう。あの三皇妃とて人の波の前には無力だったのだ。数さえ揃えておけば……」
「その人はどこから集めてくるつもりだ? 500に届かぬ近衛軍を相手にしただけで、五万を超える人間が殺されたのだぞ? 数十万の軍勢を預かる女帝を相手にすれば、パルティノン本国の民すべてを殺し尽くされても足りぬぞっ!?」
「それはそれでかまわぬわ。一〇〇〇年にわたり、我々がどれだけの屈辱を受けたと思っておる?」
「卿らのような俗に塗れたモノなど少数派よ。未だに帝国の威光は健在。時勢の読めぬ時代遅れどもは残らず処刑台に送ってやったが、すべての民を殺し尽くすわけにはいかん」
「だが、ある程度の血を流せばヤツラの発狂も収まろう。そこで、和平を持ちかけて、共同政治の形に出もすればいいのではないか?」
「革命は始まったばかりだというのに元に戻すというのか? むしろ、今こそが一般市民による共和制を打ち立てる好機なのだっ!! 断固討伐すべきだ」
喧々囂々。
民衆による政権の樹立を謳う共和政権にとって、帝政への懐古を求める勢力の存在も当然許容される。そこに、急進的な革命を求める勢力との対立が生まれ、成立からわずか一〇ヶ月を迎えようかという共和政権の足並みはすでに崩れはじめていた。
革命のよる利権の確保はなった。しかし、目当てにしていた皇室財産や貴族層の財貨は、復興支援のために拠出され、急進的な改革や政策を行うための予算の執行も困難。
また、皇室の消滅によって抵抗の意志を喪失した国軍も、形と兵力だけは残っているが、今も兵士の退役・離脱は相次ぎ、歴戦の名将達も処刑台へ上るか軍から去っている。
それに成り代わった元叛徒兵は、士気は高いが所詮は雑兵。
共和政権もそれを知っているが故に、国民兵という名の強勢徴兵を実現しようとしているのである。
いかな強者とて、数の暴力の前には無力であるというのは、先の革命が証明しているのだ。
そんな中、困惑する政権首脳達に光の乏しい視線を向けている人物がいた。
革命の旗印となり、象徴として玉座に君臨する少女。『天の巫女』シヴィラ・ネヴァーニャ。その傍らに立つ痩身の男は、首脳達に対し、一瞬の冷笑を向けると、巫女に頭を下げてその場を後にする。
巫女にとっての仕事は、首脳達の出した結論に頷くことだけ。側近たる男の協力は必要無い。
「ふん、俗物どもが……首尾はどうなっている?」
「信徒兵の配備は終えた。手の者も同様にな」
「よし。まあ、精々苦労させてから助け出してやれ。巫女様のご威光をありがたがるようにな」
「ああ……。それと、面白いものも手に入れたぜ?」
「ほう?」
「見てみなよ。お前の好みかも知れないぜ? ロジェ」
幕をくぐり、私室へと戻った男、ロジェは同志であるジェスからの報告に頷き、したり顔を浮かべる美形の同志の後に続く。
幕を開くと、そこには一〇代後半かと思われる少女が、横になって寝息を立てていた。
「こいつは?」
「フォルシムの属国、ゴーラのお姫様さ。王宮の奥で暇を持てあましていたのか、ちょっとしたやんちゃの御最中だった」
「ゴーラ? ……ふうむ。フォルシムとは長く宿敵どうしの関係にあり、現在では女帝が信頼する盟友……。ふむ」
ジェスの言を受け、ロジェはわずかに思案すると、やがておもしろいことを考えたような笑みを浮かべる。
「そう言えば、我々に服属を誓ったローム・セルーカの王族に同年代の王子が居たな」
「おっ!? 適当な生贄発見っ!!」
「うむ。さらに言えば、その王子は反オアシス派で有名だ……。さて、セルーカ国王に手紙でも書くとしようかな」
「はっはっは。脅迫文の間違いじゃねえのか?」
「誠意のこもった手紙だ。息子の遊び相手をただでもらえるのだ」
「ただねえ……。それで、どうするんだ?」
ロジェの言に、やれやれと言った仕草を返したロジェは、ちょうど目を覚ました少女に視線を向けながら口を開く。
「何がだ?」
「お前さんの好みだと思うぜ? 皇女様の時は我慢していたみたいだけど、高飛車でけっこう気が強いみたいだ」
そう言って、口元に人の悪い笑みを浮かべたジェスの言を受け、ロジェはキョトンとした表情を浮かべる少女を一瞥する。
寝ぼけ眼で状況を理解していないのか、その幼さを残した純粋そうな顔立ちに興味をそそられる。
「…………趣味の悪いヤツだな。大事な質を傷つけてどうする」
「はん、素直じゃねえ野郎だ」
「どうとでもいえ。姫様、お初にお目にかかります……私は」
お互いにそう言うと、ロジェとジェスは幕を閉ざした。
◇◆◇
「駄目ッスね。どの街道も制限が掛かっていて」
船旅を終え、オアシス都市に入ったアイアース等の一行は、予想以上の足止めを受けていた。
フォルシムを盟主とするオアシス国家群の挙兵のため、街道筋にて衝突が発生しはじめている。その結果、共和政権は大陸行路全域での流通を遮断するべく動き始めたのである。同じように、オアシス国家群も動き始めているため、逃避行はさらなる困難が予想された。
「ちっ……あのババア。よけいなことをしやがって」
「まあまあ、落ち着けよ」
宿所にてハインの報告を受けたイレーネは、イスを蹴飛ばしながらそう毒づく。ババアとはもちろん、テルノアのことである。
「どっちにみち、主要路での行動は不可能だったんだ。少し苦労が増えるだけだと思えばいいよ」
「そうッスね。代替路としての候補は…………ここ、ケンタウ峠を抜けて、モユクーム砂漠を抜けるルートですか」
「砂漠は隊商が往来しているから何とかなる。ソグル人は融通が利きやすいからな」
「しかし、ケンタウ峠はどうなのでしょうか?」
「当然だが、封鎖されていると見て間違いなかろう」
ハインの言を受け、イレーネや他のキーリア達が次々に口を開く。
オアシスと砂漠に挟まれた小さな山脈を越える峠であるが、抜け道として使用されることを考えれば、警備のための一部隊ほどが駐留している可能性は十分にある。
「蹴散らせばいい。とは言えんな……。下手な騒ぎを起こすわけにはいかん」
「自分から居場所を教えているようなモノだしな」
「殿下や我々はすでに死人扱いですが、反逆者どもは必死でしょうしね」
イレーネとアイアースの言に、まだ年若い女性キーリアが頷く。5人の中でも最年少で、アイアースにとってはフェスティアの姿を思い出させる存在でもあった。
顔や性格はまるで違うし、実力もキーリアであることを踏まえても劣っていたが。
そもそも、この中でフェスティア以上の人間はイレーネだけで、ハインがどうかという話でもあるのだが。
(姉上か……)
そんなことを考えつつ、アイアースはすでに失った姉の事を思いかえす。
黒色の衣装に銀色の髪がよく映え、その所作に隙はない。精神上の年齢は年下であるにもかかわらず、自分よりも遙かに大人であり続けた。
父ゼノスを逃がすための囮となって叛徒達を蹴散らし続けたと聞いているが、その最後については確認されていない。
ただ、フェスティア率いる騎兵部隊は壊滅しており、生存の望みなどはとうの昔に捨て去っている。
「なんにせよ、行ってみるしかない。出発は明朝。それまで、準備と休養にあてろ。いいな」
「明朝? 夜半に出かける方がいいんじゃないか?」
「こ……、殿下、それはで怪しんでくれと言っているようなモノです」
「そ、そうなのか?」
イレーネの言に、アイアースは疑問に思ったことを口にするが、危険な峠道である。夜半に通り抜けようとする人間など、ろくなモノではないというのが常識である。
わざわざ、怪しまれる要素を作り出す必要もない。
「一応、旅人のふりでもして通るしかないですからねえ」
「うむ。ミュウ、今のうちに派手な装いでも考えておけ。その格好ではよけいに怪しまれる」
「旅の刻印師とその一行じゃだめなの~」
「刻印師は希少なんだ。尋問等の類がよけい長引く。顔が知られていなければ、私がやるところだが、身体もこの調子だし一発でばれるからな。無名だが顔立ちがいいお前がやるのが適任だ」
「そ、そう? それじゃあ、頑張っちゃおうかな~~?」
イレーネからの持ち上げに、少し機嫌をよくしたミュウ。しかし、よくよく考えれば、いざという時の囮のようにしか思えないというのは、アイアースの考え過ぎかも知れなかった。
その後、アイアースはフェルミナを連れて、町の中を散策した。
小規模オアシスにある町であり、人の行き来もある程度ある様子で、特に排他的な扱いを受けることは無い。
これらの地域は、慣習的に家長制が顕著で、一家の主の権限が強く排他的な傾向がある地域が多い。
いずれにしろ、久しぶりに自由に過ごせる時間ができたのである。
「小さな町だけど、活気はそこそこあるな。戦争でモノが動いているって言うのもあるんだろうけど」
「水も豊富ですし、作物も育ちやすいみたいですね。砂地なのにどうして……」
「灌漑設備が整っているんだろ。水さえ豊富に確保できれば、砂地は雑草の類がないから栄養は作物が独り占めできる。その灌漑に金がかかるけど、それさえ確保できれば効率はいい」
「なるほど」
フェルミナの疑問に、アイアースは地下からの噴水を指差しながら応える。
地下水路やああいった噴水などの設備はこれまでの町でも充実しており、インフラの整備に力が入っていることはよく分かった。
それも、きれいな水があるから出来ることなのかも知れないが
「それにしても、けっこう変わった細工なんかもあるんだな。フェルミナ、何か欲しいモノでもあるか?」
「えっ!? そ、そんな、いいですよ」
「おっ? お坊ちゃん、お嬢ちゃん、仲良くお散歩かね?」
「まあ、そんなところだ。おっさん、おすすめはなんだい?」
「むっ? 坊ちゃんにはちょっと高いと思うがねえ……これなんかどうだい? うちの家内が精魂こめて作った首飾りだ。魔除けの効果もあるよ?」
「ふうん……。まあ、俺に鑑定スキルなんて無いんだが、パチもんじゃないよな?」
「んなわけあるかいっ!!」
「だといいけど……。フェルミナ、つけてみろよ」
「で、でも……」
「俺、元ご主人様。君、元奴隷。お分かり?」
「い、今もそうです」
「あんだってぇ? 坊ちゃん、その年で女の子を??」
フェルミナの言に、それまで小生意気なガキの相手。といった、態度であった店主の表情が変わる。
奴隷は制度として認められているが、地域によってはそれを許容していない地域も当然ある。オアシス都市群のように、助け合って生きて行かなければならない地域には、奴隷の類は受け入れがたい土壌があった。
「ま、まあ、俺の身なりを見れば想像つくだろ? 例の反乱で、逃亡を余儀なくされてるし」
アイアースは、そんな店主に怪しまれないよう、必死に嘘をつく。
このような辺境の地に中央の貴族が逃れてくることはよくある話であるし、この辺りの場合は、そんな貴族達を捕らえたところで護送中に賊徒に横取りされるのが落ちである。
そのため、曰く付きの旅人を名乗ったところで、大きな危険はない。
尋問などをされても、下手に応えれば首が飛ぶため、口も硬かったりする。
「ふうん。それでも、奴隷とかそういうのはよくねえな。坊ちゃんと嬢ちゃんだったら友達で十分じゃねえか」
「もちろんそのつもりだよ。でも、この子遠慮がちだからねえ」
「そ、そんなことは……」
「なるほどねえ。よっしゃ、せっかくだしサービスしてやるよ。それを買ってくれたら、こっちのペア商品もおまけしてやる」
「へえ、二つに分かれる指輪か。これはどんな効能が?」
「いや、効能自体はなんともいえねえんだ。ただ、仲のいい友達同士にゃちょうどよくないかい?」
「そうだねえ。うちの人もいまだに持っているしねえ」
「おわっ!? 母ちゃん??」
「うおっ!? 思っていたよりも美人が出てきた」
「で、……失礼ですよ」
「だって、こんなむさいおっさんだぜ?」
「はっはっはっは。むさいには違いない」
「そりゃあないぜ、母ちゃん」
「まあ、まだ小さいあんた達には早いかも知れないけど、色々あるんだろ? 騙されたと思って持っていきな」
「いいんですか? じゃあ、首飾り分の代金です」
「毎度あり。まあ、気をつけてな……」
「ああ。おっさんも奥さんと仲良くな」
「生意気なこと言うんじゃないよ。まあ、元気でね」
そう言って、店主とその妻は笑う。ちょっとした買い物になったが、悪くはないひとときであった。
「で、殿下……。よろしかったのですか?」
「たまにはいいだろ。この指輪も効果があるといいな」
「…………そうですね」
首飾りを下げ、指輪をはめながらフェルミナはおずおずと口を開く、相変わらず遠慮がちな彼女であったが、今は素直に嬉しそうである。
(今しか、笑っていられないかも知れないんだ。キーリア達は自分で何とかするだろうけど、こいつぐらいはな……。――――奴隷のことを守ろうとするか……。一国の王子の考えることじゃあないな)
そんなことを考えたアイアースもまた、うれしさを隠しながら笑うのであった。
「………………それで、どうするんだい?」
「必要なんてねえだろ。あんなヤツラに義理立てする気なんてねえよ」
「じゃあ、いっそのこと、皇子殿下に組するかい?」
「俺らが表に出てどうすんだよ? いずれ、必要なときは来るさ」
「そうだね。――――ま、私は趣味に精を出すとするかねえ」
帝国情報部。
大陸の制覇を受け、地下における反乱の防止や情報の収集を目的に、明確に設置された機関は皇帝亡き後も細々と生き続けていた。
表向きは、叛徒達の軍門に下っているが、ながく闇を生きてきた人間達が簡単に組するわけもなかったのである。
パルティノン本国では、今もシヴィラ信徒との暗闘が続いているが、彼らは闇に行き、闇に消える。
その事実は、残ることなくただただ消えてゆくだけであった。




