第3話 たくされた牙
通路の奥には、皇宮の広間ほどの大きさの部屋があり、刻印の封印球や関連書物や器具などがずらりと並べられていた。
「そうかい……あんたはゼノスの子か。そう言われてみれば、なんとなく面影はあるかねえ……」
散らかっていた書物を手早く片付けた女性は、お茶の準備をしながらそう口を開く。
「面影……ですか?」
「ああ。顔が似ているってわけじゃあないんだけど、雰囲気がね。まあ、話しぶりから見れば、女好きのお人よしと比べでずいぶん真面目そうな坊ちゃんだけどね」
「は、はあ……。たしかに、私は母上に似ていると良く言われますので」
「そうかい……リアちゃんもお母さんになっちゃったのねえ」
「母上を知っているのですか?」
「そりゃあねえ。あんただってこの顔を見ればだいたい想像はつくだろ?」
「祖母様と顔を合わせる機会はあまりありませんでしたので……」
「そうかい? まあ、あの子はあの子で幸せだったんだろうよ。20人も子どもをこさえて……、そのうち19人と一緒に死んじまうんだ。戦好きなあの子らしい」
そう言って、少し寂しそうな笑みを浮かべた女性は、手早くお茶を並べると用意した菓子などを奨めてくれた。
「ってことは、おば……あいてっ!?…………お姉さんは、太后陛下のお母様ということですかい?」
先ほどの戦闘の治療を行いながら、不用意なことを口走ったハイン。
怒ったと言うよりもお約束のツッコミのような気がしてならなかったアイアースは、とりあえずハインの問いかけの答えを待つ。
「そうよ。わたしの名は、ヒュプノイア・パロ・コキュートア。ターニャトゥリア・ラトル・パルティヌスは私の実の娘」
「えーとなると、先々代の魔王様ってことなんですかね?」
「魔王は私の夫。私は言うなれば魔后ってとこかしらねえ?」
ここで言う魔王というのは、別に世界に厄災をもたらすような存在でも、勧善懲悪な話で主人公に倒されるような悪のトップというモノではない。
単に、国民が魔族の国の王様というだけである。とはいえ、その力は強大であり、キーリア達が総出で突撃をしても討ち取ることは不可能であったし、セラスの面積が拡張したのもアイアース達の祖母の責任であると聞いていた。
とはいえ、最終的に祖母は祖父に敗れて服属し、どういう経緯でか分からないが、皇后となって帝国を導いている。
だが、同じ人間でも肌の色や風俗の違いで相手を悪魔扱いする人間はいつの時代にもいるため、反発も大きかったと聞いている。
「ま、腹を痛めて産んだわけじゃあないから、娘って言うのが正しいのかは分からないけどねえ」
「……? それはどういうことですか?」
「私の種族は生殖によって増えるわけだけじゃあないのさ。子どもを産まない女に定期的に来る分裂期ってのがあって、それにあわせて自分の分身を産み落とすわけ。ああ、人間で言うところの出産とは違うわよ?」
「だから、そっくりなんですか」
「そ、そもそも生殖なんかしちゃったら大変よ。子供産むたびに気が昂ぶっちゃって昂ぶっちゃって……」
「んあっ?? な、なんだ??」
「こ、こどもは聞いちゃダメよ~~」
暴走しはじめたヒュプノイアに対し、ミュウが顔を真っ赤にしながらアイアースの耳を塞ぎに掛かる。
「散々、俺の前で猥談をしていたのはどこの誰だよ?」
「わっっ!! ちょっ、ちょっとおっ!!」
「おばあさまにばれたらまずいってか? いい子ちゃんぶらなくても、とっくにばれているし、この手の教育はすでに受けているから問題ないぞ?」
アイアースの暴露にさらに慌てるミュウであったが、相手は魔族の頂点にいた人物。読心まではさすがにできなくとも、話しぶりや仕草で普段の様子ぐらいは簡単に見抜けるだろう。
ついでに言うと、性教育の類の歳は、アイアースは心の内で「いくら何でも早いだろっ!!」とツッコミを入れていたのであるが。
閑話休題。
「で、大上太后様はここで何をしていたんですか?」
そんなやり取りをニヤニヤしながら聞いていたハインであったが、地竜の困惑した様子に気をつかい、話題を変えようと口を開いた。
「まったく、皇帝も70過ぎてポンポコ…………私は、刻印の研究とか風土とかその辺りの研究よ。隠居してからヒマだったんでね」
「なるほど。それで、ミュウとはどんな関係なんですか? やっぱり一門ということに?」
ハインの問いに、留まることなくしゃべり続けていたヒュプノイアは、滑らかに分かった話題へと話を変える。
なんとも話に飢えている様子であり、アイアースも続けて口を開いた。
「高祖母ということは、俺がおじさんってことにも??」
「よろしくね。私の小さなおじさま。って言いたいとこだけど、ちょっと違うのよね~」
「魔族はそれこそ全員が親戚のようなモノだ。分裂期はあるし、近親での交配も多いからな。ミュウは人間だが、魔族の血も入っている様子だ。年齢の割に身体が成熟しているだろ? 多分、死ぬ寸前までこのままだ。それに、魔族連中もめっきり来なくなったし、私もおばあさんをやるのも悪くないから、そう呼ばせている」
「それじゃあ、一門というわけではないんですね。…………あの、俺って殴られ損なんじゃ?」
◇◆◇
「ほう……。まだ、生きていたとはな」
「魔族ッスからねえ…………で、あいつらは?」
ヒュプノイアとの対談を終えたハインは、アイアースとミュウを彼女に預けると、外で待つイレーネ等の元へと戻った。
しかし、待っていたのはイレーネとフェルミナだけであり、他の4人のキーリアの姿はなかった。
「偵察と物資の調達。ついでに、作業の手伝いに行かせている」
「なるほど。情報をばらまいておくわけッスね」
「ふん。よけいな寄り道をさせられたからな」
「まあ、残党もあそこにこもっているみたいですし、ミュウ嬢も満足したでしょうからすぐに出れますって」
「だといいがな。さてと」
不機嫌な態度を崩さずにそう言い捨てると、イレーネは座っていた岩から立ち上がる。
「小娘のお守りも飽きた。ババアに押しつけて、私らも手伝うとしよう」
「その左腕で大丈夫なんですか?」
「むしろ、ちょうどいい回復になる。行くぞ小娘」
「は、はいっ」
「あらあら、すっかり怯えちゃって……姐さんなんかしたんですか?」
「知るか」
「あ、あのなんでもないです。ただ、疲れちゃっただけで」
お互いに嘘はついていないようであるが、普段から近寄りがたい雰囲気を纏うイレーネと二人きりである。
相当神経をすり減らしたことは、ハインも容易に予想できた。
(悪かったな。姫さん)
心の中で、そう謝罪したハインは、二人をともない、ヒュプノイアの元へと向かった。
しかし。
「…………小僧はどうしたっ!? ババア……」
「なんだい? ヤル気かい?」
研究室へと戻った三人を出迎えたのは、ヒュプノイア、ミュウ、そして地竜人のバヤンの三人だけであった。
肝心のアイアースの姿が無く、着剣して迫るイレーネといきなりの無礼に眉間に青筋を立てるヒュプノイアが一触即発になっていた。
それを見たミュウとフェルミナは、抱き合って震え、ハインとバヤンは嘆息しながらその光景を見つめるしかなかった。
「質問に答えろっ!!」
「行きたいとこがあるっていうから転移してやっただけだよ」
「っ!? 勝手なことをっ!!」
「なんだい。家臣風情が大上太后に文句をつけんのかい? それに、ばあさんがひ孫のわがままを聞いてやって何が悪いってんだい?」
「ちっ!! だったら、私らもそこへ飛ばせ。あのガキになんかあったら、こっちの命がやばいんだ」
ヒュプノイアの言に、思わず舌打ちをしたイレーネはさらにそういいながら詰め寄る。
「いいけど、邪魔すんじゃないよ? …………あんたらが思っている以上にあの子は大人だよ。心配なのは分かるし、あんたらが守ってやらなきゃならない場面はいくらでもある。でも、必要と思ったら一人にしてやるときも必要だよ」
「ふん、小僧は小僧だ。さっさと送れ」
「よっぽど、心配なんだねえ」
「自分の命がな」
「はいはい、言ってな言ってな」
「まったく……。子どもみたいな女だねえ」
「で、でも殿下を一人で行かせるのはあぶないよ~」
「そ、そうです」
二人を転移したヒュプノイアは、イレーネの態度にそう嘆息する。
しかし、ことの成り行きを見ていたミュウとフェルミナはイレーネの意見にも賛同するところがあったようである。
「何、言ってんだい。私を誰だと思っている?」
「え? そ、それは~~」
「私の目の届くところで、あの子になんかしようとするヤツがいたら消し炭にしてやるよ。そして、そんなことはあの子だって分かっているのよ」
「え、えと、それではなぜ……」
ヒュプノイアの言に、言葉に詰まるミュウと困惑するフェルミナ。その様子を少し堪能した後、ヒュプノイアは口を開く。
「せっかく手に入れたおもちゃを手放したくはないモノよ。だから、子どもだって言うんだけどね…………。――――やっぱり血だねえ」
そう言ったヒュプノイアの表情は、どこか寂しげに昔を懐かしんでいるようであった。
◇◆◇
木々の匂いの中に焦げ付いた匂いが混ざっていた。
アイアースは、焼け落ちた木々を見まわしながら、あの日のあの場所へと歩みを進めていた。
自分の手で焼き尽くされた森。
叛徒達への対抗心からでたことであったが、結果として森を焼き、そこに住んでいた同植物たちも殺すことになってしまったのだろう。
周囲が青々とした木々の盛りであるためよけいにそう思える。
そして、歩みをするめるアイアースの目に、森にあってはひどく不自然な谷間が写りはじめる。
長方形状にくり抜かれた大地。3辺は直角な壁となっているにもかかわらず、自身の前は緩やかな段になっている。
人工的に作られたのでもなければあり得ない状態であった。
「……こんなこと一つをとっても、私はあいつには及ばないな」
ぽうっと指先に火球を作ると、手にした香に火を灯す。
すると、柔らかな匂いが周囲に漂いはじめる。そして、アイアースはゆっくりと緩やかな段を下りはじめた。
香の匂いと紫煙が身体にまとわりつくかのように広がっていく。段を降りきったときには、香の匂いでやや気分が高揚してくるようにも思えた。
しかし、そんなことで目的を忘れたら本末転倒である。まずは目的のモノを探さねばならないが、それは必要がまったくなかった。
アイアースの視線の先。
そこには、陽を浴びて煌びやかに輝く一対の剣が大地に突き立っていた。
「まだ、ここに居たのですね……。母上」
心の底から絞り出すように声を上げたアイアース。その声は、柔らかな風によって空へと運ばれていった。
「私達はいつも一緒です。……母上が愛したこの国は、私が必ず守ります。ゆっくり、お休みください」
おそらく、もう一人の母も同じ思いを抱きながら生きているはずであった。
そんなことを考えながら、アイアースは大地に突き立った剣に手をかける。
この双剣は、リアネイア自身が作り出した業物。当然、叛徒達も血相を変えて手に入れようとしたであろうが、今もなおここにある。
何人たりとも抜くことはできなかったのであろう。
だが、自分ならば……。
そう思い、一気に両の手に力をこめる。すると、何かから解放されたかのように、ゆっくりと手に馴染みはじめる。
気がついたら、引き抜かれた双剣をアイアースは頭上に掲げていた。
「見ていてください。母上……。――――お前達、いい加減出てきたらどうだ?」
手にした剣に目を向け、そう呟いたアイアースは、先ほどから感じている気配の主達に向かって口を開く。
しばらくして、森の中から一組の男女が姿を現した。
「気付いていたんですね」
「ああ、なんとなくだけど」
「ふん…………」
苦笑いを浮かべるハインの言に、アイアースは謙遜しながらもそう答える。
しかし、イレーネは剣を一瞥しただけで、さっさとアイアースから顔を背けた。
「用が済んだのならば、さっさと戻るぞ」
にべもなくそう口を開いたイレーネに、アイアースとハインは顔を見合わせるしかなかった。
「――――何かあったら、いつでも来なさい。健康には気をつけるのよ?」
「はいっ!! ありがとうございます。おばあさま」
「ふぇ~ん、なんでまた一緒に行かなきゃならないの~~」
「アイアースの刻印教育を引き受けたんだろ? 仕事を途中で投げだすんなじゃないよ」
翌朝、一通りの準備を整えたアイアース達は、ヒュプノイアの元を辞す。
彼女から手渡されたペンダントを首にかけ、優しく抱きしめられたアイアースは、妖艶な美貌の前に、一人の女性としての暖かさを感じた。
魔后であるにしろ、身内を心配する心に差はない。特に、お互い残されたたった一人の肉親であるのだ。
そんな空気を涙目になって乱すミュウ。
彼女自身の高祖母との別れなのだから悲しいのは当然なのだが、今回の件に冠しては自業自得である。わざわざ自分かリアネイアに売り込んだのである。役目はしっかり果たすともこの前言われたばかりであった。
「行ったか……」
背中が遠くなる一行を見つめた後、ヒュプノイアはゆっくりと破壊の限りを尽くされた離宮へと目を向けた。
「あれだけ厳重に封鎖されてれば、如何にキーリアといえど気付くのは無理ね……。私が手を出すのもおかしな話だし」
表情を曇らせながら、そう口を開いたヒュプノイアは、先ほど別れた少年の姿を思いかえす。
年齢以上に大人びており、しっかりと成長していることはよく分かる。だが、その小さな背負わせられた重荷はあまりに巨大であった。
一人ではとてもではないが耐えきれるモノではないであろう。
「アイアース。あなたのことを思っているのは、私だけではないわ。いえ、私が比べるなんておこがましいことよ」
そうして、再び遠くなる一行の背中へと視線を移す。
「アイアース…………あなたは一人じゃないわ。頼りになる仲間達もいるし……、何よりあなたのことを誰よりも思っている人はそこにいるわ。どれだけ時間が掛かってもいい。あの子を救えるのは……あなただけよ」
◇◆◇
はじまりの地にて得た思い。そして、適うことの無かった邂逅。
そして、この時に適うことの無かった願いが、混乱の色を深める大陸をさらなる混迷に導くことは、誰も知らなかった。




