第2話 始まりの地にて
「スラエヴォに寄りたい……だと?」
「はわわ……そんなに睨まないで~~。私の研究資料とかその辺もおいてきたままなのよ~」
「馬鹿か? 貴様は」
「はうぅ……」
イレーネの容赦のない言がミュウに突き刺さる。
“離宮”に滞在してから1週間。セルヴァストポリの混乱はさらに混迷を深め、町の各地で共和政府兵と市民や水夫たちとの衝突が起こっている。
もともと、離宮が置かれる都市は皇室とのゆかりも深く、尊皇の心も篤い。そこに、それまで流れの反と出会った人間が我が物顔をし始めれば反発が大きくなるのは自明であった。
特に、水運業者は戦時には水兵として動員される水族上がりの荒れくれ者が多く、縄張り意識も強い。
悪さもするが、金払いもいいため市民との付き合いも良好である彼らは、今回のような騒ぎの際には率先して動く傾向があるのだ。まずい時には、海や川へと逃げればいいためよけいに張り切ったりもする。
そして、彼らが生み出した混乱を利用し、本土からの脱出の算段をようやく立てたところであったのだが。
「どうしてもダメ~?」
「その気の抜けた喋りをどうにかしろ」
立場上、できる限りの危険は裂けたいイレーネは、ミュウの申し出を受ける気などさらさらない様子である。
対するミュウも今後の事を見据えて、刻印関連を万全にしておきたいという思いがあり、なかなか頑固に申し出を続けている。
さらに、イレーネからすると刻印の話をする時とは態度が全く違うため、ふざけているようにしか見えないことも彼女の態度を硬化させる原因になっている。
「そんなこと言われたって~~」
「まあまあ、お二人とも。こんなところで、喧嘩したってしょうがないっすよ」
いつまでも平行線な両者に対し、キリがないと判断したハインが間に入る。普段であれば、一蹴されてしまう彼であったが、今日は二人からの威嚇にもめげずに仲裁を続けている。
「姐さんはさっさと安全圏に行きたいし、ミュウお嬢は刻印を万全にしておきたい。はたから見ればどっちも正論ですよ」
「誰が姐さんだ!!」
「そうよ~。殿下やキーリアさん達だって、もっと強化できるし、そうなれば安全がますわよ」
「だからといって、半ば敵の本拠地となっているところに行くバカがどこにいる。いや、貴様はバカだから当然か?」
「うわ~ん、そこまで言わなくたっていいじゃない」
心なしか、普段よりも口数の多いイレーネの暴言に、ついにミュウは泣き出してしまうが、傍から見ていてもものすごく嘘くさいと周囲の者たちは思っていた。
「まあまあ、姐さん。ミュウ嬢は見た目は大人っぽくてもまだまだ子供ですよ? その辺は大目に見てやってくださいよ」
「だから、だれが姐さんだっ!!」
「それより、重要な選択ですし、殿下に決めてもらうのが筋ですよ」
「えっ? 俺が?」
どこかズレた突っ込みを入れているイレーネを抑えつつ、ハインがアイアースに向き直る。
たしかに、立場上決断をするのは自分の役目かもしれないが、めんどくさくなったようにしか見えないのも事実である。
(ハイン、後で覚えてろよな)
(勘弁してくださいよ。二人とも頑固なんですもん)
視線でハインを睨みつけるアイアースに対し、ハインもそんな思いを視線に乗せてアイアースを見つめる。
たしかに、これ以上もめても終わりが見えないことは事実だった。
「そうだな……それじゃあ」
周囲の視線を受け、アイアースは静かに口を開いた。
◇◆◇
痛みはすでに感じなくなっていた。
肉体への痛みははじめだけ、それからは心を砕くことに専念しているのであろうことがフェスティアにはよく分かった。
光の灯らぬ牢獄。一日に一度、食事と清身のために牢から出される。否、一日に一度ではないのかも知れない。
光のない場所に置かれているのだ。時間の感覚はすぐに狂う。
そうしておいて、一定の時をおいて訪れる救いにすがるようになっていく。自分の行き着く先がなんなのか。時折そんなことが頭をよぎる。
――――これも戦いだ。
連れていかれた席上で、母メルティリアの首を見せつけられたとき、フェスティアはそう思いながら、固く目を閉ざした。死を得てもなお、美しき姿を崩していない母。その死に顔には不敵な笑みすらも浮かべていた。
『魔女』と蔑まれ、実の娘にも曰く付きの渾名をつけられた母であったが、自身の人生を恨むことなく散っていったのであろうことは容易に想像できるのだ。
だからこそ、自身の運命を呪いかけた時、自らを叱咤し続けることができる。
失われた母は、死して尚も自身を救ってくれているのだ。
母はもういない。父も兄弟達も……。そして、祖国も奪い去られた。
失った家族は帰ってこないが、奪われた祖国は取り戻すことができる……。――――自分が生きている限り。パルティノンの血が残っている限り。
心を強く持つことによって、精神が壊れることはないし、幽閉の身である肉体も闇に紛れて動かすことは十分に可能だ。
腕に繋いだ枷一つで自分の自由を奪ったつもりになっている叛徒達が滑稽ですらあった。
と、再び腕に力をこめ肉体を持ち上げる。
どれだけの時間がたったのかは分からないが、人の気配を感じる。
力を抜き、石造りの壁へと身を預ける。
眩い光が閉じられた目の隙間から流れ込んでくることが分かった。
「おはようございます。皇女殿下」
いい加減に聞き慣れた耳障りな声が響く。
答えずに放って置くと、牢獄内に足音が響き、無造作に髪を掴み上げられた。髪以上に、枷が食い込む手首が痛んだ。
「返事ぐらいしたらどうだ? 小娘」
と、怒りを強引に抑え込んだ声が耳に届く。
自分の態度が気に障るのであろうとフェスティアは思っだが、安易な行動への報いは与えねばならない。
「ふっ!!」
「うおっ!?」
自由の効く左腕で髪を掴む男を掴み返すと腕を捩るようにして持ち上げ、壁に叩きつけた。
「ぎゃっ!!」
音とともに男が壁に激突し、激しく咳き込んでいる声が耳に届いた。
「まったく。丁重に扱えっていってんだろうが」
今度は耳に、久しく聞いていない声が届く。
ゆっくりと目を見開くと、整った顔に軽薄そうな笑みを浮かべた男が立っていた。
「久しぶりだなあ。皇女殿下」
「…………」
「はっ! 嫌われたもんだ。さっさと来な」
食事と清身。それの他に、一つのことが加わる日がある。この男が現れる日は、それであった。
(――――これも、戦いだっ!!)
フェスティアは、引きちぎることもできなくなった枷を苦々しく見つめながら、男の言に従うしかなかった。
◇◆◇
破壊された街にも人は戻って来ているようだった。
住民も犠牲になったとは言え、ホロコーストのような計画的な虐殺が行われたわけではない。必死の思いで逃げ隠れした人や叛徒に加わることで生きながらえた住民はいくらでもおり、今も寝起き用の天幕が方々に建てられていた。
「思いのほか活気があるようだな」
「この状況じゃあ、立て直すしかないですからね」
流浪者の列に混ざり、アイアースはゆっくりと街の様子を眺めながらそう口を開く。
避暑地でもあるここスラエヴォ。上流階級達の別荘などには、緊急時用の物資が隠されていた様子で、叛徒による掠奪からも難を逃れたようである。
こちらに身を寄せた上流階級者やその使用人達も惜しみなく物資を拠出している姿が見受けられた。
彼らにしてみれば、帝都で吹き荒れる血の嵐が止めば明日は我が身である。
反乱軍が共和政権を掲げている以上、住民を味方につけるということの有用性をしっかりと嗅ぎ取っている様子であった。
「それだけじゃあないですよ。少なくとも、皇室の離宮が置かれ、その膝元に居を構えているわけです。ある程度身ぎれいな連中が揃っているってことです」
「そうかな?」
「実よりも名誉を取る人間の方が多いんですよ。この国のお偉方は。……だから、親征であれだけの戦死者を出し、皇后陛下の改革に乗り気だった人間が多かったわけです」
「しかし、結果として反乱を産み、自身を苦しめることになった」
「皮肉なもんですよね。上に立つ以上、汚れもないとダメだってことが証明されちまった。腐敗政治よりはマシだと思ったんですが」
アイアースの護衛として傍らを歩くハインが口惜しそうにそう口を開く。
お調子者なところがあるが、彼は相当な愛国者で、皇室の信奉者でもある。帝国そのものに理想を抱いている面もあるようだ。
「そんな簡単なモノじゃないよ。国って言うのは。それよりも、こっちこっち」
そんな二人のやり取りに、やんわりと口を挟んだミュウが、嬉しそうな足取りで路地裏へと入っていく。そして、その辺りはアイアースには見覚えのある景色があった。
「この辺って……」
「そうよ~。例のオークション会場の辺り」
「まさかとは思うけど」
「それはちがうわよ。結印の手伝いはしていたけどね~」
アイアースの問いにミュウは含み笑いを浮かべながら答える。
笑い方から考えると、その筋の人間は知っているのであろう。しかし、それは答える気はないらしい。
「よかった。残ってる」
そう言うと、ミュウは小さな傷がつけられている、庭石の前に立つ。
そして、傷に手を触れると、石がゆっくりと沈み込み、人が通れるほどの穴が開いていた。覗き込むと、地下へと続く階段があった。
「さ、こっちよ~」
心なしか軽い足取りで地下へと進むミュウに続き、アイアースはゆっくりとその後に続いた。
長く続いた階段の先には、石畳が敷き詰められた通路が奥へと続いていた。
地下特有の湿り気やかび臭さとは無縁のようで、空気の通りも非常によく、アイアース等が先へとすすむと、それに合わせて通路の松明に火が灯っていく。
よく見ると、水も循環しており、人が住む上での快適な環境作りが徹底されているようにも思えた。
「すごいな……。スラエヴォの地下にこんなところが」
「ふふん。どんなに地上で威張っている人がいてもここに来たら絶対に驚くのよ~」
「でも、ミュウ嬢ちゃんが作ったわけじゃあないでしょ?」
「そ、それはそうよ~。でも、ここで育ったんだし、ちょっとは自慢したってイイでしょ~」
「それはそうだな」
アイアースの言に、なぜか得意げなミュウであったが、ハインの柔らかなツッコミに思わず顔を顰める。
ミュウにしてみればせっかく生家を自慢できる機会であったのである。素直に賞賛して欲しかったというのが本音だった。
「って、アラ?」
「むっ!!」
「おっと……。殿下、俺の後ろに」
そんな折、三人は揃って背筋に冷たい物がしたたる様を感じる。
と、ハインが二人を連れて後方へと飛び下がる。
アイアースの目の前で床がはじけたのはその数瞬の後であった。
「ほう? ――――私の一撃をかわすか……」
破壊音が静まった後、通路内に落ち着いた男の声が響き渡る。それに導かれるように声の主へと視線を向けた三人は思わず息を飲む。
成人男性を遙かに超える巨躯。槍を握りしめる鍛え抜かれ小山のごとく盛り上がった腕。そして、頭部から生えた婉曲した一対の角と臀部から伸びる鱗に覆われた太い尾。
竜族。と呼ばれる種族の中でも、とりわけ力に優れる地竜と呼ばれる種族の男であった。
「いきなり、やってくれるじゃないか。おっさん」
「そなた達も無断でやって来たのだ。相応の覚悟はあろう」
「無断て…………、ここは私の家よ。あなたこそ、土足で上がり込んで何様のつもりよっ!!」
「小娘。戯れ言は程々にせよ。主様からそのような話は聞いておらぬ」
「っ!? 主って……、その人は、私の高祖母よっ!!」
地竜の言に、思わずそう叫んだミュウであったが、他の三人はあきれた目で彼女を見つめた。
「…………あのな、ミュウ。嘘をつくにしてももう少し考えろよ」
「なんでわざわざ高祖母なんて言うかは分からないですが」
「私もそう思うぞ」
「ちょ、ちょっと、本当なのよ~」
三者からの手ひどい反応に、思わず涙ぐむミュウであったが、三人はそれを気にすることなく、互いに意識を向けあう。
「どっちにしろ、やらなきゃならないようだしな」
「ふむ。先ほどの動作。久々に腕が鳴るぞ……、果たして、竜族の私に敵うものかな?」
「試してみるか? 俺だって元キーリアだ」
お互いにそう言うと、ハインと地竜はほぼ同時に通路を蹴る。
まずは探り合いとばかりに互いに剣と槍をぶつけ合う。
中央にて火花が散り、つばぜり合いが始まる。はじめこそ、互角であったが、次第に力の差が出はじめじりじりとハインが押されはじめた。
「ちっ!!」
押しきられることを嫌い、ハインが右足を跳ね上げる。地竜もそれに反応し、仰け反るようにして後方へと飛び下がる。地竜の着地を待たずにハインが斬り込むと地竜の尾が地を滑るように動き、ハインの横腹に一撃を加える。
「おっとおっ!!」
「ぬっ!?」
しかし、弾き飛ばれると思われたハインは、果敢にもそれを脇に抱えるような形で受け止め、逆に地竜の剣に剣をぶつけて懐へと入りこんだ。
「逃がさねえぜ?」
「愚かな。地竜の私に肉弾戦を挑むというのか?」
「そうかいっ?」
不敵な笑みを浮かべたハインに対し、地竜はやや困惑気味な表情でそう問い掛ける。しかし、ハインの答えは彼の腹への重い一撃であった。
「ふぐおっ!?」
「どうよ?」
思わぬ一撃に、膝を折る地竜。しかし、それに合わせるかのようにハインも膝を折った。
「むぅ……なんという重さよ」
「あんたのもな。こうでもしないと負けちまう。不意打ちだったのは許せ」
「かまわぬ。来いっ!!」
互いにそう言い合って、再び戦闘が再開される。
互いに防御姿勢は取らずに攻撃に片寄った戦闘。互いの拳を相手の身体へと打ち込み、その都度血と汗が霧散される。
(すごい殴りあい…………互いに決め技は足技かな?)
目の前で繰りひろげられる肉弾戦を息を飲みながら見つめるアイアースは、二人が足の踏み込みを気にしているように見え、そんなことを考える。
地竜の方は尾による一撃があるが、彼の性格上身体上の明確な利点は用いないように思えた。
そんなことを考えている間に、地竜の一撃がハインの頬を捕らえ、ハインが大きく仰け反る。それを待っていたのか、地竜が左足を軸に思い切り身体を捻る。
決まった。アイアースもミュウもそう思った。
しかし、ハインもただで殴られたわけではなかった。仰け反った勢いそのままに右足で通路を蹴り上げる。
地竜の足がハインの脇腹を薙ぐのとハインに足が地竜の顎を蹴り上げるのはほぼ同時であった。
地竜の巨体が音ともに崩れ落ち、ハインもまた壁へと叩きつけられる。
「お、おいっ!! 二人とも大丈夫かっ!?」
慌てて駆け寄ったアイアースとミュウであったが、両者ともに気を失っているようである。
「はは、分かりやすい引き分けだな」
「――――うむ。…………なかなか面白いものであったぞ」
と、乾いた笑い声を上げたアイアースに賛同する女性の声。
慌てて顔を向けると、露出の覆い大胆な衣装に身を包んだ妙齢の女性が、闇に包まれた通路から姿を見せる。
松明に照らされたその表情は、久しぶりに面白いものにであった子どものような喜色に包まれていたが、切れ長の涼しげな目元が妖艶さと華麗さを見事に調和させており、なんとも不思議な気分を相手に抱かせる美貌である。
そして、彼女の姿を一際際立たせる物。それは、彼女の長く艶やかな黒髪の間から伸びる一対の羊角であった。
「おばあさまっ!! ただいま帰りました~~っ!!」
「い、生きておられたのですかっ!? おばあ様??」
年相応の笑みを浮かべて嬉しそうに口を開いたミュウとまるで夢を見ているかのような気分で口を開いたアイアース。
両者の声が通路に響き渡ったのは、全くの同時のことであった。




