第22話 涙落ちる果て
「父上……」
陽の光もまともに差し込まぬ牢獄にあって、アイアースは一人そう口を開いた。
父が死んだ。反乱軍による処刑に抗い、皇帝としての死を迎えたのだった。
不思議と涙がこぼれることはなく、悲しいと言う思いも抱かなかった。申し訳ない。とは思いつつも、自分もすぐに後を追う。
その死に様を目の前で見せつけられて悲しみを感じることはなかった。
「二度目の人生も甘くはないか。それにしても、事故の次は処刑か。この次はどうなるんだろ」
記憶が蘇った後、日を追うごとに年相応の精神状態になりつつあったアイアースであったが、今の彼の精神は七歳の少年ではなく二〇歳の青年のものであるようにみえる。
目の前で母親を殺され、父親が処刑されたとなれば、七歳の少年の精神など壊れてしまっても不思議ではなかったのだから、当然かも知れない。
と、そんなことを呟いていたアイアースであったが、地下通路に響く足音に口を閉ざす。
「閣下……」
「気にするな。そなた達の忠誠には感謝している」
初老と思われる男の声と凛とした女性の声が耳に届く。そうしている間に、松明をもった兵士達が後ろ手に縛られた妙齢の女性とともに牢屋内へと入ってきた。
「…………」
兵士達はアイアースを一瞥すると、皆後ろめたさを隠すように目を逸らしていく。
反乱軍の関係者ではなく、元々刑務を担当する兵士達がそのまま割当てられているようで、皇族に対する忠誠と職責の間で揺れているように見える。
アイアース自身も彼らを責める気にはなれない。忠誠を尽くして反乱軍に抵抗するという手立ても彼らにはあったであろうが、そうなれば残された家族がどうなるか。
今となっては反乱軍の側に正義がある以上、蹂躙の対象と成るのは目に見えている。それに、忠誠とは主君がそれに応えられてはじめて成立するもの。虜囚の身となった皇族にその力はない。
「さて、私はいつまでここに居ればいいのだ? 正直、この傷だ。長くは持たぬぞ」
縄を解かれた女性もまたアイアースを一瞥した後、兵士達に向き直る。女性特有の香りと血の混ざったような匂いが漂っていたのは、そのためのようだ。
「……裁判は三日後。恐らく、それから十日を待たずに」
「処刑か……。ま、彼奴等からすれば国政を壟断し、民を疲弊させた大罪人だ。喜々として処刑台に送るであろうな」
看守長と思われる初老の男の言に、冷めた表情でそう応えた女性は、ふっとほくそ笑むと手を振るって兵士達を追い払うかのように退室を促す。
たしかに、彼女は宰相として国の疲弊に対する責任はあると思われる。しかも、皇帝に自決を許した以上、ただの処刑では終わらぬ可能性すらもある。
「閣下、現状破魔の力は弱めております。時を見て」
「つまらんことはするな」
「それを確認することは我々の管轄ではございませぬ。そして、そのことを報告する義務も」
「ふん……」
看守長の言にはじめて感情を見せた女性であったが、彼らがそのまま立ち去ると、アイアースと同じように壁に身体を預け、左の手の平を青く光らせはじめる。
アイアースもまた、指先に意識を集中させ、頭上にて消えてしまっている燭台に視線を向ける。
「あ、ほんとだ」
指先が赤く灯ると、小さな火球が浮かび上がり、燭台に火が灯る。看守長の言うように、破魔の力は弱められているようである。
本来であれば、刻印を宿した人間が魔法の類を用いて脱出できぬよう、破魔の力を獄全体に施しているのであったが、そこまで熱心に働く気概はないようである。
とはいえ、自分達の脱出を許せば、彼らが無事に済むはずもないのであるが。
「…………久しぶりね。アイアース」
「はい。お久しぶりです。メルティリア様」
そんな様子を見ていた女性が、脇腹に手を当てながらアイアースに視線を向け、口を開く。
メルティリア・ティラ・パルティヌス。つい先日まで、神聖パルティノン帝国の皇后であった人物である。
アイアースとは、母親は違えど同じ皇族として日々を過ごしてきた間柄であったが、他の三人の皇妃と異なり、皇后という立場で宰相という国政の頂点にあった彼女とは、それほど深い関わりを持つ機会はなかった。
とはいえ、今となっては唯一残された家族でもあった。
「ずいぶん、顔色が悪いわね。美味くはないと思うが、ごはんはちゃんと食べなきゃ駄目よ?」
「は、はあ……」
メルティリアは、入り口付近に置かれたまま冷たくなっている食事に視線を向け、子どもをたしなめるような口調で言う。
場違い発言ではあるが、言った本人は当然のことを言ったつもりのようであり、以前にたしなめられた時と声色や表情は同じように思えた。
「正直、食欲がないです」
「そんなことを言っては駄目よ。別に、毒が入っているわけではないわ。多分」
「今、多分と言いましたよね?」
「さあ……? ――――まあ、食事の話は次の機会でいいわ。……ふう」
そうはぐらかして、メルティリアは治療を止める。
刻印による治療は、医学的なそれと異なり、応急的な側面が強い。何しろ、自身の生命力の類を削って自身を治療するようなモノだ。ある意味、本末転倒な状態なのである。
それでも、一時的に痛みから解放されるというのは、精神的な面からも意味はある。
「まさか、このようなことになってしまうとわね。ごめんなさいね。私のせいで」
「メルティリア様のせいではありません。悪いのは……」
そこまで言いかけて、アイアースは言葉を切る。今更行ったところで意味のないことである。それに、残り少ない家族との交流をこんな話で使い潰したくはなかった。
「言いたくないことは言わなくて良いわ。ところで……」
「なんですか?」
「先ほどの二度目の人生とはどういうこと?」
「えっ?」
「私もキーリアの一人。皇帝の縛から外れたとは言えね。そして、キーリアは身体をはじめとするあらゆる能力が向上する。当然五感もな」
そう言って、柔らかに笑うメルティリアの様子に、アイアースは戸惑いを覚える。彼女からすれば何気ない話の種なのであろうが、彼にとっては真実であり、話したところで笑い話で終わってしまうことは目に見えている。
それは、決して気分の良いことではない。
「言いたくないならば言わなくていいわ。ただ、私は程なく死にゆく身。はき出したいことは吐き出しといても良いんじゃないかしら?」
「死にゆく身というのは私も同じですが」
「あら? それはないわよ」
「はっ?」
「えっ?」
メルティリアはどうにもアイアースの呟きが気になるようであったが、それよりもその後のあっさりとした言にお互いに顔を見合わせる。
「…………ごめんなさいね。聡いとはいえ、あなたはまだ、子どもだったわね」
「え、えっと……」
申し訳なさそうな顔を浮かべるメルティリアに、アイアースはさらに困惑する。
「あなたは自分と同じくらいの歳の子が、目の前で首をはねられたらどう思う?」
「それは……、刎ねた側が悪いと思いますね」
メルティリアはそんなアイアースの様子に、そう言葉を変える。
たしかに、悪党を処刑する際に、その子どもまで一緒に。等と声を大にして言える人間はそう多くない。今、一時の感情で動いている民衆対しての印象として悪すぎる。
「そう言うことよ。叛徒どももせっかく得た支持を失いたくはない。国賊である私と一皇子とはいえ7歳の子どもであるあなたでは印象が違うの」
「国賊などでは……っ!!」
そう言ったアイアースであったが、自分が思ったところでどうにもならないということに気付く。言われ無き批判を浴び、それを否定しようとしたところで相手が信じなければ結局は批判自体が真実になる。
メルティリアがどれだけ国のために尽くしたとしても、目の前で飢える人間が死んでいく様を見ている民にとって、政治を担う宰相は倒すべき敵となる。
何より、宣伝の類をまったくすることにない彼女の人となりはそれほど多くの国民が知るわけでなく、継承戦争の際に対立陣営が流した冷酷な女。という印象を抱く人間が大多数だった。
「それで、どうするつもり?」
「何がですか?」
「話す? 話さない?」
わずかな沈黙が包んだ後、メルティリアが再び口を開く。一瞬、分けが分からなくなったアイアースであったが、先ほどの問いかけの返事がまだであった。
「ちょっとした呟きが気になりますか?」
「それは、ね」
そう言って、メルティリアは口元に笑みを浮かべる。しかし、笑ってはいてもどこか諦観しているようなそんな笑みである。
「死を覚悟してみて、はじめに感じるのは底知れぬ恐怖。なにしろ、私はキーリア。死ぬことなど考えたこともなかった。だが、いざ自分が死にゆく身となり、実際に目の前でゼノスは死んだ」
目の前で。という言葉に、昨日の出来事がアイアースの眼に蘇る。
処刑の直前、群衆の輪の中に現れたメルティリアは、周囲の叛徒を蹴散らした後、ゼノスに対して自身の剣を送って自決を促した。
彼女が持つのは護国の剣の一つであり、魂を消滅させる処刑用の大剣から彼を救う形を取った。
それでも、満身創痍でなければあの場でゼノスを救い出すのは彼女にとってはたやすいことであっただろう。完全武装の数万の叛徒の攻撃を受けたアルティリアとラメイア、暗殺などの類を専門とする精鋭とシヴィラ本人を相手取ったリアネイアに比べ、その状況はたやすかったのだ。
今も、脱出することはたやすいことなのかも知れない。しかし、彼女は夫を救えず、妹をはじめとする皇妃達、こども達や兵士達を救えなかった事実から生きることを否定しているのかも知れない。
「そうして、次に感じたのは、別離に対するむなしさ。フェスティアとアルテア、それからあなた達。アルティリアやラメイア、リアネイア。すべてと会えなくなってしまう。それは、悲しいと言うよりも心の中に穴が開いたような。そんな感じだったわ」
自分が先ほどまで感じていたのもそれだったとアイアースは思う。だが、今、こうしてメルティリアと再会し、言葉を交わしている。それだけでどこか救われたような気持ちにも成っている。
「そして、それらに対して覚悟ができたと思えば、気になるのはその先のことよ。冥府と呼ばれる死後の世界があるとも言うけど、それもおかしな話のような気がしたわ。そんなときに、あなたの『二度目の人生』という声が耳に届いた」
「………………」
「古の思想の一つとして聞いたことがある。たしか、リネ……だったかしら?」
「『輪廻』ですか?」
「たしかそれね。死したる後、多様の生命へと生まれ変わるという思想」
そう言って、メルティリアは深い海のような瞳でアイアースを見つめる。
すべてを見透かし、ある程度の確信はある様子だが、答えはアイアースの口から聞きたい。ということのようである。
「たしかに、私の記憶の中では、これは二度目の人生です」
「やはり、そうなの」
なぜ話す気になったのかは分からなかったが、間もなく死にゆく運命にある人の頼みを無下に断るのも気が引けた。
そう思い、ゆっくりと口を開いたアイアースに、メルティリアはゆっくりと頷く。
「前の世界では、前世と呼ばれるモノであると思います。そして、私は前世ではしがない一学生でありました。そして、事故によって死んだ。と思います」
「曖昧なようね。今際の際の記憶はないの?」
「たしかなものは。ただ、目の前からすべての景色は消え、音も聞こえなくなっていきました。やがて、意識も消え失せ、どれだけの時間だったのかは分かりませんが、どこからともなく女性の声が聞こえてきました」
アイアースは、頭の片隅へと追いやっていた死に際の。そう、美空とともに過ごした最後の時のことを思い返す。
(けっきょく、お人好しが災いしたと言うことだよな。…………元気かな? なんだか、すごくもやもやするんだが)
そんなことを考えつつも、話し続けたアイアースに対し、メルティリアも口を開く。
「あの時ね? やはり、そんなことがあったのね」
「はい。――――気にはなっていましたか?」
「そうね。それまでも、聡明な子だとは思っていたけど、はっきりとした変化が見え始めたのはあの時よ」
他の人も似たような印象は抱いていたとも付け加えたメルティリアであったが、アイアース自身、20歳の男が3歳児の真似事をするなど無理があると思っていたのだ。
周囲の人間達が見守るだけだったのは、不気味であることと同時に、必死で取り繕う様に同情していたのかもしれない。
「しかし、結局どういう理由で、前世の記憶があるのか。そして、自分はこの先どうなるのかは分かりません」
「それでは、死ぬことについてはどう?」
「と、申しますと?」
「前世……の記憶があると言うことは、次……後世の存在も信じることができるのではないかしら? それによって、死への恐怖心が前世の存在を信じることによって幾分差し引かれるってこともあるんじゃない? 少なくとも、前世の記憶を持つ者はそれを持たぬ者と比べて、死ぬことへの姿勢も違ってくると思うわ」
「なるほど……」
アイアースはその言を聞き、先ほどのメルティリアの言を思い返す。死への恐怖と別離に対する虚しさ。
それらもまた、次なる生を期待することで幾分薄れるのだろう。そして、別れた者との再会も生を得ることができれば期待出来るのかも知れなかった。
そんなことを考えているアイアースの脳裏にある一つの光景が蘇ってくる。
「今になってですが……」
「うん?」
「俺は、二人の人にもっとも会いたかったんです。そして、二度目の人生で一人とは会うことが出来ました」
気付いたのはつい先日のことであったし、相手は自分の前世を知るよしもない。
「前世での俺……私の名は、十川和将といいました」
「言葉遣いまで気にしなくていいわよ。それにしても、スメラギの人間のような名ね」
スメラギとは大陸の東方に位置する海洋国家で、日本の戦国~江戸時代をそのまま持ってきたような国である。
「そうですね。スメラギが後数百年ほど進めばそうなるかも知れません。そして、俺の母親は、名を十川利亜子。と言いました」
「――――リアコ? ……ということは」
「はい。何かの縁なのか、我々は再び親子として再会したと言うことになります。父親は幼い頃になくしましたので、父上であったのかは分かりませんが」
「そうなの……」
アイアースの言に、メルティリアはやや表情に喜色を浮かべながら頷く。
確信はないし、偶然だとすれば出来すぎている事かもしれなかったが、別離に対する虚しさを感じているメルティリアにとっては救いとなるかも知れなかった。
「ですが、私は……何も言えず。何も出来ず」
そこまで言って、アイアースは言葉に詰まる。
前世にあって、女手一つで大学にまで行かせてもらったが、母親の職業柄親孝行の類はまともに出来なかったと思う。それでも、大事にされたことは覚えているし、惨めな思いをしたこともない。
ただ、大学に入ってからは、一年近く顔を合わせていなかった。久々の再会が、本人確認の類であったことは想像に難くないし、母の性格上、一人になるまで涙を流さなかったであろう。
「前世にあって、まともな孝行も出来ずに死んだ身であったのに、この世界でも自分は何も出来ませんでした。こうして、二度目の人生を得たのも、なんらかの」
「…………悔いることはいつでも出来るわ。それに――」
それまで黙って話を聞いていたメルティリアは、ゆっくりと口を開く。その言は、アイアースにさらなる衝撃を与えることになる。
「あなた、リアネイアが死んだのは自分の責任だと思っているのね」
「……っ!」
「あながち、間違いではないわ。リアネイアは、あなたを授かって後、確実に力を落としていった……。叛徒どもの話を耳に挟む機会があったが、リアネイアが不覚をとることなど万に一つもあり得ないし、私は信じることが出来なかった……。一騎討ちで彼女を傷けることができる者はいなかった帝国史上最強の女。今回の戦いにあっても、首魁の首を刎ねてあの場を脱する事など容易なことであったはずだ」
そう言ったメルティリアの言に、アイアースはさらなる後悔とともに唇と噛みしめ、口の中には、血の味が広がっていく。
「だけどね、彼女は幸せだったと思うわ。あなたを残していくことは何よりも辛かったと思うけど、それでもね」
そんなアイアースの様子に、メルティリアは先ほどまでよりも柔らかな表情を浮かべる。
「彼女は孤高だったわ。ティグ族の至宝と呼ばれ、あまりにも強く気高い存在。それ故に、まわりは彼女を敬うと同時に彼女を恐れる。ゼノスを受け入れたのは、そんな寂しさの裏返しだったのだと思う」
「…………」
「戦うことが人生だった彼女にとって、あなたとの時間は安らかで満たされた時間だったのだと思うわ。一人の女として生きることの出来るね」
「う……ぐ……」
次第に目頭が熱くなっていき、嗚咽が漏れる。母の死を目の当たりにし、枯れたと思っていた涙が再び流れはじめていた。
「だからこそ、あなたは生きなければならないわ。あなたが生きることが、リアネイアという一人の女が生きていた唯一の証なのだから」
キーリアとして、帝国の最強の女傑としてのリアネイア・フィア・ロクリスの名は、羨望と畏敬とともに人々の記憶に残る。
だが、それは戦いに生きた彼女の姿であり、一人の女性として母親としての姿を知り、覚えている人間など数えるほどでしかない。
嗚咽を零しはじめたアイアースの頭を撫でながら、メルティリアは揺らめく炎に視線を向けた。
あらためて、リアネイアは幸せだ。と言う思いと、もはや会うこと適わぬ娘達のことを思いながら。
シリアスな展開に転生の話を絡めるのは難しいですね。




