第21話 来たる者・去りゆく者
キリがよいので、ちょっと短めです
帝都陥落から一週間。帝都を襲った掠奪の嵐は、帝都民の侮蔑の目と群衆の落胆を産み落とす形で終結した。
望んだ財貨を得ることは適わず、懐を潤わせることも鬱憤を晴らすこともできなかった群衆の矛先は、虜囚の身にある皇帝とその一族へと向けられていた。
今、皇帝と皇子は、かつては自分達が下々の者達を睥睨していた大広間に連行され、新たな主を待つ玉座を前に、宮城に流れ込んだ群衆の罵声に晒されていた。
数千人を収容可能な広間は、人と人でごった返し、今も皇帝と皇子に一言罵声を浴びせようと前へ前へと人の波が押し寄せる有様であった。
そして、それを人の壁として押しとどめるのは、先日まで国家の屋台骨を支えてきた軍事、行政、司法の責任者や近衛軍の生き残り達であり、後ろ手に縛られた状態で暴行を加え続けられている。
文官の中には、そのまま死亡した者も出てきていたが、それでも彼らは無遠慮に向けられてくる暴虐に対し、無言をもってそれを受け入れている。
帝国の崩壊という現実に際しても、皇帝がため、民がために生き続けてきた彼らは、その精神までは敗北していないのである。
(狂ってる…………)
アイアースは、浴びせられる罵声に一瞥することもなく、主無き玉座に視線を向けていた。分不相応にも戦いに参加し、肉体はすでに疲弊している。
さらに、目の前で母親を殺され、その肉体をもてあそばれたことで、すでに精神の一部が壊れているのかも知れなかった。
(俺が転生者じゃなければ、完全に壊れていたんだろうな。なんで、こんなにも冷静なのか……)
記憶を呼び起こして以降、困惑ともにあった日々。
しかし、困惑を呼び起こしていた、アイアース・ヴァン・ロクリスという精神はすでに崩壊し、十川和将としての精神の方が強く出てきている。
もちろん、平和な日本の一学生に群衆の罵声や母親の磔に耐えられるような精神はあるわけもないから、アイアースの精神も少しは残っているのであろうが。
と――――風がざわめき、群衆の罵声が一斉に止む。
そして、アイアースの耳には柔らかな絨毯を踏み歩く小さな足音が届きはじめた。
腰から下まで伸びた白髪に近い銀色の髪。全身を白地に青の装飾を施した衣服、そして、感情を一切排した人形のような表情に生える常緑樹のような明るみを帯びた緑色の瞳。
あの時と変わらぬ、変わるはずも無き少女。
天の巫女シヴィラ・ネヴァーニャが再び、アイアースの目の前にやってきたのである。
「久しぶりだな小娘」
「久しぶりだな。シヴィラ」
側近とともに二人の間を歩いて行くシヴィラに対し、アイアースとゼノスの声が重なる。
と、歩みを止めたシヴィラは、二人を交互に見やる。アイアースもゼノスへと視線を向けると先に言え。といわんばかりに顎をしゃくった。
「元気みたいで何よりだったよ。母上をだまし討ちにした剣は持っていないのかい? どうせだったら、母上と同じように私を倒してみてはどうだ?」
「…………」
「女の子をいじめるのは関心せんぞ。アイアース。まあ、私とてリアの事を許すつもりはないがな。だが、責められるべきは、小娘を矢面に立て、自分達は安全圏で罵声を浴びせるだけの愚か者どもだ」
「貴様」
ゼノスの言に、玉座の周囲を固めていた叛徒が声を上げる。国軍の制服を身につけており、反乱側に寝返った軍人ようであった。
「力の使い方を知らぬ田舎娘に天の名を被せる。愚か者どもを踊らせるには十分だな。そうであろう? イサキオス」
「黙ったらどうだ?」
軍人の声を聞いても、言葉を続けるゼノス。シヴィラの背後にて歩みを進めていたイサキオスに対しても言葉の剣を向ける。
しかし、兄弟の問答は、爆発した民衆の罵声によって邪魔をされることとなった。
「皇帝が巫女様を侮辱したぞっ!!」
「我々を散々苦しめておいて、愚か者だとっ!! なんたる傲慢だっ!!」
「縄なんかじゃ生ぬるい。足を切って転がしてしまえ」
そうして、興奮した民衆の一人が、人の壁を越えてゼノスの背後へと迫り、手にした棍棒をその背中に叩きつける。
一瞬、民衆が歓声を上げるが、ゼノスは悲鳴どころか声を上げる様子もなく平然と佇む。
「なっ!? 弾き返したぞ……っ!?」
続けざまに数人が駆けだしてきてゼノスを殴打しようとするが、これは流石に警備をする軍人達に止められる。
だが、一人の行動に民衆の興奮に火が点き、さらに大きな歓声が広間を包み始めた。
そして、はじめに手を上げ、今は民衆の中では英雄扱いの男が今度はゼノスの背中を押しつけ、強引に跪かせようと試みる。
軍人やイサキオス等も面倒くさくなったのか、男のなすがままに任せている。
当のゼノスは、民間人如きの腕力で抑えつけられるほど柔ではなかったのだが、必死に背中を押す男が憐れになってきたのか、自分から膝を折って床に座り込んだ。
さらに数人の男が進み出て、ゼノスの後ろ手を捻り上げると、黙って佇んでいるシヴィラに頭を下げる格好を強制した。
群衆はさらに興奮し、今度はアイアースへと矛先が向く。
しかし、群衆の興奮はそこで一気に断ち切られることとなった。
「私、そういうの嫌い」
「…………っ!?」
アイアースに掴みかかった男に対し、シヴィラはそう口を開く。
すると、彼女の目の前には、一人前の挽肉が完成した。
沈黙。
大広間は静寂を通り越し、すべてが無に包まれる。
「私はなんのためのここにいるの? この人達を罵倒するためだけ? 違うよね?」
無の中を、無機質な少女の声だけが響き渡る。
そうして、彼女はゆっくりと壇上を上がっていき、ゆっくりと玉座に腰を下ろした。
私は母なる天より遣わされた巫女であり、そなた達地上の者の醜さ、汚らわしさとは無縁である。玉座に腰を下ろした少女は、無言のままにそう言っているかのように人々にその無機質な視線を向けていた。
◇◆◇
シヴィラの登城は思わぬ混乱があったものの、特段の問題もなく完了し、残すはすでにあるべき舞台を失った皇帝の処刑を残すのみであった。
かつて皇帝が民を睥睨し、その言葉を与えるためにあった広大なテラスは、今や皇帝を冥府へと送るための処刑台となって人々の目に晒されていた。
スラエヴォ事件以来、身を清める機会もなく、その身に反逆者達の血を宿した姿のまま後ろ手に縛られた姿で歩みを進めるゼノスの姿を、叛徒側の群衆は罵声と共に迎え、帝都にてともに過ごしてきた帝都民達は哀れむ視線を向けていた。
そして、処刑台へとやってきたゼノスに対し、反乱軍首脳の一人が罪状を読み上げる。冷然とした笑みを浮かべたままそれを聞き流したゼノスは、弁明することなくその刑を受け入れる旨を告げる。
「父上……」
その死に様を目の前で見せつけられることになるアイアースは、冷然とした笑みを浮かべるゼノスに対し、そう口を開く。
「はっはっは、男の別れに涙は不要だぞ? アイアース」
「………………」
「そんな顔をするな。お前の嫁さんを見れなかったのは心残りだが、必ずいい女をつかまえろよ。あいつみたいにな」
軽やかに笑って見せたゼノスは、そう言うとアイアースの背後へと視線を向ける。
それを待っていたかのように、ざわめきはじめる群衆。
そこには、キーリアの象徴たる白地の衣服に身を包み、腰まで伸びた銀色の髪を揺らしながら歩く一人の女性の姿があった。
全身に傷を負い、特に腹部の深い傷のためか、その表情は険しい。だが、その険しさですら、彼女の美しさに花を添えるスパイスになっているように思えた。
「こ、皇后だっ!?」
「皇后が現れたぞっ!!」
はっと、我に返ったかのように群衆の一部がさわぎはじめ、やがてそれは宮城に押し寄せた群衆全体へと波及していった。
彼女、メルティリア・ティラ・パルティヌス。
神聖パルティノン帝国皇后にして、帝国宰相、帝国近衛軍キーリア№4と現世の栄誉すべてを手にした絶世の美女。
その美しい肢体が跳躍すると、すべての者が目を奪われ、先ほどのまでのざわつきは一瞬にして静まっていく。
着地と同時に、彼らを囲っていた叛徒達は、全員が顔を顰めながら崩れ落ちる。
今、処刑台の周囲に佇むのは、皇帝と皇后、そして皇子。それだけであった。
互いに見つめ合う皇帝と皇后。
皇后が腰に差した剣を手にすると、両の手に持ち奉納するかのように皇帝へと手渡す。
それを受け取った皇帝は、皇后をゆっくりと抱き寄せてその濡れた唇に口づけをする。
一瞬、群衆の一部が沸いたようであったが、今この場は完全に、二人に支配されていた。
そして、皇帝ゼノスは、テラスや皇宮に居並ぶ反逆者達に対し、自身の死後に始まるであろう新政体の憐れな末路を予言すると、手のした剣を天へと掲げる。
「そなた達に一つ感謝をしよう。この血に塗れた皇帝の衣装をはぎ取らずにいてくれたこと。これは、死にゆく我が身にとって最大の名誉である。皇衣は最高の死に装束であり、余は皇帝として死にゆく。そして、皇帝としての死に人の手は借りぬっ!!」
静寂に包まれた皇宮に、不敵な笑みを浮かべたままゼノスの声が響き渡る。
それまで周囲で罵声を浴びせていた群衆達も、その姿に圧倒され、誰もが身を震わせる。そこにいたのは、紛れもない皇帝であり、千年もの間大陸を席巻した大帝国の頂点に君臨してきた血の結晶体でもあった。
「我が血を持って、諸君等の新政体への餞としよう。我が血をすすり、この大地に新たなる秩序を打ち立てるか。はたまた、我が血に塗れながら絶望に沈むか。冥府にて見ているぞっ!!」
決して声を張り上げているわけでもなく、むしろ静かに語りかけるようそう告げたゼノスは、手にした大剣を持って首筋を凪ぐとそこから虚空に向かって鮮血が舞い上がる。
その様をゆっくりと見届けた後、皇帝の肉体は処刑台へと崩れ落ちた。
「…………」
と、崩れ落ちるゼノスの姿を見送ったアイアースは、その両の眼に熱い何かがこみ上げてくる事を自覚していた。
まるで凍り付いたかのように、自由がきかなくなった全身を鼓舞し、ゆっくりとゼノスの元へと歩み寄ったアイアース。その手に触れたゼノスの身体はまだ温かく、その表情も不敵なモノのまま。
ともすれば、今にも起き上がってきそうな。そんな気さえもしていた。
「父上」
静かに、腹の底から絞り出すように声を上げるアイアース。
そんな彼を、傍らにて見守っていたメルティリアは静かに抱きとめ、彼女によって動きを奪われていた周囲の叛徒達は、二人に対して剣を突き付けた。
この時をもって、神聖パルティノン帝国は崩壊し、後々に巻き起こった流血の惨事の中、民の手によって選出された議員達が国政を担う共和政体がおぼつかない足取りのまま産声を上げることになる。
パルティノン皇帝を頂点とし、衛星国の王や皇帝直属の官僚機構を中心とした封建体制は終わりを告げ、議会議員が立法や行政を担う共和政体の誕生であった。
しかし、これらの急進的な変動が、やがては血で血を洗う政争を引き起こし、より多くの悲劇を生むことを人々は知らなかった――――。
そして、時代はまだまだ多くの血を必要としていた。
死人ラッシュはそろそろ終わりの予定です。




