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第20話 落日

 神聖パルティノン皇帝ゼノス・ラトル・パルティヌスと第4皇子アイアース・ヴァン・ロクリスは、反乱側の手に落ちた。

 第4皇妃にして、帝国最強の女傑リアネイア・フィラ・ロクリスと彼女と並び称される猛者イレーネ・パリスという最後の頼みが消え、満身創痍の両者に抵抗する術はなかったのである。

 後ろ手に縛られ、護送用の馬車に押し込まれたゼノスとアイアースは、周囲を反乱軍とそれに加わった民衆に囲まれ、帝都へと道をゆっくりと進んでいた。

 周囲から届く罵声の数々。敗戦、継承争い、大饑饉。それによって、民がどれだけ苦しんだのか。少なくとも学ぶ努力をしていた彼らであったが、それに対する対策の遅れが今の事態を引き起こしたのかもしれなかった。




 聞こえてくるのは、人々の訳の分からぬ声だけであった。


 アイアースは、そんな周囲の罵声を馬耳東風の如く、聞き流しながら、赤く充血した目を前方へと向けていた。

 母親の死を目の当たりにし、涙はすでに涸れ果て、それを嘆くことも憤ることにも疲れ切っていたのである。


 そんなアイアースの態度が気に障ったのか、休息のために停止した際に数人の男達が、アイアースの馬車を取り囲むと、無抵抗の彼を引き下ろし、その小さな顔面を殴打する。

 鼻は折れ、鼻血が噴き出しているが、アイアースは泣き声の一つもあげずに、そんな男達に空ろな眼を向けているだけであった。

 はじめは罵声を浴びせ、唾をはきかけていた男達も次第に気味が悪くなると彼を馬車へと押し込み、民衆の中へと消えていく。



(殺してしまえ……っ!!)



 それを見送るアイアースの心にそんな声が響き渡る。


 実際、戦闘経験も積んでいない男達である。身体はボロボロであったが、火の魔法で彼らを焼き殺すことぐらいは造作もない。と思っていた。

 なぜか、禁呪の魔法を施されたわけでもなく。刻印はそのままであったのだ。


 おそらくは、満身創痍の子どもが刻印を宿していたぐらいではたいした脅威にはならない。と、判断したのだと思っていた。



(でも、それはできない……)



 ほんの一時、燃え上がった憎悪の炎は、彼の脳裏から消えていく。


 ふと、脳裏の浮かんだ二人の女性の姿。一人は白を基調とした衣服に身を包み、虎によく似た耳と尾を持ち、もう1人は黒を基調とした制服に身を包んでいる。


 そして、二人の顔立ちはよく似ている。


 二人とも誰かを護るため、そのために生きていた。それを知っていたからこそ、彼は無抵抗とも言える人間達に手を出すことができなかったのだ。

 そして、怒りを数人の男達にぶつけたところで、一度燃え上がった復讐の炎を消すことはできない。すべてを失いかけた人間だからこそ、そんな冷めた見方ができたのかもしれなかった。

 そんなアイアースの目には、今も変わらぬ帝都パルティーヌポリスの威容が映っていた。



 ◇◆◇



 スラエヴォにて起こった反乱から一週間。


 皇帝の奪還のため、各地から派遣されてきた国軍であったが、道行く先にて民衆を吸収し、数十万単位にまで膨れあがった人の波をはねのけることはできず、多くが敗走し、新たなる叛徒を生む結果となった。

 国軍兵は基本的に志願兵をもって構成され、それゆえに士気も旺盛で、忠誠心のあふれる精兵揃いである。

 だが、彼らにとって戦うことは、皇帝を護ることと同時に民を護ることである。多くが、それを誇りにして軍隊へと志願していく。

 その誇りが民を害すことに抵抗を覚え、さらに皇帝と皇子が人質になっている形である。士気も上がらず、数の上でも圧倒的に劣勢な彼らが勝利を得ることは非常に困難であった。



 そして、国軍の攻撃を蹴散らし、道行く都市を蹂躙しながら突き進んだ反乱軍は、ついに帝都パルティーヌポリスをその視界を捕らえた。


 当初、帝都は皇族遭難の報に接し、混乱の極みにあった。


 しかし、皇后にして宰相を務めるメルティリア・ティラ・パルティヌスを中心とした政府要人が事態の収拾を図り、ようやく迎撃体制を整え終えたところである。

 メルティリアは、帝国の現皇后にして、宰相を務めるまさに帝国最大の権力者であり、白皙の肌に、腰まで伸びた銀色の美しい髪。妖艶と呼べる濡れた目元など、男であれば誰もが見惚れるほどの美貌の持ち主でもある。


 腹違いの妹アルティリアや同じ皇妃のリアネイア、ラメイアと比べれば一歩劣るとはいえ、メルティリアは序列4位を誇るキーリアであり、近衛軍の主力も未だに健在であるため、反乱軍が眼前へと現れたこの状況は、彼女らにとってみれば僥倖ですらあったのだ。


 一方、一時の熱狂に犯され、皇帝を虜囚の身に落とし、皇妃達を虐殺した反乱軍内部では、小さくない変化が起こっていた。

 流れに任せて参加した多くの民衆が自分達の犯した罪の重さを自覚しはじめていたのだ。


 継承争いは完全なる皇室の失態であるが、敗戦は戦争には必ずついて回る要素。その後の国内慰撫に皇族達が手を抜いたわけではなく、異常気象による飢饉は人智を越えた事態である。

 熱の抜けた民の多くが事態に困惑し、反乱側にとっても予想外の厭戦気分が広がりつつあったのだ。


 そして、当初の反乱側の熱狂の立役者である、『天の巫女』シヴィラ・ネヴァーニャは、スラエヴォでの戦いの後、手の者と共に姿を消しており、今の反乱軍はイサオキスとその取り巻きに率いられていたのである。


 帝国側としても、そのような反乱軍側の士気の低下や指揮官の技量を見抜き、攻撃をかけていたのであったが、その失敗がよけいに混乱を助長していた。

 皇族であることのカリスマ性と皇族としては落第でも、並の将軍としては優秀な軍才をイサキオスが持ち得ていたが故に、数で勝る反乱軍が敗北することはなかったのだ。


 しかし、イサキオスは軍才はそこそこでも、民衆を統率する力はなく、共和政体の樹立を目指す共和主義者達もまた、今回の風に乗ったに過ぎず、民衆を完全に統率する術は持ち得ていなかった。



 ――――だが、そんな状況でも狂信的な人間は存在する。目的のためには手段を選ばず、時としては自分の身をも犠牲にする。そんな人間は多くが愚か者と呼ばれる。


 そして、時として時代を動かすのは、そんな一種の愚か者達であった。



 反乱軍が帝都の城壁を取り囲んでから三日。


 事態の重さに浮き足立つ反乱軍を尻目に、帝都内の士気は大いに高まり、いよいよ皇帝奪還部隊が出撃を控えたまさにその時、反乱軍側からどよめきを含む歓声が帝都内に届いた。



 何事かと思い、城壁から反乱軍側へと視線を向けた帝都側の目に入ってきたのは、巨大な十字架に磔にされたリアネイア、ラメイア、アルティリアの三皇妃の姿であった。

 狂信者達は、困惑する民に自分達の犯した罪を思い出させることで後戻りを無くさせ、叛徒達には史上最強とまで謳われた三女傑を討ち取った事実を思い返させたのである。



「聞けっ、同志達よ。我々を虐げてきた三皇妃はすでに無く、皇帝もまた我らの手中にある。千年の繁栄にあった帝国がこうもあっけなく倒れるは、天の導きに他ならないっ!! 幸いにして我々には天の意思を体現される巫女様が付いておられるのだ。恐れることはないっ!! 帝国に死をっ!!!!」


「帝国に死をっ!! 我らを虐げし者達を倒せっ!!」



 十字架を立て、その周囲で大声を張り上げる一人の男に続き、彼の同士と思われる男達が声を荒げる。


 はじめはその狂信的な様に圧倒されていた民衆も、狂信者達の産みだす熱に次第におかされはじめていき、やがてそれは洪水のように帝都を取り囲む数十万の人間へと伝播していった。



「時代は少数者によって作られる……か。馬鹿馬鹿しい話だ」



 帝都の城壁と反乱軍の人の波の中にあって、メルティリアとゼノスが同時に呟いた言である。

 今も中心にて声を張り上げる人間達は、この乱が終結すれば斬られるのは目に見えている。民を熱狂に巻き込んだとはいえ、民に慕われていた三皇妃の死を冒涜し、それを利用している事実。帝政を倒した後に成立するであろう、新政権の人間達がそんな危険人物達を野放しにするはずはなかった。



「馬鹿馬鹿しい……。周囲の部隊はどうなっている?」


「すでに配置は完了しております」


「埋伏は?」


「こちらも。皇帝陛下並びに四太子殿下の所在はすでに掴み、開始とともに救出に映る見込みとなっております」


「よかろう。――――皆、今となっては加減は無用。民草と言えど、死を冒涜した人間達を許す理由はない。陛下をお救いし、愚か者どもを蹴散らすぞ」


「はっ!!」



 メルティリアは、側近の言に頷き、城壁に集結した近衛軍の部隊長達に吐き捨てるようにそう告げると、城門前にて待機するしている近衛軍の先頭に立つ。


 その数は、精鋭中の精鋭であっても反乱軍の前では路傍の石に過ぎぬほど。


 数の優位を以て勝ち続けてきた反乱軍に挑むなど、自殺行為であるし、無能極地でもある。

 だが、数の優位のみを頼りにする反乱軍には、付けいる隙はいくらでもあった。


 すでに、反乱軍内部には、生き残りのキーリアをはじめとする精鋭が入りこみ、帝都外縁部に展開する部隊は、帝都前面に展開する反乱軍を逆包囲し、埋伏する部隊も相当の数に上っている。


 後背も湖と海峡を抱えるパルティーヌポリスは、防衛面でも補給面でも、籠城側が絶対的に有利な状況を作り出せる造りになっているのである。


 メルティリアの号令を以て、数万を超える矢の雨が反乱軍に降り注ぎ、開門とともに包囲部隊がその輪を縮め、近衛軍の突入とともに伏兵達が皇帝と皇子を救出し、近衛軍の合流を待って帝都内部へと雪崩れ込む。


 それで、この反乱劇は終わりであった。


 反乱側は、数を頼みにするのみでこの反抗に対する術はもっていない。唯一の機会は、突入してきた近衛軍を数を頼みに殲滅することであるが、近衛軍にはメルティリア以下、各地に派遣されていた生き残りのキーリアが集結している。

 この時点で、数の利点は無いに等しかった。



 しかし、一騎当千の猛者たるキーリア№4にして、帝国宰相、果ては皇后にまで上り詰めた彼女であったが、この時はいささか状況判断に欠いていた。

 腹違いの妹であるアルティリア。そして長年の戦友たるリアネイアとラメイア。

 彼女らの死を冒涜されたことが、彼女から冷静な判断力を奪っていたのかもしれない。


 そして、悲劇は訪れる。



「開門っ!! …………ぐうっ!?」


 メルティリアの声と同時に、轟音と共に開かれる正門。如何なる魔法攻撃をも跳ね返し、数多の攻城兵器をはねのけてきた鋼鉄の城門は、開かれたまま時が停止することとなる。

 城門から飛び出していくはずの帝国近衛軍本隊は、指揮官が馬上から崩れ落ちる様に沈黙し、逆にそこから雪崩れ込んできた叛徒の波へと飲み込まれていくこととなる。



「き、貴様……っ!! な、なぜだっ!?」



 脇腹に深々と剣を突き立てられ、崩れるように落馬したメルティリアは、傍らにて血塗られた剣を構える男を睨み付ける。

 あまりにもあっけない幕切れの立役者は、メルティリアが長年重用してきた側近の男であった。

 事態を察した近衛兵や見習いキーリア達も突然の事態に反応できず、ようやく男を取り囲もうとするも時遅し、叛徒達が帝都内へと雪崩れ込み、その防戦に追われることになったのだ。



「…………三皇妃が倒れられ、陛下も虜囚の身となられました。今ここで、徹底抗戦をされれば傷つくは帝都の民。閣下が長年慈しまれてきた民を害すことは私にはできませぬよ」


「な、なんだとっ。ごふっ!!」



 男の言に、反論しようとしたメルティリアであったが、不意を討たれ、さらに内腑を抉るように傷付けられたため、思うように回復ができず、出血は続く。



「閣下。いや、皇后陛下。あなたに仕えさせていただいた数年間、非常に実りのある時間でありました。今少し、時が許せば帝国は新たなる時代を迎えていたのかもしれませぬ。だが……、あなたは既得権益に群がる人間達の心を知らなすぎた」


「くっ……」



 そうして、言葉を続ける男を睨み付けるが、その言はメルティリアにとっては耳の痛い話であった。


 敗戦後の混乱にかこつけ、帝国内部の膿を取り除くべく様々は政策を実行していく過程にあって、必ずぶつかるのが既得権益層へのしがらみである。

 特に、流通を担う商人達とそれを操る勢力との対立は、水面下で激しい応酬が繰り返されていたのである。


 皇位継承争いも、皇子達の野心の背後にはそう言った権益層が存在しており、ゼノスがそれに勝利することでそれらを強制的に排除することに成功した。

 だが、強引なる施策は必ず弊害を産む。それが今、現実問題として彼女の身に降りかかってきたのだ。



「では……、こたびの……」


「巫女を奉ずる狂信者達や異国の制度を信奉する共和主義者達に何ができまする? 武器も食糧も掠奪のみでは民衆を扇動することはできないのですよ」



 唇を噛みしめながらそう呟くメルティリアに、男は静かにそう告げる。それは、事件の背後にいる人間達の存在を静かに肯定していた。




 建国以降、敵国によって一度たりとも踏みにじられることの無かった難攻不落のパルティーヌポリスは、今や自国民によってその歴史を踏みにじられるという皮肉を一身に受けていた。


 何一つ落ち度のない作戦。精鋭たる兵士。そして、優秀な指導者。


 すべてを兼ね備えた防衛部隊は、たった一つの綻びによってすべてを失ったのである。

 本来ならば、敵を蹂躙しているはずの近衛兵達の優先空しく、津波のごとく押し寄せる人の波はすべてを飲み込んでいく。

 そして、近衛軍の崩壊を知った帝都の民は、もはや意味の無くなった内城の門を開き、内宮とハギア・ソフィア宮殿へと反乱軍を迎え入れた。


 内宮に居を構えていた上層階級や官吏達の屋敷は宮殿と共に群衆の掠奪にさらされていく。


 しかし、掠奪に走った群衆の多くは、当初の目的をほとんど達することはできなかった。



 彼らが雪崩れ込んだ宮殿内部。それを知る事なき群衆達は、贅の限りを尽くした宮殿や溜め込まれた財貨を予想していたことであろう。

 しかし、多くは目的を達することはなかった。

 皇室をはじめとする上流層の財貨は、帝国再建のためにすでに拠出された後であったのである。

 国家とは、九割の犠牲で一割が栄えると皮肉めいて言われることがあるが、国家財政の過半は、その栄える一割によって支えられている側面も存在しているのであった。



 あっけない幕切れとともに終わった帝都の落日。それは、人々にこれ以上にない徒労感と行き場のない怒りを与えたに過ぎなかった。


 そして、それらを一身に受けるべき人物は、静かにその覚悟を定めていた。

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