第18話 炎の中で③
自分にできることは気配を追うことだけであった。
離宮を離れ、深い森の中を進むとどす黒い何かがすべてを覆っているように感じた。そうして、自身を襲ってくる刺客達。
それまで離宮にて戦っていた者達とは異なり、懐に入るまでまともに気配を探らせない。
森の中で繰り返された襲撃。そのすべてを跳ね返したが、目的は完全に見失ったかに思えた。
しかし、運命の悪戯か、神の導きか、どす黒い気配の中に、違う気配が入り混じった。それまでとは異なる、無色透明な何か。それは、周囲の気配以上に不気味であり、近づくことは身体が本能的にためらっていた。
クランも同様であったのだろう。ピタリと足を止め、そちらへ進もうとはしなかった。
だが、そのおかげで自分は、その何かへ向けて足を踏み出すことが出来たのだと思う。
衣服を咬んで放そうとしなかったクランを抑え、その場に到着した時、最初に目に入ったのは、今にも斬り捨てられようとする一人の少年の姿だった。
体中の血液が沸騰したようなそんな気がした。全身を覆う傷も、そこから感じる痛みもどこかへ行っていた。
周囲を囲む者達を斬り捨てると、耳に入ってきたのはその男の声であった。
「今回は、随分遅かったな……」
その声に視線を向けると、男は地面に倒れ込んだまま、こちらに笑みを浮かべている。
「母上っ」
短い叫び声とともに、懐に飛び込んでくる小さな影をリアネイアはやんわりと受け止めていた。
「アイアース。陛下。遅くなって申し訳ありませんでした。イレーネさん……ありがとうございます」
「あんたのためにやったんじゃねえよ。――――結局、私は咬ませ犬か……」
笑みはなんとかつくれた。そう思ったリアネイアであったが、途端に全身に痛みが込み上げる。
会うことはないと思っていた者達に会えたが故に、気が抜けたのかもしれなかった。
しかし、状況はそんなことを許してはくれなかった。
「っ!?」
「ちいっ!!」
背後から感じた殺気に、アイアースを抱えたまま飛び上がる。
視線を向けると、若干目を見開きながらこちらに視線を向ける少女の姿。同時に斬り込んできた二人を斬り伏せると、着地と同時に地面を蹴る。
イレーネに肩を支えられたゼノスの下へと跳躍すると、再び口を開いた。
「動けますか?」
「ああ。今は、お前に任せる」
「くやしいが……この腕じゃあ、あの二人には勝てん」
二人とも出血が激しく、顔色も良くはない。まだ意識を失っていないのは、歴戦の戦士であるが故であろう。
「一旦、退きます」
くり抜かれた森の一画から脱すると、大木の影に二人を降ろす。
「ここでお待ちください」
「母上」
そう告げると、慌てながらアイアースが声を上げる。
視線が絡み合う。思えば、あの時より自分の元から離れてしまったように感じていた。どこか大人びていて、自分に甘えることがない。
一人の女性としての尊敬は受けていても、母親に対する愛情を感じさせてくれない。そんなことを思う日もあった。
「大丈夫です。……イレーネさん、二人のことをよろしくお願いします」
「ああ…………すまん、総帥」
笑みを浮かべながらそう告げたリアネイアは、イレーネの言葉に頷くと再びくり抜かれた一画に身を降ろす。
イレーネがいるとは言え、彼女も重傷を負っている。
状況的に、二人を連れて逃げおうせることは不可能。周囲にいる伏兵がそれを許すはずはない。二人が弓によって狙われるリスクも高まるが、それは敵の居場所を知る機会にもなるし、彼女が二人につきっきりにならば万一が起こりえるとは思えない。
ただし、負傷の状態を考えれば、それほど長い時間はかけられない。
そして、目の前の少女と魔導師風の男。奇襲であったにもかかわらず、前者は攻撃を交わし、後者は急所を巧みに外していた。
降り立った先にて、武器を構える両者。2人とも片手にやや大型の剣を構えている。
少女、シヴィラ・ネヴァーニャは、ラメイアに致命傷を与えるほどの力を持つことは分かっていた。
二人と対峙をすると、周囲が静寂に包まれていることが分かる。
自分達以外の者が先に動くことはない。それは、死を意味するというのは理解しているが故であろう。
ならば、戦況は自分で作り出すしかない。
「参る」
短くそう告げると、両者に対して斬りかかる。
それに反応したのは、やはりシヴィラであった。剣同士が火花を上げて交錯する。
と、後ろに下がった男の右手が青い光を灯しはじめる。
青は水を主体とする魔法。回復などに用いられる機会が多いが、攻撃も当然のように可能であった。
剣。受け止め身体を思い切り蹴飛ばす。
背後から数本の矢、振り向き様に払い落とすと、地面を蹴る。崖の上、身を晒しながら石弓を構えていた。
一振りで3人の首を飛ばし、返す刀で残りの2人を斬り伏せる。殺気、ゼノスとアイアースの元へ向かった3人を追い、飛びかかったところで一人を横から斬り伏せ、もう一人を腰から両断した。
逃した敵はイレーネによって斬り伏せられている。
頭上から剣。シヴィラが跳躍して、斬りかかってきていた。
左で弾き、右で切り上げる。しかし、それは空しく空を斬り、右肩に激痛が走り剣を取り落とす。次の瞬間、左右から剣。暗殺用の短剣で、勢いそのままに相手を突く為のもの。背後に飛びさがり、両者の激突を待って背後から蹴りを入れる。
予想外の状況に、シヴィラはよけること適わず二人と激突し、その小さな身体が後方へと飛ばされた。それを見て、後を追う。前を塞ぐように敵、躊躇無く斬り伏せる。
再び鮮血を浴びつつ着地すると、リアネイアは大きく息を吐いた。
斬られた肩の状態が思いのほか悪い。右手の握力が戻らず、剣がぶれる。左から剣。再び斬り上げるが、予想以上に重い。シヴィラであった。
剣が弾かれ、勢いそのままに頭上を襲う。両の手で受け止めると、そのまま背後へと転がり、地面に叩きつけた。
跳ね起きると、今いた場に突き立つ無数の矢。飛来した方向にシヴィラの剣を投げつける。血飛沫と共に無数の首が舞い上がるが、2本ほど足に受けた。
「くぅっ……」
それ以前に受けた場に、抉るように突き刺さると、足が予想以上にしびれはじめる。矢尻が神経に障ったようであった。
思わず、膝を折る。
敵、跳躍した敵がゆったりとした動作で自身へと向かって落下してくる。重力に身を任せ、勢いそのままに止めを刺すつもりであろう。
刹那、虚空を舞っていた敵が燃え上がる。
「母上ぇぇぇっ!!」
アイアースの声、無意識の内に微笑むと身体を跳躍させた。
着地と同時に足に突きたった矢を強引に引き抜くと、さらに激痛が走る。残った左足でさらに背後へと跳ぶ。身体を捻って着地すると、背後から無数の剣。振り向き様に、5人をまとめて腰から叩き斬った。
刹那。地面から湧き出るように突き立つ氷塊。虚空へと弾き飛ばされ、内腑が抉り取られたかのように、口から血が噴き出す。
なんとか体勢を整えて、地面に立つと、もう一本の剣を拾い、再び跳躍する。
視線の先には、先ほどの男。目を見開いて驚愕する。
構わず斬り伏せる。しかし、右のブレが大きい。再び急所は外れ、男は地面に倒れ込んだ。
再び、矢。飛来した様が先ほどよりよく見える。剣で払う。背後に殺気、背中を斬られた。痛みはそれほど感じない。
振り向く。男の顔。虚空へと跳んだそれは、表情を変えぬまま地面へと落下していく。
再び、二人の元へと向かう敵。囮である。だが、追わぬわけには行かない。
簡単に追い付き、斬り捨てると、脇腹に剣が突き立つ。振り向き、顔を掴む。無意識のまま、それを握りつぶした。
アイアース。目があう。
「これが母だ。よく見ておきなさい」
なぜか、そんな言葉が口を突く。同時に、口から血が噴き出し、視界も一瞬白くなった。
意識が戻ると、地面に降り立ち、駆け抜け、駆け戻る。自分がどのように動いているのか、リアネイアには分かっていなかった。斬り、駆け、斬る。本能としてそれを行っているだけである。
地を這うような斬撃。シヴィラ。よけることもせず、リアネイアはその身体を刻んでいた。
◇◆◇◆◇
目の前にいるのは、本当に人間なのであろうか? その女に視線を向けるすべて者がそう思っていた。
先ほどまでの剣戟の音に包まれていた森は、元の静寂を取り戻している。そして、無残な姿で転がる死体の山、周囲を染める血の飛沫。見るだけで、吐き気を催しかねない惨状の中、一人の女が佇んでいる。
周囲に動く者はない。息がある者でも、目の前に立つ女の次元を超えた強さの前に、戦意を喪失し、絶望の光をその眼にたたえたまま状況を見据えるだけである。
「シヴィラ・ネヴァーニャ。これで、終わりました」
シヴィラ。リアネイアがそう呼んだ少女は、身体に十字状に刻まれた傷跡から血を滲ませ、膝を突いている。
その表情に変化はない。当初の通り、常緑樹のような瞳が光を放っているだけである。
「人々の救いになっていたことは事実……でしょう。だが、結局は野心を持った者達の人形に過ぎなかった。その結果がこれです」
言葉は丁寧であったが、リアネイアの言に普段の優しさは無かった。敵対者に対する冷酷な真実。いかに少女であれ、それを容赦なく突き付けているだけであった。
そして、シヴィラは無言のまま。いや、無表情に前方を見つめたまま、それに耳を傾けている。
「憐れな……。その力を、真に人々のために使っていれば、どれだけ多くの人が救えたか」
「……あわ、れ」
さらに、言葉を紡ぐリアネイアに対し、ゆらりと顔を上げたシヴィラが、まるで覚え立ての言葉を紡ぐかのように口を開く。
「? いや、あなたには酷であったのでしょう。その力を誤った道に用いた者達がいた。それは、あなたの責任ではない」
突然の変化に、リアネイアは戸惑いながらも口を開く。元々、心優しい性分である。どこか、少女に対して酷な言い方であったことを考え直したのかもしれない。
「わ、た、し?」
「??」
「せ、き、に、ん…………」
「どうしたのです?」
さらに、言葉を続けるシヴィラ。その様子は、アイアースから見ても異常をきたしているように思えた。
「あ? あなたは…………お母さん?」
「何?」
「そうね。あなたは、あの人のお母さんですものね」
突然、そう口を開いたシヴィラは、一瞬アイアースへと視線を向けた後、何かを悟ったかのような笑みを浮かべる。
その視線の異常さにアイアースは、背筋を振るわせる。
そして、シヴィラは、先ほどまでのたどたどしい口調ではなく、はっきりとした口調でこう告げた。
「だから、死んでください」
「何? ――くっ!!」
笑みを浮かべたままリアネイアに対して斬りかかるシヴィラ。その表情は、先ほどまでの無機質なものとはことなり、恍惚の表情を浮かべている。
「やめておきなさい。深手は負っていますが、何人がかりでも私を倒せなかったと思っています?」
次々に繰り出される斬撃。右肩や左腿から血が流れでながらも、リアネイアはそのすべてを軽くいなしていく。
彼女の言うとおり、相当な手練れが数百人単位で襲いかかっても、リアネイアを倒すことはできなかったのである。
しかし、今のシヴィラに冷静な判断がつきそうもなかった。
「そうよ……、私は人殺しよ。あの人を殺したのは私よ……」
「意識が混濁しているのですか」
ぶつぶつとそう繰り返すシヴィラの言に、リアネイアはさらなる哀れみをこめて、そう呟く。
彼女はこの時、目の前の少女が心を壊されている。と思っていたのである。
「私を責めればいいじゃないっ!! あなたの息子を奪ったのは私なのよっ!! なんで、なんで……」
「ぐうっ!!」
そう叫びながらの斬撃を受けた時、リアネイアの右肩から血が吹き上がる。
ふっと右手力の抜けたためか、リアネイアの身体はゆっくりと回転し、その勢いのままシヴィラの身体に剣を叩きつける。
「ああっ!?」
「く、ううっ……」
激痛に顔を歪ませながらも、リアネイアは再びシヴィラを大地に叩き伏せていた。
「なんで……。そんなに、やさしく……。悪いのは……、私……」
「……顔を上げなさい」
「だから、だから、責任を取るって」
「シヴィラっ!! 顔を上げろっ!!」
身を起こし、ぶつぶつとそう呟くシヴィラに対し、リアネイアはそう促す。しかし、なおも呟き続けるシヴィラに対し、はじめて怒声を上げた。
ビクりと身体を震わせ、顔を上げるシヴィラに対し、リアネイアは悲しげな表情のまま口を開く。
「すべての母親が、子どもを殺した相手を許すはずがありません」
「…………」
「その優しさは、あなたに対するものではない。あなたが、奪った息子に対するもの。それだけだ」
「…………」
「だが、あなたの過去を暴く気も、過去を清算させる気も私にはない。私は、反逆者としてあなたを処断する。それだけです」
ゆっくりと諭すようにそう告げたリアネイアは、両の手に持った双剣を振り上げる。
「覚悟。憐れな少女よ」
そして、まさに双剣を振り下ろそうとした刹那。大きな隙が顔を出していた。
シヴィラの謎の過去に対する同情が故か、満身創痍の肉体限界を迎えていたが故か、それとも他の何かか。
ともかく、普段であれば晒すことのない急所。左脇から心臓にかけて部位がシヴィラに対して晒されていたのである。
「えっ!?」
一陣の風が、二人の元から吹き抜ける。
リアネイアの小さな驚きの声が、それにのってアイアースの耳に届き、ついでその目に映ったのは、リアネイアの心臓をひと突きに貫く、シヴィラの長剣であった。
◇◆◇
「母上…………?」
何が起こっているのか、アイアースには理解できなかった。
しかし、長剣が引き抜かれると同時に崩れ落ちる一人の女性。それが、とても見覚えのある姿であることは、分かった。
いや、何が起こったのかは理解している。それを受け入れることができないだけであった。
立ち上がり、歩みを進める。
しかし、大きな力によって抑えられ、それ以上進むことができなかった。
父が、神聖パルティノン帝国皇帝、ゼノス・ラトル・パルティヌスその人が、自身の身体を抱きとめているのであった。
「イレーネ。最後だ、頼む」
「はっ……」
腹の底から、絞り出すかのような声でそう言ったゼノスは、アイアースを抱き上げると作り出された崖をゆっくりと降りる。
途中、飛来した矢はイレーネがすべて叩き落とし、飛びかかってくる手の者はすべてきり捨てられた。
女性の姿が大きくなる。
自分達に気付いたのか、シヴィラが剣を構える。しかし、立ち上がった男ロジェによって制されると、今度は大人しく剣を降ろした。
倒れている女性の下へと歩み寄ると、ゼノスとイレーネが無造作に剣を投げ捨てる。
「母上っ!!」
止めどなく、涙が流れ落ちてくることが分かった。
思えば自分達は複雑な関係であったのだと思う。今の自分の肉体は、彼女から産まれた。しかし、その精神そのものは得体の知れぬ何かによって奪い取られていたのである。
それでも、彼女が自分に向ける愛情は、決して歪むことのないものであった。
時に厳しく、常に優しく、そして、美しく。
今、倒れるその姿もまた赤き血に彩られてどこか神々しくも思えた。
「皇帝陛下。お覚悟はなされました……ゴフッ!?」
「黙ってろ。ゴミくず」
無粋にも、家族の別れに水を差した男、ロジェは傍らにて様子を伺っていたイレーネによって殴り倒される。
しかし、そのイレーネもまた、周囲から殺到した刺客達によって全身に短刀を突き立てられ静かに崩れ落ちた。
「すまん、リア……、すまん、イレーネ……」
崩れ落ちたイレーネを一瞥し、倒れるリアネイアに口づけをしたゼノスは、再びアイアースを抱きしめた。
倒れるリアネイアの目元から、涙がこぼれたように見えたのは、自分だけだったのだろうか? と、アイアースは思った。




