最終話 帝国の栄光
木々の合間から緩やかな風が流れてきている。
アイアースは、その風の流れを全身に感じながら、眼前の石碑へと花を手向ける。
いくつもの墓標が並ぶその場にあって、その墓標には、『フェスティア・ラトル・パルティヌス』と言う名が刻まれていた。
「姉上……あれから、すでに三年の時が流れました。帝国は、ようやくかつての平穏をと戻しつつあります。貴方とともに、原野をかけたあの頃のように」
墓標に対し、そう語りかけるアイアース。
フェスティアの眠るこの地は、数多の皇帝や皇后、皇子、皇妃達が眠る地。
パルティノンの伝統からか、暗君無しとまで呼ばれる帝王達は、例外なく激動の生涯を送る。
それ故に、その眠りは穏やかなモノが求められ、こうしてパリティーヌポリスを一望できる丘陵地に埋葬されている。
そんな地でもあったが、スラエヴォの悲劇に端を発し、帝位の奪還と帝国の再興、そして、リヴィエトの侵攻という帝国史上でももっとも激動の時代を生きたフェスティアの治世下にあっては、教団の手によって封印され、乱に倒れたゼノス達の安息の時は訪れていなかった。
政情が安定した今となってようやく、この地もかつての落ち着きを取り戻し、ゼノスも、メルティリアも、アルティリアも、ラメイアも、そして、リアネイアもまた、フェスティアの墓標に並ぶように眠りについている。
兄弟達も順番にこの地を訪れ、父や母に会うことが出来ているようだった。
そして、アイアースもまた、リアネイアに会い、こうしてフェスティアにも会っている。
兄弟の中でも、自分とは特別な繋がりのあった姉。だからこそ、語ることも山ほどあるはずだったが、言葉には出来なかった。
「今でも、遠くなっていく姉上の背中を忘れることが出来ません。貴方との思い出は、それだけではないはずなのに……」
浮遊要塞での永遠の別れ。
フェスティアは、最後まで孤高に戦い続け、パルティノンの未来にその身を捧げて散っていった。
その生涯に、平穏という時間がどれほどあったのか。考えても答えは出なかった。
「殿下……」
そんな時、風とともに背後から耳に届く女性の声。
振り返ると、漆黒の翼を揺らし、銀色の髪を風にたなびかせるフェルミナが、一人佇んでいる。
リヴィエトとの戦いの時は、まだ少女のような弱さとはかなさを残していたが、今では、一人の女性として成長し、軍内部での声望も高まっている。
だが、家庭にあっては、その本来の優しさを一片も欠くことなく、こども達と接するよき母親をこなしている。彼女が産んだ子は、まだ一人もいないというのに。
「時間か? 待たせてしまったな」
「いえ。殿下にとって、フェスティア様は……」
「ありがとう。そうだな、敬愛する姉であると同時に、一人の女性としても……」
フェルミナの言に、アイアースはそこまで口を開きかける。
そこから先の事実までは、明確にはなっていないのだ。だが、アイアースは、すでに真実の一部を知っている。
戦いの終わりに際し、シュネシスから向けられた問いとそれに対する答えによって、アイアースは、自分とフェスティアとの間にあった事を知る事になったのである。
「おじさま~。ふぇるみなおばさま~」
そんなことを思いつつ、フェルミナの手を取ってフェスティアの墓標に視線を向けたアイアースの耳に、幼い少女の声が届く。
視線を向けると、黒みがかった銀色の髪を、風に揺らしながら駆け寄ってくる少女の姿が目に映る。
「リリス。お前も迎えに来てくれたのか」
「はい。とうさまも、かあさまも、みな、まっています」
「ああ、分かった。それにしても、しっかりしているなお前は」
「えへへ」
そんな少女を抱き上げ、頭を撫でるアイアース。
リリスと呼ばれた少女は、シュネシスとフォティーナの間に生まれた第二皇女であり、その外見は、両親のそれとは異なり、死したる聖帝フェスティアと瓜二つの外見を持つ。
公式には、第二皇女であるが、彼女がフェスティアの遺児であるというのは、兄弟とその皇妃達だけの秘密であった。
リリスという名も、フェスティアが、救出に来たフォティーナに託した願い。
自身のために戦場に散った、影のような女性の思いに報いて欲しい。そんな願いがこめられた名であるのだ。
そして、父親が誰であるのかということは、兄弟達でさえも知り得ぬ事実。ともすれば、教団によって身を穢された際に出来た子かとも邪推され兼ねず、明るみに出ることは許されていない。
だが、アイアースにとって、名目上の姪にあたる少女は、先頃生まれた子達と同様の愛おしさを感じる存在である。
その事実を決して口にすることは許されず、あるのは、皇女として成長していく彼女の事を見つめるだけであろう。
「さあ、戴冠式だ。行くとしよう」
そして、リリスを肩に抱いたアイアースは、そういうと墓標を後にする。来ようと思えばいつでも会いに来れる。
そう思ったアイアースに対し、帝王達が眠る森は、優しくざわめいていく。
それは、そこ場に眠る者達が、『いつでも来るといい』といっているような、そんな気がしていた。
◇◆◇
「あれから三年かぁ~。早いモノねぇ」
「お前も母親になったわけだしな。少しは、しっかりしろよ。母さん」
「貴方も少しは大人になってくださいねぇ~? お父さん」
帝都に構えた館に戻ると、すでに正装に身を包んだミュウがそんなことを口にする。
今日は、ようやく迎えることになったシュネシスの戴冠式であり、アイアースとフェルミナもまた、慌てて正装に身を包んでいく。
そんなミュウであったが、正式な婚姻を前に、すでに二児の母親になっている。とはいえ、母親としての役割はフェルミナが変わってくれるため、相変わらずの刻印研究などにのめり込んでいる。
そんな彼女をからかったアイアースであったが、彼もまた、未練がましくフェスティアやリアネイアに会いにいっていることやミーノス等と些細なことで喧嘩をする事実に対して、しっかりとお返しをされている。
「あ? 起きられたようですね」
「ああ。今日は調子も良さそうだったが」
「そうですね。また、三人揃って」
「やっぱり、こうじゃないとねえ~」
そんな二人の様子を微笑みながら見つめていたフェルミナが、隣の部屋から聞こえてくる赤ん坊の声に、口を開く。
それに頷いたアイアースは、笑みを浮かべながら話し合うフェルミナとミュウとともに、隣の部屋へと向かう。
そこには、車イスに腰掛けた一人の女性とその腕に抱かれ、乳を飲んでいる赤子の姿があった。
「フィリス。調子はどうだ? 起きていて、つらくないか?」
「大丈夫です。こうして、お乳もあげられますし」
「そうだな……。だが、つらかったらすぐに言えよ?」
「はい……。ですが、私も近衛兵の端くれです。陛下の戴冠に参列しないという不忠はいたしたくありません」
「はは、相変わらずだな」
そう言って笑みを浮かべあうアイアースとフィリス。
今、こうして笑いあう二人であったが、こうしていられるのも、大いなる犠牲といくつかの奇跡があったのだった。
あの日。
シヴィラとの戦いの末に、ともに戦った者達や帝都の民を守り抜き、力尽きたフィリス。彼女は、アイアースに看取られながら、永遠の旅へと出て行ったはずであった。
だが、眠りについた彼女にアイアースが口づけした時、冷たくなっていくはずの彼女の身体が、ほのかに光を灯した事にアイアースは気付いたのである。
とはいえ、理由も分からずに困惑したアイアースであったが、突如として刻印がうずき始め、疲労の極地にあった肉体が痙攣しはじめる。
突然の事態に困惑しつつも、自由を奪われた身体と暗くなっていく視界。その最中にあって、アイアースはアイヒハルトに敗れ、生と死の境界にあった時の光景が甦ってくる様を感じ取った。
そして、脳裏に響いてくる声。
『そなたが生きているのならば……。すべてを渡そう……。私のすべてを……。生きよ、生きてくれ……アイアース』
そんな、忘れるはずもない女性の声。
今となっては、その時の事が、自分の生命を繋いでいた。そして、自分を救った結果、その女性は、残り僅かな生命の灯火にすべてを賭けなければならなかったのだ。
そして、彼女から伝えられた術は、アイアースもまたその身に刻みつけていた。
消えた灯火に、再び火を灯す術。
しかし、その代償は大きく、ともに過ごすこの出来る時は、残り僅かとも言える。だが、アイアースもフィリスもそれに悔いはない。
フェルミナもミュウも、そして、シュネシス達もまた、彼らの決意に異を唱えることはない。
それは、帝国のためにその身を捧げ続けた二人に対する、ささやかな贈り物であったのだ。
「さて、行くとしようか」
「ええ、行きしょう」
そう言って、手を取り合うアイアースとフィリス。
二人の視線の先には、再建が進む帝国を象徴するかのように、活気に満ちた帝都と新たに至尊の冠を受ける男の姿。
華やかな式典は、この先に待つ帝国の明るい未来を予見させ、人々は大いなる希望に満ちていく。
しかし、戦争や動乱の爪痕は、パルティノンに巨大な爪痕を残しており、まだまだ、課題は山積している。
だが、この物語はここで終わる。その先に続く物語は、つらく、苦しき戦いを乗り越え、栄光を手にした者達が切り開いていくはずである。
~完~
最後が駆け足になってしまいましたが、ここでこの物語を締めたいと思います。
語りきれぬ場面が多々あったとも思いますし、描写や表現などの未熟な部分が会ったと思いますが、それられすべてが作者の責任であり、批判も肯定もすべて受け入れようと思っています。
最後に、この作品を通じて、人の思いや生き様などに感じる部分を持って頂けたら幸いです。
そして、物語を完結できて本当によかったです。これも、一度折れ駆けた自分を励ましてくれた皆様。時に叱咤してくれた皆様のおかげと思っています。
本当にありがとうございました。
追記。
評価をしてくれるとすごく嬉しかったりします。




