第18話 遠き夜景
閉ざした目の先から、何かが寄り添ってくる。
眼を見開くと、紫色の光に包まれた自身の身体と青ざめた表情を浮かべて寄り添ってくるフィリスの姿。
そして、眼前には片膝をつくシヴィラ。驚いたことに、庭園に咲き誇る花々や宮殿そのものにも大きな破壊の跡は見られない。
強いて言えば、花々が傾いているぐらいであろうか?
「…………ど、どういう事よっ。これっ!!」
「自分の滅びを受け入れられなかったんだろ。身勝手なお前らしい失敗だな」
そして、声を荒げているシヴィラに対し、冷然とそう言い放つアイアース。その目には、怒りに満ちた光が宿っていたのだが、思わぬ状況に苛立つシヴィラは、それに気付いてはいない。
「失敗? 何を言っているの? 百合、いやフィリスの加護はもう無いのよ? 貴方は最初で最後の機会を逃しのよ。何、勝者面をしてっ!! きゃあっ!?」
そして、なおも声を荒げているシヴィラに対し、アイアースは一気に距離を詰めると、その頬を張る。
「いい加減にしろ。お前の身勝手でっ、どれだけの多くの人と傷付けるつもりだっ!!」
「だから何っ!! そんなこと、関係無いわっ!!」
そして、声を荒げるアイアースに対し、シヴィラもまた剣を振るっていく。
刻印の使役で相当な疲労が残っている様子だったが、それでも剣伎に鈍りは無い。加えて、アイアースの剣は、倒れるフィリスの傍らにあった。
「関係無いだとっ!? 俺から家族を奪い、国を奪ってまだ満足しないのかっ」
「何よっ!! 貴方はどれだけ多くの人に愛されているというのよっ!! 貴方が死ねばどれだけ多くの人が泣くっていうの? 私なんて一人もいないわ。どこまで、貴方は私をっ!!」
そう言ってさらに剣を振るってくるシヴィラ。
怒りにかき乱されながらもその剣伎は冴え渡り、回避に徹しているが故になんとか躱しきれている現実。
今この時になっても、二人の間の実力差は逆転していないということであろうか?
「……どこまで悲しい女だ」
「な、何よ――――っ!?」
そして、そんなことを呟いたアイアースに対し、一瞬、心を乱したシヴィラ。そんな隙をアイアースは見逃すと無く、今度こそ躊躇うことなくシヴィラに対して蹴りを見舞う。
「ぐっ……ごほっ」
庭園の裾にまで蹴飛ばされたシヴィラは、地に膝をつき、口から血を吐き出している。先ほどまでアイアースを圧倒していたにも関わらず、勝負は一撃でついてしまったのであった。
「な、なぜ……」
「単純なことだよ。力や剣伎はお前さんが自力で手に入れた力。でも、身体は刻印がもう守っちゃくれないって事だ」
「な、なんだとっ!?」
「好きで宿っているのに、暴走させられたら敵わないだろ。ようは、刻印にも愛想を尽かされたのさ」
「っ!?」
そして、口元を拭いつつ口を開くシヴィラに対し、アイアースはなんとなくではあるが感じていた事を口にする。
確証はないが、精神面での安定とは無縁のシヴィラに対して、思いのほか大きな動揺になったのだ。
「ふ、ふざけるなっ!! 周りが持ち上げていたとは言え、私は天の巫女だっ!! 刻印が私に従わない道理なんて無いっ!!」
「っ!?」
だが、シヴィラはなおも声を荒げ、周囲に対して法術をまき散らしていく。アイアースはさっとフィリスの身体を抱きとめると、それをなんとか躱していく。
「はは、はっはっはっは……。何が愛想を尽かしたというの? 刻印はこうして使えるわ、残念だったわねアイアース」
そうして、正気を失った笑いを浮かべると、再び全身に白色に光をたたえはじめる。
「今度こそ。お終いよ……今度は、躊躇わないわ」
「…………やれよ。こっちも躊躇はしない」
そんなシヴィラに対し、アイアースもまたフィリスを横にすると、リアネイアの剣を手にシヴィラを睨み付ける。
そんな時……。
「もういい、やめろ、美空……」
「なっ!?」
「…………イースレイっ!?」
身を引きずるようにしながら、アイアースとシヴィラの元へと歩み寄ってくるイースレイ。その白き軍装を赤く染め、その表情は軍装と同じように青白い。
アイアースの剣を受けてなお、キーリアとしての肉体が彼の生命を繋いでいたと言うことであろうか。
「なっ!? ど、どういうことっ!? 刻印がっ!?」
そして、イースレイの登場によって、シヴィラの身に纏われていた白き光が急速に力を失い、輝き続けていた刻印も光を失っていく。
アイアースもまた、右手に施された刻印に目を向けると、それもまた手負いの獅子の如く光を弱めていた。
「自分がやったことを忘れたのか? 美空。お前が奪ってきた刻印は私の手にある。フェスティア様が身に宿していた刻印がな……」
「っ!? だ、だが、貴様はなぜっ!! 私を守ると言った誓いはどうなったっ!?」
「守るからこそだ。美空」
「っ!? 先ほどから……いったいどういうつもりだっ!!」
「落ち着いて俺の顔をよく見て見ろ……。殿下やフィリス殿が分かって、俺が分からないとでも言うのか?」
「何…………を? えっ…………」
イースレイは、そう言葉を紡ぎつつ、青き光を灯しながらシヴィラへと歩み寄っていく。はじめこそ怨嗟の声を向けていたシヴィラであったが、それまでの中心めいた口調と異なるイースレイの声。
そして、そんな彼の様子に、眼を見開いたシヴィラは、思わず口元を振るわせながら、彼の姿を一瞥していく。
「そ、そんな……。え、どうして? なんで??」
「どうしてだろうな? 答えは分からん。だが、俺達のやることは一つだ」
「っ!? な、何をっ!?」
さらに動揺するシヴィラ。
そんな彼女に対して、イースレイは瞳に悲しみに光りを湛えつつ、シヴィラを抱きとめる。
そうして彼女の動きを奪うと、開けた虚空を背にアイアースへと向き直る。
「殿下。我々の過ちは、死をもっても許されることではないでしょう……。私の過ちが、この子を狂わせ、殿下やフィリス殿を傷付けた。償えることではないでしょうが」
「えっ!? そ、そんな……、ど、どうしてっ!? やっと、やっと会えたのにっ」
「ごめんな美空。一人にしてしまって……。だが……、それは俺とお前のこと。殿下達には関係が無いんだ」
動揺するシヴィラを抑え諭し、アイアースへと向き直るイースレイ。
彼の言の通り、今更許されるような罪ではない。二人の様子を見るに、イースレイもまた、過去の記憶持ち、同じ世界に生きてきたのであろう。
そして、彼の死が、シヴィラを、静原美空という女を傷付け、そこにアイアースが、十川和将が巻き込まれた。
たしかに、アイアースがお節介をしなければ、そこで悲しい物語は完結していたのであろう。だが、それを言ったところで詮無きことである。
と、アイアースの手に触れる暖かな感触。
視線を向けると、息を荒げ、顔に汗を浮かべたフィリスが、静かにアイアースの手をとっている。
彼女が何をしようとしているのか。アイアースにとっては言葉は不要であった。フィリスに、斉御司百合愛にとって、突然大切な人間を奪われたことに代わりはなく、新たな生であっても、それを傷付けられ続けたのだ。
「っ!? ま、待って。こ、これがなんだか分かる?」
そして、ゆっくりと歩み寄ってくる二人に対し、シヴィラは手の平を掲げて、虚空に漆黒の水晶球を出現させる。
「これは、あらゆる刻印を封印させる水晶球。これがあれば、フィリスの身体を浸食する刻印は外せるし、なんだったらアイアースのも……」
そう言って、身体を震わせるシヴィラ。
彼女の力を持ってすれば満身創痍のイースレイから逃れることも、フィリスを連れたアイアースに逆撃を加えることも出来そうだったが、先ほどから続く動揺と元々の壊れた精神が簡単に戻る事は無いのであろう。
今もまた、命乞いをするかのような視線をアイアースとフィリスに向けてきていた。
「はぁ、はぁ……そんな、モノは……不要。私が欲しいのは、私の、命じゃなくて……、貴方の命よ。シヴィラっ!!」
「ひっ!?」
そんなシヴィラ言に、息も絶え絶えといった様子で応えるフィリス。
満身創痍であれど、鋭く向けられた眼光は、精神の動揺の極地にあるシヴィラを震えさせるには十分なモノでもあった。
「や、やめて……。やめてええええええええっっっっっっっっっ!!」
シヴィラの絶叫が周囲に響き渡っていく。
しかし、一条の光は、それに構うことなく彼女の胸元目がけて鋭く伸びていった。
◇◆◇◆◇
白き光が消えると、床に倒れ伏した者達もまた、次々に起き上がってくる。
そんな中にあって、一人立ち上がったまま状況を見つめていたシュネシスは、眼前にて腰を下ろしているロジェスの胸ぐらを掴み、強引に彼の身を引き起こす。
「どうやら。決着はついたようだな」
「…………そのようで」
「案内しろ」
「はっ」
そして、ロジェスを睨み付けそう告げたシュネシス。
すでに覚悟を決めていたロジェスもまた、その言に逆らうことなく頷くと、胸元を改めて、後方の巫女の玉座へと向き直る。
「兄上……。何を?」
「ミーノス、サリクス。お前達は、残党がいないかを探れ。アニ、お前はここの歩哨に立て。フォティーナ以外の人間は決して通すな」
「えっ!?」
「ど、どういう事ですか?」
「これは、勅命だ。聞けぬのならば、例えお前でも斬るぞ。ミーノス」
「なっ!? どういう事ですかっ!!」
「兄上」
そんな二人のやり取りを、訝しく思ったのか、首を傾げるミーノス。
だが、シュネシスはそれに応えることなく、鋭い視線を向けてミーノス等にそう告げる。
突然の言に、驚きの声を上げるミーノスとアニであったが、勅命とまで言い切ったシュネシスに対し、ミーノスは少々苛立ちながらシュネシスへと詰め寄っていく。
そんな二人の様子に、サリクスが慌てて割ってはいる。
大柄で人のよいサリクスが必死でミーノスを抑え、嗜めるように口を開くと、ミーノスもまたばつが悪そうに顔を背け、シュネシスに対して口を開く。
「っ…………分かりましたよ。ですが、兄上。私達にも隠すのならば、それは墓場まで持っていってください。それで、兄上が苦悩したとしても、私は助けませんよっ!!」
「すまんな。それでいい」
そして、そんなミーノスの言に、シュネシスは僅かに頭を垂れ、そう口を開くと、ロジェスに対して無言で先を急がせる。
決着がついた以上、シュネシスはそれまでのシュネシスでいる訳にはいかないのである。
ミーノスやサリクスといえど、今後、公的には皇帝と臣下という関係になるのだ。もちろん、ミーノス自身それが分からないわけではないのであろうが、勝利を目前にしての変心というのは、たしかに冷たいモノでもある。
しかし、シュネシス自身もまた、この先にある真実に確証はないのである。だからこそ、すぐにでも討つべき男に案内をさせ、その知りうることを吐かせようとしているのだ。
そして、その先にある真実の内容いかんによっては、ミーノスの言の通り、墓場までもっていく覚悟はすでにあった。
そんなことを思いつつ、シュネシスはロジェスによって開かれた通路へと足を踏み入れた。
◇◆◇◆◇
白き光が虚空へと舞い上がっている。
それに伴い、緩やかな風が南よりパリティーヌポリスへと吹きつけて来る。これは、夏の訪れを告げる風。
シヴィラの叫びは、そんな風に掻き消され、その視線は胸元に突き立てられた剣へと向けられていく。
何かを言おうと、口元を動かしているが、いかな彼女と言えど、致命傷に変わりはない。
そして、一瞬痙攣したシヴィラは、腕をだらりと下げ、その手から水晶球が階下へとこぼれ落ちていく。
「さらば……です。殿下……」
そんなシヴィラに代わり、イースレイが、笑みを浮かた口元から血を流しつつ、そう口を開く。
シヴィラを抱いたまま、二人に胸元を貫かれ、元々残り少なかった命数が尽きたのであろう。それから、イースレイはシヴィラとともにゆっくりと風にその身を任せていく。
ほどなく、二人の身体は、空中庭園から虚空へと投げ出され、宵の闇が浮かびはじめたセラス湖へと落ちていく。
それは、まるで闇に飲み込まれていくような、そんな二人を待ち受ける裁きを体現しているかのような、そんな光景であった。
そんな光景を目にしつつ、アイアースとフィリスは、手にしたリアネイアの剣へと視線を向ける。それは、シヴィラとイースレイの血に染まっていた。
そして、シヴィラの死とともに解放されるはずであった刻印の力は、イースレイが身に宿した刻印によって封じられ、新たな宿主を求めて虚空を彷徨っている。
そして、その刻印の力とは、フェスティアがその身に宿していた刻印の力でもあるのだ。
リアネイアの剣によってシヴィラを討ち、フェスティアの刻印によってパリティーヌポリスは、崩壊の危機から逃れた。
二人は、死してなおパルティノンを守りきったのである。
「勝ったのは……、リアネイア様とフェスティア様……ですね。…………っ!?」
「フィリスっ!?」
そして、そんなフィリスの言葉に頷いたアイアースであったが、フィリスもまた、顔を苦痛にゆがめ、アイアースにもたれかかってくる。
そんなフィリスを抱きとめ、ゆっくりを庭園の壁にもたれたアイアースは、自身の外套を彼女にかけ、手を握りしめる。
すぐにでも、仲間の元に運ぶべきなのであろうが、フィリスの表情からは、すでに生気が消え去っているのである。
「ごめんなさい…………」
「うん?」
「あの水晶球があれば……、せめて殿下だけでも」
「何を言っている。これは、俺が自ら望んで手にした力。手放すつもりなんて……」
そして、眼を見開き、消え入りそうな声でアイアースに謝罪するフィリス。そんな彼女に対して、優しく応えるアイアースであったが、そんな彼の口にフィリスはそっと指を立てる。
「私も、刻印を身に宿した身。これが、どれほどの苦痛なのか、分かっているつもりです」
「そんなことは……」
「殿下。いえ、和将……」
「っ、なんだ?」
そう言って微笑むフィリス。
たしかに、刻印の使役に伴う肉体の消耗は、一般の刻印のそれよりも遙かに大きく、そして、ヒュプノイア等に告げられた事を考えれば、刻印の試練自体はまだまだ終わっていないのかも知れない。
そんな自身を待ち受けるであろう苦しみを、フィリスもまた予期していた。
そして、アイアースに対し、かつての名でもって語りかけてくる。
「あの時……。みんなで見た夜景を覚えている?」
「…………ああ。忘れるわけが……ないだろ」
「ここの景色。見覚えがない?」
「…………っ!? そうだな。よく似ている……」
そして、消え入りそうな声でそう口を開いてくるフィリスの言に、アイアースもまた、過去の記憶を思い起こし、パリティーポリスと対岸の港町。そして、遙かなる草原に灯りはじめた光に視線を向ける。
それは、かつて見た夜景よりも遙かに広大であったが、人の暖かみを感じさせる様はよく似ていた。
「だから、私達は、帰ってきたんだよ。あの、時に……」
そう言って、再び目を閉ざすフィリス。
あの時。そう言ったフィリス、百合愛にとって、アイアースの、和将の死という時は、すべてが停滞した時であったのだろう。
互いに思い合いながら、想いを口にすることなく迎えた永遠の別れ。残された彼女にとって、それは永劫に消えぬ苦痛であったのかも知れないのだ。
「殿下、私を、思っていただいて、ありがとうございました。和将……、私を、好きになってくれて。ありがとう……」
そして、再びゆっくりと眼を見開き、アイアースを見つめたフィリスは、静かにそう告げるとゆっくりと目を閉ざす。そして、握られたアイアースの手から、ゆっくりとフィリスの手が流れ落ちていく。
「フィリス?」
静かに、フィリスに声をかけるアイアース。しかし、彼女が応えることはない。
そして、アイアースに出来ることは、彼女の身体を優しく抱きとめ、その唇に静かに口づけをする事だけであった。
予定より長くなってしまいました。
次話にて完結予定になっております。あと僅かでありますが、是非ともお付きあいいただければ幸いです。




