第14話 母の愛
舞い上がった光は、元の刃となって虚空を踊っていた。
それに視線を向けることなく、眼前を見据えるアイアースの目に映るのは、白き軍装に突き立つ剣とそれを中心にゆっくりと咲いていく赤きの花。
そして、回転しながら落下する刃が、乾いた音をたてながら床に落ちると、アイアースはゆっくりと顔を上げる。
視線の先では、アイアースを見つめるリアネイアの顔。視線が交錯すると、それまでの光無き目にゆっくりと光が灯っていく。
「見事です。アイアース」
突き立った刃によって咲かされた花は、蕾から大輪の花へと代わり、リアネイアは、静かにアイアースの肩に手を置く。
「母上……」
互いに全身を血に染め、満身創痍となるまで戦いあった両者である。
そこに、母子という関係はなく、あるのはともに頂点の地位にある白き猛虎としての戦いのみ。
だが、今リアネイアの目に灯る柔らかな光は、その戦いの終わりと告げていた。
◇◆◇◆◇
玉座の間にて、一つの決着が付いた頃、内城でもまた、いくつかの戦いが終幕を迎えようとしていた。
虚空を舞っている四つの影。
それは、それぞれ二つつづに別れ、一方はゆっくりと地に倒れ落ち、一方は傷ついた身体を庇いつつも地に降り立ち、舞い上がった赤き血によって、白き軍装がさらに赤く彩られていく。
その光景に、激しい戦いを繰りひろげていたキーリアと信徒兵達もまた、戦いをやめて視線を向けてきていた。
「母上っ!!」
ゆっくりと地に降り立ったシュネシスの眼前で、ミーノスが倒れ伏したアルティリアを抱きかかえている。
最後まで、アルティリアが優勢のまま進んだ戦い。
しかし、最後の最後でミーノスの技量はアルティリアへに追い付き、アルティリアもまた全力をもってそれに応えていた。
そして、最後の一撃もまた、アルティリアは躱す気になればかわすことが出来たのである。いや、それ以前に、ミーノスが繰り出した最後の一撃の前に、彼の頸を跳ばすことも十分に可能であった。
「な、なんで…………」
同じ事を考えたのか、胴と切り離されたグネヴィアの美しき頸が地に転がっている。
未だに意識が残っていることは驚きであったが、グネヴィアの正体が人ではない何かであると思えば、特段不思議なことではない。
ゆっくりと歩み寄り、長き髪を掴んで眼前へと持ち上げたシュネシスは、それを睨みながらゆっくちを口を開く。
「信じられないだろう? どうして、自分が死のうとしているのか」
グネヴィアにとって、首を討たれるというのは、ほぼ唯一と言った致命傷である。それ故に、そこを守るための防御術は巧であり、仮にシュネシスが相討ち覚悟でそれを狙ったとしても、待っているのは敗北の二文字のみ。
これは、アイアースでも、フェスティアでも、全盛期のリアネイアでも同様の結果であったと思う。
肉体がどれだけ傷つけられようと死に至ることはなく、動きの悪さや疲労を誘発するだけであるというのは見ていても分かる相手。イースレイが№1の座を奪ったのも、死を前提とした戦いでない故の結果であろう。
それだけに、この危険な女を組織に縛ることでしか制御できなかったのだ。
「たしかに、お前の技量は俺達の攻撃をいなすことも可能なモノだった。だが、ほんの一瞬、お前は警戒を解いたんだ。母上からな」
そう言うと、シュネシスは倒れ伏すアルティリアへと視線を向ける。
声が届いたのか、荒い息を吐きながら口元に血を流すアルティリアは口元に柔らかな笑みを浮かべていた。
あの時。ミーノスがアルティリアに一撃を加えた瞬間。
グネヴィアは、シュネシスの攻撃をいなし、背後に迫ったミーノスの攻撃にも備えていた。だが、直前でミーノスの攻撃を受けたアルティリアに対しては、ほんの一瞬だけ警戒を解いたのである。
その一瞬を逃すことなく、アルティリアはグネヴィアの頸を跳ね飛ばしたのだった。己の生命を賭けて。
「そ、そんな、ことが…………」
「できるのさ。俺達は、血の繋がった母子だぞ? お前が知らない、いや、忘れてしまった繋がりが、それを成したのさ」
「っ!? う、うふふふふ。そう、なの……。まあ、悪くは、無いかもね」
「本来だったら、アイアースに討たせてやりたかった。だが…………」
「いいわ、よぉ。私も、生きて、いても、人を殺す、以外には無いモノ」
「………………」
「同情な、んて、無駄よ。私、は、変わら、ない。向こうで、待ってるわ。陛下」
そして、血に塗れ続けたグネヴィアの頸は、不敵な笑みを浮かべたまま、ゆっくりと崩れ落ち、やがて血の塊となって地に落ちていく。
顔を身体へと向けると、それも同様に赤く染まっていき、すべてが消え去った時には、残されていたのは、赤く染まったキーリアの白き軍装のみであった。
「待っている……か。まあ、俺が行くのはそっちだろうしな。ますます、アイアースには悪いことをしたな」
それを見届けると、シュネシスはゆっくりと歩み始める。一人の仇敵を見送った以上、敬愛する人を見送らぬ道理はない。
ゆっくりと倒れるアルティリアとミーノスの元へと足を向けると、キーリア達とともに歩み寄ってくるサリクスとターニャ。そして、一人の大柄な女性の姿。
「ラメイア様……」
「久しぶり。あんたもいい男になったねえ」
ゆっくりを歩み寄り、シュネシスの肩をポンと叩き、寂しそうな笑みを浮かべるラメイア。
最後の別れとなった時と変わらぬその磊落な仕草と対照的なその笑みに、シュネシスはこの後に待ち受けている別れの存在を悟る。
それでも、それはアルティリアとラメイアの口から語るべき事であるとも思っており、ゆっくりと頷くとシュネシスはアルティリアの傍らへと腰を下ろす。
「シュネシス……」
「母上」
「ミーノスもあなたも、強くなった……」
感慨深げにそう口を開いたアルティリア。その視線は、すべてのやり終えた満足感と一つの寂寥感に支配されている。
「まったく。わがままに付き合って、怪我をした連中に謝っておきなよ。息子が心配だからって……」
「ラメイア様?」
「悪かったね。あんた達も、キーリア達も。全力で相手をしなきゃ意味がないって聞かくてね。このこは」
「彼奴等がどんな意図を持っていたのかなどは知らぬ。どのみち、短き生なのだ」
「はあ、分かった分かった。最後ぐらい、優しくしてやりな」
苦笑しつつ、アルティリアを抱き起こすラメイアの言に視線を向けると、ラメイアは静かに口を開く。
はじめの自分達をキーリアへの攻撃は、教団欺くためのモノであると同時に、息子達の成長を見るためのモノであったのだという。
シュネシスもまた、ミーノスやサリクスと対峙する二人の様子や攻撃を受けたキーリア達が生存している事に、一種の予感としてそれを悟ってはいた。
彼女達の技量を鑑みれば、自分達や上位№以外のキーリアは一撃で葬られていてもおかしくはない。
だが、結果として訓練生あがりのキーリア達は戦闘不能となり、信徒兵との戦闘からも離脱できている。
それらの事実に加え、徐々にグネヴィアを罠に掛ける動きを見せたアルティリアの姿に、シュネシスは賭に出ることが出来たのだ。
そして、今の結果がある。
「登極したそうね。……あの娘とは、まだ?」
「娘が生まれました。今回の戦でも、ともに」
「そう。貴方がそれを選ぶのならば、それで良いわ。あのことも?」
「はい」
ゆっくりと視線を向けてきたアルティリアがシュネシスに対して最初に口にしたことは、フォティーナとの関係であった。
当時は、知らぬところで懇意にしてもいたし、彼女の真意を知る事はなかったのだが、それを知ったのは事件の後。
フォティーナが揃えてきた人材の大半は、アルティリアが手を回して揃えてきた腹心達であり、シュネシスがキーリアとなる頃には、彼女の力はほとんど削がれていた。
「はじめは、皇子である私を利用しようと考えていたようですが」
「ノロケは良い。国のために尽くすのならば私欲でもな」
そう言うと、静かに目を閉ざすアルティリア。
彼女もまた、目的のために皇妃となり、いつしかパルティノンの為に尽くすことを第一に考えるようになっている。フォティーナもまた、そうであるならばそれでいい。と言うのが、アルティリアの真意であろう。
そして、母が認めたのであれば、シュネシスもまた、一つの事実を許す必要がある。
「あの時のことは、問わぬ事といたします」
「うむ」
スラエヴォ離宮での戦いの際、アルティリアを討ったフォティーナの罪。
それがある限り、皇后の地位を与えぬつもりではあった。どれほど有能であり、どれほど野心があり、それが国のためになろうとも、どれほど愛執する女であろうとも、母を討った女を皇后にすることは受け入れがたかった。
しかし、そのわだかまりも、母が認めれば消すことは出来ると思う。
「はいはい。いい加減、母と子に戻りな。いつまで、皇妃と皇子をやってんだいっ」
「今のは、母と子の会話だ。息子の相手を簡単にみとめると思うか?」
「…………サリクス。あんたは?」
「えっ!? まだおりませぬが……」
「そうかい。ならいい」
「な?」
「悪かったね。それで、その子は?」
そして、そんな二人の会話に、あきれたような表情を浮かべたラメイアが割ってはいる。しかし、アルティリアの少々戯けた表情から発せられた言に、神妙な面持ちとなって、サリクスに問い掛け、安堵したような表情を浮かべている。
正反対な両者であったが、皇妃という立場を越えた友人同士であったことが、今となってもよく分かる。
「わ、わたしは…………っ」
そして、ラメイアの視線を受けたターニャが、驚きと共に身を固くし、直立するも、やや強引にミーノスに抱き寄せられる。
「私の女です。ラメイア様、母上」
「なぁっ!?」
「へえ?」
「ほう?」
「そうなんですか?」
そして、眼を赤くしたまま、平然とそう言い放ったミーノスに対し、声をあげて硬直するターニャと興味深げに目を丸くするラメイア。シュネシスもまた、サリクスと視線を交わすも、サリクスはサリクスで驚きと共に声をあげている。
「ふむ。小娘」
「っ!? な、なん。い、いや、なんでございますか?」
「その気はあるのか。名は?」
「え、あ、それは……」
「名は?」
「隠し立ては無駄だ。恥じることでもないし、気負うことでもない」
そんな周囲の様子に、一瞬苦痛に顔をゆがめていたアルティリアは、ふっと、一息吐くとターニャへと視線を向け、口を開く。
その鋭い視線を受けたターニャは、慌てて居住まいを正すも、鋭い問い掛けに思わず言葉に詰まる。しかし、さらに短く続いた問い掛けに加え、ミーノスの手が優しく肩に置かれたことで、ゆっくりと口を開く。
「……分かった。私は、タチアーナ・ニコラヴィナ・ヴァシレフスカヤ。あなた様の祖国を蹂躙した、帝政リヴィエト第三皇女であります。皇妃様」
観念したようにそう口を開き、ミーノスの傍らへと腰を下ろすターニャ。それを一瞥したアルティリアは、ゆっくりと地に染まった手を彼女の顔に添える。
「リヴィエト……。永久氷域越えてきたと言うことか」
「はい」
「一つ、教えておこう。私の、北域の民の起源は、遙か永久氷域の彼方にある」
「え? それは……っ」
アルティリアの言に、ターニャのみならず、シュネシスやミーノス等もまた顔を見合わせる。それが事実であるならば、パルティノンとリヴィエトはどこかに繋がりを持ちうる民族同士であるとも言えるのだった。
「だが、知っての通り、私は反逆者として、パルティノンに牙を剥いた。平和を願う民を無視してな」
「っ!? それは」
顔を見合わせる周囲をよそに、アルティリアはターニャへと鋭い視線を向け、口を開く。それは、言外にターニャもまた、自分と同じようにパルティノンに牙を向けるのではないか。という問いかけでもある。
そして、その負い目は、最後までアルティリアを追い込み続けたようにシュネシスは思ってもいた。
「だが、そなたが、さらなる戦を止める鍵となる可能性を持ちうることも事実。タチアーナ。そなたは、ミーノスを、パルティノンを裏切らぬか?」
「…………っ!?」
「どうした? 応えられぬか?」
「…………裏切ることはない。だが、私はリヴィエトの皇女。そのみに流れる血の犯した罪は消えぬ。父が、姉達がパルティノンに成した罪が」
そして、アルティリアの問いかけは続く。それに対してターニャが唇を嚼みつつも答え、静かに俯く。
「ふむ……。まあ、良い。裏切らぬ。その言葉があるだけでも、そなたは信用できよう。そうだな? ミーノス、シュネシス」
「母上?」
「そうですね。戦における罪も、一人の背負わせるわけにはいませぬでしょう」
驚きの声を上げるミーノスに対し、シュネシスは静かにアルティリアの言に応える。
ミーノスの驚きも分かるが、シュネシス自身、母に残された時間が僅かになったことを感じ取ったのである。
正直なところ、ターニャの処遇は非常に難しくもある。
ミーノスの妃とした結果、北辺の民の怨嗟を一人背負うことにもなりかねないのだ。それは、パルティノンにおける皇妃が背負うべき一つの重き。皇帝に対する第一の臣下としての地位が、数多の怨嗟を集めるのである。
「……側に来てくれ。シュネシス、ミーノス。それと、タチアーナ」
そんなことを考えるシュネシスに対し、声をかけてくるアルティリア。言われたとおりにすると、アルティリアはゆっくりと頭に手をそえ抱きしめるようにシュネシスを胸元に引き寄せる。
「いつの間にか、私よりも遙かに大きくなってしまったな」
「身体だけです。……私は、母上にもっと……」
声が震えている。目から涙がこぼれている事に気付いたのは、声に詰まったその時のことであった。
「泣くな。皇帝が、臣下の前で、涙を見せては」
「最後ぐらい、優しくしてやんな」
「…………そうだな」
そんなシュネシスに対し、アルティリアもまた、言葉に詰まっている。だが、それ以上顔を上げることは出来なそうであった。
ラメイアの言が耳に届いたかと思うと、さらにアルティリアが抱きとめてくる力が強くなる。
いくつかの嗚咽が、内城に響いていく。
そこにあったのは、全ての者達の涙。それまで、互いに憎しみあい、命を奪い合った者達が、剣を置き、恥ずべき事なき生涯を送ってきた者達を祝福していたのである。
「さて、そろそろ、時間が来たようだ」
ひとしきり涙を流しあった空間。
それが落ち着きを見せ始めたその頃、ゆっくりとアルティリアを抱き上げたラメイアが口を開く。
その両名の身体は、色とりどりの光に包まれはじめている。
「母上っ」
サリクスの声が、耳に届く。シュネシスもまた、こぼれた熱きモノを拭うと、二人へと視線を向ける。
「元々、身体に残っていた刻印によって繋がれていた命だ。でも、強引にそれを起こした以上、長くは持たないのさ」
「それでも、そなた達に会えてよかった。シュネシス、ミーノス、タチアーナ、そして皆」
「私達は、いつでもこのパルティノンの大地を見守っているわ。寂しくなったら、苦しくなったら、いつでも会いにきな。数多の皇族達が、数多の戦士達が眠るこの大地に、私達はいる」
「悲しむな。別れを悲しむのではなく、ともにあることが出来た時間を、大切にしてくれ」
そこまで言うと、アルティリアとラメイアは、静かに目を閉ざしていく。
その最中、さらばだと口元が動いたようにシュネシスには思えていた。
陽の光がゆっくりと二人の姿を照らしていく。
それは、悠久の眠りについた二人を、妨げられ続けていた眠りを祝福するような、優しい光であった。




