第13話 望郷の時③
剣を振るった先に女の頸はなかった。
代わりにあるのは、白皙の外壁と姿無き虚空。そして、耳に聞こえてくる音が遠退き、吹き上がった赤き血に気付くまで、すべてが停滞しているように思えた。
「ぐっ!!」
そして、全身に感じる衝撃とともに地面に叩きつけられると、周囲には土煙とともに無数の礫が舞い上がっている。
顔を顰めつつ、それを見上げていると傍らに歩み寄ってくる気配。視線をあげると、見慣れた妖艶な笑みがそこにあった。
「ちっ。化け物が……」
「うふふふ。陛下、あの程度で私を捉えられたと思いまして? 見え見えでございましたわよ」
「さてな。で、なんで止めを刺さない?」
そして、そんな笑みの主人、グネヴィアに対して舌打ち混じりの声を返すシュネシス。視線の先では、グネヴィアは剣をクルクルと回しつつ、倒れる彼に対して視線を向けてきている。
「止めなどと。まだまだ、私は満足しておりませぬのよ」
そして、シュネシスの問い掛けに、なめるような視線を向けながらそう答え、笑みを浮かべ続ける。
その姿にどこか吸い込まれるような気分にシュネシスは襲われる。戦闘の昂揚から、身体に受けた衝撃との落差によって普段では意識もしない、グネヴィアの持つ妖気の類に襲われているのだ。
「ふん。だったら、憐れな獣人兵の相手でもしていろ。俺達に関わるなっ」
そんな妖気に当てられたシュネシスはそれを打ち払うべき声を荒げ、身を捩るも、目先に突きつけれた剣によって動きを封ぜられる。
「そんなの嫌よ。やっぱり、陛下は皇子様達のような人でないとね。それに、あなた達についていけば血には困りそうもないもの」
「知るかっ!!」
そんな状況に対し、シュネシスは剣を振るってそれを弾き飛ばしすと、一気に身を起こし、再びグネヴィアへと剣を向けていく。
その間、グネヴィアは柔らかな笑みを浮かべたままそれを防いでいるが、やはり頸と胸部に対する攻撃に関しては、他の箇所と比べて防御術が巧である。
上位№として、手合わせを願ったことも幾度かあったが、その頃は一種の癖のようにも思えていた。誰もが、頸部と胸部は急所である。それ故に、防御術にあってもその辺りの守備は自然と重きを置かれるモノ。
だが、グネヴィアのそれは、彼女ほどの技量を持ってすれば少々慎重すぎるきらいがあるようにも思える。
とはいえ、シュネシス自身、それに気付くことは出来ても、それを突く事は困難であった。先ほどのように、完全無防備な状態に追い込んでも、こちらの攻撃を躱し、自身にダメージを与えてきたのである。
本来であれば、あの時点で勝負はついており、こうして生き長らえているのは一重にグネヴィアが、新しいおもちゃの如く自分の命を嬲っているが故。
それも気分次第ではすぐに終わってしまうような状況下である。
(だが、状況は整った。お前の余裕が……、身を滅ぼすっ!!)
そんなことを考えつつ、剣を振るうも、次第に表情から笑みが消え始めるグネヴィア。
(来るっ!?)
そう思った時、シュネシスは加え続けていた攻勢を緩め、一点防御へと動作を移す。
果たして、光跡となって振るあげられた剣が襲いかかるも、剣と剣どうしの激しい激突と跳ね上がった火花だけがそこにあり、致命傷に至ることはない。
「っ!?」
必殺とでも思っていたのか、僅かに動揺を見せるグネヴィア。なぜ? という問いかけが聞こえても来そうであったが、その天賦の才が表に出る隙の正体を覆い隠してしまっているのだ。
しかし。
「ぐっ…………。受け止めたところでこれか」
グネヴィアと距離を取ったシュネシスもまた、腕や身体から吹き上がった血に顔を顰める。強烈な主撃は抑えたモノの、その前後にある斬撃のすべてを抑えきる事は不可能であるのだ。
「うふふふ……。やっぱり違うわねえ。さっきまでだったら、思いきり斬り伏せられたのに」
そして、そんなシュネシスの様子に、再び笑みを浮かべるグネヴィア。
当然、傷ついたシュネシスの姿よりも、こちらの攻撃を見切ったことへの賞賛の笑みであるが、その笑みの背後に、こちらの蒔いた種に気付いた気配は無い。
妖女であるとはいえ、一介の戦士としての心根は持ち得ている。今回ばかりは、そんな心根がグネヴィアの敗北を呼び込むことになるのだ。
「っ!!」
そんなことを思いつつ、再び地を蹴り、グネヴィアへと迫るシュネシス。そんなシュネシスに対し、グネヴィアもまた、さらに笑みに艶を増しつつも、それに応える。
「いいわぁ。そのお姿。死を必して勝ちを得ようとする様。そんな必死の心が、血を彩るのよねえ」
そんなグネヴィアの声が耳に届く中、シュネシスの眼には彼女の背後へと迫る二つの影が映りはじめていた。
◇◆◇◆◇
覚悟を決めただけでは技量の差が縮まるわけもなかった。
ミーノスは、息を荒げ、膝をつきながら、距離を取って対峙するアルティリアの姿を見据える。ターニャの乱入から変化した状況にあっても、ミーノスがアルティリアに圧倒されているという状況だけは変化がない。
どこかに迷いのあった先ほどとは異なり、すでにアルティリアを討つ事への逡巡はなくなったつもりではある。その証拠に、それまでどこか失望の色をその眼にたたえていたアルティリアは、今となっては対峙する息子の戦いぶりに満足しはじめている様子だったのだ。
しかし、彼女を討たねば、こちらの意図する状況がもたらせることはない。
思えば、幼き頃より厳しい母であった。
兄シュネシスに対しては、未来の皇帝として。自分には、その皇帝を支える第一の臣下としてのあり方を常々望み、その教育から躾まで、とかく厳しく接せられたことの方が多かった。
時折、父ゼノスに窘められることもあったようだが、それでも頑固にその方針を貫いたことは母なりの意地でもあったのかも知れないと今更ながらに思う。
自壊した名門の姫であり、常々自身を反逆者であるとしてきたのである。そんな母が得た第一、第二皇子である。そこにある思いは、複雑かつも余人に知れること無き思いであるはずだった。
そんな母に対し、兄シュネシスは自分のやり方で反発して見せ、アルティリアもまたその反発に対して、叱るわけでもなく、責任だけを負わせていた。
昔から器用に立ち回り、そんな母を納得させるだけの才を示していたシュネシスに対し、ミーノスは素直にアルティリアの方針に従うことだけがすべてであったと今更ながらに思う。
反発することもなく、学術や武術に打ち込み、それが母を喜ばせるという思いだけがそこにはあったと思う。
しかし、兄弟同士で過ごす時になれば、サリクスやアイアースをうらやましく思った時が無いわけでもない。
豪放なラメイアと淑やかなリアネイアであったが、その両者ともに、子どもに対する優しさは非常に分かりやすかったのだ。
「どうした? お終いか?」
「っ!? …………そうですね。やめておきますか」
「なんだとっ!? 馬鹿にしているのかっ!!」
「冗談です。――行きますよ」
今もまた、自分を見据え大鎌を振るうアルティリアの姿は、当時のそれと変わってはいない。彼女自らが稽古をつける際も、こちらから根を上げた時は、それ以上に厳しい叱責と鍛錬が待っていたのだ。
今もまた、肩をすくめて戦いをやめるような仕草をすれば、案の定声を荒げてくる。それを見て、やはり母上だ。と言う思いが強くなってくる。
とはいえ、今の自分でも越えられぬほどの頂に彼女はいる。しかし、技量で上まる者が、格下相手に敗れ去った事例もこの世界には溢れるほどあるのだ。
それをあきらめることは、戦いに対する冒涜であり、相手に対する不義でもある。
そう思いつつ、ミーノスは地を蹴って再びアルティリアに対して斬り込んでいく。
技量の差は明白。なれど、そこまでの距離が、今も鎌をぶつけある両者にあるとは思えないほど、ミーノスは善戦している。
傷を負うのはすべてミーノスであったが、アルティリア自身守勢に回らねばならぬ時が出はじめているのだ。
それまで、両者の間にあったのは、一介の戦士同士から、母と子へと代わり、そして今は、一つの国を背負う皇妃と皇子という立場へと変わっている。
変遷していく立場の中で、個人の命のやり取りから、母この思いのやり取りへと代わり、そして今は、国そのものの存亡の行方へと状況が変わっている。
個人であれば、その死ですべてが終わってしまうのだが、国家ともなれば、一つの死が一つの生を繋ぐことにもなり得る。
そして、ミーノスもまた、アルティリアと同様に国家を背負うべく生まれ、そして今では事実として一つの国家の命運を背負っている。
だからこそ、覚悟だけではない、思いの存在が二人の技量の差を確実に埋め始めていたのだ。
「ふっ!!」
「甘いっ!!」
互いの頸を狙う動きから、ミーノスは足を払うように大鎌を振るうとアルティリアはそう声をあげながら後方へと飛び退き、すぐさま懐へと入りこむ。
それに対して蹴りを見舞って、そのままにアルティリアの背後へと跳躍し、大鎌を振るうも、そこにアルティリアの姿はない。
上空からの殺気。顔を向けるまでもなく大鎌を振るうと、巨大な衝撃。思わず飛び退くと、勢いそのままに地を蹴って着地したアルティリアを薙ぐ。
届いた。
はじめて感じる斬り裂きの感触。見ると、胸元に走った傷痕から血が滲みはじめている。
「…………ふふ」
そして、傷を一瞥したアルティリアは、柔らかな笑みを浮かべる。
やるではないか。口に出してはいないが、そんな思いがその笑みから感じ取れる。
(やっと、認めてもらえたか……)
そんな笑みを見つめたミーノスは、静かにそう思うと、再び鎌を構え、地を蹴る。それに対してアルティリアもまた、再び表情を引き締めるとソレを受け止め、返す刃でミーノスの首筋を狙う。
激しい撃ち合い。ほどなく、蹴りを見舞ったミーノスの眼に、アルティリアの背後にて激しく交戦するシュネシスとグネヴィアの姿が映りはじめる。
そして、それは無意識下での一瞬の行動であった。
一気に地を蹴ると、正面からアルティリアに向かって跳躍し、大鎌を大きく振りかぶる。一か八かの捨て身の攻撃。
技量で勝る相手である。強烈な一撃にすべてを賭けることは悪くはない。
しかし、それは虚しくも、アルティリアの機動によって空を斬る。すべてを断ち切るべく振るった一撃であり、それまでの何よりも速く強烈なそれ。
それを躱せるのは、かつて彼にそれを教えた人間だけであったのだろう。そして、それは彼の目の前にいたのである。
「見事だっ。ミーノスっ!!」
刹那。
アルティリアは、ミーノスが繰り出したそれに対し、賞賛の声を上げ、大鎌を振りかぶる。
ミーノス。はじめてアルティリアが口にした自身の名。そこにあったのは、母として息子の成長を喜ぶ素直な感情。だが、それは、自然な形で彼女の隙を産みだしている。
叫び声が聞こえてくる。
それを発しているのが誰なのか、ミーノスには理解できなかった。そうして、振るった大鎌。それが振られた先にて、一つの頸が跳ね上がる様だけが、ミーノスが理解できた一連のそれであった。
◇◆◇◆◇
鼓動が胸を付いていた。
アイアースは、荒い息とともに膝をつき、胸元に手を当ててそれを感じ取る。眼前にて、同じように膝をつき、息を荒げる女性もまた、同じような鼓動と感じ取ったのであろう、まったく同じ仕草で胸に手を当て、意識を他へ向けている様が見て取れるのだ。
玉座の間にて対峙する両者。
眼前にて血を流す女性は、姿形こそ母リアネイアのそれ。だが、そこにいるのはリアネイアではない。
燃えさかる炎の中で散り、自らの血を与えながら鍛え抜いた双剣をアイアースに託したリアネイアは、自分の心の中で、手にした剣の中で生き続けている。
あの時以来、アイアースはそう思って戦ってきたのである。だからこそ、躊躇うことなく剣を向け、こうして互角の戦いを演じてきているのだ。
とはいえ、実力の隔てのない戦いである。お互いに致命傷を負わぬまま、長引くことをアイアースは歓迎していない。
フィリスを連れ去ったシヴィラ達が、彼女に何をするのか。考えたくもないが、どちらにしろ時間は無きに等しいのだ。
しかし、姿形を同じくする眼前の女の首を刎ねることを、アイアースは本能で拒否していた。
何らかの形で教団に与えられた生。眼前の彼女にとって、それは望まぬ生であったことは想像に難くない。
冷然とアイアースへと向けてくる視線の奥底には、困惑と苦悩と憤怒がたしかに隠されているのだ。
それを解き放つこともまた自分の責務であろう。だが、それを成すためには、方法は多くはない。
(なれば、狙うのは……)
静かにそう思い、アイアースは地を蹴る。リアネイアもまた、そんなアイアースに対して、剣を構え、正面からソレを受け止める。
激しくぶつかり合う四本の剣。火花をちらしつつも足元を薙いだアイアースの剣戟を素早く跳躍して躱したリアネイアは、アイアースの首筋目がけて剣を薙ぐ。
即座に膝を折り、剣を斬り上げるが、僅かに身体を反らしたリアネイアは、握りしめた剣の柄でそれを叩き落とす。
一瞬、激しい衝撃が腕に走る。そして、その一瞬は、すべてを決するには十分すぎるほどの間であったのかも知れない。
(っ!? 速いっ!?)
斬り上げた剣が弾かれ、アイアースは胸元を開く形となってリアネイアと相対している。その開かれた胸元を塞ぐほどの間は、剣を突き出してくるリアネイアにとっては、一日千秋の如き長きモノであったのであろう。
それを防ぐべく、全身の細胞が蠢きはじめたその時には、リアネイアが手にした剣は、光となってアイアースの胸へと伸びてきていたのだ。
刹那。何かに導かれるように、アイアースの右腕がその光に向かって振るわれていく。
やがて、光は振るわれた右手に握られるそれと交錯し、眩い光を放ちながら、天へと跳ね上がっていく。
次の瞬間、リアネイアの胸元に突き立っていたのは、アイアースの手にあったリアネイアの剣であった。




