第9話 許されざる者②
振り下ろした双剣が鋭い音を奏でている。
虚空を蹴ってテラスへと飛び掛かるアイアースの眼前にあるのは、シヴィラの無表情な顔と双剣を受け止める二振りの剣。
視線を向けると、イースレイとロジェスがそれぞれの剣を盾にシヴィラへの攻撃を守る形になっている。
だが、この勢いを止めるつもりはない。
目を見開き、剣を握る両の腕に力をこめると、シヴィラもろとも両断するべく、二人の剣を弾き飛ばす。
勢いそのままに振り下ろすも、すでにシヴィラの姿はなく、勢いよく振り下ろされた剣によってテラスが激しく揺れ、破片が激しく舞い上がる。
その瓦礫が周囲を飛び交い、やがてテラスへと舞い落ちるのを待って、アイアースはゆっくりと顔を上げる。
鋭く睨み付けた視線の先には、イースレイとロジェスに加え、いつも間に現れたのか、黒装束の一団がアイアースを見据えており、その後方では、無表情にアイアースを見つめるシヴィラと……。
「フィリス……無事だったか」
静かに、そう口を開いたアイアースであったが、彼の言にフィリスは特に反応を示すことなく、再び目を閉ざすと、身体に深い青色の光を纏いはじめる。
それが何であるのか、知るよしのないアイアースであったが、一つ、たしかなことがあった。
「貴様らの仕業か」
「だったらどうするの?」
「二つ選べ。彼女を解放して、俺に斬られるか、彼女の解放せずに俺に斬られるか。だ」
「選択の余地はないわね」
静かにそう口を開いたアイアースに対し、素っ気なく応えるシヴィラ。
その態度に、一瞬血が沸き立ったように思えるアイアースであったが、いったん気を鎮めたアイアースは、彼らに対して鋭い視線を向け、口を開く。
彼らに待ち受ける運命は一つだけであったが、フィリスまでを巻き込むつもりはアイアースにはない。
そして、シヴィラ等の答えは、一つであった。
ゆっくりと全員が剣を構え、アイアース対峙する。そんな中にあって、シヴィラはゆっくりとフィリスに対して背後から腕を回すように抱きとめる。
すると、ほどなくフィリスの身体に灯っていた深い青の光が弱まっていく。
「私達はどっちも選ばないわ。それとね、皇子様。そんな大言を吐くのは、ここにいる連中を倒してから言ってね。まあ、ハンデはつけてあげるわ」
「ハンデだと? 馬鹿にしているのか?」
「素直になった方が良いわよ? 彼女の身体に灯る光。これが、何かも分かっていないでしょ?」
そして、アイアースを馬鹿にするような視線を向け、口を開くシヴィラ。
だが、続くシヴィラの言はアイアースとしても無視できぬことではある。むしろ、フィリスの身に関わる重大事とも言えることであるのだ。
とはいえ、見当もついている。
一連の戦闘で、いつものような手応えがない。普段ならば一撃で屠れる相手であっても、よけいに踏み込まねば倒すことが難しい場面がいくつかあったのだ。
「刻印か?」
「ご名答。大帝ツァーベルと戦ったことはあるでしょ?」
「……あの時の刻印か。だが、それは」
そして、予想をふまえて口を開いたアイアースに対し、答えを口にするシヴィラ。だが、彼女の言が真実であれば、少々自身が知るそれとは事情が異なるように思える。
「あらゆる痛手、損傷を軽減、後退させ、宿主を守護する刻印……。ツァーベルを守っていたのは、その大いなる力。でも、それが個人にむいていたのは、あの男が刻印に選ばれていたからだわ」
「……そう言うことか、貴様っ」
「良いわね、その顔。この娘が、刻印に蝕まれ、朽ち果てるまでに、あなたは私を倒すこととが出来るかしら?」
そんなシヴィラの言に、アイアースは眼前のフィリスを見据えると、彼女の身に起こっている事実を察する。
今のフィリスは、何らかの手段で意識を奪われ、刻印の力を周囲にまき散らすためだけの存在。
刻印は意志を持ち、その大いなる力は、自らが選んだ者以外に使役されることを好まない。
それでも使役を行った者は、例外なく命を削り取られ、大きな苦痛に身を晒すことになるのである。
そのために、シュネシスは格下のキーリア達に苦戦し、アイアースもまた、一撃で屠る事の出来る相手を仕留め損なったのだ。
「貴様ら……、貴様等は……いったいどこまで、ゲスになったら気が済むんだっ!!」
そして、気付いた事実にアイアースはこれまで抑え込んでいた怒りが一気に沸騰しはじめる。
その怒号は周囲を揺るがし、無表情を似こちらを見据えていた黒の者達を震え上がらせるには十分なモノでもあった。
「怒っている暇があったら、私のところに来ることね。私は、あの場所で待っているわ。それと、少しの間だけ、詠唱は止まっているわ。その間に、私に追い付くことが出来れば、勝てる可能性は出てくるかもね」
そう言うと、シヴィラはフィリスの肩を持ったまま、大広間へと歩みを向ける。
イースレイやロジェスといった幹部達もそれに従い、アイアースの眼前には駆けつけてきた信徒兵と黒の者達が立ち塞がっている。
「…………いいだろう。すぐに行ってやるっ!! フィリスっ。いや、百合愛っ!! すぐに行くからなっ!!」
「っ!?」
そんなシヴィラ等の様子にアイアースは、怒りと憎悪に満ちた視線を向け、そんな言葉をぶつける。
そんな中、百合愛とかつての名で呼ばれたフィリスが一瞬、立ち止まりかけたようにアイアースには見えていた。
だが、それは思いが見せる幻覚であったのか、フィリスはこちらを一瞥するでもなく、シヴィラ等とともに広間へと足を向けている。
アイアースは、すぐにでもその背を追おうという衝動に駆られるも、周囲を取り囲む信徒兵や黒の者達とその背後にある気配に、ふっと息を吐き、ゆっくり剣を構える。
彼らの背後にはハギア・ソフィア宮殿の白皙の外壁があったが、その方々から伸びる筒状のそれが目に映っていたのだ。
今のアイアースにそれを躱すことは用意であったが、怒りに囚われていてはそれも叶うことはなく、相手にとっては仕留めることは容易であった。
「さて……。お前達、覚悟は出来ているな?」
そして、敵の切り札の存在を知った今のアイアースに、立ち止まるという選択肢は存在していない。
そんな、彼の視線を受けた黒の者達。暗殺の専門集団であり、一切の感情の変化や恐れの類を捨て去った彼ら。
そんな彼らは今、かつて無いほど、いや、一部のモノにとっては、過去に第4皇妃、リアネイア・フィラ・ロクリスと激突した際に感じた恐怖と同じモノを感じ取っていたのである。
◇◆◇◆◇
後ろ髪を引かれる思いを感じながら、イースレイはシヴィラとフィリスを守るように大広間へと向かっていた。
あの場でアイアースと対峙するべきであったのではないか。そんな思いが、今の彼の心理には残り続けている。
かつて、戦場をともにし、時が来れば敵対することも予見しあっていた相手である。だが、今のアイアースの目に自分の姿は映っていなかった。
それを安堵の思いでいる自分と悔しく思っている自分の二つが存在していることにイースレイは気付いていたのである。
アレクセイ・スヴォロフとの戦いの時にあっては、自分とアイアースの間には巨大な差が横たわっていた。あの時、個人の戦いを挑まれれば、一瞬でアイアースの頸は虚空を舞っていたとも思う。
だが、僅かに一月もない中で、アイアースは自分と同等の地位にまで上り詰めてきたのである。
対峙していて、そのことがよく分かったのだ。
「さてと。そうは言っても、皇子様はすぐに後を追ってくるわね……。玉座を前に戦うのも悪くはないけど、ちょっと興醒めだわ」
「たしかに、これだけの空間では……」
「埋伏とかの話じゃないわ」
そんなシヴィラとロジェスの会話が耳に届く。
自分が残る。そう言い出しかけたイースレイであったが、彼の思いは別の場からもたらされた声によって遮られる。
「これはこれは、皆様方」
「っ!? ヴェージェフ。貴様、今まで何を」
日の届かぬ一角より、音もなく現れたのは、リヴィエトの元法科将軍立つヴェージェフである。
その背後には、黒の者達とともに、外套で顔までを覆い隠した者達が付き従っている。
「なかなか苦戦しておられる様でしてな。広場にはほぼ全信徒兵が集結し、最後の獣人兵も投入した。それでも、四皇子を擁するパルティノン側に優位は変わらない」
「そうね。まあ、私が出向いてやれば、決着は簡単につくんだけど、それでは面白くないわ」
「はっは。巫女様が強がりとは珍しい」
「強がりってわけじゃあ」
「そう言いまするな。如何に巫女様とタルタロス卿のお力を持ってしても、歴代の№1キーリアに並ぶ力を持った四人の皇子とそれに付き従うキーリア達の相手は厳しいでしょう。マクシミリアン卿らにとっては言うに及ばず」
普段とはうって変わって、妙に饒舌に口を開くヴェージェフであったが、その言によってシヴァ等が苛立ちはじめていることに気付いてはいない。
いや、気付いていてなお、挑発めいた言を口にしているのかも知れなかったが。
「それで?」
「ふふふふ。ようやく、目を覚ましましてな……この場は、お任せいただいてよろしいかと」
「…………目覚めた?」
「っ!? 分かった。ここと外は任せる。巫女様、こちらへ。マクシミリアン卿は、別の場で指揮を」
「……そうだな。行け」
そして、不気味な笑みを浮かべてそう口を開いたヴェージェフの言に、それが何かを理解したシヴィラの表情が凍り付く。
ほどなくそれは静かな怒りとなって表に噴き出しかけるも、事態を察したイースレイは即座にシヴィラの身体を押さえると、慌ててそう口を開いた。
目覚めを受けたそれが、シヴィラにどういった影響を与えるのかまではイースレイでも分からなかったのだ。
そして、シヴィラとフィリスを伴い、上階へと足向けたイースレイは、ゆっくりと大広間へと足を向けるそれに対して視線を向ける。
ヴェージェフに言われるがままにゆっくりと玉座の前絵を歩みを進めたそれは、静かに外套を脱ぎさる。
脱ぎさった外套からこぼれた白と黒の流れるような髪と腰から伸びる同色の毛に覆われた尾が、吹き込みはじめた風に揺られるそれは、地上の美を体現するかのような美しさに満ちていた。
◇◆◇◆◇
最後の数人を横薙ぎに斬り裂くまで、長き時は必要無かった。
周囲を血の匂いが包み込み、赤く流れるそれが血だまりとなってアイアースの足を染めていく。
静かに顔を上げたアイアースは、ここが戦いを前に兄弟達と語り合い、父と永遠なる別れを交わした場であることに気付く。
かつて、ここから人々の営みを見守ることを好んだ父帝ゼノス。おそらくそれは、姉フェスティアも同様であったのだろうと無意識に思う。
だが、そんな二人の愛した一角もまた、憎むべき敵手達の血によって穢されてしまった。
戦いが行われた以上、詮無きことではあったが、それでも虚しさは消えることはない。
「……行こう」
一瞬、眼下の内城にてうち続く激しい戦いに目を向けたアイアースであったが、三人の兄たちが自分のような愚かな轍を踏むことなどあり得ない。
そう思ったアイアースは、ゆっくりとテラスから大広間へと続く通路を歩み始める。
幼き日々を過ごした宮殿。そして、悲しみに包まれた悲劇の舞台ともなった地。
再び、この場で相見えようと思っていた人々の大半は、素でのこの世界から永遠の旅路へと旅立ってしまっている。
そんなことを考えつつ、ゆっくりと大広間へと足を踏み入れるアイアース。
予想された襲撃もなく、顔あげたアイアースであったが、手にした剣、リアネイアの遺品の剣が、何やら柔らかな光を纏っているような感覚を覚える。
多くの血を吸いながらも、決して欠けることも切れ味を落とすことのない剣。
そんな剣からゆっくりと血が流れ落ちていく様は、剣が泣いているかのように思わされる。
そして、視線を前方へと向けるアイアース。
そこにあったのは、この地上にあって、至尊の冠を戴くことに出来る人間のみが座することが許される玉座。
それがだけがあるはずであった。
「えっ!?」
しかし、その時アイアースの目に映ったのは、それだけではなかった。
白と黒の流れるような髪。髪と同色の毛に覆われ、風の動きにピクリと動く虎耳と尾。一片の無駄なく完璧な造形美を描き出しているその立ち姿。
それは、アイアースの記憶の中にあって、もっとも敬愛し、もっとも愛執すべき存在の一つでもある存在。
「…………母上?」
静かに、そう口を開くアイアース。その声に振り返った女性は、無言のままアイアースに視線を向けてくる。
その時、アイアースの目に映っていたのは、かつては帝国史上最強の女傑と謳われた女傑であり、アイアースをこの世に産み落とした際なる存在。
リアネイア・フィラ・ロクリスその人が、アイアースの眼前に立っていたのである。
◇◆◇◆◇
二人の邂逅を目にしたその時、まるで夢から目が覚めたような気がしていた。
そして、自身の傍らを歩く二人の人物。
その一人が、いま、込み上げてくる怒りを抑えつけるように口を開く。
「……なんで、あんな女の力を頼らなきゃいけないのよっ!!」
「巫女様。落ち着いてください」
「たしかに、あのまま相手をしたら興醒めだと言ったのは私よ? だけど、こんなことって」
「いい加減になさいっ!! あなたの言によってどれだけの者達が犠牲になるとお思いですかっ!!」
「だから何よっ!! 私を勝手に担ぎ上げたのはどこの誰っ? 勝手な幻想を抱いて、キモイ崇拝を向けてきたのは誰だって言うのよっ!! 私のせいで犠牲が出る? だったら、みんなまとめて殺してやるわよっ!!」
そして、そんな邂逅に対して、場違いな怒りを抱き、口論をはじめる二人の様子が、妙に滑稽なように思えてくる。
そして、それを見つめている討ちに、だんだんと夢と現実が重なり合っていく。
(美空っ!?)
そんな名が脳裏をついたその時、彼女、フィリスは目の前にあるイースレイの剣を鞘から引き抜いていた。
「っ!?」
驚きと共に目を見開き、もう一つの剣へと手を伸ばすイースレイ。だが、彼に構うことなく剣をとったフィリスは、静かに口を開きながら、躊躇うことなく剣を突き出していく。
「むしろ、あなたが死になさい」
「えっ?」
それは一瞬のこと。
上階へと続くそこ階段の一角に、緩やかに照りはじめた陽の光が差し込み、三人の姿を眩い光で灯していくその最中、フィリスが繰り出した剣がシヴィラの胸元突き抜け、イースレイの剣がフィリスの身体を斬り裂いていったのである。
パリティーヌポリス上空に一陣の風とともに、一騎の飛竜が到着したのはまさにその時のことであった。
遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
ようやく、書かなければならない時が来てしまいました……。




