第5話 最後の嵐④
跳躍してきた二人を斬り伏せるも、次に躍りかかってきた者達までは一蹴するわけにも行かず、繰り出されてくる剣を受け止め、背後からの攻撃を躱さねばならない。
そんな気配を感じつつ、剣を弾いたシュネシスは、その勢いそのままの身体を跳ね上げると、背後からの攻撃を身を捻りながら躱し、いったん距離を取る。
先ほどの光の影響からか、倒れていたキーリアのほとんどが得物を構えてこちらを睨んできている。
多くが一度は斬り伏せたが、予想以上に傷が浅くなってしまい、動きを奪うところまではいっていない。
原因はおおよそ見当が付いている。
キーリア達の後方で、彼らと同様の白き軍装に身を包んでいる女性。
今も目を閉ざし、深い青色の光に全身が包まれている。しかし、顔には汗が浮かび上がり、息づかいが聞こえてきそうなほど表情は険しかった。
しかし、彼女がそれをやめる様子は無い。
先ほど、話しかけたときの反応がなかったことを考えれば、何らかの洗脳状態にある様子であり、刻印の使役を最優先にするよう命令されているのだろうと思う。
ならばいっそ倒してしまうべきであろうか?
一瞬、そんな考えがシュネシスの脳裏によぎる。しかし、彼はすぐに頭を振ってその考えを否定する。
(殺せるはずがない……。これ以上、あいつを)
視線の先に立つ女性、フィリスの傍らに浮かび上がる青年の姿。
白き虎の如き耳と尾を持つ彼の姿と今のフィリスが並び立つ様子に、ますますシュネシスは彼女に剣を向けることは出来なくなる。
そして、それは自分を取り囲むキーリア達に対しても同じであった。
殺してしまえば、ここまでの戦いに意味は無いし、やろうと思えばすぐに出来たことでもある。
あっさり、頸を飛ばしてしまえるだけの力量差は未だに大きい。
全身に負っている傷も、キーリア達のとの間には公然とした実力差が存在している以上、大きなマイナスではない。
再び飛び掛かってくるキーリア達。すでにはじめの余裕は消え失せ、眼前の敵種に対して全力でもって挑み掛かってくる様子がよく分かる。
そして、シュネシスもまた地を蹴って彼らの元へと突撃し、虚空にて馳せ違う。
再び地へと視線を戻したとき、挑み掛かってきた五人は揃って地に倒れ伏し、赤く染まった軍装をさらに赤く染め上げている。
それまでであれば、確実に動きを奪っているだけのダメージは与えている。しかし、今もまた一人を覗いて皆立ち上がり、こちらを睨んでいる。
着地し、再び四人と対峙する。
そして、再びフィリスへと視線を向ける。先ほどの視線にも気付いたのか、アイアースによく似たキーリアであるアニが彼女の傍らに控えている。
「ふう、やってくれる」
そう言うと、キーリア達を見据えつつ額に浮かんだ汗を拭う。
倒しきれぬ状況に、焦りが沸き立っていることは自覚しているし、それを落ち着けねばこの状況は脱しようがない。
冷静になってみれば、こちらに殺意をもって挑んでいるのはアニを含めた六人のキーリアだけであり、他の者達は今も地に伏したまま状況を見守っている。
少なくも、ともに戦ったことのある者達なのだ。心のどこかで戦いたくないという思いもある。
「さて……、まだ挑んでくるか?」
ふと、語りかけたい気分に襲われたシュネシスは、そんなキーリア達に対して剣を構えつつ口を開く。
「テルノヴェリでは、色々と助けられたが……、教団がそんなに大事だったか?」
突然、語りかけはじめたシュネシスに対し、キーリア達が眉を顰める。
「お前達がどんな人生を送っていたのかまでは興味もない。だが、どん底のから這い上がるために、お前達が生きる場を裏切ってなんになる?」
困惑するキーリア達を見据えつつ、シュネシスはさらに言葉を続ける。
教団の衛士と謳われているとはいえ、キーリアの本質に大きな変わりはない。
シュネシス達やかつての皇妃達のように、国のためにその身を捧げる者もいないわけではないが、多くがどん底の人生を抜け出すべく人体実験に身を投じる。
そしてそれは、信心だけで乗り越えられるほど甘い物でもないと断言できる。仮に、信心で乗り越えることが出来るのならば、信徒兵はそのすべてがキーリアとなっていても不思議ではない。
実際、戦場をともにし、姉フェスティアを裏切った彼らを見ても、とても信心だけで動いているようは見えず、かといって、身体に植えつけられた毒による強制も見えない。
毒であれば、フォティーナによって教団から切り離され、テルノヴェリや浮遊要塞で散った者達のように解毒の道もある。
くびきから解き放たれ、本来の帝国の守護者としての戦いに身を投じた彼らは、見事にその役割を果たしている。
だが、眼前の彼らは、それを選ばずに教団と行動を共にした。
「シヴィラや幹部達が作る国に、希望があるとは思えぬだろう。それこそ、貴様らの様な人間を増やすだけだ。だが…………っ」
「あらあら、相変わらず口が軽いのね~。皇帝陛下」
そこまで言うと、シュネシスは強引に口を閉ざさせられる。突如眼前に現れたグネヴィアが、シュネシスに腹部に剣を突き立てたのである。
「うぅっ!? や、やるじゃないか……。どこで、転移なんて覚えた?」
「出来ないなんて言ったこと無いわよ? まあ、まったく気取らせずにやれるのは、あの子ぐらいのもんだけどね~」
思わず膝をつき、傷を抑えるシュネシス。
とはいえ、相手は事実上の№1であったキーリアである。軽く突き刺したような一撃は、致命傷にはならない箇所を突きつつも、確実にシュネシスの動きを奪い取った。
「陛下……」
「おう、イースレイか」
そして、膝をつき、全身に脂汗を浮かべはじめるシュネシスの眼前に、ゆっくりと歩み寄る男の姿。
イースレイは、表情を落としながらゆっくりをシュネシスへと歩み寄ってくる。
「はは、はじめから出てきてくれれば、どちらかは道ずれに出来たというのにな……。最後まで、嫌味なヤツ等だ」
「たった一人で敵本人に殴り込んでくる人が言うことでもないでしょう。立場をお考えください」
「はっ、皇帝だからこそ、やる必要があったんだよ。お前が敬愛する姉上も、同じ事をしたさ」
「………………そうかも知れませんね」
「で、何をしに来た?」
「……………それは」
短いやり取りを交わすシュネシスとイースレイ。
フェスティアの復権の影にあったというのは、戦いの最中でようやく知るところとなったが、今となっては、腹を割っては為すことが出来なかったことを惜しくも思う。
巫女に対する異常なほどの信心は、ともすれば教団の抑えつける最大の要素になり得たのだ。
しかし、それももはや無意味。
なんのために自分の目の前に現れたのか、それも対して興味はない。
「巫女様から、しっかりと言い含められているのよ~。あなたには精々凄惨な最後を迎えてもらえってね。それじゃあ、私はあの子を連れて行くからしっかりと見といてね」
「そうか。それよりお前ら、フィリスに何をした?」
そして、口を閉ざしたイースレイに成り代わり、グネヴィアが相変わらずの態度でそう答える。
彼女は、これから始まる“処刑”に参加するつもりはない様子だったが、今も息を荒げて膝をついているフィリスへと視線を向けると、ゆっくりと彼女に歩み寄り、肩に手を置く。
「アニ、あんたはあっち。もう、皇子様を演じる必要もないでしょうしね」
「あ、ああ。それは、それでかまわんが」
「ふうん、まあいいわ。それじゃあね」
そして、眩い光とともにグネヴィアの姿が消え、光が消えるとそこにはフィリスの姿もなかった。
それを黙って見送ったイースレイもまた、シュネシスの問いに答えるつもりはなく、黙って視線を背けている。
そして、役割を終えたアニは暗器を手にシュネシスへと歩み寄り、それまで状況を傍観していたキーリア達も得物を手に、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「お前達……」
「なんですか?」
そんな彼らに対し、イースレイは訝しげな視線を向けるものの、アニをはじめとするキーリア達は、彼に対して素っ気ない返事を返しただけである。
「…………そうか。まあ、それも当然だな」
そんな彼らの様子に、一瞬グネヴィアが去った帝都の方角へと視線を向けたイースレイ。
そうして、すぐに何かを察すると、彼は剣を下げる。
「なんだ? とどめはお前の役割じゃないのか?」
そして、眼前から下がったイースレイに対し、静かに問い掛けるシュネシス。
額に浮かんが汗を拭うこともせず、ひたすらにグネヴィアから受けた傷を抑えているが、周囲を取り囲むキーリア達を倒すことは現状困難である。
「私にも№1の矜持があります。抵抗なき相手に向ける剣はありませんが、これから始まる事の責はすべて私に帰す。それ故に、私は手を汚すつもりはありません」
「はは……。まあ、お互い大変だな」
「ええ。そうでしょうね」
「アイアースは手強いぞ? 俺はまず勝てん」
「ですが、私は負けません」
「ほう? まあ、いい。ゆっくりと、その様を見させてもらうとしよう」
そう言うと、イースレイは手にした剣を投げ捨て、地にゆっくりと腰を下ろす。
ふと、イースレイの背後にそびえる宮殿が目に映る。
今更ながら帰ってきたのだ。ふと、そんなことをシュネシスは思った。
長く留守にしていた故郷であったが、それでも観点に消えるようなつまらぬ思い出をもってはいない。
そんなシュネシスに対し、周囲を取り囲んだキーリア達が、それぞれの得物を振りかぶる。
「帝都の空は今も変わらず。か……」
そんな周囲の様子を気にすることなく、口を開くシュネシス。一斉に白刃が振り下ろされたのは、その刹那のことであった。
◇◆◇
振り下ろされる白刃。飛び散る肉片。そして、吹き上がる血飛沫。
戦場から遠く離れたこの城塔にあっても、それは見ることが出来、衛士達による裏切り者への“処刑”は今回も淀みなく実行されている。
「自身の姿を民に晒し、その決起を狙ったのか、それとも僅かな守備兵達を味方にするべく動こうとしたのか。はたまた、それ以上の深謀遠慮があったのか」
そんな様子を城塔から垣間見ていたロジェスは、静かにそう呟く。
先ほどまで動揺していた他の幹部達も、現状にようやく安堵した様子だった。とはいえ、巫女やイースレイまでもが前線に出張る中で、自分達はただただ状況を傍観していただけという事実にまでは気付こうともしていない。
それでも、こんな連中をいただく組織に、皇帝シュネシスは敗れたのである。
「もし、フィリスを殺すことが出来たのならば、この戦いの勝利は貴様らのものであっただろう。その後の帝国のあり方にも、道筋をつけることは出来はずだ」
だが、結果としてシュネシスはフィリスを斬れず、他のキーリア達を討ち取ることも出来ないまま、今ようやく振り下ろされ続けた白刃が止む。
そこにある者が果たして人間の姿を保っているのか。そこまで興味が湧くことはない。
「だが、味方を勝利のために捨てることも出来ぬ君主等、存在価値はないのだよ」
すでに彼の耳に届く事なき声。
しかし、ロジェスに取ってみれば、自身を翻弄し、故国を討ち破った敵主のあまりに惨めな最後に、怒りを越えて同情すらも湧いてくるのである。
「いやはや。終わってしまいましたか」
そんな時、城塔に響く抑揚の薄い越え。
視線を向けると、全身を黒の外套に身を包んだヴェージェフがゆっくりと城塔内に入ってきたところであった。
「今し方な。それで?」
「ああ。どうやら、連中は他にも居るようですのでね。獣たちを向かわせたく思います」
「ふむ。巫女様はなんと?」
「すでに興味なき様子でありましてな。こうして皆様の」
そう言ってヴェージェフは静かに頭を垂れる。
ロジェスからすれば旧知の男であったが、他の幹部達からすればリヴィエトから降将という意識が強く、研究内容などでむしろ煙たがられている存在である。
実際のところは、アウシュ・ケナウ等の各研究施設にて暗躍している人間達の元締めであったのだが、今更それを言っても何かが変わるわけでもない。
それに、ここにいる俗物達も、頭を下げられることにまで悪く思うことはない。
「構わぬのではないか? おそらくはシュネシスを追ってくる直属達であろう。正面のみに気を取られて居れば、奇襲にもなる」
「では……」
幹部の一人の言に他の者達も頷き、ヴェージェフも再び恭しく頭を垂れ、踵を返す。その際に受けた視線に、何らかの意図を察したロジェスもその後に続いた。
「それで?」
「ああ。例のモノですが、なんとか成功いたしましたぞ」
研究区画を前に、そう口を開いたロジェスに対し、ヴェージェフは先へを誘うように腕を前方へと伸ばす。
そちらへと足を向けたロジェスは、暗がりに包まれる区画内部にて、色とりどりの光を灯すソレへと視線を向けると、静かに口を開く。
「ほう? しかし、獣たちとは。いっそ、素体にしてしまってもよかったのではないか?」
「はは。たしかに、どれほど美しき獣が誕生するのか見たみたい気も致しますな。ですが、アレはあの姿のままあるべきこの世の美そのものでもございますよ」
「そうか。なればよいがな。今はどうしている?」
「何も。とりあえずは、目覚めるのを待つのみでございましょう」
「こちらに刃を向けてくることはあるのか?」
「それは万に一つも。戦わぬ可能性はございましょうが……。それでも、アレらの本領は戦いそのものにありましょう。そして、目の前の強者を相手にその本領が刺激されぬはずがございますまい」
「…………やはり来るか?」
「当然でしょう。そして、長兄の死に、さらなる怒りの化身となって我々の下に現れるはず」
「末恐ろしきことだな」
「はい。ですが、そうではなくては面白くない」
そう言って笑うヴェージェフに対し、ロジェスは一瞬口元に笑みを浮かべ、再びソレへと視線を向ける。
(随分余裕だが……。知らぬからこそであろうな。こやつらの恐ろしさを)
そんなことを考えるロジェスの視線の先では、色とりどりの光が僅かに強さを増してきていた。
◇◆◇◆◇
剣が力を失った。
突如として現れた獣たちとの交戦の最中、アイアースはそんなことを思いつつ、眼前の剣を見据える。
今し方、巨大な牛型の獣の首を斬り飛ばしたアイアースであったが、その手に残る感触が普段のソレとは異なっていたのだ。
剣。
母、リアネイアが自らの血を与えつつ、打った剣であり、アイアースのもとへと舞い戻ったその時から、ともに戦場を駆けてきた。
いかなる防御を持つモノも斬り裂き、数多の血を吸っても墜ちることの無かった斬れ味。時として、刃より滴らせる血は、母の涙であるようにも感じられたソレである。
しかし、今、獣の首を斬り飛ばした際に手に残った感触は、ソレまでのモノとは違っているように思えたのだ。
「アイアースっ!! 後ろだっ」
「っ!?」
「がああああああああっっっ!!! っ!?」
そんな時、耳に届くサリクスの声。
気がつくと背後に立ち、口から多量のよだれを吐き出しつつ、鋭い爪を振り下ろしてくる獣の姿。
しかし、動じることなく馬を跳躍させると、勢いそのままに獣を斬り上げ、吹き上がった血を浴びつつ、背後から横に薙ぐ。
それで、巨大な獣は二つの獣となって大地に倒れ伏していった。
「やはり……どうしたというのだ??」
しかし、アイアースの関心は、相変わらず剣に向けられるのみである。
かつては一体を相手取るにも困難であった獣たち。だが、ここ最近の戦いはアイアースは大きく成長させており、その強さ自体に大きな変化を見せていない獣たちに遅れを取るようなことはない。
「母上……」
再びの獣。
跳躍してその攻撃を躱し、その強靱な腕を斬り飛ばしたアイアースであったが、その視線は遠きパリティーヌポリスへと向けられている。
(なんだ?)
ふと、胸がざわつく様な気がしていた。
「お前もか?」
「…………お二人も?」
そして、ミーノスとサリクスもまた、同様のざわつきを感じた様子である。
とはいえ、眼前の獣を片づけぬ事には先に進むことは出来ない。このような化け物達を野放しにすれば、ただでさえ疲弊する民にさらなる被害が出るのだ。
「行くしかあるまいっ!!」
「そうですね。なれば、邪魔者達を」
「叩きつぶすまでですっ!!」
そんなことを考え、声を荒げたアイアース、ミーノス、サリクス。
随伴の直属達と交戦を続ける獣たちを睨むその視線は鋭さを増し、半ば理性を失って暴れ回る獣達もまた、それに気付いて立ち止まっている。
馬蹄の響きがパリティーヌポリスに届いたのは、その翌朝のことであった。
◇◆◇◆◇
覇者が去り、愚者達が残る帝都。最後の嵐は無風の中でなおも吹き荒れ続けていた。




