第3話 最後の嵐②
セラス湖外縁を沿うように南下をしただけだった。
途中で出くわした連中も、シュネシスだと名乗ると途端に武器を取って向かって来る。それ故に殲滅してやっただけである。
その後も似たような連中に出くわし、その都度殲滅してきたのだが、いよいよパリティーヌポリスを望めるかという所まで来て出くわしたのは、数人のキーリア達である。
それだけで、教団が焦りを覚えていることを察することは出来た。
たった一人。それでも、その肩書きを無視することは出来ないと言うことであろう。
教団にとってはその成立時点からの不倶戴天の敵であるはずなのだ。
そして、ようやく望むことの出来たパリティーヌポリスの外壁。来襲を察していたのか、信徒兵と守備兵の混成部隊がその前面に展開し、こちらを待ち構えていたのだが、それをあしらう事も困難ではなかった。
信徒兵はもちろんのこと、守備兵が自分に剣を向けられるはずもなかったのだ。
彼らの多くは、教団の襲撃から民を守るために剣を置いたに過ぎない。それ故に、本来の主君が目の前に現れれば、それに剣を向ける必要は無い。
そして、信徒兵達もまた、教団や巫女への信心に疑問を持ち始めている。
彼らは純粋に救いや平穏をシヴィラに求め、フェスティアの治世下にあってはまさにその平穏や救いに預かれたはずである。
シュネシス自身、教団の衛士として屈辱の日々を味わいつつも、末端の信徒兵達が平穏な暮らしを送っていること自体には安堵していたのだ。
しかし、リヴィエトの侵攻によってその平穏も終わりを告げ、教団内部の分裂も引き起こされた。
幹部達はリヴィエトからの間者が多く揃っていたようだが、信徒兵達にとって、リヴィエトは単なる暴虐な侵略者でしかない。それ故に、多くの信徒兵達が戦場をともにし、御パルティノン兵として戦場に散っていっている。
そして、残された者達。
今も大地に倒れ伏す信徒兵達も、シュネシスが良く知る狂信性を見せることなく向かってきたのだ。
シヴィラ直属と思われる狂信兵は内部にいるであろうが、まだまだこちらに組し得る信徒兵は存在しそうであった。
「さて、そんなところで見物していないで、とっとと降りてきたらどうだ? 俺は逃げも隠れもせんぞ?」
そう言うと、シュネシスは城壁よりこちらを見下ろす者達へと視線を向ける。
すでに周囲を取り囲む信徒兵達に戦意はなく、守備兵達は背後に付き従うように控えさせ、一部を帝都内部へと侵入させている。
眼前の彼らさえ片づければ、教団幹部達の頸を飛ばすことなど造作も無きこと。そして、それは自分がやるべき事でもあった。
そんなことを思いつつ、シュネシスは先頃の戦いを思い出す。
浮遊要塞より降り注ぐ砲火の中で奮闘するパルティノン兵達。そして、その先頭に立って彼らを鼓舞しているのは、自分ではなくサリクスであった。
姉、フェスティアの命により、バグライオフ率いるリヴィエト本隊との決戦には参戦できず、それに続くリヴィエト大帝ツァーベルとの決戦に際し、こちらの切り札として全軍崩壊の危機を救っている。
しかし、サリクスや麾下のオアシス兵達にとっては、味方を見殺しにしていたという思いがあったのだと思う。
浮遊要塞が消滅し、原野での戦闘が終結したとき、サリクスは全身に傷を負い、指揮官と同じようにオアシス兵も甚大な損耗にあったのだ。
そして、猛威を振るい続けた浮遊要塞に突入し、見事に責務を果たしたミーノスとアイアース。
突入部隊で戻って来たのは、彼らとフェルミナ、ルーディル、そして、真竜であるガーデとエルクだけであったのだ。
ジルやイルマをはじめとするキーリア、竜騎士、ティグ、飛天魔の多くの戦士達が浮遊要塞と命運をともにし、二人は彼らの思いを背負うことになったであろう。
事実、ミーノスは自身の脱出がはじめから決定されていたことに怒り、帰還と同時に詰め寄ってきたものだ。
そして、アルテアやフォティーナといった支援部隊も、最後の決戦に際して残されたすべてを出し切っていた。
今回のリヴィエトとの戦いは、国家そのものをあげての総力戦となっている。そして、兵が動くとなれば当然糧秣や武器が必要になってくる。
全軍を動かせるだけの物資を用意すれば、たちまち全土が疲弊する事は目に見えており、彼女等はそのギリギリの線にて味方のために働いていたのだ。
時には憎まれ役を背負う事にもなろうが、結果として彼女等の働きが味方の奮戦を支えてもいたのだ。
そして、自らの身を投げ出して道を切り開いたミュウ。開戦から決着まで戦場に身を晒し、兵達とともに奮戦を続けたヴァルターやハインをはじめとする将軍達。
そのすべてが最後の決戦に際し、持てる力を出し切っていた。そんな中、自分はただ一人、戦況を見守っているだけであった。
君主としての責務は分かっている。それでなくとも、先帝フェスティアが凶刃に倒れたばかりであったのだ。皆が皆、自分の身を案ずることは当然と言えば当然でもあった。
だからこそ、今回の戦いは自分が立つべきであったのだ。
リヴィエトという侵略者との戦いは、国を挙げての戦である。だが、教団という反逆者との戦いは、皇帝たる自分自身との戦いでもあるのだ。
そう、自分は皇帝なのである。
「生きて帰り、再びアレを手にしたらの話だがな」
そんなことを思いつつ、ゆっくりと口を開くシュネシス。
それを証明するはずのモノは、彼の地にてある人物に託してきている。もしもの時は、否、今現時点で自分よりも相応しい人物は存在している。
先帝フェスティアより直々にそれを託された人物がいるのである。となれば、自分が皇帝として為すべき事は、後のために道を残す事でもあるのだ。
「おう。ようやく来たか……。それにしてもな、イースレイ。あの世から舞い戻ってくる必要は無かったんじゃないか?」
そして、そんなシュネシスの眼前に次々に降り立ってくるキーリア達。
その先頭に立つ両名、イースレイとグネヴィアの姿に、シュネシスは口元に笑みを浮かべつつ口を開く。
特に、イースレイはリヴィエト本隊との戦いで死んだと聞いていたのだが、こうして眼前に立っていることには少々の驚きを覚えている。
「お戯れを。――――私は、私は、ただ巫女様を守るべく剣をとっているのです」
そんなシュネシスに対し、イースレイは腰から下げた剣に手をかけながら自身に言い聞かせるように、そう口を開く。
№1であるこの男であったが、フォティーナをはじめとする手の者達に寄れば、彼を教団に送り込んだのはフェスティアであると言うことも知っている。
いかなる深謀遠慮があったのかまでは知り得なかったが、今の彼の言にもどこか心苦しげな響きが残っている。
教団ではなく巫女と言ったことが、彼の心情を物語っているのかも知れなかったが、それ以上の問いかけは無駄とも言えた。
「そうか……。まあ、いい。グネヴィア、あの時は世話になったな」
「ええ。とっても、物足りなかったですわよ? 殿下。いえ、今は陛下でしたね」
「そうか。なれば、今ここで腹を満たして、いやいっそあっちで対決してやっても良いぞ?」
「あら? ではそちらといたしましょうか? そこの貴方、布団を用……」
「こんな時にふざけないでくださいっ!!」
そして、そんなイースレイから視線を外したシュネシスは、傍らに立つグネヴィアへと視線を向ける。
少し、話が横に逸れすぎたためにイースレイが声を荒げているが、眼前のこの女との因縁は根深い。
祖父の代よりキーリアとしてこの帝国にある女であり、教団の衛士として行動しているときも、この女だけは自分の正体を知っていたのである。
今でもこちらに向けてくる濡れた目元がどれほど多くの男を毒牙に掛けたのかは知れず、シュネシスもまた、危険を承知で挑んでみたこともあった。
結果だけを考えれば、二度と相手はしたくないという想いと次は自分の物にしてやるというおかしな想いを抱かせる女でもある。
聞いたところでは、父ゼノスやイサキオスはじめとする皇叔達も毒牙に掛かって意図も言われているが、その辺りの真相は不明である。
いずれにしろ、この女が帝国の混乱期を生き続けていることだけはたしかであるのだ。
「分かった分かった。№1がお怒りだし、そろそろはじめるとしようか?」
そして、剣を抜き、キーリア達を睨むつけるシュネシス。
それに倣うように、イースレイ、グネヴィア以下のキーリア達も得物を構える。
「来な。犬どもっ」
そう言うと、シュネシスは地を蹴り、眼前に待ち構える白き守護者達へと躍りかかって行った。
◇◆◇◆◇
馬群の中にアイアース等は身を置いていた。
留まることなく疾駆を続ければ、限界を迎える前に馬が潰れてしまう。人を乗せている以上、馬は本来駆け抜けるとき以上に消耗するのだ。
しかし、数頭とともに掛け、乗馬を換えてやれば、人を乗せる上での疲労は分散される。鍛え抜かれた軍馬が貴重である以上、何度も出来ることではなかったが、今回ばかりは多少の無茶も必要であるのだ。
「兄上……っ。何故このような無茶をっ!!」
疾駆しつつもそう呟かざるを得なかったアイアース。
その言の対象は、後方を駆ける二人の兄、ミーノスとサリクスの事ではなく、一人教団に挑んでいった長兄シュネシスに対して向けられた言である。
如何にキーリア、如何に決戦に際して剣をとっていないとはいえ、相手もまた一騎当千たるキーリアを抱え、その頂点には巫女を抱える教団なのである。
キーリアに関しては、その内情を知り得ているが故に戦い方もあろうが、天の巫女シヴィラ・ネヴァーニャと彼女の周囲の側近達がどのような謀を向けてくるか分からないのだ。
そんなことを考えつつも疾駆を続けるアイアース。とはいえ、最後に続く者達を引き離してしまうわけにも行かなかった。
後に続く者達はおよそ200。パルティノン軍内でも最精鋭と呼べる者達を選りすぐっている。
多くが元近衛兵で、フェスティアやリリスの仇討ちとフィリスの救出のために志願してきた者達であり、さすがに馬の扱いは巧だった。
とはいえ、自分の全力に付いてこれるのはミーノスとサリクスだけだろうという見立てもアイアースにはある。
如何に精強と言えど、キーリアと人間の狭間には大きな開きが存在しているのだ。
とはいえ、ハインやエミーナを引き連れて行くというのもさすがに無理があった。
民を連れての後退とはいえ、リヴィエトはまだまだ戦力を残している。決戦を耐え抜いた指揮官抜きではその追撃もままならないほどにパルティノン軍は疲弊しているのだ。
その辺りのことを考えれば、シュネシスが無謀とも言える選択をした気持ちも理解できる。
彼は常に最善手を打つことを考え、それを実行する人間だった。今回の行動も、彼にとっては最善手なのだろう。
「殿下っ。速すぎますよ」
「っ!? ああっ」
そんなアイアースの耳に届く女性の声。視線を向けると、ミュウが頬を上気させつつも馬を駆っている。
先の戦いにおいて身命を賭して大地を守った彼女であったが、今回の戦いには強い意志を持って同行している。
アイアースは、遅れれば敵わず置いていくと告げていたが、それは彼女の離脱を暗に願ってのことでもある。
他の兵達まで置き去りにしては意味がないのだ。
「身体は大丈夫か?」
「ええ。――っ!?」
そうして速度を落としつつ、ミュウの傍らへと馬を並べたアイアースは彼女を体調を気遣う。アイアースにとっては余裕のある速度でも、彼女にとっては限界を超えたモノ。今も馬の背にしがみつくようにして疾駆を続けている。
「よし、ほら、手綱を放せ」
そんなミュウに対し、アイアースは彼女を強引に抱きかかえると、傍らを駆けている軍馬へと座らせる。
アイアースもその傍らへと身を移す。
それを見て取り、麾下の者達が次々に乗馬を換えていく。それまでの乗馬達はかく汗の量が他の馬とは異なっており、間違えることはまず無い。
「しばらくはそれでいい。でも、無理だったら、構わずに離脱しろ。いいなっ!!」
再び馬にしがみついたミュウに対し、そう告げたアイアースは再び馬群の先頭に立つ。
ここまでしてミュウが付いて来ようとする理由を思いかえすと、無碍に扱うわけにも行かないのである
そう思うと、アイアースは僅かに開かれた彼女の胸元へと視線を送る。そこには、彼女が首に下げている布袋があり。その中には、皇帝の明かしたる印綬が収められている。
シュネシスが戦場を離脱するに辺り、養生していた彼女にそれを託していったのだという。
同行を願い出たミュウを抑えるためでもあったであろうが、それ以上に彼女に告げてたことの方がアイアースにとっては問題だったのだ。
曰く、『俺に何かあったら、後継はアイアースだ。お前は、皇妃としてそれを支え、来るべき時まで預かっておけ』との事であるという。
それがどのような意味を持つのか。理解できないほど愚かではない。
相応の覚悟をもっての行動であろうとも、それは皇帝たるモノの為すべき事ではなかった。
「兄上……」
静かなアイアースの呟きも、疾駆する馬蹄の響きに掻き消され、静かに時の中へと消えていった。
◇◆◇◆◇
日々続いていた変事の正体が明かされた後も、宮殿内部の混乱が収まる様子は無かった。
皇帝自らの出陣。
誰もがその事実に困惑し、誰もがその背後に控える軍勢の姿を想起して、来るべき脅威に怯え続けていたのである。
とはいえ、そんな怯えとは無縁の者も当然のように存在している。
件の人物達は、宮殿内にしつらえられた実験室へと足を向けていた。
「珍しいな。貴方がこちらへと足を向けられるなどと」
宮殿内の喧噪と城外における激突を感じつつ、眼前に視線を向けるヴェージェフは、背後に立つ男の気配に口を開く。
「巫女様と同様に、私にも恐怖として刻まれた存在であったが、それはそれで興味はあるのだ」
「なるほど。たしかに、聞けば聞くほど、あなた方がよく生存できたと思える」
「性質を鑑みれば、十分付け入る隙はあるのだ。良くも悪くも、武人でありすぎたのだよ」
「ほう? まあ、よいでしょう」
そんなヴェージェフの問いに答えた男、ロジェスは眼前にあるモノ達を見据えつつ、自身の過去を思い起こす。
たしかに、今思い出しても身の毛もよだつ思いであったが、それでも自分は生き残る自信はあった。
それだけに、眼前のモノ達が動き出したときに相手に与える衝撃は計り知れぬ事でもあろうと思える。
「あら? あなたも来ていたの」
「っ? これは、巫女様……それに」
「ああ、気にしないでおいて。それより、ヴェージェフ。そちらはどう?」
「はは、今しばらく」
「そう。まあ、皇帝陛下ぐらいだったら、こっちでどうにかなると思うから、そっちも次に備えておいてね」
「ほう? 次。でございますか?」
「ええ。どんな結果であれ、彼らは必ず私の前に現れる。その時は、この子だけじゃね」
そう言うと、シヴィラは傍らに立つ女性に視線を向けると、ロジェスとヴェージェフもまた、それにならう。
三人からの視線を受けた女性。
だが、その目に光は灯らず、そこにあったのはまるで人形の如き冷たい表情を浮かべているだけであった。




