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第2話 最後の嵐①

 明かり取りの窓から差し込む光を受け、フィリスは目を覚ました。



 身を起こすと全身が軽く軋み、顔をゆがめる。


 周囲を見まわすと、そこは見慣れぬ居室であった。


 何事かと思いつつも、軋んだ全身に目をこらすと、軍装はところどころ破損しており、場所によっては赤黒く滲んでもいる。



「そうだ……、あの時」



 そして、そんな傷を目にすると、甦ってくる光景。


 フェルミナやサーダとともに浮遊要塞からの脱出をはかっていたときに、突如として視界が歪みだしたのである。


 その後に何が起こったのかまでは覚えていなかったのだが、今自分がいる場所がどこであるのか。



 今の彼女の興味はそこに向けられている。



「浮遊要塞? いや、でもそれは……」


「目覚めましたか?」


「っ!?」



 そして、その興味に対する答えはすぐに得る事が出来そうであった。


 周囲を見まわすフィリスに耳に届く女性の声。視線を向けると、神経質そうな女性がフィリスの背後に立っていたのである。


 そして、その女性のことをフィリスは知っていた。



「ユマ・スィン・コルデー……。教団の幹部がなぜ?」


「なぜでありましょうね? フィリス・スィン・レヴァンス。近衛に属する貴方が、こうして敵の本拠に囚われている理由など、私は知りもしませぬ」




 鋭い視線を向けるフィリスであったが、そんな彼女の眼光もどこ吹く風で脇に流すユマは、そう言ってフィリスが腰掛ける寝台に対する位置にあるくたびれた椅子に腰掛ける。


 そんな彼女の言であったが、フィリスに対して現状を告げるには十分なモノでもある。



“敵の本拠に囚われている”つまりは、未だに自分は浮遊要塞の内部にいると言うことであろうか?


 そう思ったフィリスであったが、その考えは良い方に外れていた。



「浮遊要塞から脱出できたことは幸いかも知れませぬがね。あの後、アイアース皇子の手によって要塞は撃滅されたました。その点だけは、感謝せねばならないでしょうけど」


「っ!? そうかっ……。やはり、彼は」




 澄ました表情で積まれた書物を手に取ったユマは、まるで独り言を言うかのように言葉を紡ぐが、それもまたフィリスには十分な情報を与えてくれる。


 若干、言い方に引っかかる点はあったが、彼女が帝室に対して何ら畏敬の念を抱いていない人間であることは周知の事であり、今更問い詰める気にもならない。


 それに、フィリスにとってはアイアースが勝利したという事実の方が重要であるのだ。


「彼?」


「あっ!?」



 そして、何気ない一言に気付いたユマが、フィリスへと視線を向けてくる。



「…………そう。名臣の娘と皇子。別に不思議ではありませんね」


「べ、別に私達はそう言う関係では」


「何を慌てているのです? 他人の関係になど興味はありませぬ。むしろ、女に溺れて国政から追放された方が幸いです」




 はじめこそ、関係を勘ぐられたと思ったフィリスは、事実であっても照れくさくなり、必死に否定の言を連ねるが、ユマはそんなフィリスにやや侮蔑めいた視線を向けたのち、書物に目を戻して表情に不機嫌さをさらけ出す。


 彼女に取ってみれば、憎悪の対象である帝国の皇子に好意を抱く女など、不快な存在でしかないのであろう。


 しかし、そう思いつつもフィリスはある疑問が脳裏に浮かんだのであった。




「…………コルデー殿。今の貴方が置かれた立場は知りませぬが、何故にそこまで帝国を憎むのです? 私には、そのことが理解できません」


「理解できぬのならばそれでよいでしょう」


「よくはありません。あなた達の嫌悪がどれだけ多くの人々を傷つけたとお思いなのです? 教団が起こした非道が、全土をどれだけ……。今回の戦いもまた」


「非道、ですって? 所詮、貴方も支配する側の人間と言うことですか」


「支配? どういう……」




 フィリスに取ってみれば、アイアースをはじめとする皇族を襲った悲劇に対しては、同情の念を抱く以外にない。


 自身の力ではなんの助けにもならなかったし、過酷な運命に抗うアイアースの小さな背中はいまだに忘れることはない。


 そして、それは民の間でも同様で、フェスティアの生存の報とその後の彼女を支持する声は方々から上がり続け、権力争いへの勝利と外征の成功によって“聖帝”とまで崇められる程になった背景には、はっきりと教団等による暴虐への同情があったのだ。


 たしかに、親征の失敗と飢饉に対する対策の遅れに対する批判はあったが、それでも全力でその解決に取り組む帝室を恨む声など、幼き頃であったとは言え、ほとんど耳にはしていないのだ。


しかし、今も眼前にて静かな怒りを浮かべるユマを見ていると、それは単に自分の視野が狭かっただけなのではないだろうかとも思えてくる。


 だが、そんなフィリスの感情も、続いてマグマのように噴き出してきたユマの言によって霧散していく。




「帝室も貴族層も口では民のためと良いながら、どれだけ多くの人々を苦しめていると思いますか? 大親征の失敗で、どれだけ多くのこども達が親を失ったと思います? 大飢饉でどれだけ多くの人々が飢えたと思います? 暴虐にあったと思います? 帝室が如何にきれいごとを述べようと、飢える人間に変わりはありません」


「勝敗は兵家の常ですし、天変を帝室の責任に帰すというのは、いくら何でも言いすぎでしょう。事実、国庫は空になり、殿下をはじめとする帝室の皆様も質素に務められておりました。戦場に倒れられたのは皇族とて変わりはないですよ」


「では、皇族が飢えておりましたか? 骨と皮にまでやせ細り、世界を呪いながら世を去った子どもがおりましたか? 一人としていないはずですっ!! 私たちは人間……貴方たちのような支配する側の者と同じ人間なんです。私たちと貴方たちの間にどんな差がある? 生まれた家が、血筋が違うだけではありませんかっ!! フィリス様、貴方は、ひもじい思いをしたことがありますか? 未来を奪われ、絶望に沈んだことがありますか? 彼らを救ったのは、きれいごとだけの皇族でも貴族でもありません。巫女様をはじめとする教団の人間達です……。今となっては、教団もまた、支配の側に堕落し、同じ道を歩もうとしておりますが……、千年もの間、この大陸に君臨し、すべてを奪い続けて来た帝国の罪を正したことが非道とおっしゃるのならば、好きにおっしゃいなさい」




 そこまで言うと、ユマは頬を上気させつつフィリスを睨み付けてくる。


 その目は、それまでの柔らかなモノとはことなり、はっきりとした狂気が見て取れる。何が彼女をここまで追い詰めているのかは分からなかったが、それでも少々常軌を逸しているようにも思える。




「…………ご高説はたしかかも知れませぬが、スラエヴォをはじめとする、罪無き民までもが暴虐にあった事実は消えないと思いますが? それとも、貴方の言う、同じ人間ではないと言われるのですか?」


「…………っ!? 人は時として、過ちを犯すモノ。我々とて、それは……」


「帝室の非を鳴らすのであれば、自分達の罪は棚に上げても良いと申されるのですか? なんとも、都合の良い話でございますね」




 そして、フィリスもまた言われ放題であったことに少々腹も立っており、彼女の言に対する矛盾を口にする。


 今、彼女を論破したところで大きな意味は無いのであるが。


 そして、そんな二人の激論の場に、新たな刺客が送り込まれてくる。もっとも、その刺客は議論になど興味はなく、目的は別のところにあると言うことを、彼女等は知らない。




「ふふ、ユマ、随分元気になったわね?」


「っ!? み、巫女様…………っ」


「っ!? シヴィラっ!!」





 そして、不敵な笑みを浮かべて入室してくる少女。シヴィラ・ネヴァーニャの姿に、ユマは居住まいを正し、フィリスは無意識に身構えて腰に手をかける。


 しかし、当然のように剣はなく、間合いを取って睨み付けることだけしかフィリスには出来なかった。



「へえ、起きたばかりなのに、随分元気がいいのね。私も見習いたいわ」


「…………随分、余裕ではないか。反逆者がっ!!」


「実際、余裕だもの。それにしても、長く生きている割には変わっていないのね。百合愛さん」


「っ!? 貴様…………、何を?」


「あら? やっぱり覚えていないのね……。まあ、別に良いけど」




 そして、アイアース以外が知るはずもない自身の過去の名を口にしたシヴィラに対し、目を見開くフィリス。


 だが、それに答えることのないシヴィラは、ゆっくりと彼女に歩み寄る。




「でもね。私は私で、貴方には苦しめられたの。それに、和将君のこともあるし、ちょっと協力してもらおうかしらね」


「な、何を……っ!? 貴様ら、放せっ!!」




 そして、そんなシヴィラの背後よりフィリスの元へと躍りかかってくる信徒兵達。


 個人の武勇はそれほどでもないが、彼らは一重にシヴィラへの信心を拠り所にする集団。フィリスの武勇も一般のそれを隔絶しているとはいえ、アイアースやフェスティアのような人を超えたモノのさらなる高みへと上り詰めた存在には劣る。


 ほどなく、取り押さえられた彼女に対し、シヴィラは手の平にとある水晶球を浮かび上がらせると、ゆっくりと彼女へと歩み寄る。



「まあ、悪いようにはしないわよ。すぐにでも、愛しの彼に会えるでしょうしね」



 静かにそう言い放ったシヴィラの言が、なおも抵抗を続けるフィリスに耳に、冷たく届いていた。



◇◆◇◆◇



 変事が起きたのは、浮遊要塞の消滅から三日目の夕刻であった。


 パルティノン軍の来襲に備えていた斥候部隊が次々に姿を消し、調査のために派遣された部隊も戻ってくることはなく、その姿は忽然と消えてしまっていたのである。


 パルティノン側の南下に際する離反の動きとも考えられたが、姿を消したのはいずれも信心深い信徒兵達ばかりであり、離反事態も考えられぬ状況。


 そして、さらなる調査のために派遣された衛士達。すなわち、キーリア達が姿を消すことになってから、いよいよ教団幹部達は狼狽する。


 奇しくもリヴィエト軍の全面撤退とパルティノン軍の南進が確認されたことも相まっての変事であるのだった。




「ざまあないわねえ。私達が行けばすぐに解決するって言うのに」


「期待するだけ無駄だ。ロジェスも今は発言力は薄いし、ユマやダルトスは投獄中だ。有能な人間を排除した結果がこれさ」


「そうよねぇ……。まあ、私は仕返しができればそれでいいんだけどねえ」




 そんな教団内部の混乱を、キーリア二大巨頭であるイースレイとグネヴィアは冷めた眼で見つめていた。


 両者ともに教団に組してはいるが、特段信心などから教団に信服しているわけではない。


 イースレイは個人的な事情で、グネヴィアは帝国の堅苦しさに嫌気がさしているためという理由の違いはあったが、それ故に所属組織の暗愚さには辟易する面は大きいのだ。


 リヴィエトの侵攻以前に、狂信派と共存派の派閥争いがあったことも影響しており、共存派の多くはフォティーナとともに帝国に寝返り、一部残ったユマ等の反帝国組もまた、リヴィエトとの共闘に反して投獄されている。


 奇しくも、組織運営に際して有能な人間はこちらの側に属しており、残っているのは元々が犯罪者あがりの荒れくれ者や金に目の眩んだ小悪党といった集団である。



 狂信的に帝国に反抗する人間であっても、リヴィエトと組するという選択を目の前に突き付けた結果がこの現状なのであった。




「それにしても、あなたも随分なモノね。皇帝陛下に忠実だった貴方はどこに行ったのかしら?」


「……私は、必要なことをしただけだ」




 なおもざわつく王宮内部を一瞥し、グネヴィアはイースレイに対して静かにそう口を開く。


 その濡れた目元は、これまで数多くの男を魅了し、戦場にあっては喜々として血に塗れてきたモノであるが、今イースレイに向けられているそれは、誘惑の類と言うよりは、純粋な挑発に近いように思える。


 何を思っての発言か分からなかったイースレイは、その言に対しては素っ気なく答えるしかなかったのだが、さらにグネヴィアは口を開き続ける。




「そう? でもさ、別に巫女様を守るだけだったら、皇帝陛下に忠実でいれば良かったのだと思うわよ? 復讐を最優先にするほど愚かな人じゃないもの」


「率先して恨みを買に言っているお前が何を言うんだ? 混乱の最中に、帝国を裏切り、メルティリア閣下を処断し、イレーネ殿を討った……。フェスティア様とアイアース様にとって、お前は不倶戴天の敵だぞ?」


「そうねえ。でも、巫女様は利用価値があるから。貴方が付いていれば馬鹿なことはしなかったかも知れないわよ?」


「っ!?」


「何を思ったのか知らないけど、№1なんだから、大人しく巫女様の側にいれば良かったのよ。陛下の頼みを断れずに、第四皇子に付いていったことが最悪の結果になったんだからね」


「…………今更だが、お前はいったい何なんだ?」


「さあ? 私は流れる血がすすれればそれでいいだけよ?」




 珍しく饒舌に語り続けるグネヴィアであったが、イースレイにはその意図は分からず終いであった。


 しかし、その言葉の中にある人の心を読み取っているかの如き発言や戦いにあって、四肢を分断されても即座に回復させてしまう不死の身体。



 人間を超えたキーリアにあってもその存在は極めて異質な女である。



 とはいえ、それだけの力を持ってしても、イレーネには相討ち寸前にまで追い詰められ、リヴィエトとの決戦においても敵を蹂躙するわけでもなく、フェスティア襲撃の際にもリリスに一本取られている。



 しかし、それで死ぬことはなく、今もこうしてイースレイの眼前に立っている。


 実際の対峙で勝利を収めたイースレイであったが、今となっては、本当の戦いの際に、勝利できるかどうかも疑問になってきている。




「…………まあいい。どうかしたのかっ!?」


「っ!? は、巫女様がお呼びであります」


「すぐに行く。グネヴィア、忠告は受け取っておく。だが、私はあくまでも巫女様のために戦うだけだ」


「そう。お熱いことで」




 そして、そんな二人の元に現れる信徒兵をひと睨みしたイースレイは、その言に頷きつつも巫女の元へと急ぐ。


 背後からグネヴィアのからかうような言が耳に届くが、睨み付けようとした最中、再びの変事が彼らの元へと届けられる。




 轟音とともに地が揺れ、喊声が彼らの耳に届いたのである。



「っ!? なんだ?」


「正門の方ね……。まさかの正面突破?」




 思わず転倒した信徒兵と助けつつ、そう口を開いた両名は、次の瞬間にはそちらへと向かって駆けだしていた。


 正門と宮殿の間には巨大な城下町が広がっているが、宮殿からは城壁伝いに正門に向かうことは可能である。


 外へ出るとすでに多くの信徒兵達が駆けているが、それらを追い越すことなど両名には造作もなく、知らず知らずのうちに彼らの周囲には、教団に組することを誓ったキーリア達が参集してきている。



 彼らもまた、立て続けに起こる変事に備えていたのである。



 そうして、正門も目前というところまで駆けつけた彼らの眼前にて、再び轟音が轟くと同時に、剣戟の音がこだまし、無数の断末魔が上がったかと思えば、即座に静寂に包まれる。




「一方的なようね。さてさて、いったい何が出るのやら」




 正門に辿り着き、ゆっくりとその外縁部に近づくキーリア達。グネヴィアは普段と変わらぬ笑みを浮かべているが、他の者達の表情は一様に固く、その先にて待ち受ける何かに恐れをもって対峙しようとしていた。




 そして……。




「あらあら。まさか、御自らご登場とはね…………」




 周囲が息を飲む中、グネヴィアの少々驚きを含んだ声が耳に届く。


 彼女をもってしても、多少の動揺を抱かずにはいられぬモノ。




 それは、大地に転がる無数の信徒兵達を見下ろす一人の男。シュネシス・ヴァン・テューロス……否、神聖パルティノン帝国皇帝シュネシス・ラトル・パルティヌスその人の姿がそこにはあったのである。

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