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第1話  決着への鼓動

 エルクの背より地に降り立ったアイアースは、負傷したフェルミナを連れてシュネシス等が待つ本陣へと戻っていた。


 原野を挟むようにして対陣するパルティノンとリヴィエト。戦の前までは敗者と勝者という関係にあった両軍も、今となってはその立場は逆転している。


 皆が傷つきつつも、指導者の残るパルティノンに対し、絶対的な指導者を失い、巨大な戦力をも喪失したリヴィエトにこれ以上の戦は不可能であったのだ。


 何よりも、行き場を失った民を如何に守るかという課題を背負わされた、リヴィエト残存戦力は、パルティノンの追撃に怯えつつも来たの占領地域へと戻る以外に手はない。


 アイアースの視線に映るパルティノン兵達の顔は明るく、多くが負傷していながらも、随所に笑みが見て取れる。


 そして、そんな兵達は、今回の勝利の立役者たるアイアースの姿を目にすると、一様に歓声を上げ、皆が皆、笑顔で彼を出迎えてくれていた。



「皆さん、嬉しそうですね」


「ああ、そうだな……」


「殿下……」


「今は、笑うとしよう」




 そんな状況に、アイアースに抱かれたフェルミナが静かに口を開く。


 彼女は、今回の戦いでアイアースが失ったモノの大きさを知っており、彼が今も無理をして立っていることも知っている。


 浮かべる気にもならない笑顔を浮かべねばならないことが如何につらいことかは、フェルミナも長き彼との別れによってこれでもかと言うほどに教えられていた。


 今も、力無き声で応えるアイアースであったが、フェルミナの声に、口元に笑みを浮かべ、兵士達の歓声に応え始めていた。


 そんな状況が続く中、アイアースはシュネシスが構える本陣へと辿り着くと、フェルミナを降ろし、肩を貸す形にして本陣へと入っていく。


 負傷しているとはいえ、さすがにお姫様抱っこで入室するわけにもいかないのだった。




「っ!? アイアース、戻ったか」



 衛兵に到着を伝え、中へと入ったアイアースとフェルミナを出迎えたのは、表情を暗くしたサリクスの声であった。


 首脳の中でも一際巨体を誇る彼の姿は他のモノよりも目立つが、普段であれば誰よりも速く声が聞こえてくるはずの人物の声がない。



「ただいま、帰還いたしました…………それで、どうしたのですか?」


 サリクスに対してそう答えるアイアースであったが、その場に集まる首脳達の姿に首を捻る。


 戦場にて指揮を取っていたサリクス以下、ヴァルター、オリガ、メルヴィル、ハイン、エミーナ、リゼリアードといった面々。


 後方支援に当たっていた、アルテアとフォティーナ。


 浮遊要塞攻撃に赴いていたミーノス、ヒュロム、ルーディル。


 地上部隊は元より、浮遊要塞攻撃に向かっていたミーノス等が生還している事実はアイアースを驚かせると同時に喜ばせる事実であったのだが、それでも、おかしな点は残る。




「…………兄上は、シュネシス陛下はどうしたのですか?」



 沈黙する本陣内部に、アイアースの声が響いたのは、それから間もなくのことであった。



◇◆◇◆◇



 浮遊要塞の消滅は、帝都パリティーヌポリスに巨大な衝撃をもたらしていた。


 教団の占領下にあって、屈辱と沈黙に日々を送っていた帝都の民は、その吉報に歓喜し、それを妨害しようとする信徒兵達の激突が随所で起こっている。


 シヴィラと偽アイアースの布告分によって最悪の事態は免れていたが、それでも人々の間にわだかまりは残っている。


 戦に勝利したパルティノン軍が帰還して来ることは明白で、教団の幹部をはじめ、リヴィエトへの降伏後の利権確保に走っていた者達もまた、一夜にしてひっくり返ってしまった情勢にただただ困惑するしかなかったのである。




「無様なモノね。私を煽っておいて、いざリヴィエトが敗れたらこの醜態というわけ?」


「我々の役目は、フェスティアを討ち取り、帝都を占領した時点で終わっておりましたが故に。あの状況から勝利を覆されるなど、誰もが思いもしなかったのでしょうな」




 そんな城下の様子を一瞥しつつ、口を開くシヴィラに対し、彼女と同じようにまるで他人ごとと言った様子で答えるロジェス。


 そんな彼もまた、一度はリヴィエトの大帝ツァーベル・マノロフの癇気に触れて処刑され掛かっている。


 元々から、彼らの置かれる状況は不安定なモノであったのだ。




「それで、何をしに来たわけ? あなた達を呼んだ覚えは無いのだけれど?」


「これは失礼を致しました。ヴェージェフより、シヴィラ様に申し上げたいことがあると」


「ふーん。何?」




 そして、そんなシヴィラの背後に立つロジェスとその傍らに闇のように控える男、ディミト・ヴェージェフ。


 本来は、リヴィエトの法科将軍を務める男であったが、本国の敗北にあっても麾下の手の者達とともにこの地に残っている。


 元々が、リヴィエトを祖国にする者達ではなく、一重にパルティノンに害を為すために動いている集団であるが故、それも当然であったが。




「は、以前より研究されていた件の実験……、そのご許可をいただきたく」


「ああ、アレね。ふーん、せっかく私が取ってきたモノをそんなことにねえ」


「巫女様には無用の長物であるかと思われます。如何に、巫女であるとはいえ、刻印の力には限りもございますれば」


「でも、できるの? 研究所は皇子様に潰されちゃったじゃない」


「理論自体はすでに完成しておりまする。人の獣化や操心、それらを用いれば、可能なことであるとも」


「……そう。でも、一つだけよ? もう一つは、私が使うわ」


「はっ」


「…………それで、成功の可能性は?」




 不気味な笑みを浮かべるヴェージェフに対し、シヴィラは異空間に置いておいた水晶球を取り出し、そう問い掛ける。


 通常の刻印の上位に位置する存在であり、加工は不可能であったが、単純な力のそれは通常のモノとは天と地。


 今、ヴェージェフが何をやろうとしているのかまで興味のないシヴィラであっても、ようやく手に入れた刻印を無駄にされては敵わないという想いもある。




「……! 刻印の使役が可能であれば、失敗は無いかと思われます」


「そうじゃないわよ。アレが、私のために戦い続けるのかって言う話」




 一瞬、笑みを消し去ったヴェージェフであったが、再び元の顔に戻ってそう答える。


 自分の実験に自信を持っており、シヴィラの問いかけはそのプライドの類を刺激されたのであろうが、彼女の意図は別のところにある様子だった。




「戦い続ける? それは」


「保障はあるの?」


「意志無き者でもありますぞ?」


「ふうん……」




 そして、そんなシヴィラの言に首を捻るヴェージェフ。


 普段、何事にも無関心な彼女がここまで何かを気にするということは、彼にとっても意外であるのだ。


 とはいえ、自らが行うとしている実験とその実験達の離反を懸念するのは、なんとも解せない話である様子だった。



「まあ、いいわ。私にとっては動くところも見たくないけど、皇子様が絶望するんだったらそれはそれでね」



 そして、そう言ったシヴィラは、水晶球をヴェージェフに渡すとそのまま踵を返す。


 話はそれで終わり。と言うことであるが、彼にとっては彼女の意図が分からぬままであった。





「どういうことだ?」


「因縁があるのだよ。お前が使おうとしているものとはな」


「ほう? だが、所詮は人形だぞ?」


「それでもだ。姿形は変わらん。おそらく、心もな」


「ははは。貴公らしくもない……。人形に心のう」


「まあ、お前には理解できぬ事であろうよ」


「うむ。夢物語であるな。まあ、個人的には、アレが動いている様を見られることの方がありがたいが」




 シヴィラが側近とともに立ち去ると、口を開くヴェージェフ。


 そんな彼に対し、ロジェスは巫女と件のそれに対する因縁を遠回しな言い方で答える。


 そして、それに対するシヴィラはおろか、これから帝都に駆けつけてくる皇子達の想いというものもロジェスはある程度は理解しているのだ。




 とはいえ、ヴェージェフにとっては、彼の言の通り、人形でしかない存在。



 それが自分達の意図通りに動くことこそが、彼にとっては至高の結果でもある。それだけに、それが“生きている”と言うことには価値があるのだった。




「たしかに、味方であれば、これ以上にない存在でもあるな。味方であれば。な……」




 そして、そんなヴェージェフの言に対し、ロジェスもまた、冷めた言を返すだけであった。彼自身は、件のそれの恐ろしさが身に染みてもいる。


 すでに先を望むべくも無い彼であったが、それでも今一度相対したい相手ではなかったのだ。



◇◆◇◆◇



 パルティノン軍に大きな動きはなかった。


 ロマンは眼前に展開する彼らを一瞥すると、原野にうごめく味方へと視線を向ける。



 今のリヴィエト軍は、混乱の極みにあった。



 原野にて続いていた激戦。数で上まるこちらであったが、相手はパルティノン最後の精鋭であり、将も兵もそれだけの選りすぐりである。


 その指揮や奮闘に失点はなく、こちらとすれば数で押しきる以外に選択の余地はない状況。それでも、膠着に近い状況に持ち込めたことだけでもマシだと彼は思っていたのだ。


 こちらには浮遊要塞があり、そこからの援護も望め、さらには強力な攻勢も期待出来る。しかし、それもパルティノン側の捨て身の攻撃によって無力化され、今となって蒼き空から消滅させられてしまった。



 数多の民を残して。



 浮遊要塞それ自体は、大いなる力を持ったリヴィエトの力の象徴的な存在であると同時に、新天地を求めてそこに身を寄せていた民間人が数多く存在していたのだ。



 今の彼らは文字通りの流亡の民。



 指導者を失った彼らをどう導いていくのかと言うことが、今後の首脳部には求められることであるのだが、それもまた、浮遊要塞とともに永遠に失われている。


 そして、必然的に軍の上層にあったロマンやアンヌに託される役割は大きくなり、そのための旗頭も必要になってくる。




「気分はどうだ?」




 そして、その旗頭となるべき人物の元へと足を向ける。



「良いわけが無かろう」


「だろうな。俺も最悪だ」


「…………それで?」


「先ほども言ったとおり、皇帝になれ。アンジェラ」


「……断ったはずだが?」


「だが、お前以外に人はいない」




 全身に傷を負い、寝台に横たわる女性アンジェラ。


 本名をアンジェリーナ・ニコラヴィナ・ヴァシレフスカヤといい、歴としたリヴィエト皇女でもある彼女。


 今となれば、彼女を旗頭にする以外似選択肢は無く、本人の力量もそれを裏付けるだけのものはある。




「私は敗軍の将だぞ?」


「それは皆も同じだ」


「だがな……」


「生き残った。その事実を見ても、お前にはやるべき事が残っている……そうは思わないか?」




 しかし、見ての通り、戦いの終わりから彼女の態度は一貫している。


 元々、否定してきた血であるのだ。今更指導者になるという選択肢が彼女にはないであろう。


 だが、それでも生き残ってしまった以上は、為すべき事を為してもらわねばならない。




「まだ悩んでんのかよ。こっちは命がけで助け出したんだ。やってもらわなきゃ困んだよ」




 そんなアンジェラに対し、傍らにて状況を見守っていたヴィクトルが声を荒げる。


 彼は浮遊要塞内部の指揮を取っていたのだが、死したると思っていた聖帝フェスティアの襲撃に敗れ、彼女とアイアース皇子によるツァーベル暗殺を阻むことが出来なかった。


 それでも、傷を負った身体を押して、浮遊要塞脱出を頑なに拒んでいたアンジェラを救出してきたのだ。




「うるさい。そもそも、貴様が邪魔をしていなければ、今頃敵の本拠地はっ!!」


「それでさらなる恨みをかって、民に害を為していたというわけか。小僧、貴様は民を救った英雄だな」


「はは、照れるぜ」


「っ!?」




 そんなヴィクトルに対して声を荒げるアンジェラ。


 とはいえ、彼女が怒りが不当であることは明白でもあり、それに対するロマンの言に、自身の愚かさを気付かされて、顔を紅潮させ、押し黙ってしまった。




「まあ、時間はあまりないが、決断はしてくれ。お前以外に人はいないのだからな」




 そして、押し黙ったアンジェラに対してそう告げるとロマンはヴィクトルを伴って天幕から出て行く。


 考える時間は必要であろうし、彼女が求められる決断を下せぬはずもなかった。


 とはいえ、敗北を受け入れ、新たな道を模索せねばならない彼らにとっては、あまり猶予の時はなかったのである。

 



 しかし、この時ばかりは歴史が彼らに味方をしようとしていた。


 ほどなく、眼前の原野に対陣するパルティノン軍の一部隊が、南下を開始したという報告が彼らの元にもたらされたのである。


 両陣営の戦いに一つの区切りがもたらされ、血に彩られた原野が、再び元の緑を取り戻すための時間は、静かに作り出されたのであった。



◇◆◇◆◇



 浮遊要塞は、久遠の蒼穹たるパルティノンの空より永遠に消滅し、鳥たちが自由に飛び交う空が帰ってきていた。


 その空の下、血に染まりし緑野に立つ戦士達もまた、流血の戦場に背を向け、新たなる戦いへと赴かんとしている。




 ひとつの戦いが終わり、次なる戦いが産声を上げようとしていた。


 そして、その戦いの結末にあるのは、一つの因縁の決着。


 それがどのような結末を迎えるのか。それは、原野を見下ろす久遠の蒼穹のみが知ることであった。

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