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回天編 最終話  さらば、遠き日々

 視線の先で起こった事実をアイアースは目を背けることなく見据えていた。



「そんな……陛下」



 背後にて同方に視線を向けるフェルミナの震える声がアイアースの耳に届き、二人を乗せているエルクもまた、無言を貫いているが、身体の震えから大きく動揺している様子だった。



「姉上……」



 そう呟いたアイアースは、静かに右手にて赤い光を灯す刻印に視線を向ける。


 柔らかな赤き光。


 それは、激しく瞬き続け、全身を高揚感に包んでいた以前のそれとは異なり、柔らかな光を発することで心の中に静謐を抱かせてくれている。


 全身全霊を賭けて刻印の力を解放し、それでいてそれを支配しようとした先ほどとは異なるアイアースの心情が刻印にも伝わっているのかも知れなかった。


 先ほどまでは、その一撃にパルティノンの命運すべてが掛かり、失敗すれば大地を破壊し、自身を滅ぼし、敵の蹂躙を許しかねない結末が待っていた。


 今も、このまま浮遊要塞の落下を許せば、数多の民が暮らし、自身の故郷でもあるパリティーヌポリスが崩壊の憂き目に遭うという事実は残る。


 だが、今のアイアースにとっては、眼前にて自身最後の戦いに赴いているフェスティアの葬送に対する思いの方が大きかったのだ。




(覚悟は、決まっているな……? アイアース)


(っ!?)




 その刹那、耳に届くフェスティアの声。


 思わず目を見開いたアイアースは、視線の先にてツァーベルと睨み合うフェスティアへと視線を向けていた。


 地に倒れ伏すヴェルサリアの傍ら、フェスティアの身体に突き立った長剣を巡って相争っている様子が見て取れる。



(姉上……どういう?)


(先ほど渡したペンダントだ。やはり、我々の思いが通じる様子……ぐうっ!?)


「姉上っ!?」


「陛下っ!!」




 そんな時、アイアースへと静かに語りかけていたフェスティアが、ツァーベルによって突き飛ばされようとするも、その手に掴んだ腕を離すことはなく、ともに床に転がりはじめる。


 その光景を目にしたアイアースとフェルミナがともに声を上げるが、再びアイアースの脳裏に届くフェスティアの声。




(大丈夫だ……。アイアース、私が生きているうちに……やるのだっ!!)


(っ!?)




 その凛とした声に、アイアースは思わず身じろぎする。


 覚悟はすでに決めたはずであった。


 視線を落とした先にある血に染まった両手。それまで、数多の人間達の血を吸ってきたこの手を、今、新たにフェスティアの血でもって染める。


 その事実が、ほんの僅かにアイアースを逡巡させる。


 君主として、人として背負うべき苦悩をい耐え続けたフェスティアを救う事。今、眼前にて敵の凶刃に倒れようとしている彼女を救うには、自身の手でその苦しみから解き放つ以外にはない。


 だが、それでも生まれ落ちたその時より、平穏と挫折の時を過ごし続けて来た姉弟であり、長き別れの時にあっても、互いを思い続けてきた。


 苦しみの果てには、必ずかつてのような平穏で幸せな日々があると、絶望に染まりかけるたびにそう思い続けてきた。


 しかし、その苦しみの果てにあったのはこのような結末でしかなかったのだ。




(アイアース……。そなたは、優しいな。そなたに、重きを背負わせるしかない私を、未だに思ってくれるのか?)


(…………申しわけ)


(謝るな。だが、私を思うならば、そなたの側にいる者達を思うのだ。今、ツァーベルを討たねば、彼らに待っているのは私が背負ったこと以上の苦悩。皆を、守るのだ)


「ごほっ!?」



 そんなアイアースに対し、静かに語りかけてきたフェスティアは、そこまで言うと、口から吐血し、膝をつく。未だにツァーベルとの戦いは続いており、胸元からは突き立てられた長剣が落ち、赤き血が流れ続けている。


 そして、フェスティアの口元からこぼれる血。彼女の肉体はすでに限界を迎えていると言っても過言ではない。



「…………フェルミナ、エルク。行ってくる」



 そんな姿を見たアイアースは、静かに立ち上がると、再び迫り来る浮遊要塞に向かって虚空に身を投げ出す。


 苦悩がないわけではない。逡巡がないわけではない。しかし、今のアイアースには、これ以上、フェスティアを苦しむ様を直視することが出来なかったのである。





「刻印よ。お前が、俺を破壊に誘うならば、好きなだけそうしろ。だが、今だけは、今だけは姉上のために、俺に従えっ……」



 静かにそう口を開いたアイアースは、ゆっくりと右腕を浮遊要塞へと向ける。そして、その言に答えるように、右手にと持った赤き光が、眩い光を発しはじめる。



(そうだ……。それでよいのだ)



 静かな、それでいて澄んだフェスティアの声が耳に届く。


 それを受けてさらに赤き光を増す刻印。


 今のアイアースには、昂揚も破壊への衝動もない。ただただ、フェスティアへの思いだけがそこにはあるだけであった。



 そして、脳裏に流れてくる幼き頃の思い出。ともに野を駆けた日々、大地を馬で駆り、先を競った日々、剣伎を磨き続け、帝国の未来を思い合った日々。



 それらが浮かんでは消えていく。

 



 要塞が、眩い光に包まれたのは、それから間もなくのことであった。




◇◆◇◆◇




 眼前の女にもはや戦う力は残っていないはずであった。


 自身の長剣が心臓を貫き、今なおそこから血を垂れ流し、口元も吐血した血によって赤く染まっている。


 白銀へと変わった髪だけが未だに純粋な色を保っているだけで、フェスティアの全身は血によって染められていたのだ。



 それでもなお、戦い続けるのはなぜなのか。



 彼女が倒れれば、その時点で戦いは終わる。自分を倒せる人間は、今のところはフェスティアただ一人。


 それを失えば、パルティノンが如何に強大な国家であろうと、自分が生きている限りは脅威ではない。


 そんなことを考えるツァーベルであったが、自身の腕を掴んで離さぬフェスティアの姿はただただ不気味であると同時に、何がここまで人を強くさせるのかという尊崇の念すらも覚えさせられる。




「フェスティアよ。なぜそこまでして、戦いを続ける?」


「……知れたこと。貴様を、討つためだ」


「戯れ言を。すでに貴様は剣を握ることも出来ぬ身。俺を掴んで離さなくとも、貴様の命が尽きるまで待てばよいことだぞ?」


「それで、よい。私の、命が尽きるまで、待て、ば」


「どういう?」




 そんな調子で会話を続けるフェスティアとツァーベル。


 すでに、その白き肌に死相を浮かべはじめたフェスティアであったが、それでもなお、ツァーベルに向かって来るその様の理由はなんであるのか?




「まだ、気づかぬ、か? 貴様は、敗れた、のだ……」


「何を…………、っっ!?」




 そして、そんなツァーベルに対し、不敵な笑みを浮かべるフェスティア。


 その刹那。


 ツァーベルの疑問に答える形で、要塞が激しく揺れはじめ、周囲は赤き光によって支配されていく。




「な、なんだとっ!? っ!? あれはっ!!」




 突然の光と周囲を包み込む炎。


 それに目を見開いたツァーベルは、僅かに望むことの出来る空へと視線を向ける。そこにあったのは、対決を望むことなく、自身の前から去っていった男の姿。




「フェスティア……っ。はじめから、俺と差し違えるつもりだったのかっ」




 そんな男、アイアースによって放たれた赤き巨星。


 それは、自分を滅ぼすことはおろか、この浮遊要塞そのものを消し去るつもりでもあるだろう。




 そして、そのためには、フェスティアが自分と対峙し続ける必要がある。


 戦いが続く限り、刻印がもたらす力はぶつかりあい、互いの守護は消えていくのだ。つまり、フェスティア以外の人間でも、自分を倒すことが出来る。


 しかし、そんな戦い方に納得がいくはずもなく、ツァーベルは炎を纏いながらフェスティアへと怒りの視線を向けた。




「さてな。私は、勝つつもりであったがな」



 しかし、フェスティアから返ってきたのは、不敵な笑みと、意志の強い静かな返答であった。



「っ!? ふ、ふはっはっはっはっは。そうか。勝つつもりであったのか。なれば…………なれば、よかろう」



 それを受けたツァーベルは、一瞬沸き上がった怒りがすぐに消えていくことを察する。


 そして、気がついたときには、口元に笑みが浮かび、それは次第に全身を包み込んでいく。




「どう、した? 気でも、違ったか?」


「ふふふ。そんなことは昔からだ。いや、あの時、あヤツが目の前から奪われたときか」



 そんなツァーベルに対して、視線を向けてくるフェスティア。


 それに対して、不敵な笑みを浮かべたまま口を開いたツァーベルは、傍らに倒れるヴェルサリアへと視線を向ける。


 フェスティアの武勇に圧倒され、敗北と死が自身の目の前に現れたその時、彼女は身を呈した自分を救い、逆転の機会を作った。




「だが、彼女は、身を、……お前を守ったであろう?」


「そうだな。だが、母親と同じ事をする必要は無かった……」


「………………」


「俺の目には、お前では最後まで映らなかったのだ……」


「死したる、女に、気の毒なことを」


「なんだ? 気持ちが分かるか?」


「…………残念だが、私も、身内に、想いを抱いた身である故にな」




 そこまで言うと、フェスティアは静かに身を横たえる。すでに、身体は限界を迎えているが、彼女の為すべき事は終わりを告げている。




「なかなか、楽しかったぞ。ツァーベル。それとな、あの時の言は、嘘ではなかったのだぞ?」


「やめろ、気色悪い。俺達は、互いに皇帝であり、互いを認めぬ至尊の冠を戴く者。慣れないなど不要だ」


「そう、だな……。私も、貴様の、……顔など、二度と見たくはない」


「ふん。俺の行く先は修羅よ。天へと戻る貴様の顔を見る気はない」


「残念だが、私の行く先も、修羅だ。まあ、次は完膚無きに叩きのめしてやる」


「ふん。さっさと逝っていろ」




 そうして、最後まで不敵な笑みを浮かべていたフェスティアは、その汚れ無き瞳に灯していた光を静かに消し去っていく。


 炎に包まれる中、その最後を看取ったのは、その生涯最後の敵主であったと言うことはいかにも彼女らしい最後かも知れない。




「…………修羅か。そこに、お前はいないのであろうな」




 そして、眼前の偉大なる敵手が去っていく様を見送ったツァーベルは、自身の背後にて微笑みを浮かべ続ける彫像へと視線を向け、そう口を開く。



 かつて、それを手にするべくすべてを賭け、すべてを奪い取った。



 しかし、奪った先に待っているはずであった幸せは、ほんの僅かな傷によって消え去り、残っていたのは野心に身を任せる日々だけであった。


 もちろん、戦いに日々や、侵略と破壊、殺戮に対して後悔も悔悟無い。自分は、自分の野心と欲望のままに生き続けたのだ。


 それが悪だというのならば、言えばいい。


 自分に対して、正義を貫いて勝利をしたのは、この世でフェスティアただ一人なのだ。




「ふふ。こんな顔をしていてはいかんな。お前はそこにはいないのであろうが、爺やバグライオフ。それに、ヴェルサリアも居る。修羅を手に入れた後、会いに行くとしよう」




 そして、炎に身を焼かれる中、ツァーベルは床に落ちた長剣を手に取ると、ゆっくりと首筋にそれを当てる。


 そして、不敵な笑みとともに彫像に対してそう告げると、僅かに垣間見える男に対して視線を向ける。




「第四皇子よ。修羅へと参るのに、貴様の手は借りぬっ!! そして、いつの日か、貴様が俺の前に現れることを、修羅にて待って居るぞっ!!」




 焚け狂う炎が要塞を飲み込み、周囲を赤く燃え滾らせていく。


 周囲が崩壊し、やがて炎に飲み込まれていく様を目にしたツァーベルは、つかの間、視線が工作したアイアースに対して、そう声を荒げたツァーベルは、炎に焼かれていく自身の頸を薙いだ。



◇◆◇◆◇



 眼前にて赤き巨星が激しい光を放つと、すべてを焼き尽くしたそれは虚空へと消えていった。


 アイアースは、その様を見送ると全身を包み込む虚無感に襲われはじめていた。


 大空へと身を委ね、静かに吹きつけてくる風が心地よい。それはまるで、目の前で消えていったフェスティアが、アイアースを抱いてくれているような、そんな思いすらも感じさせてくれる。




「終わったか……」


「へえ? 貴方はそう思うの?」


「っ!?」




 そして、吹きつける風に浸りつつ、そう呟いたアイアースの耳に届く声。


 静かに、それでいてこちらを見下すような、そんな声。そして、それはアイアースにとっては忘れられるはずもない声でもあった。



「シヴィラ……この期に及んで、何をしに来た?」


「別に。貴方になんか用はないわ。これを取りに来たのよ」



 慌てて振り返り、眼前に立つ少女。アイアースにとっては、不倶戴天の敵とも言うべき“天の巫女”シヴィラ・ネヴァーニャがそこに立っていた。


 鋭い眼光を向け、シヴィラを睨むアイアースであったが、常人であれば震え上がって動くことも出来くなるそんな眼光にも、シヴィラはどこ吹く風と行った様子で、両の手に水晶球を浮かび上がらせる。


 その中には、深い青と紫の光を灯す刻印が収められていた。




「それは……」


「これ? あの二人が身に宿らせていた刻印。戦いの隙を突いて奪うつもりだったんだけど、貴方のおかげで手間が省けたわ。どう? 姉殺しの気分は」


「……外面は良くても、その根っこのどす黒さは変わらねえな」


「お褒めに与り光栄。別に、好きで救世主を気取っているわけじゃないしね。まあ、さっさと死んで欲しかった二人をまとめて始末してくれたんだし。感謝ぐらいしてあげようかしら?」


「そうか。だったら、ここで決着をつけてやるっ!!」


「なんでよ。刻印を手に入れたんだし、貴方なんかに用はないわ」


「なんだとっ!!」




 そして、そんなシヴィラに対し、怒気を隠すことなく向けるアイアース。しかし、飛び掛かってやろうにもここは虚空。


 シヴィラがどのような手段で浮遊しているのかは分からなかったが、状況的にはアイアースが圧倒的に不利でもある。


 とはいえ、当のシヴィラにアイアースを害する意志はない様子で、あきれたような視線をアイアースへと向けてくる。




「まあ、用がないのは今だけなんだけどね。フィリスさん、いえ、百合愛さんが待っていることだしね」


「っ!? お前……なぜそれを?」


「さあ? 知りたかったら、パリティーヌポリスに来なさいよ。精々、派手なお出迎えを用意してあげるわ」




 そして、静かにそう言い放ったシヴィラの言に、アイアースは目を見開く。


 しかし、その問い掛けにシヴィラが答えることはなく、アイアースの落下に合わせていたシヴィラは、再び虚空へと浮かび上がる。



 やがて、その姿は虚空へと消えていき、アイアースの元に残ったのは柔らかな浮遊感とシヴィラに対する憎悪だけである。



「貴様のことなど、知りたくもない。だが、行ってやるっ!! 今度こそ、パリティーヌポリスに貴様の頸を晒してやるっ!! それまで待っていろっ!!」




 そして、虚空にてそう言い放ったアイアースは、大空へと向かっていくつもの火球を撃ち放つ。


 それは、死したるフェスティアに対する弔砲であり、次なる戦いへの送り火でもある。




 そして、パリティノンとリヴィエトの国家と国家の戦いは終幕を迎え、アイアースとシヴィラ。二人の個人の戦いの幕が、今開けようとしているのだった。

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