第27話 白き狼虎②
鼓動が胸に届くとアイアースは浮遊要塞を振り返った。
方々から炎と煙あげながらゆっくりと下降し続ける浮遊要塞。
当初は各所から火花があがり、地上のパルティノン兵や周囲に取り付いていた飛天魔達を攻撃していた中規模砲台もも今は沈黙しており、要塞下部から伸びる光の通路からは、数多の人間が地上に向かって下りていく姿が見受けられている。
そんな要塞の最深部では、フェスティアがツァーベルとの最後の戦いに赴いているはずである。
本来であれば、アイアースもその戦いに同席するはずであった。だが、フェスティアは一人、その戦いに身を投じ、アイアースはこうして戦線を離脱している。
永遠に失われたと思われた姉とのつかの間の再会。改めて戦場をともにする機会を得たと思っていたアイアースであったが、フェスティアはそれを許してはくれなかった。
動力源を破壊した以上、こちらの勝利は得ている。
となれば、原野で行われている血みどろの戦は無益。この数ヶ月間、死闘を演じ続けた両軍は、とうの昔に限界を超えているのだ。
要塞の陥落は、戦の終わりを象徴する結果になることに相違ない。そして、その象徴の証明する役目は、アイアースに託されることになったのだ。
(思えば、私があそこで要塞を仕留めていれば……)
要塞に視線を向けつつ、アイアースはつい先ほどの光景を思いかえす。
解放された刻印の力が肉体を活性化させ、全身を駆け巡る血の流れによって昂揚に支配されていく中、沸きたつ破壊への衝動。
それを必死で抑えつつも刻印へと意識を集中させていたアイアースであったが、その破壊への衝動を抑える背後には、いくつかの逡巡があったのだと今になって思う。
大地を守るため、ミュウをはじめとする法術部隊の皆を守るため、刻印の暴走を押さえ込む。そんな大義名分を抱えて要塞を対峙していたのだが、その実は、刻印の使役による自身の滅びをただただ恐れていただけなのかも知れない。
今となって、アイアースはそんなことを考える。
刻印の力を暴走させれば、惨事は免れぬとはいえ、自身の肉体に施した刻印であるのだ。その暴走を抑えつつ、本来刻印が持ちうるすべての力を解放すれば、破壊の力は自身が望むモノのみに適用されるのではないのか?
そんな考えがアイアースの脳裏には浮かびつつあるのだ。
そして何より、今のアイアースの心の内には、一つの思いが刻み込まれている。先頃、浮遊要塞と対峙した時には抱くことの無かった思い。
要塞内部での戦いにおいて抱く事になったそれは、ともすれば肉体の滅び、そして大地や愛する者達の滅びに繋がる事になろうとも、果たさなければならぬ。
それが、たった一人、変転と苦悩の人生と戦い続けてきた人に、アイアースだけができる救済であるのだった。
「エルク。もう一度、私を浮遊要塞上部まで連れていってくれ」
(殿下?)
そして、そんなことを考えたアイアースは、シュネシス等の待つ原野へと滑空しているエルクに対し、そう口を開く。
それまで、沈黙していたアイアースの突然の言に驚きの声をあげるエルクであったが、それに構わずアイアースは言葉を続ける。
「加護が受けられぬ事は知っている。先ほどと同じように、私が降りたら離脱してくれて良い」
(待たれよ。今一度使役すれば、殿下は……)
「聡いお前ならば、分かっているだろう? 要塞を放っておけばどうなるか」
(…………ですが、私は)
「それも分かっている。真竜たるお前が、大地を崩壊させかねぬ行為を容認することがないと。だが、今回は私を信じてくれ」
(殿下……)
「頼む」
そして、そんなアイアースの言に対し、静かに反論するエルク。
人間と真竜。加えて、アイアースはエルクの主たる人物ではなく、その加護の対象でもない人間。正確には亜人間。であり、それに答える義務がエルクにはない。
それでも、主とするターニャ、そしてミーノスの弟であり、エルク自身も義を尽くすに値するアイアースであるからこその対応である。
それでも、アイアースの言の通り、すべてを飲み込むことはエルクにとっても困難であった。
「エルク様。私からも、お願いいたします」
「フェルミナ?」
(フェルミナ姫?)
そんな時、アイアースの胸元に抱かれていたフェルミナが、目を見開き、苦痛にその美しい顔をゆがめながら、口を開く。
「殿下を、信じてください。貴方なら、分かるはずです」
(……風が、そう告げたのですか?)
「はい……」
(むぅ…………)
「エルク。頼む」
(…………私は殿下をお連れするのみです)
「っ!? それでよいっ。感謝するっ!!」
そして、フェルミナの言と、躊躇することなく頭を下げるアイアース。
そんな二人の態度に、僅かに逡巡したエルクは、やがて進路を変え、大空へと向かって翼をはためかせる。
そんなエルクに対し、アイアースは静かに頭を垂れる。知らず知らずのうちに、その目元は僅かな雫がこぼれていた。
「殿下。此度、私も同行いたします」
「……後戻りは出来ぬぞ?」
「フィリスさんも、ミュウさんも、殿下とともにあることは出来ません。なれば、私がだけでも、ともにありたいのです」
そんなアイアースに対し、ゆっくりを身を起こし、その柔らかな目元に強い意志の光を灯したフェルミナが口を開く。
その様子に、アイアースは説得をあきらめ、短くそう答えるが、フェルミナの意志は変わらなかった。
そして、そんなフェルミナの言に、アイアースは苦しそうに目を閉ざす。
フィリスは脱出の際に、シヴィラとイースレイによって連れ去られ、ミュウはアイアースの法術から大地を守った後、どうなったのかも分からない状況。
今、アイアースに同行できるのはフェルミナだけであったのだが、それは、自分が犯す大罪をフェルミナに背負わせることにも繋がる。
そんな思いがあるアイアースであったが、それを告げたところで、フェルミナが退くことはない。
再会から僅かなときであったが、常にともに過ごしてきた間柄である。その人となりはすでに知り尽くしていた。
「……思いだけは受け取っておく。そして、すべては私が背負う。それだけは、約束しろ。いいな」
そして、再びフェルミナを胸元に抱きしめたアイアースは、静かにそう告げた後、再び眼前に迫る要塞へと視線を向ける。
そして、次第に大きくなるそれの側面を巡り、やがて蒼穹の空に支配される空間へと向かっていく。
その眼下には、お互いの意地と誇りを賭けて戦う男女の姿が、はっきりと映し出されていた。
◇◆◇◆◇
馳せ違った先にあるのは、地に倒れ伏す両雄の姿だけであった。
全身から噴き出す血に軍装を染めたフェスティアは、ふっと息を吐き出すと、そこから身を起こし、背後にて立ち上がるツァーベルを睨み付ける。
「ふ、ふはっはっはっは。まさか、伝説の白き狼が眼前に現れるとはな。どうやら、我々の野望の前には、必ず立ち塞がる存在であるらしい」
視線の先では、フェスティアと同じように全身を赤く染めつつも、ツァーベルは豪快に笑い声を上げる。
しかし、その笑みにそれまでの尊大さや粗暴さはなく、純粋に立ち塞がる敵主の存在を喜んでいるようにも思える。
「しかも、俺を倒すことの出来る唯一の存在がそれであったとはな。やはり、貴様は見込み通りであったと言うことか」
「……そうかも知れぬ。何故、自分が人から畏怖され続けて来たのか。今となっては、それがよく分かる……。そして、貴様が執拗に私を追い求めてきた理由もな」
そして、なおも獰猛な笑みを向けてくるツァーベルに対し、フェスティアは静かな光を灯す右手に視線を向ける。
この刻印が覚醒したのはいつのことであろうか。
もはや思い出す気にもならぬほど、多くのことがあった様に思える。刻印は大いなる力を与え、その代償として肉体を蝕む。
それ故に、古来より研究が続けられ、今では刻印学なる学問も産み出された。キーリアや浮遊要塞のような存在は、その研究の一つの到着点であるだろう。
そして、その刻印の頂点に立つ、言わば刻印そのものの母体となる刻印達。
右手に宿るそれは、眼前のツァーベルがその身に刻むあらゆる痛手から宿主を守護する刻印と対を無し、あらゆる刻印の効果を消し去り、数多の者達を守護する。
即ち、眼前の男に唯一抗しうる存在が自分であったのだ。
しかし、その代償も当然の如く存在する。
数多の者達を守護するのならば、当然、自分に対する守護の力は存在しない。それ故に、自分の周囲からは次々に愛執する人間達が消えていった。
刻印の力がもたらす痛みなど、あの日から続いたそれに比べれば、癒しに等しいものであった。
「ふ……、ここに来て感傷か? そんなもの、戦にあっては不要ぞ?」
「言われなくともっ!!」
そして、再び地を蹴るフェスティアとツァーベル。
再び激突し、互いの首を落とすべく剣を振るう両者であったが、先ほどまでであれば、傷つき、体力を消耗させるのはフェスティアだけであったが、身に流れる白き狼の血と刻印の力を解放させた今、ツァーベルを守護する力も消滅している。
互いに人智を越えた力を有し、その技量も他を隔絶している。
完全に躱しきった思っていても、僅かな剣圧によって身が割かれ、全身は赤く染まっていく。
「っ!!」
そして、剣と剣がぶつかり合い、互いにそれを弾き合うと、フェスティアは仰け反った勢いそのままに後方へと身を翻し、そのままツァーベルの顎に足を振り上げる。
体勢と立て直さんとしていたツァーベルは、そんなフェスティアの攻撃を予測できずに、思いがけぬ攻撃を受け、数瞬、視界を黒く染める。
そんなツァーベルに対し、地を蹴って剣を振り上げるフェスティアであったが、躊躇無く振り下ろしたそれは、ツァーベルの無意識の剣によって守られ、再び蹴りをツァーベルに対して見舞い、その姿を虚空へと跳ね上げる。
それによって意識を取り戻したツァーベル。
上空にて強引に体制を立て直し、調薬して追ってくるフェスティアに対して剣を構えるも、結果として剣による攻勢から体術へと切り替えたフェスティアの動きを読み切ることは敵わなかった。
「ごふっ!?」
長剣を躱し、拳を腹部に打ち込んだフェスティアは、弓折になったツァーベルに対して、続けざまに膝を撃ち込み、さらに攻勢の意志を奪うと、剣を放って手を組むと、合わせ拳のままそれをツァーベルの頭部へと振り下ろす。
何かが砕ける感触が手に残る中、ツァーベルは口から激しく吐血しつつ、血へと落下していくと、激しい振動とともに瓦礫を跳ね上げながら床にたたきつけられる。
頭蓋を砕かれ、全身に与えられた衝撃。常人であれば当然死したるはずの攻勢であったが、この程度で倒れるのでは、彼の重ねてきた栄光も大罪も薄れてしまうだろう。
そんなことを考えつつ、放っていた双剣を手に地に降り立ったフェスティアは、休むことなく地を蹴り、ツァーベルへと迫る。
眼前にて、痛みに歯を食いしばり、身を起こしたツァーベルは、それでもなお赤く染まる全身を叱咤し、長剣を構える。
だが、それまで痛みや衝撃とは無縁であった肉体である。強靱な防御を誇っていたとしても、経験のない衝撃にツァーベルの意志が身体について行っていなかった。
その様子は、ツァーベルへと迫るフェスティアの目にもはっきりと映っている。
実力は互角。勝敗は、ほんの一瞬の隙を手にした側にもたらされる。このことを互いに理解する両者。そして、お互いに常にその一瞬を手にしてきた人間である。
今回、その一瞬は、互角の激突の中で戦いに変化を与えたフェスティアの手に収まろうとしていた。
そして、勢いそのままに剣を突き出すフェスティア。そして、その視線の先には、未だに立ち上がることが困難なツァーベルの首筋が露わになっていた。
刹那。
吹き上がる血飛沫。
これですべてが終わる。静かにそう思ったフェスティアであったが、次の瞬間には、全身から力が抜けていくことを自覚する。
目を見開き、膝を折ったフェスティア。
「ば、かな……」
口から溢れ出す流血。その胸元には、ツァーベルの手に握られた長剣が突き立っていた。
「陛下……」
そして、耳を付く女性の声。
視線の先では、突き出されたフェスティアの剣に身を投げ出す形になった女の姿。
同じように口から血を吐き出しつつも、フェスティアのその赤き眼を向けてくる女、ヴェルサリアの背後にあって、彼女の肉体ごとフェスティアを貫いたツァーベルは、静かに口を開く。
「勝ったと、思ったか……? フェスティア?」
全身を襲う激痛と目の前で起こった惨劇を見据えつつ、そう口を開いたツァーベル。
剣が引き抜かれるに合わせるように、全身が崩れ落ちて行く最中、フェスティアはその目に灯る小さな光の存在に気付いていた。
(そうか……、貴様は、それを選んだのか……)
そんなことを思いつつ、全身から力が抜けていくことを悟るフェスティア。しかし、今自分が倒れればすべてが終わってしまう。
愛する者をその手にかけてまで得た勝利を無碍にするほど、眼前の男は甘くないことをフェスティアは今改めてその身に刻んでいる。
「勝ったさ……。貴様は、愛する者を、犠牲に……、だが、私はっっ!!」
「っ!? 貴様っ」
そして、フェスティアは最後の力を振り絞り、ツァーベルの腕を掴むと、流れる血を気にすることなくそう答える。
ツァーベルの長剣は心臓を貫いており、最後の炎を燃え上がらせていた命の灯火を強引に刈り取らんとする、まごうこと無き致命傷である。
しかし、掴まれた腕と決して動くこと無き長剣に、ツァーベルは目を見開く。
「私が、その身に刻んだ痛みを忘れると思うか? そして、貴様の身に刻印の加護はないぞっ!!」
そんなツァーベルに対し、静かにそう言い放ったフェスティアは、背後に感じる愛しき者の存在へと意識を傾けていく。
(覚悟は決まっているな……。アイアース)
困惑するツァーベルに対し、不敵な笑みを向けたフェスティアは、その存在しに対して、静かにそう語りかけていた……。




