第23話 姉弟と姉妹と
語り終えたフェスティアの目には、静かな炎が灯っていた。
「リリスが……」
そして、アイアースもまた、フェスティアの身代わりとなって散っていった女性の姿を思い浮かべる。
出会いは僅かに半年前のことであったが、フェスティアと瓜二つの容姿と気さくな人柄も相まって、すぐに意気投合し、序列に関係なく信頼できる仲間としてその後は行動していた。
リヴィエトの侵攻後は、キエラでの出撃を最後に顔を合わせて居なかったが、キーリアとして、影としての最後はなんら恥ずべき事ではなかったであろう。
「そなたとも懇意にしていたな。あヤツなりに、そなたには惹かれていたようだったが」
「ともに戦う機会はございませんでしたが、信頼できる女性でした」
アイアースはテルノアやアイヒハルトとの戦いの後始末の際にリリスと行動を共にしている。彼女がカミサに派遣されなかったため、ともに戦う機会は無かったが、それでも僅かな邂逅にてお互いに信用にたる関係は築けていた。
もちろん、フェスティアの姿を彼女に重ねている部分は大きかったであろうが、それでも失ってみてはじめてその存在の大きさを実感させられる。
しかし、同時に自分の酷薄さにも気付かされる。
フェスティアの死。という風聞を真に受けて、リリスや他の兵士達の死までを考えることがなかったのだ。
ともすれば、戦場をともに駆ける戦友となるはずだった女性のことを。
「影武者とは……、愚か者どもも使えませんね」
そして、自身の落ち度を責めるアイアースの耳に、吐き捨てるようにそう言い放ったヴェルサリアの声が届く。
口調は丁寧だが、明らかな失望が口調からは垣間見え、恐らく、教団に暗殺を命じていた彼女からすれば、フェスティアにまんまと逃げられた事実が腹立たしくてしょうがないのであろう。
愚か者。と呼んだことには、アイアースもフェスティアも共感できていたが。
「しかし、シヴィラ様の結界を破った手管までは話されておりませんね」
「わざわざ手の内をさらけ出す馬鹿がどこにいる。知りたければ、私を倒すことだっ」
そんなヴェルサリアの言を受け、声を荒げたフェスティアは再び剣を一振りして空気を斬り裂くと双剣を正眼にかまえる。
おしゃべりはここまで。と言うことであろう。すでにある程度の時間は稼げているのだ。
「立場が逆な気も致しますが、そろそろいいでしょうね」
そして、そんなフェスティアに対してヴェルサリアもまた静かに鞭を振るい、正面から対峙する。
その背後では、アイアースを攻撃した砲筒兵達が、全身の痛みにこらえつつもこちらへと砲口を向けており、お互いが必要とする時間は終わったのである。
「姉様っ!!」
そして、さらなる介入者の登場。
ヴェルサリア等の後方から、彼女を姉と叫んだ女性将軍、アンジェラを先頭に、一部隊が広間内に駆け込んできたのだ。
「姉上っ」
「行けっ!!」
そして、援軍の登場に、一瞬、気を取られたリヴィエト兵達。
その瞬間を見逃さなかったアイアースは、一気に地を蹴って跳躍する。
そんなアイアースの姿に気付いたヴェルサリアであったが、立ち塞がろうとした矢先にフェスティアの攻撃を受け、強引に地に足を縫い付けられる。
それを背後にアイアースは、砲兵達との距離を詰めると、向けられてくる砲口を睨みつつ、眼前の兵の首を飛ばす。
背後に殺気。宙返りをするように飛び退くと、耳に届く空気を斬り裂く乾いた音。
空中にて身体を回転させるアイアースの視界には、頭部無きリヴィエト兵が身体を撃ち抜かれてバラバラな肉塊へと変わっていく様が見て取れる。
再びの音。
身体を捻ると、耳をかすめる死の羽音。そのまま剣を振るうと二つの首が虚空へと舞い上がった。
着地すると背後から殺気。
地に飛び込むようにしてそれを躱すと目の前を通過していく黒き影。
それは、まるで大蛇の如くその姿を捩らせ、舞い踊りながら広間内を駆け回っていく。それを辿っていくと、ヴェルサリアの手より産み出された複数の影がフェスティアに襲いかかり、そこから弾き出されたいくつかが、砲をかまえるリヴィエト兵や援軍として現れたアンジェラ達へと襲いかかっている。
フェスティアを倒すためには、味方を巻き込むことを厭うつもりはない様子。そして、広間内部を駆け回る影は、再びアイアースへと襲いかかってくる。
リヴィエトの参謀総長だと言うが、その魔女めいた容姿に偽りはないのであろう。
そう思うと、アイアースは再び地を蹴り、迫り来る黒き影を両断すると、そのままに残った砲兵の元へと飛び込む。
砲を構えたまま、目を見開く砲兵達。中心にいる一人と目が合うと、躊躇うことなく横薙ぎに剣を振るう。
硬い何かを断ち切る感触が腕に残る中、驚きの表情を浮かべながら吹き飛んでいく兵の上半身。
そして、鮮血が舞い上がる中で、アイアースの姿を捕らえる生き残った砲兵達。
しかし、彼らが引き金を引くことは叶わなかった。
アイアースを追ってきた影達は、本来の獲物ではなく、目の前にて立ち止まる獲物へと矛先を変えたのだ。
「ひいいっ!?」
「た、助けてくれっ!!」
背後へと飛び退き、砲兵達に襲いかかった影から逃れたアイアース。
その目に、目の前で全身を影に絡み取られた、ギリギリと身体を締め上げられていく砲兵達の姿が見て取れる。
「や、やめ…………ぎゃぷっ!?」
そして、人が発するとは思えぬ声をあげた兵達は、影に絡め取られたまま人ではない者となってその場に崩れ落ちた。
一瞬の静寂。
視界の中では、フェスティアとヴェルサリアが打ち合う様が見て取れ、尚も他方面に襲いかかっている影とそれから逃れようともがく兵達の姿がある。
あまりに凄惨な光景が、一瞬、アイアースの聴覚を奪ったのであろう。
しかし、背に感じる冷たさまでが奪われることはない。
背後に剣を振り上げると、手に感じる金属と金属がぶつかり合う感覚。そして、耳に届いてくる金切り音。
視線を向けると、アンジェラがアイアースに対して剣を振るっていた。
「戦の最中に呆けるとは、余裕だな。第四皇子よっ!!」
「実際、余裕があったからな」
聴覚が戻り、戦場の感覚取り戻したアイアースが、アンジェラごと剣を弾き飛ばすと。彼女も、身体を回転させて後方へと降り立つ。
そうして、眼鏡越しに怨嗟のこもった視線をアイアースに向け、声を荒げた彼女に対し、アイアースは静かに答える。
「ほざけっ!! スヴォロフ閣下の仇、今度こそっ!!」
「仇だとっ!? それは、こちらの台詞だっ!!」
そうして再び打ち合う両者。
アイアースが双剣を振るい、アンジェラがそれを受け流しつつも、身体の各所に傷を増やしていく。
剣伎や膂力そのものはアイアースが圧倒しており、すぐにでも決着が付くと思われた両者の戦いであったが、アンジェラの奮戦はアイアースはおろか、周囲の予想をも覆している。
「貴様を……っ、貴様だけはっ!!」
「戦場の死は、戦場の習い。謀略を持って、武人に対する礼を汚す貴様らがそれを言うのかっ!?」
そして、アンジェラの口から漏れる怨念とも言える声。
アイアースは、彼女の力の源は、先ほどからの声のように、戦死したアレクシス・スヴォロフの仇討ちへの思いである事を察する。
死者を思う気持ちは理解できるが、それでも、アイアースにとっては相手の勝手さが腹立たしくも思う。
アイアースが、彼女から大切な人間を奪ったように、彼女等リヴィエトが自分からどれだけ多くの人間を奪って来たのか。
そして、奪い返した者達も例外なく何かを失っている。
それを思うと、アイアースはアンジェラを後方へと突き飛ばす。受け止めた剣もろとも両断するかのような勢いであったのだが、今回はアンジェラの身捌きがアイアースの膂力を上待っている。
そして、再び対峙する両者。
それを見守っているリヴィエト兵達は、砲や弓をかまえたまま沈黙し、この戦いを注視している。
自分を討ち取ることはいつでも出来る。
フェスティアとヴェルサリアの戦いが、思いがけぬ拮抗を生んでいるため、彼らからすればアンジェラの安全が確保されるまで、見守るしかないのであろう。
だが、当のアンジェラにはそんな状況も見えていない様子であった。
今も、その冷たい美貌を怒りによって歪ませながらアイアースに対して、怒声をあげてくる。
「……それが何だっ!! これは、私の私怨っ!! 貴様の心情など関係ないっ!! あるのは、貴様がスヴォロフ閣下を討ち取った言う事実だけだっ」
「ふざけるなっ!! 少なくとも、スヴォロフは武人として立派に散ったんだぞっ!! 私怨で私を討つということが、彼の名誉を傷つけているということに気付けっ!!」
「立派だと? ……では、残された者はどうなるというのだっ。私は、まだ……っ」
そんなアンジェラの怒声に対し、妙に苛立ちの込み上げたアイアースもまた、声を荒げる。なぜ、今になって討ち取った敵将の名誉を気にしたのかは分からなかったが、脈絡のない怒声の応酬の末に、アンジェラは声と視線を落とす。
「…………やりきれないな」
そして、そんなアンジェラの姿に、アイアースは過去の自分の姿を重ねる。
眼前の大いなる力には、適わぬ事を知り、もがくことしかできなかったこと。仇を討つために何が出来るのかも分からず、私怨と感情に身を任せるしかなかったこと。
だが、そんな未熟さの先に待っているのは、敗北でしかないと言うこともよく分かっていた。
そして、アイアースは床を一気に蹴ると、馳せ違い様にアンジェラの身体を上下に斬り裂き、勢いそのままに後方のリヴィエト兵達の元へと飛び込む。
敵を目の前に隙を見せることの愚かさ。それを嘲るつもりはないが、見逃す気もさらさら無い。
ひたすらに地を蹴り続け、剣を振るい続けたその先にあるのは、積み重ねられたリヴィエト兵の亡骸の山であった。
そして、視線を向けたその先では、フェスティアがヴェルサリアを斬り伏せる様が、差し込んだ陽の光を受けながら鮮やかに映りこんできていた。
◇◆◇◆◇
主広間での戦いに決着が付いたころ、フェルミナとフィリスは、サーダの援護を受けながら、ルーディル等の待つ脱出地を目指していた。
「殿下達は、どうなったのでしょうか?」
「信じるしかないわ……」
襲いかかってきたリヴィエト兵を掃討し、一息ついたフェルミナがそう口を開くと、フィリスも短くそれに応じる。
「お二人とも」
そして、そんな二人に対してサーダが手をかざすと、そこから水色の光が二人の身体を包み込み、傷ついた身体を癒していく。
フェルミナの負傷は癒えてはいたが、まだ全力で駆けることは厳しい状況である。
翼にて飛べるとは言え、負傷した肉体を支え続けるには限界があり、武器を手に敵を屠る必要も出てくるのだ。
「傷は、いかがですか?」
「あ、大丈夫です」
短く、そう問い掛けてくるサーダに対し、フェルミナもまた上目がちにそう答える。
アイアースとの別れから、解放戦線に身を投じ、いくつかの戦場を越えてきた彼女であったが、依存すべき存在が目の前に現れてからは、年相応の面が再び出はじめている。
今も、長身のサーダに対しては、どこか怯えたような仕草が見られたのである。戦いともなれば、そんな姿はすぐに消えるのであるが。
「もう一息ね。二人も、無事だといいけど……」
「信じるしかありません」
そんな二人の様子に、フィリスは殿として残った二人のティグ族の戦士の姿を思い浮かべる。
区画を脱したフィリス等は、その後も追撃してくるリヴィエトの襲撃に耐え続けたが、いよいよ限界を迎えかけたところで、両名がその場に留まり、三人を離脱させたのである。
尚武の一族であるが故の誇りか、圧倒的な戦力差に向かっていく両名を止める術はフィリス等には無かったのだ。
そして、そんなフィリスの言に答えるサーダもまた、全身に傷を負っている。
精鋭といっても差し支えのないフィリスとフェルミナであったが、それでも一騎当千を体現するキーリアに敵うはずもなく、襲いかかってくるリヴィエト兵はそれだけ膨大。
故に、彼女が二人の盾となる事は必定でもあった。
そして、顔の出すことはないが、行動の端々に蓄積した疲労とダメージが色濃く残っている様が見て取れる。
「先を急ぎましょう。どちらにせよ、我々が行かねば始まりませぬ」
「ええ。分かっているわ」
「っ!? 待ってくださいっ!!」
そして、先へと進もうとするサーダとフィリスに対して、フェルミナがひどく怯えを含んだ声を上げる。
「……? どうしたの?」
「っ!? フィリス様っ!!」
そんなフェルミナに対して、視線を向けるフィリス。その刹那、耳に届くサーダの叫び。
気付いたときには、フェルミナの姿がゆっくりと揺らめいていく。
(…………えっ!? どういうこと??)
そんな様に目を向けつつ、次第に暗がりに包まれていくフィリスの視界。
そして、目の前が闇に包まれる最中、誰かに身体を抱きかかえられるような感覚だけを残して、フィリスの意識は途切れていった。




