第22話 光と影②
昨日は投稿できず、申し訳ありませんでした。
自分は夢でも見ているのであろうか?
眼前の女性の姿にアイアースはそう思わずにはいられなかった。だが、黒みがかった銀色の髪や黒を基調とした軍装に、深紅の裏地と漆黒の表地の外套を身に着けた姿。
それは、アイアースの記憶の中に残るフェスティアその人であった。
「ふむ、なぜ生きているのだ? とでも言いたいようだな」
そんな、アイアースの視線を受けたフェスティアが、力強く手を取り、引き起こしながら口を開く。
当然とは言え、心の内を見透かされていたことにアイアースは少々気恥ずかしさを覚えた。
「そ、それは」
「まあ、当然であろうな。結果だけを見れば、生きていると思う方が不可解だ」
「その通りですね。ですが、影武者の類とも思えません」
「む? 生きていたか。重傷を負っている割にしぶといな」
「私の本領は、武ではなく知と法術にあります故。あの程度の法術で倒されるほど、鈍ってはおりません」
そんなアイアースとフェスティアの耳に、落ち着いた女性の声が届く。
視線を向けると、髪に付いた瓦礫の破片を払い落としながら口を開くヴェルサリアの姿。フェスティアの法術によって不意を討たれたにも関わらず、その身体に傷を負っている様子は無い。
フェスティアの言がたしかならば、彼女は何らかの重傷を負っているようだったが、それはアイアースのあずかり知らぬところでもある。
「そのようだな。まさか、深窓にて囚われの身であった女が、先の謀略を首謀したとは夢にも思わなんだ。どういった手管を用いたのか、ご教授願いたいところよ」
「…………それはそれは、パルティノンの女帝陛下ともあろう御方に、私如きがご教授などと」
「いやいや、他人の功をさも自らの手柄の如く語るその図々しさ。さすがの私でも真似は出来ぬよ」
そして、フェスティアとヴェルサリアは、お互いに目元の笑わぬ笑みを浮かべながら、口撃の応酬を繰りひろげる。
そんな両名の言には、アイアースもまた引っかかる部分が多く存在していた。
「姉上。まさか先ほどまでのことは」
「うむ。私が言うのもなんだが、そなたは若いな。それだけ、この女のペテンを褒めるべきかも知れぬが」
「…………ペテンはどちらでありましょうか。弟君を奮い立たせるべく、でまかせを並べるなどと……。彼が短慮ではければ、戦意を喪失させるだけですよ?」
「なかなか……そうまでしなければならぬほど追い込まれているとはな。愚かな女よ」
「……好きに言うが良かろう。あなた方が、ここで死ぬと言う事実に変わりはありませぬ」
そして、口挟んだアイアースの言を横に流して尚も続く口撃合戦は、ヴェルサリアの言に力なく首を振ったフェスティアに対し、ヴェルサリアが長鞭を振るって、床をピシャリと叩いたことで終わりを告げる。
フェスティアには、挑発以上のヴェルサリアの意図が見えていたようだったが、それは眼前にて対峙する両者の間にのみ存在しているもの。
そして、ヴェルサリアもまた、それだけで終わるような女ではなかった。
「それでは、何故あなたは生きているのです? 女帝陛下」
「なんだ、やるのではなかったのか?」
「それを話すだけの時間は差し上げます。二人の少女が逃げおおせるだけの時……あなた方には、それが必要なのではありませぬか?」
「っ!? 姉上……」
「ふう、嫌な女だな。アイアース、ミーノスやフェルミナのことはさすがの私でも分からない。だが、この女が言うのならば、そう言うことであろうよ」
そう言って、表情を引き締めるフェスティア。
時を稼がれれば不利になるのはこちらも同じであったが、現状、二人の少女。即ち、フェルミナとフィリスは、アイアースとフェスティアにとっては唯一の弱点とも言える存在である。
常に戦いから私情を捨ててきた両名であったが、こと、家族のような存在に関してはどうしても弱さが顔を覗く。
フェスティアとシュネシスがシヴィラ等に奇襲を許したのも、ミーノスが決着を急いで敵の先制を許したのも、サリクスが決定機にあってツァーベルを討ち漏らしたのも、すべては失った“家族”という存在を、二度と失わまいとした結果だったのである。
そして、そんな弱点を、無敵とも言うべき彼らパルティノン皇族に植えつけたリヴィエトと教団の手管もまた、長き時を経て確実に効果を発揮していると言うことである。
それだけに、両陣営の因縁は、お互いの邂逅を迎えぬまま、続いていたと言えるのだった。
「なんのことはない。私が生き長らえたのは、一重に、忠臣達のおかげだ」
そして、そう口を開いたフェスティア。
戦いの続く世界にあって、彼女の口から語られる事実に、主広間だけがその舞台から外され、静寂が支配しはじめていた。
◇◆◇◆◇
耳を付いたのは、大地を揺らす轟音と兵達の喊声であった。
剣の手入れを終え、それに視線を向けていたフェスティアは、突然の事態に眉を顰め、即座に解いたばかりの軍装を身に着けていく。
天幕の外では危機を察した近衛兵達が集まって来ていたが、自身の天幕へ入ることが出来るのはそれが許される人間のみ。
それが許されているリリスや側近の侍女兵達は、すでに現場に駆けていると思われ、情報の確保には今少し時間が必要であった。
「……また、繰り返されるのか」
とはいえ、フェスティア自身、突然の変事とこれまでの生きてきた中で繰り返されてきた陰謀の数々は骨身にしみており、それが何であるのかは無意識の内に悟っている。
そして、そんな自身の脳裏に浮かんだ事実に苛立ち、自身の内部に宿る何かが大きく身じろぎしているような気がしている。
鍛え抜かれた肉体であるが故、腹が目立つことはないが、それまで以上に自身に宿る命の大きさを感じるような気がしていた。
そして、ほどなく駆け込んでくるリリス。
「謀反か?」
「はい。外界とは遮断されて居ります故、周囲に気取られることなく」
短く、そう問い掛けたフェスティアに対し、リリスは眼光鋭くそう答える。
その彼女の表情から発せられる怒気に、フェスティアは敵の正体を確信させられる。だが、自分の分身とも言える腹心の言であっても、憶測のみで片付けるわけには行かない。
「如何なる者の企てだ?」
「陛下。すでに、察しておられるとおりでございます」
そして、手を固く握りしめながらリリスに対してそう問い掛ける。沸き立つ怒りを抑えることもまた、長き苦難にあって自然と身についてもいる。
時には怒気を発することもあるが、そういう時は不思議なほど心の平静は保てているのである。
「…………教団かっ」
そして、リリスの答えに対して、休息に冷えていく心を感じつつ、そう怒気を発したフェスティア。
しかし、あえて怒気を発したとしても、静かに沸き立つ怒りは収まりそうもなかった。
そんな折、再び火球のよる破壊の音が本陣の轟きはじめる。
「シヴィラめ。それほど、私が怖いか」
「黒の者達も侵入してきております。おそらく、確実な暗殺が望みなのでしょう」
出血した手を拭いつつ、天幕を揺らす振動にそう口を開いたフェスティア。
彼女の力を持ってすれば、直接自分の首を狙ってくることも出来そうなモノであったが、今は遠距離からの法術攻勢に徹している様子。
加えて、リリスの言からスラエヴォの悲劇の際に、自分やアイアースに襲いかかった手の者達も加わっている。自身の手でこちらを討つつもりはないのであろう。
自らの手を汚すことなく、得られる利のみを奪い去っていく。
あの人形の如く無感情な表情の下にあるのは、どす黒い女の本性とも言うべき顔であるのだった。
「なればよかろう。私が自ら出向き、その首を飛ばしてやるっ。もはや、ヤツ等に慈悲など無いっ」
「っ!? いけませぬっ。陛下、この場は御身を御案じくださいっ」
「…………リリス。貴様の思いは分かる。だがっ、これ以上ヤツを野放しにしておく事はできぬっ。生きている限り、ヤツはパルティンに害を為すぞっ」
「それもまた。ヤツの元は私が赴きます。おそらく、グネヴィアをはじめとするキーリアも多数集結しているはずっ。陛下の御身に万一のことがあれば」
「私が、ヤツ等に遅れを取るとでも言うのか?」
「正面からの戦いならば、それはあり得ぬ事でしょう。ですが、彼奴等は同じ状況下でもかのリアネイア様を討ち取ったのです。陛下と正面から戦うことなどあり得ませぬ」
静かな怒気を燃やす両者であったが、その思いははじめて正面からぶつかり合う。フェスティアに取ってみれば、リリスをはじめとする忠臣達とともに戦場を駆ける自分が負けるはずはなく、将来を禍根を取り除けるという思いが強い。
対して、リリスにとっては、教団の心根そのものを知っており、いかなる手管を持ってしてもフェスティアの命を奪いに来ることは分かりきっている。
その時、自分や近衛兵達がどれほど奮戦しようと、敵の手段を選ばぬその手管を跳ね返しきる自信まではなかったのだ。
フェスティアとリリス。
まるでお互いが正面から睨み合うその姿は、まるで鏡越しに自分の姿を見ているかのような光景であり、それは絶対に混ざり合うことの無いことを、事実として告げている。
そんな時、対立する両者の言動の渦中に、新たな介入者が現れる。
「…………っ。陛下、遅くなってしまい、申しわけございません」
「っ!? フォティーナ? 貴様、どうやって?」
「シュネシス様より……っ。私がご案内致しますが故、脱出を」
「貴様もかっ!! 貴様も私がシヴィラに遅れを取るというのかっ!?」
「……? 何を言われます? 此度の状況下では、脱出が最優先となる事は明白でありましょう」
柔らかな光が天幕内に灯ると、そこには、片膝をつき、肩で息を荒げるフォティーナ・ラスプーキアの姿。
その表情は青白く染まっており、彼女がこの場に現れるまで、膨大な魔力を消費したことがよく分かる。
だが、そこまでの行動であっても、フェスティアの静かな怒りを焚きつける結果にしかならない。
とはいえ、目の前で声を荒げる主君に対し、フォティーナは普段の彼女が見せることのない純粋な疑問を顔に浮かべると、そう言い放つ。
平時であれば、何某かの奸計を画策している女が見せる純粋な表情。それは、静かな怒りをたたえていた、フェスティアに冷静な判断力を蘇らせる事にもつながっていた。
「…………すまぬ、気が昂ぶった」
「いえいえ。珍しいこともあるのですね」
そして、自らの落ち度を認めるフェスティアに対し、フォティーナは恐縮する素振りも見せずにそう答える。
こう言った不遜な態度こそが彼女本来のモノであったが、今の状況下でもそれを出されれば苛立ちもする。
「そこはよけいだ。ですが、陛下。なればこそ、私はここで、お別れです」
鋭く、フォティーナに対して言い放ったリリスであったが、それからすぐにフェスティアを向き直り、静かに頭を垂れる。
別れ。
そんな言葉に、フェスティアの表情が一気に凍り付いたのは、当然の成り行きでもあった。
「っ!? …………分かっている。分かってはいるのだ」
そして、目を伏せつつ、そう呟くフェスティア。
敵の目を欺くためにも、リリスがこの場に残り、フェスティアと成らねばならぬ事は当然のこと。
だが、それでも、あの悲劇と孤独の日々から、自身を支えてきてくれた分身。その彼女が今、失われようという事実は、フェスティアにとっては大きすぎる衝撃であった。
「陛下……。影として、陛下の御身代わりとしての日々は、私にとってはあまりに過ぎたる身であると同時に、誇りでもありました。今、こうして陛下の御身代わりとなって逝くことは、これ以上なき名誉なのです。過ぎたる事を言わせていただければ、私はパルティノン皇帝として逝くことが出来る。“帝衣は、最高の死装束である”。今際の際の父君の言葉は、決して間違いではございません」
「……なれば、そなたがフェスティアとなれば良かろう。私がリリスとして死にゆくことも」
「陛下。仮に、私が“フェスティア”という女性として生き続けたとしても、お腹の子の母親にはなれませぬ。……あの御方との間に出来た御子。その未来を、大事にしてください」
「…………っ!?」
そして、静かにフェスティアを諭すように語りかけるリリス。
その声は、それまでの凛とした主君の生き写しのような、力溢れる声とは異なり、本物の姉妹を諭すかのような優しい声。
それを受けて、フェスティアは自身の身体に宿る命の鼓動が、大きく脳裏に届きはじめたことを自覚する。
皇帝にはなれても、母親にはなれぬ。
今、この身に宿す子の母親は自分だけである。そんな事実が、フェスティアの心を大きく刺激していた。
そして、フェスティアは無言で、自ら身に着けた軍装に手をかける。
「…………別れは言わぬ。また、会おう」
リリスに背を向け、そう口を開いたフェスティア。その背に対して、目に涙をためたリリスが静かに頷く。
その表情は、柔らかな微笑み包まれていたのだ。
そして、リリスが近衛兵達とともに敵陣へと向かっていく様を見送ったフェスティアは、リリスに付き従う近衛兵やパルティノン兵達に対する罪悪感をひどく感じていた。
彼ら、彼女等が、リリスという一人のキーリアであり、皇帝の腹心に付き従うことを拒むことはない。だが、今のリリスは、フェスティアであり、帝位を偽った人間である。
彼らは、目の前に立つ皇帝とともに死ぬ逝くことを誇りに戦うはずであろうが、それは皇帝その人ではない。
「陛下。お言葉ではございますが、彼らは、真に皇帝と共に戦い、そして散って行くのです。その事実に、偽りはございませぬ」
「フォティーナ……」
「あなた様が生き長らえていたとしても、至尊の御旗とともに戦った事実は決して消えることはございません」
まるで、フェスティアの心の内を見透かしたかのようにそう言うと、フォティーナもまた力無く崩れ落ちる。
その表情は青ざめており、脂汗が全身に浮かんでいる。彼女が相当な無理をして自分の元へとやって来たことの証明でもあった。
「すまぬな。私が鈍っていなければ…………、だが、シヴィラっ」
気を失いかけたフォティーナを支えつつ、そう口を開いたフェスティアは、その視線を交戦が続く方角へと向ける。
「貴様だけは絶対に許さぬっ!! ツァーベルともどもっ、必ずやその首を飛ばしてくれるっ!! 我が、兄弟達ともにっなっ…………!!」
心の内に、静かな怒りの炎を灯し、そう口を開いたフェスティア。
だが、そんな彼女の怒りを発した刹那、得体の知れぬ何かが身体の内部より込み上げ、激痛が全身を包み込みはじめる。
「陛下っ?」
「大丈夫、だ……」
傍らにて、青白い表情を浮かべるフォティーナに対し、そう答えたフェスティアは、歪みはじめた視界に全身を叱咤しつつ、闇夜の中を足を進めていく。
今は、生きることのみに専心せねばならない。もし、自分が倒れるようなことがあれば、自分を信じて逝った者達の思いが無駄になってしまうのである。
そして、フェスティアは、人生で二度目とも言える敗走を、静かにかつ確実にこなしていった。
ほどなく、すべてが終わり、その大地に動くモノの姿は無くなっていく。闇夜の中に、赤子の泣き声がこだましはじめたのは、そんな闇夜が終わり去ろうとした頃のことであった。




