第17話 終焉への息吹
吹き上がった鮮血が周囲を染め上げていく。
地面に降り立ち、その様を一瞥するアイアースは、なおも倒れること無きツァーベルを睨み付ける。
手応えはあった。
後は、吐き出された血が絶えるのを待って、ツァーベルが崩れ落ちるのを見届けるだけである。
「ぐ…………、や、やるじゃないか?」
「っ!?」
しかし、そんなアイアースの意図はすぐに否定される。
吹き出る血を強引に押さえ込み、顔に怒りの炎を燃やしながらアイアースへと向き直ったツァーベルの姿に、アイアースは思わず息を飲む。
頸部を斬り裂かれ、鮮血を舞い上がらせた人間が生きていられるはずはない。
アンデッドのように、死してなおも活動する生命体もあるにはあるが、それは単なる操り人形に過ぎず、生と呼ばれる者には該当しないのである。
だが、こうして眼前に立つツァーベルは、生気に満ちた目でアイアースを睨み、剣を構えている。
「貴様はいったい……っ!?」
疑問を口にするアイアースであったが、それに答えるのはツァーベルの長剣であった。
剣を上げてそれを受け止め、こちらも剣を繰り出すも、それを凪いで、引いた勢いそのままに剣を振るってくる。それを、半歩下がって躱すと地を蹴って再びぶつかり合う。
そんな一進一退の攻防が数合にわたって繰り返され、その都度剣と剣とがぶつかりある乾いた金属音が周囲に満ちる。
そんな中、一瞬、バランスを崩したアイアース。
予想外のそれであったが、次に来る重い一撃を予想するのは容易なこと。
体勢を立て直しつつ、両の剣で長剣を挟み込むように抑えると、ツァーベルの強大な膂力によって後方へと弾き飛ばされる。
予想していた一撃であり、わざと後方へと飛び退いたアイアースは反撃を意図して剣を構える。だが、ツァーベルが斬り込んでくることはなかった。
激しい攻防が一段落し、静寂と焼け焦げた匂いに支配される広場。
「ふっ……、やるじゃないか。ここまでやるとは思っていなかったぞ」
「はぁはぁはぁ。……不死者のクセに、何を言うか」
「不死者? まあ、似たような者か」
「どういう?」
「貴様も同じであろう。人を超越したモノを使役する。我が兵と民をどれだけ焼き尽くしたと思っている?」
「知ったことか。それが戦いだろうっ!!」
にらみ合い言葉を交わすアイアースとツァーベルであったが、ツァーベルは急所を突いても討ち取ることの出来なかった存在であり、戦いを愉しんでいるように見えるその姿は、アイアースを苛立たせるモノでしかない。
「はは、気にしていたか。まだまだ、若いな。だが、それがいい」
「なんだと?」
そんな折に、耳を付いたツァーベルの一言は、アイアースを激高させかけるモノであったが、挑発するつもりの無かったツァーベルにとっては思いがけない反応であり、どこか興味を抱いたとでも言うような表情をアイアースに対して浮かべている。
それに対して、困惑したアイアース。だが、それに対する答えは、その場に馳せ参じた闖入者達によって遮られることになる。
一国の君主と皇子の一騎討ち。
本来であれば、起こりえるはずのない戦いであり、主君の姿を探していた兵達に、戦場における作法などは通用しない。
「大帝っ!! ご無事ですか」
「ああ。しかし、いいところで来るなあ」
「は? あ、ありがとうございます」
「嫌味だ。まあよい、アイアース皇子。お前のその性質、少し気に入ったぞ」
駆けつけた兵士達がアイアースを囲むように包囲し、幾人かの兵士達が盾になるようにアイアースとツァーベルの間に入りこんでくる。
そんな様をツァーベルは苦笑しつつ見つめ、アイアースは舌打ちをしつつ睨み付ける。
一騎討ちですらも討ち取れなかった相手に、決して惰弱ではない兵達が加わったのである。勝利の可能性は一気に減ったと思わざるを得ない。
だが、兵士達に対して苦笑しつつそう告げたツァーベルは、その視線をアイアースへと向けると、不敵な笑みを浮かべる。
「なに?」
周囲を睨んでいたアイアースも、性質を気に入った。というツァーベルの言に、思わず顔を向ける。
戦いの最中に何を言い出すのかも思えたが、この場を切り抜けるきっかけになるようにも思える。
「それに、戦うたびに傷を癒し、その力を増していく。加えて、俺の剣筋を確実に見抜いている……。天才とは貴様のような人間を言うのかな?」
「…………なんのつもりだ?」
「ふふ、まあいい。あそこが見えるか?」
そんなアイアースに対し、不敵に笑いつつそう口を開いたツァーベル。
短い言であったが、それは敵に対する絶賛とも言え、よけいに訝しく思うアイアースであったが、笑みを絶やさぬままツァーベルは、彼の背後に屹立する摩天楼の頂点を指差す。
兵士達とともにそれを見つめるアイアース。そこは、陽の光を受けて光り輝く何かがあるようにも見える。
「あそこは、俺の私室でな。日々、下々の生活を見下ろしているわけだ。俺はあそこで待っている。もし、お前がこの宮殿を突破して、俺の下へと辿り着いたその時は、生身で相手をしてやろう。どうだ?」
「生身? どういうつもりだっ!?」
頂点を指し示し、そう告げたツァーベルであったが、アイアースはなおもその意図が分からず、困惑しつつも声を荒げる。
「敗者に対する勝者の遊びだ。それではな」
「っ!? ま、待てっ!!」
「むっ!? 行かせぬぞっ!!」
そして、それに対して、不敵にそう答えたツァーベルは、懐より小さな結晶石を取り出すと、無造作に地にそれを落とす。
着地と同時に、紋章を地に広げたそれがなんなのかを察したアイアースは、慌ててツァーベルへと向かっていくが、眼前に立つ兵達がその先を阻む。
「そう喚くな。続きはあの場でな」
立ちふさがった兵達を撫で斬りにしながら突き進んだアイアースであったが、優先虚しくツァーベルの姿はそんな言とともに方陣の中へと消えていく。
「っ!!」
「ひっ!?」
それを目の当たりにしたアイアースは、苛立ちをぶつけるように双剣を振り下ろす。
ちょうどアイアースと対峙していた指揮官兵は、そんなアイアースの獰猛な剣伎に、なすすべもなく両断された。
「…………遊んでいやがる」
両断された死体が血の海に崩れ落ち、飛沫を上げる。静寂の中に、届く音を受け、アイアースは静かにそう口を開く。
先ほどまで、全身を襲っていた痛みは消え失せ、今では自分を嬲ったツァーベルに対する怒りだけが渦巻いている。
「まあいい。来いと言うのならば、行ってやる。俺に、僅かな猶予を与えたことを、必ず後悔させてやるぞっ!! ツァーベルっ!!」
剣を構え、遙か上方にある摩天楼を睨み付けたアイアース。その目は金色に輝き、頭部から生える獣耳が毛を逆立たせながら、そう声を荒げる。
そんな怒り猛り狂う白虎となったアイアースの姿に、彼を取り囲む兵士達は、全身を震わせながら、自身の死を確信していたのだった。
◇◆◇◆◇
ミーノスがもたらしたメッセージは、シュネシスの意図と合致していた。
眼前の戦場では、兵士達が降り注ぐ火炎や閃光に耐え、襲いかかってくる剣撃の光を躱しつつ奮戦を続けている。
兵士達の上方より降り注ぐ火炎や閃光。それを吐き出すのは、アイアースの法術によって外縁部を破壊された浮遊要塞である。
外縁部に配置されていた巨大砲塔は完全に破壊され、赤き巨星の破壊にも耐えた障壁も破壊されたのだが、取り払われた外縁部に変わって出てきたのは、無数に配列された中規模砲塔。
砲撃間隔は巨大砲塔のそれよりも早いが、都市を破壊することはおろか、一撃で人に致命傷を与えることも不可能ほどの威力。
だが、砲撃をまともに受ければ吹き飛ばされるし、幾度となく攻撃に晒されれば、次第に身体は消耗していく。
加えてこちらの戦力は相変わらず相手に劣っている。
ハインやエミーナの毎度の奮戦には助けられ続けているが、もはや時間はほとんど残されていないのである。
「内部へと侵入し、動力機関を破壊……。たしかに、要塞を無力化し、敵の戦意を挫くにはこれしかないでしょうね」
「そうね。これにかけるしかない」
傍らにてそう呟くフェルミナの言に、フィリスはゆっくりと頷く。
彼女の言の通り、キーリアと飛空部隊を中心とした決死隊を浮遊要塞内部へと送り込み、破壊工作を行う。
だが、戦力に劣る以上、長き時を掛けるわけには当然行かない。
それ故に、キーリアとティグ族の精鋭一部。そして、飛天魔の前線力を投入する。
これは、地上部隊が二刻に渡って耐えきれる限界値を割り出しており、それ以上の時間が経過すれば戦力によって押しきられることは自明。
リヴィエト側もまた、これまでの戦いを生き抜いてきた最精鋭が相手であるのだ。
「二人とも、よろしく頼むぞ」
「陛下……」
そんなフィリスとフェルミナに対し、フォティーナとアルテアを伴ったシュネシスが歩み寄り、二人の肩を叩く。
当初、シュネシスは直々に指揮を取り、浮遊要塞を破壊するつもりであった様子だが、すでに彼の身は一人の戦士でも指揮官でもなくなっている。
ユスティアス、ゼノス、フェスティアと、続けざまに戦場にて皇帝を失っているパルティノン側からすれば、そのような危険は万に一つも残したくないのである。
決死隊の指揮を取るミーノスや今も前線にて奮戦するサリクスの必死の説得。そして、フォティーナが差し出した印綬によってようやく納得したシュネシスであったが、眼前の彼は、自分達を死地へと送り込むことをいまだに悔やんでいる様子だった。
そして、彼らの見送りを受けたのを見計らい、出撃を告げる太鼓の音が原野に響き渡る。
「……行って参ります。陛下」
「必ず殿下とともに、戻って参ります」
それを受けて、フェルミナは自身の持つ漆黒の翼を羽ばたかせ、フィリスは騎乗する鷲獅子に対して手綱を入れる。
飛竜などと同等の速度を誇る生物であったが、気性は荒く、非常に好戦的であり、乗り手を虚空にて振り落とすこともありうる。
だが、速度が重視される今回の戦いにあっては、大人しい鷲馬を使うわけには行かないのである。
ほどなく感じる浮遊感。
フィリスの目には、蒼天の中に浮かび上がり、取り取りの閃光を大地に向け続ける浮遊要塞の巨大な威容が映っている。
その圧倒的な姿に、思わず息を飲むが、上空にて滑空し、必死に陣形を整えていくうちにそんな恐れも収まっていく。
恐怖はなりを潜め、戦いへの昂揚が全身を支配しはじめているのだ。
「行くぞっ!! 総員、出撃せよっ!!」
そんな時、部隊の先頭に立つミーノスの苦痛に顔を歪ませながら声に、フィリスも改めて表情を引き締める。
途端に速度を上げていく鷲獅子。ほどなく、ミーノスの背後へと取り付くように、飛空すると、振り返った彼と目が合い、互いに頷きあう。
そして、自身の両隣をフェルミナと飛空兵の背後に座るジル。ミーノスの左右を挟むように、竜騎士であるルーディルとイルマが飛竜を駆る。
それは、ミーノスよりも自分達を守るかのような布陣であった。
だが、それに対して安堵している余裕は無い。要塞下部に備え付けられた中砲台が、こちらの接近に気付き、その砲門をこちらへと向けてくる。
と同時に、色とりどりの光りがこちらに向かって襲いかかり、回避に失敗した飛空兵達を弾き飛ばす。
それを見て取ったミーノスが、即座に腕を天へと掲げると、歓声とともに背後を飛んでいたヒュロム率いる飛天魔達が上方へと高度を上げていく。
それは、中砲台へと身を晒すかのような行動であり、リヴィエト側からすればわざわざ的になり来たとしか思えない行動。
そして、それは事実である。
飛空能力に優れる彼らは、敵砲台を惹きつけるための囮を買って出たのである。
「お兄様っ!!」
「よそ見をしちゃダメよっ!! 前を見なさい、姫様っ!!」
そんな飛天魔達の意図を知るフェルミナは、遠ざかっていく兄の姿に声を上げる。
白き翼を持つ空の住人達の中に入れば、黒き翼を持つ彼女の姿は非常によく目立つ。アイアースの下へと言う建前は、ヒュロムなりに妹を囮任務から外すための方便でしかない。
そして、そんな意図を理解しているからこそ、眼前にて飛竜を駆るイルマの声が大きく突き刺さるのである。
キーリアと言えど、本来空に生きるべき人間。
前をみろというのは、この後突き付けられるであろう、結末から目を背けるなと言う意味である。
現に、飛天魔による陽動によって降り注ぐ砲火は目に見えて減っているのだ。
「行くわよっ!! フェルミナ」
それを受け、フィリスは傍らを駆るフェルミナに対してそう口を開くと、さらに速度を上げる。
浮遊要塞の外壁が大きく眼前に広がり、目的とする場は目前に迫っていた。




