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第15話 巨星起つ

 浮遊要塞来たる。


 その報を受けたパリティーヌポリスでは、シヴィラとアイアース皇子が、それぞれに巫女と皇帝としての正装を身に纏い、浮遊要塞へと赴くための用意を終える。


 浮遊要塞はセラス湖中央部に着水し、そこで待つシヴィラとアイアース皇子をはじめとする帝国首脳の出迎えを受け、降伏文書の調印と式典。それから、二人は身柄を浮遊要塞へと移し、リヴィエト側から占領戦力が上陸してくる。


 イースレイはその一連の流れを不快な思いと共に見つめていたが、すでに自分に教団を止める資格は無いことは悟っている。


 今、自分に出来ることは、シヴィラと偽皇子の身を守ることのみであり、それは近い鬱に必要になってくるという予感がたしかにある。


 そう思うと、彼は居ならぶ教団幹部達とともに巫女と皇子の登場を待っていた。


 宮殿内で淀みなく事が進むのに対し、市街地は平静と行った様子に包まれている。


 もっとも、浮遊要塞接近の報を受けた後は、それまでの沈黙から抜け出し、ざわめきと共にセラス湖北辺へと視線を向ける市民の姿が数多く見られた。


 その様子に、それまでの沈黙を苦々しく見つめていた教団の幹部達は、恐怖には勝てないのだろうとそれまでの沈黙や帝室に対する民の忠誠心を嘲っている。


 イースレイは、ざわめきはあっても暴動や反抗の類が見られないこと。そして、物流が耐えることのなく続いている状況に、帝国の民はまだまだ絶望していないことを察している。


 すでにユマをはじめとする共存派は除かれ、帝国の破滅のみを願う狂信者共が中枢を締める教団幹部達は、その程度のことすらも察することの出来ない俗物が大半であるのだ。


 リヴィエトの後ろ盾無く彼らが国政を執ったすれば、その寿命は共和政権よりも短く、かつ暴虐な治世となる事は想像に難くない。



「待たせたわね。行くとしましょうか」



 そうしているうちに、正装に身を包んだシヴィラに続き、アイアース皇子とされる青年が姿を現す。


 イースレイをはじめとする幹部達は、形式として頭を下げるも、多くがその姿を見下している。



「なかなか、様になっておりますね。どこからどう見ても、アイアース皇子その人でありますよ」



 そんなアイアース皇子に対して声をかけたのは、浮遊要塞の到着に先んじて派遣されてきたリヴィエトの法科将軍と呼ばれる男。


 名をヴェージェフというが、彼の率いる集団は、教団が飼っている黒の者達と酷似している精鋭。加えて、今の“アイアース皇子”を“創り出した”ように、謀略や工作の類に長けた集団なのである。


 そして、シヴィラを担ぎ上げた教団の主戦力を担い続けてきたのも彼らであり、リヴィエトの本格侵入に先んじて、彼らはフェスティア率いる帝国側との暗闘を続けてきたのである。


 ハインやエミーナが野に下ったのもすべては彼らとの戦いのため。そして、イースレイもまた、彼らと剣を交えたことは一度や二度ではない。



「そうかよ。そりゃ、作った顔なんだから当然じゃねえか」



 そんなヴェージェフに対して、乱暴な口調で答える“アイアース皇子”。


 先頃の演説のような作りだした声ではなく、女性を想起させるかのような高く柔らかな声である。



 そして、それは当然であったのだが。




「そもそも、なんであたしがアイアース皇子の役なんかしなきゃ成らないんだい? 適当な男でも探してくればいいだろうに」


「いくら作り出せるとは言え、元々の顔立ちというモノがありますのでな。貴方はアイアース皇子にそこそこ似ておられましたので」


「加えて、キーリアという立場もある。アイアースの成りすましが、簡単に殺されでもしたら意味がないからな」




 眼前のヴェージェフとロジェスに対して声を荒げる皇子。


 彼、否、彼女は歴とした女性キーリアであり、体格に差はあれどその顔立ちがもっとも似ていることを理由に偽物役に選ばれたのである。


 普段通りの格好をしていれば、決して正体を悟られないというのも女性を選んだと言う大きな理由でもあるそうだった。



「そろそろ行くわよ」


「はっ」




 と、眼前でのそんなやり取りに飽きたのか、面倒くさそうな表情で口を開くシヴィラ。


 この後、彼女はアイアース皇子とともに、帝国の民を救う人質として浮遊要塞に赴くことになる。


 もちろん、それは事情を知らぬ者達への狂言であり、帝国の民の自由と平穏のために祖のみを犠牲にした救世主を演じるためのもの。


 事実は、リヴィエト皇女としての帰還であり、彼女の犠牲によって得た自由と平穏は、徐々に消えていく。


 リヴィエトにとっても、狂信派の幹部にとっても、帝国の民は護るべき存在ではないのだった。


 街路をゆっくりと進む中、こちらへと視線を向けてくる民衆に目を向けたイースレイは、これから行われる茶番を思い浮かべつつも視線を落とす。



 彼らが向けてくる視線に絶望はなく、我が物顔で街路を歩く、侵略者と反逆者に対する静かな怒りに満ちているのだ。




「罵声の一つでもあげればいいモノを。馬鹿どもは満足のようだがな」


「この国の民はあきらめないと言うことでしょう。シュネシス皇子をはじめとする皇族の生存は漏れているでしょうし」


「だろうな。まあ、私はもう失敗した身だ。この国どうなろうと知ったことではない」



 イースレイが民衆から目を背けた様子を傍らにて見ていたロジェスが静かに口を開く。お互い、視線は交わさず、口もほとんど動いていない会話であり、外に漏れることは無い。


 そして、彼はすでに帝国における工作に失敗し、中央にて返り咲く機会を失っている。そのため、今はことの成り行きを見つめる事のみを考えている様子だった。



「さて、浮遊要塞にまで戻れれば良いですがね」


「…………やはり来るか?」


「聞くまでもないでしょう」




 そんなロジェスに対し、イースレイは先ほどより感じる何かの正体を暗に告げる。


 皇族の生存と時間の問題となった降伏文書への調印。


 事を公にした以上、アイアース等はこの場に現れざるを得ないのである。


 すでに、主戦力を喪失し、圧倒的な劣勢であっても、帝国の滅亡を座してみていることは許されない。


 それがパルティノン皇族の誇りであり、千年の時をこの大陸の覇者として君臨してきた者達の意地でもあるのだ。




「ふ、お前も、心はパルティノンに在りか」



 そんなイースレイに対し、ロジェスは彼の本意を見抜くかのように口を開くが、それに対して、イースレイは何も答えるつもりはない。


 たしかに、時代が違えばすぐにでも巫女や幹部達の首を取って皇子達の元へと駆けつけ、身命を賭してリヴィエトとの戦いに望んだであろう。


 事実、フェスティアの元では、リヴィエト法科軍団との暗闘に参加し、彼女の親征にも協力してきたのだ。


 しかし、今のイースレイにその資格はない。フェスティアの暗殺に加わったという事実は決して消えることの無い大罪であるのだ。




 その罪を償うことと。そして…………。




 出立のために用意された船の傍らにまで歩みを進め、眼前の巫女へと視線を向けたイースレイ。


 しかし、彼は、そして周囲の聡い者達は、一つの変化を感じ取っていた。




「…………来たのね」




 そして、静かにそう呟くシヴィラの言を境に、それまで快晴を保っていた空に雲が広がりはじめ、昼にも拘わらず周囲は徐々に暗がりに支配されていく。


 起こり始めた風。遙か彼方より聞こえはじめる怒号。そして、徐々に姿を大きくさせる浮遊要塞の眼前にて、輝きはじめた赤き光。



 静寂の時は過ぎ去り、動乱の時が、今まさに始まろうとしていた。




◇◆◇◆◇




 肥沃な原野を越えると、出迎えたのは光に満ちた泉であった。


 永久氷域を超え、北辺を蹂躙し、原野での戦いを経て辿り着いた地は、まさに人と自然の作りだした天地とも言える光景。


 青き湖を中心に、美しい緑野と点在する街並みは自然の調和を実現している。


 それは、決してリヴィエト本国においては味わうことの出来ぬ自然の脅威と呼んでもいいのかも知れなかった。




「改めてみても、破壊してしまうには惜しい大地だな」



 眼前に広がる光景に、ツァーベルは静かにそう口を開く。


 形の上では、パルティノン側の降伏は決まり、この浮遊要塞や生き残りのリヴィエト兵達による攻撃は無い。


 だが、もしそれがだまし討ちとも成れば、全力を以てそれを破壊する。


 それだけの心づもりがツァーベルにはあり、そして彼はそれを望んでいる。フェスティアと戦う機会を奪われ、シュネシスには一泡吹かされた状況。


 何よりも、本国を出た際に抱えていた百万を超える軍勢の内、すでに五十万以上が冥府への扉をくぐっているのである。


 臣下の為した策とは言え、戦いの勝利がないままでは、異国の地に散った同胞達に報いることはない。




「何を、待っておいでですか?」


「ん? さてな」




 傍らに立つアンジェラの言に、ツァーベルは含み笑いをこめて答える。


 負傷したヴェルサリアに代わり、実妹のアンジェラが代理参謀としてツァーベルの傍らに立っている。


 すでに、皇女の地位を返上し、ツァーベルとの関係を絶っている彼女であったが、こと軍務に関しては君臣の礼を破ることはない。


 ツァーベルの傍らにあり続けた姉ヴェルサリアに対しては複雑な思いを抱いている様子だが、今は、戦場に散ったスヴォロスへの思いから、主君の補佐に全力を尽くそうとしている様子だった。




「……生き長らえているパルティノンの皇子達。それを待って居るのではございませんか?」


「ほう? なぜ、そう思う」


「彼らは必ず我々の前に現れる。状況と彼らの性質を考えれば、答えは自明でかと?」



 そして、話をはぐらかそうとするツァーベルに対し、鋭い視線を向けてその真意を口にしてくるアンジェラ。


 それは正鵠を射ており、先日、シヴィラより告げられた、パルティノンの第四皇子、本物のアイアースの出現をツァーベルは今か今かと待っているのである。




「ふ、そうだな。その――――む?」




 そして、そんなツァーベル等の眼前に、一頭の飛竜の姿が映る。


 それに伴い、快晴の空に暗雲が立ちこめはじめ、陽の光を遮りはじめる。そして、ほどなく飛竜は浮遊要塞の眼前に立ちふさがるかのように羽ばたいている。


 そして、その飛竜の背に立ち、こちらへと視線を向ける一人の男。


 その姿は、雲間より大地へと降り注ぎはじめた陽光を受け、その黒と白の髪を鮮やかに輝かせていた。




「…………来たか。第四皇子」




 眼前に立つ男の姿を目にしたツァーベルは、玉座から立ち上がり、口元に笑みを浮かべつつそう口を開いていた。




◇◆◇◆◇



 


 全身を高揚感が包み込んでいる。


 空は暗雲によって支配され、大地には暴風が吹き荒れはじめている中、アイアースは右手に灯った赤き光りをさらに強めつつ、眼前に迫り来る要塞を睨み付ける。



 暗雲の中を、雷を纏いながら突き進むその姿は、まるで冥府より現れた魔王の如き威容。


 そして、見るモノのすべてを圧倒させるだけの姿を、見せつけながらこちらへと迫ってくる。



 その姿を目にしたアイアースは、なおも込み上がる高揚感を必死に抑えながら瞑目し、刻印に対して意識を集中させていく。



 刻印が肉体を活性化させ、血の巡りが盛んになっていることがよく分かる現状。そして、その高揚感の先に見え隠れしている破壊への衝動。



 それに屈し、暴走してしまえば待っているのは自身とそして大地の滅びであるのだ。



 そして、今はまだ時を待つしかない。



 ミュウをはじめとする帝国軍の法術部隊が、威力を軽減するべくその身を削っている。


 それは、浮遊要塞のみを包み込み、大地への影響を軽減させるための法術。それには膨大な魔力を必要とし、その中心にある彼女は、まさに命を賭けてそれに望んでいる。



 すでに、自分だけの戦いではないのだ。




「っ!?」




 そんなとき、アイアースの眼前にて浮遊要塞を包み込むような光りが灯り、一瞬の後にそれは消えていく。


 法術が完成し、それによって刻印の力による影響はは最小限に抑えられる。



「アイアース。帝国が生きるも死ぬも、お前次第だ。頼んだぞ」



 静かにそう口を開いたミーノスに対し、アイアースは無言で頷く。


 やがて、刻印に向けた意識の中に、赤い光りが灯りはじめ、多くの人間達の姿が思い浮かぶ。




 すべてを失いながらも帝国のために戦い続け、その一部を取り戻した兄弟達。


 帝国が崩壊し、その誇りすらも奪われながらも戦い続けた帝国の守護者達。


 そして、蒼穹の御旗の下に集い、その御旗の守護者と共に戦うことを誇りとした数多の戦士達。




 そして、最後に浮かび上がったのは、祖国を思い、友を思い、愛する者達を思いながら散っていった数多の者達の姿。




 それらの先頭に立つ一人の女性が、アイアースに対して力強く頷くと、ゆっくりと、そしてはっきりと耳に届く声で語りかけてくる。




『帝国を頼んだぞっ!! アイアース』




 はっきりと耳に届いた声。


 それは、紛れも無きフェスティアの声。目を見開き、眼前の浮遊要塞を睨むアイアースは、その声に導かれるようにエルクの背を蹴り、大空へと身を投じる。



 右の手に灯った赤き光りが全身を包み、アイアースの肉体は虚空にて浮遊要塞と対峙するように停止する。

 


 刹那。



 アイアースの目には、彼を導くかのように手を差し出すフェスティアの、リアネイアの、イレーネの、ゼノスの姿が次々に浮かびはじめる。



 それに答えるように右腕をかざすアイアース。




 暗雲と暴風雨に支配された大地に、赤き巨星が産み出されたのは、その刹那のことであった。

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