第9話 交錯する運命
偵察任務において負傷したミーノス。
ターニャには彼を連れて戦場を離脱することが精一杯であり、シュネシスの敗北がいかなる過程に置いて引き起こされたのかを知る術はなかった。
「ただ、戦場を離脱してからほどなく両軍が激突を開始した。おそらく、私達が戻らぬことで、シュネシスはツァーベルの所在を読んだのだろう。結果は、皆が知る所だがな」
フェスティアの死からクルノスにおける敗北までの経過を語ったターニャが話を終えると、手当てを終えたミーノスがアイアースの本営にまで運ばれてくる。
顔色も戻りはじめ、後は回復を待つばかりであるとのことだった。
「よかった……。む? なんだ?」
「いや……、なんにせよ。兄上を救ってくれたこと、感謝します。しかし……」
「少なくとも、私は彼に恩がある」
アイアースは、眼前にてミーノスへと向かうターニャの視線に、やはりとある感情を感じずにはいられなかったが、この眼前の女竜騎士。正確には、敵国の皇女に当たる人物が、信用にたる人物だと言うことはよく分かる。
話の中にあった、シュネシス等の意図も、彼女の人柄を見込んでのことであろう。
しかし、そうなれば、彼女に祖国に対する重大な裏切りを強いることにもなる。詭弁を弄したところで、純真な彼女がそれを受け入れるには、相応の手管が必要になってくると思えた。
「して、どうするのだ? 主力部隊が敗れ、フェスティアの死が全土に知れるのは時間の問題だぞ?」
「分かっている。――ユクリアナ各地に斥候を飛ばせ。各地に潜伏している諜報部隊から情報を得、状況をまとめる。浮遊要塞に戦いを挑むにせよ、私一人でどうにかなる問題ではない」
ターニャとミーノスの様子に、思考を巡らせるアイアースであったが、ターニャの指摘に対し、先ほどから全身を駆け巡る激情を抑えつけつつ、この場に集う者達に対してそう口を開く。
長く戦場から離脱していた身。情報はいくら集めても足りないぐらいなのだ。
「うむ、それがよかろう。とはいえ、我々ではそのあたりは役に立たぬがな」
「その任は我々が。しかし、殿下。いつまでもこの地に留まっているわけにも参りますまい。南下し、ハリエスク要塞守備隊と合流してはいかがでしょうか?」
「では、叔父上は私と一緒に移動の用意を、ジルはフィリスとヒュロム殿とともに斥候部隊の選定に当たってくれ。ヒュロム殿、移動に優れる飛天魔の力、お貸しください」
「当然だ。好きに使ってくだされ」
「はい。みんな、状況は苦しいが、決して絶望はしない様にしよう。少なくとも、俺はまだ負けたつもりはない。今は、最善を尽くしてくれ」
そんなアイアースの判断に、皆も一様に頷く。
フェスティアの死という巨大な同様に比べれば、一個の敗戦などを気にする事は無い。
これまでどれだけの苦しみに耐えてきたのか。この場に集う者達からすれば、苦労は慣れたものであるのだった。
そして、彼らの知らぬところで起こった戦いの趨勢。それもまた、時とともに彼らの知る所となっていく。
◇◆◇◆◇
敵軍の先鋒はすでに視界にとらえていた。
その数はおよそ一万であり、こちらの前衛部隊に対して挑発行動を取り始めている。それに対し、前衛部隊も遠距離攻撃を繰り出すが、互いに激突には至っていなかった。
シュネシスは本陣をかまえた丘からその様を見つめ、唇を嚼む。
「陛下。東へと向かった一隊はすでに捕捉が困難な位置にまで進出しております。これ以上は……」
「分かっている。ミーノスはまだ、戻らぬのか?」
「はっ……。すでに二刻以上が経過。なれば……」
「迂闊だったか。いや、あいつならばそうするだろう」
そんなシュネシスに対し、ゼークトが表情を引き締めつつ決断を促す。
北へ向かうか、東へと向かうか。
敵に先手をとられた以上、こちらは両面に対して応じるしかない。
兵力の分断という愚を犯さざるを得ないが、そうしなければならない状況を敵に作り出されてしまった。
正面からの決戦に眼を奪われていたのは、パルティノン側もまた同様であり、兵力に勝るリヴィエトは、兵力の分断を可能にするだけの余裕がある。
と、ここまでは多くの人間が考えること。
シュネシスもゼークトも、敵の意図に乗ってやるつもりは毛頭無い。
斥候に出した第二皇子ミーノスはいまだに姿を見せていないが、彼が姿を見せぬ以上、その先にはある人物がいるはずなのである。
そんなとき、諸将の前に猟師の衣装を身に着けた一人の男が、音もなく現れる。
「陛下……」
「む? ――お前か。待っていたぞっ!!」
一瞬、ざわめく天幕内であったが、すぐに手を上げて諸将を制すると、シュネシスは男に対して視線を向ける。
彼はフォティーナ等とともに長きに渡ってシュネシスを支えている間諜であり、今回の戦に当たっても、各地の偵察陣地や斥候達と連携しつつリヴィエトの動向を探っていた。
さすがに飛空部隊の眼には敵わず、リヴィエト側の特殊部隊との暗闘を繰り返していたため、有益な情報を持ち帰ってはいなかった。
しかし、彼が諸将の前に堂々と姿を現すと言うこと。それは、シュネシスが求める情報を手にしたという証でもあった。
「はっ……。リヴィエト東部方面部隊は現在タニア村西方5里の地点にあり。北部方面部隊は、ドニエスル川南岸にて埋伏。それぞれ、5万と10万に別れ、東部方面部隊には、大帝ツァーベル・マノロフの姿がっ」
シュネシスの言に、男は表情を動かすことなくそう告げると、諸将は一斉に顔を見合わせ、息を飲む。
ここに来て、念願の敵軍の動向を知ることが叶ったのだ。
「総員、出撃。全軍で東に向かう」
「陛下っ?」
そして、男の報告に静かに口を開くシュネシス。
一瞬にして、周囲を引き締めるだけの闘気を全身から発し、諸将はその様子に思わず息を飲む。
しかし、彼の言を待ち、北か東のどちらに配されるかを気にしていた諸将の多くには、彼の言は予想外でもあった。
「陛下。北の軍を無視すれば、多くの負傷兵や民間人の残るキエラをはじめとするユクリアナ地方が蹂躙されまするぞ」
ツァーベル・マノロフは東にいる。だが、北に控えているリヴィエト軍の脅威を払拭するのは簡単なことではない。
キエラを中心とするユクリアナ地方は、帝国屈指の穀倉地帯。
過去にこの地方を襲った飢饉は、帝国全土の食糧事情を悪化させ、シヴィラによる反乱を成功させた。
それだけ巨大な影響力を持っており、万が一ここがリヴィエトによって蹂躙されれば、帝国は同じ轍を踏むことになりかねない。
農地は種をまけば作物が生まれるわけでなく、破壊された土地に再生には長き時が掛かるのだった。
反問した将軍をはじめとする諸将にはそのような懸念が払拭できていないのだ。
「そこまでの時間はかけぬ。目指すは、敵将ツァーベルの首のみっ!! 他には一切眼をくれるなっ。出るぞっ!!」
「はっ。怖じ気づく者は残れ、戦の邪魔だ。我々は行く」
「元々、数の上じゃ不利なんだ。わざわざ敵が分散してくれた以上、戦わない手はないぞ」
しかし、そんな将軍達の懸念を、一蹴したシュネシスに対し、エミーナとハインが力強く応じ、諸将に対してそう告げる。
元々、長期戦になればこちらが不利になる。そして、原野での戦いであるならば短時間で決着はつく。
二人をはじめ、出陣に賛成する者達にとっては、逡巡こそが過ちであった。
原野に角笛が鳴り響いていく。
その音が徐々に風に飲まれていき、やがてその音は原野を揺るがす大地の嘶きへと変わっていった。
そんなパルティノン軍を、後方にて視界に捉え、ほくそ笑む男。
先ほどまでの猟師風の格好から、臙脂色の外套に姿を変えると、次第に男の顔から皮膚が剥がれ落ち、それまでとは別の顔が現れ始める。
「ふふふ、シュネシスよ……。臣下を信じるとこは、君主としての美徳。だが、過ぎたる信頼は破滅を呼ぶのだぞ?」
目元の笑わぬ笑みを浮かべたその男、ディミト・ヴェージェフ。
リヴィエト軍法科部隊を率いる将軍の一人であり、リヴィエト中枢に入りこむ勢力の一員である彼にとって、敵の間者に化けることなど容易なことであった。
そして、ほくそ笑む彼の視線の先にて待つもの。それを知る術は、今のパルティノン軍には何もなかった。
◇◆◇
予想外と言えば予想外な動きといえた。
全軍を東に向けたパルティノン軍にあって、その先鋒とになうのはエミーナとハインの両将。
テルノヴェリでも自分達の突撃から戦端が開かれ、最終的な勝利を演出したことは両者にとっては大きな誇りとなっている。
そして、そのすぐ後方にはシュネシス直属の騎兵が列を成し、ヴァルター、オリガ、メルヴィルの三将が両脇と背後を。さらにそれを包み込むように、ゼークト以下四名の老将達の部隊が展開している。
主戦派と呼べるパルティノン側の首脳陣であり、その後方から着いてくる部隊の大半は、出撃に懐疑的な将軍達である。
指揮系統が一枚岩になれなかったことは大きな失点であったが、兵達は原野を駆ける新皇帝の姿に安堵し、意気盛んに原野を駆けている。
少なくとも、出撃することでシュネシスは皇帝たる地位の一歩を踏み出した形になったのだ。
そんな中、エミーナの眼前に映る敵軍の姿。
北方より現れた敵軍先陣の一万であったが、こちらの出撃に先だって、東方へと逃走を開始している。
戦力差は隔絶しており、逃走を図るというのは別段おかしな事ではないが、東に進路ととったことと、まったく乱れる様子を見せていないことがエミーナには引っかかる。
ハインも同様なのか、原野を駆ける彼と視線が何度も交錯する。
整然と兵をまとめ上げられるだけの力量を持つ指揮官なのであろうが、そんな人間がわざわざ数で劣る味方の元へとこちら側を誘うとは思えない。
全軍が東へ向かったのであれば、一時北へと退き、状況を見て南進すれば良いだけのことである。
「わずか、五万で我々と対峙するか?」
疾駆を続けつつ、そう呟いたエミーナ。
とはいえ、彼女自身、本当にリヴィエト軍がそれだけの数で行軍しているとも思っていない。
あれだけ激しい戦闘があり、浮遊要塞という絶対的な武器もあるリヴィエト軍。
戦いの間隙を縫って、兵を送り込むことも十分に可能であり、伏兵の危険性は常にあると考えている。
そんな折、エミーナは鐙に掛けた長弓を手に取り、馬に揺られながらそれを一気に引き絞る。
敵軍はこちらを誘っているのか、時折足を止めて弓を射掛けてくる。次の攻撃もそろそろであった。
「っ!!」
そして、案の定足の鈍った敵軍に対し、エミーナは引き絞った矢を放つ。
十分に時間をかけ、法術の詠唱も十分。大地の力を得た矢は空気を斬り裂きながら敵軍へ向かい、こちらを向いていた騎兵を後方へと弾き飛ばす。
すると、矢を中心にして巨大な岩盤が地下より突き上げられ、周囲のリヴィエト兵をなぎ倒す。
「ちっ、逃がしたか」
しかし、それを見て取った敵指揮官は素早く兵をまとめると再び逃走を開始する。
残されたリヴィエト兵は、疾駆してきたパルティノン軍に文字通り押しつぶされ、たったの一撃で数を大きく減らす形になった。
それでも、敵軍はこちらを挑発しながらの後退を辞めようとはしなかったのだ。
「やはりか」
再びの呟き。
エミーナはハインへと視線を向けると、彼も同様のことを考えたのか、こちらへと視線を向けている。
あえてやはりと言ったエミーナ。そして、それに肩をすくめながら応じるハイン。
視線の先では、広大な緑の海の中に浮かぶ島の如き森林が横たわり、その合間を僅かな間道が通っている。
この森林は、クルノス盆地と呼ばれるクルノス川の浸食によって草原に産み出された盆地に通じるなだらかな坂が続いており、伏兵を配置するには絶好の地形。
加えて坂を下りきった先には、広大な平坦な草原が広がっており、騎兵の行動を妨げるモノは何もない。
そして、眼前の敵軍はまさにその間道を駆け下りて行ったのだった。
◇◆◇
クルノス盆地の入り口に差し掛かると、全軍の動きは緩やかになり始めていた。
隘路とまでは行かぬモノの、大軍の行軍には不向きな道。加えて、敵軍の伏兵が待ち構えている可能性が大きい道。
先鋒のエミーナに任せておけば大きな問題はないと判断していたシュネシスであったが、それでも鼓動の高鳴りは隠しようがない。
「いるでしょうか?」
「おそらく」
傍らにて馬を進めるゼークトと後方より駆けてきたヴァルターの声が耳に届く。
手のモノよりもたらされた敵の動きから、二人はリヴィエト軍の動きを読み切っている。エミーナやハインも同様で、東部方面へ向かった敵がこちらを待ち構えるには最適な地形がこの地。
先ほどまでの陽動部隊の動きを見れば、リヴィエトがこちらを誘っているのは明白でもあった。
「皆、心せよ。この先の間道は、大軍が動くには不向き。伏兵は必ず思っておれっ!!」
「は、ははっ!!」
両将に顔を向け、お互いに頷き合ったシュネシスは、周囲の騎兵達に向けてそう声を上げる。
歴戦の騎兵達であったが、それ故に待伏の脅威は身に染みている。加えて、こちらは騎兵が中心。
奇襲には弱い。
そして、ほどなく前線の兵が坂を下り終え、こちらの番となろうかとしていた。そんなとき。
「陛下っ!!」
後方より、伝令と思われる将校が声とともに駆け寄ってくる姿。その表情は青ざめており、変事があったことを容易に想起させる。
「何事か」
そして、伝令を呼び止め、青ざめる彼から書状を受け取ったゼークト。そんな彼もまた、書状に眼を落としながらその表情を顰めさせていく。
「陛下……」
「何があった?」
差し出された書状をひったくり、眼を落とすシュネシス。
書状の差出人は、フォティーナとアルテアの連名。そして、その内容は、次の通りであった。
『シヴィラ・ネヴァーニャ、パリティーヌポリスにて謀反』
「先日。フェスティア様の死を受け、信徒兵とキーリア達とともに決起した由。すでに、帝都に残っていた官僚や守備隊は粛清されたモノと」
書状から顔を上げたシュネシスに対し、ゼークトの言が静かに突き刺さる。
予期していたこととはいえ、最悪の状況で事を起こした教団。フェスティアを討ったことによって信徒兵からの信心も失ったモノと思っていたが、それでもキーリアを中心とした狂信集団の力は、守備隊や官僚達が抗えるモノではない。
そして、シヴィラが帝都を制圧した以上、残る自分達パルティノン帝室を殲滅すれば、勝利はリヴィエトのモノ。
シヴィラか教団の幹部を皇帝なり教皇に仕立て上げて、ツァーベルに頭と垂れさせることも出来る。
戦の際にあって、常にこちらに対する最悪手をとってきていた。
「…………追い込んでくれる。つまり俺は、国民を捨て、戦い選んだ愚帝と言うことか」
書状を握りしめ、腹の底から声を絞り出すシュネシス。そして、そんな彼の耳に、前方からの歓声が届く。
「今度は何事だっ!!」
「伏兵ですっ!! 前衛部隊が伏兵とぶつかりました」
「陛下っ」
「うむ。こうなってどうにもならんっ!! ツァーベルとシヴィラ。親子ともども、パリティーヌポリスに首を並べてやるっ。全軍、坂を下りるぞっ!! ヴァルターっ、一緒に来いっ!!」
「はっ!!」
書状を引き裂きながらゼークトの言に頷いたシュネシスは、声を上げ、馬腹を蹴るとヴァルターを伴って一気に間道となっている坂を駆け下りていく。
途中、伏兵と交戦する前衛部隊の姿。
狭い道にて派手に暴れ回るエミーナとハインの姿を一瞥すると、シュネシスはなんとかそれと対峙する敵指揮官の姿を眼に止める。
「っ!!」
躊躇うことなく馬を跳躍せ、一気に敵指揮官との距離を詰め、軍馬もろとも敵指揮官をなぎ倒すし、周囲の歩兵達と両断する。
ヴァルター、ハイン、エミーナもそれに続き、騎兵達も四人の様子に気を取りなおすと数に劣る伏兵部隊の運命は決まっていた。
そして、敵伏兵部隊を殲滅すると、シュネシスは自ら先頭に立って坂を駆け下りていく。
「いるでしょうか?」
「間違いなくな。巫女の謀反で、より確信が持てた」
「謀反っ!?」
「あの小娘が……、まったくっ!!」
「怒るな。想定すべき事だったのだ。そして、今のこれもまた……そうですね? 陛下」
「ああっ」
ヴァルターの言に頷き、坂を駆け下りるシュネシスとその背後を固めるように続く三人のキーリア。エミーナ、ハイン、ヴァルターもまた、シュネシスと同様の結論を導き出している。
敵リヴィエトが、数の優位を崩すはずがない。そして、ミーノスが戻らなかった以上、ツァーベルは東にいる。
それも、こちらを待ち構える形で。
そんな結論を導き出した四名。
坂を駆け下り、僅かな傾斜を残す丘の上から彼らが見下ろすクルノス盆地。
そこで待っていたのは、帝政リヴィエト・マノロヴァ王朝軍十五万による巨大な魚鱗であった。
◇◆◇◆◇
「チェックメイトだな。シュネシス」
坂を駆け下りてきたパルティノン軍を一瞥し、口元に笑みを浮かべた男、大帝ツァーベル・マノロフ。
両陣営最後の原野戦が、今ここに始まろうとしていた。




