第8話 聖帝無き戦場②
リヴィエト軍本隊の動きは、全軍に伝わっていた。
そして、それによって軍全体がざわめいたかと思えば、今度は皇弟であるシュネシス、ミーノス、サリクス、アイアース、そして皇妹アルテアの生存の報。
先の変事によって、皇帝フェスティアの身に何かがあったことは明白であり、その事実に対する噂が散見していた時にもたらされた報。
彼らの多くが、シュネシスなる人から告げられるであろう事実に、思わず息を飲み、それからは同様がひろがりつつもあった。
「いったい、どうなっちまうんですかね」
「知らねえよ。どのみちすぐに敵が来るんだし、そっちを考えるしかねえだろ」
副官のユーキスの言に、フェドンは肩をすくめながら応じる。
開戦からここまで常に激戦地に投入されてきた両名と麾下の兵達であったが、その数を減らしつつも、こうして健在であり、次なる戦にあってもどこまで生き残れることが出来るかが彼らの最大の関心事であった。
そんなとき、原野に集まる兵達がざわつきはじめる。
幕僚総長のゼークトとキーリアの軍装に身を包んだ二人の若者。そして、正体の知れぬ少女が、小高い丘へと立ち、こちらへと視線向けている。
「あの二人ってたしか?」
「獣人部隊と飛空部隊を蹴散らした連中だな」
眼前に立つ二人の若者。
すでに起こっている戦いの過程にあって、主力部隊の指揮官としてはそこそこ顔が知れている。
はじめこそ、戦も知らぬボンボンであったらどうなるのかという思いがあった兵達であったが、戦の腕自体に問題はないと言う事実に、安堵する。
「すでに知れ渡っていると思うが、私が第一皇子シュネシス・ヴァン・テューロス。こちらが、第二皇子、ミーノス・ヴァン・テューロスである」
シュネシスの言に、草原が静まりかえる。
「何故、この時になって我々が諸君等に正体を明かすのか。姉、いや、皇帝陛下もまた、戦の勝利の後、功績を持って我々の生存を明かす腹づもりであった。――だが、それも適わぬ事になった。何故、私が、こうして諸君等の眼前に立つのか、なぜこの場に、皇帝陛下のお姿がないのか」
さらに続くシュネシスの言に、ここに来て草原がざわめきはじめる。
察しの良いモノならば、シュネシスが何を言わんとしているのかと言うことに気付く者もあったであろう。
だが、皆が皆、誰かにその事実を告げてもらうまで、それを信じたくはない。
「……皇帝、フェスティア・ラトル・パルティヌスは、悪逆の徒。シヴィラ・ネヴァーニャに討たれた」
刹那、ざわめきは静まり、草原が静寂に包まれる。して、一陣の風がその場に流れる。
「諸君等の衝撃は大きいだろう。実際、私とてこの事実を受け入れることは出来ん。そもそも、姉上を失ってなおリヴィエトに勝てるのかという事すらも分からぬ。そんな状況の弔い戦に、諸君等を巻き込んで良いモノかという思いも同時にある」
再びシュネシスの言。それによってようやく静寂から解き放たれた兵達。再びのざわめきが戦場を支配していく。
巨大な衝撃であるとはいえ、いまだにその死を信じることが出来ない者達。だが、シヴィラの名を耳にすると、不思議とその事実も信じざるを得なくなっていく。
戦場にある多くの将兵達が、三皇妃をはじめとする使途は無縁の人間達を次々に屠り、帝国そのものを崩壊に導いたことは、色濃く脳裏に刻んでいる。
そして、フェスティアの死。
この大地にあって、もっとも死と無縁であり、常に自分達の御旗となって導いてくれるはずであった女帝。
天からの使いとは、シヴィラではなくフェスティアであると心の底から思っていた者達にとって、その死はまるで夢物語であるかのように思われた。
「そもそもだ。ゼークトをはじめとする首脳が頭を垂れるからと言って、私、いや、俺がシュネシスであるという証拠は何もない。だが、一つの事実がある以上、俺は個人としての心情を持ってしてもリヴィエトとシヴィラを討つ。その事実とは何か……」
ざわめきが支配する原野にシュネシスの言が響き渡る。
はじめこそ、皇子として格式張った話し方をしていたシュネシスであったが、諸将の困惑を眼に、ひどく砕けた物言いへと変わる。
フェドンやユーキスもまた、その様子に困惑の視線を驚きへと変え、シュネシスへと向き直る。
他の将兵も同様であり、なぜかその物言いが心にしみるように思えていた。そして、皆が皆、シュネシスが口にする事実へと意識を向けていく。
「天の巫女シヴィラ・ネヴァーニャは、帝政リヴィエトが皇帝、ツァーベル・マノロフの皇女。即ち、シヴィラ・ネヴァーニャの反乱より、今日のこの時まで帝国を襲う一連の混乱は、リヴィエトと教団勢力の謀。つまり、お前達を襲った不幸の大半は、リヴィエトと教団にある」
再びのざわめき。
たしかに、教団の分裂やフェスティアの死は、常にリヴィエトの益に敵っており、シュネシスの言い分多くが理解できる。
もちろん、でっち上げという可能性もあるのだろうが、フェスティアを討ち、さらにリヴィエトをこの大地に呼び込んだことに教団が関わっていることは明白。
反乱からリヴィエトの侵略の過程で多くの人間が倒れ、友人や家族を失った者達も多く存在している。
そして、シヴィラの事実に誰よりも動揺し、怒りを抱いていたのは、シヴィラに忠誠を誓いつつも帝国を守るべく参戦していた信徒兵達であった。
自身が救いを求め、侵攻を誓った巫女は、邪悪なる侵略者の手先であった。
突き付けられた事実は、大きな怒りとなって彼らの信心を犯しつつもあった。
「俺個人のために戦えとは言わん。だが、帝国のため、家族のため、友のため、愛する者達のために戦え。俺はそのために旗頭になろう。常に先頭に立ってお前達を導こうっ!! ――――――そして、この戦いに勝ったら。まあ、似合わない戴冠を見届けてくれ」
そして、剣を抜き、そう言い放ったシュネシスに対し、兵達は次々に得物を空絵と掲げ、声を上げていく。
皆が皆、なんのために戦うのか。
多くが、そんな疑問に囚われる中で、失われた女帝の姿ではなく、今目の前にいる青年の姿に、守るべき者のを姿を見出したのは、その時であったのかも知れない。
そして、その光景を見つめ、笑みを浮かべたシュネシスは、照れくさげにそう告げる。
そんな姿に、兵達はフェスティアとは違った形の指導者の姿を見出そうとしていた。
◇◆◇
戦場にこだまする声に耳を傾けつつ、新たな主君を得た首脳部は再軍議へと入っていた。
すでに夕刻を迎え、戦場に闇がおりる前に行動を開始する必要がある、時は決して待ってはくれない。
「現状、士気は問題ないでしょう。兵達も、フェスティア様とは異なる指導者像を抱き、報復に燃えているはず」
「俺が姉上の真似をしたって滑るだけだからな。だが、今の状態も、負ければそれで終わり。加えて、時を稼いでも、目先の麻薬から目が覚める」
「御意。我々には、一刻も早い勝利が求められまする」
自分の出番はないまま終わったターニャは、今もミーノスについて軍議の席に足を運んでいる。
彼女の正体も諸将に告げられており、その存在価値は無能とは言い難い彼らには十分な理解を得ている。
むしろ、国と家族を奪われた被害者としての姿をフェスティアやシュネシスに重ねる者達もいるほどである。
さらに、ターニャ自身にもここで得た情報をリヴィエトに流すつもりも、手段もない。
そんな彼女を加えての軍議は、先ほどまでの沈黙が嘘のようなゼークトの言から始まる。
シュネシスの言うとおり、新たな主君の出現は目先の効果は大きいが、フェスティアの死という巨大な衝撃は徐々に兵達の中で大きくなっていく。
それが目に見えて現れる前に、現実的な勝利が求められるのである。
たとえ、ツァーベルを討つことが出来ずとも、浮遊要塞や後方都市へと追い返すほどの。
「質にて勝るとは言え、敵の数はこちらの倍。加えて、いつ浮遊要塞が動き出すか分かる状況……。さらに、もう姉上は神通力はないぞ?」
「ええ。なれば、敵将ツァーベルを討つ事以外に活路は見出せませぬ」
ミーノスの言に頷くゼークト。彼もまた、皇子としてゼークトをはじめとする主将達に次ぐ席に着いている。
しかし、ゼークトの言は彼にしてはひどく現実味のない進言でもある。
多くがフェスティアと対峙するツァーベルの姿を眼にしており、そう易々と討てるような人間ではない。
リヴィエト側としても、一度総司令官のスヴォロフを奇襲によって討たれている。
二度にわたって、そのような事態を許すとは思えない。
「10万が20万を討つく事は難しくとも、1万が二人を討つ事は容易い。そういうことですか?」
そんな折、諸将の中から一人、エミーナが口を開く。
彼女は表情を変えてはいないが、周囲の将が彼女の言に対して浮かべたのは、期待ではなく失望。
たしかに、今の言だけでは、ゼークトの言に対して諸将が抱いた感想と変わりはない。
「しかし、先のスヴォロフを討ったときのような戦力の抽出は」
将兵の一人が口を開く。
たしかに、スヴォロフを討つべく、アイアース皇子の奇襲部隊のみならず、東西方面軍を動員しての一大作戦であった。
だが、今のパルティノンに別働隊を編成する余裕もなければ、ツァーベルを討つ間、リヴィエトの猛攻に耐えるだけの胆力もない。
膨大な兵力はすり減り、兵を人では無くすだけのカリスマ性を持ったフェスティアはこの場にはいないのである。
「抽出は不要だ。すでに、兵は用意してある。後は……」
そんな将の言に対し、冷静に答えるシュネシス。
しかし、彼の言は駆け込んできた騎兵の言によって遮られる。
「伝令っ!! リヴィエト軍は、兵を別け、一隊が我が方へと進軍中っ!!」
「っ!? なんだとっ!!」
「兵を別ける? いったいなぜだ?」
「どこへ向かった?」
伝令の声に諸将が声を上げる。
突然の状況変化に、シュネシスやゼークトをはじめとする首脳達も押し黙ったまま伝令へと視線を向ける。
「目的地は判明しておりませんが、すでに一部はドニエスル川と東へと渡河した模様」
「こちらへと向かう戦力は?」
「確認は出来ておりませぬが、およそ、一万ほどと……」
「一万っ!?」
「ど、どうなっている? 東へ向かったところで、ハリエスクとセルヴェストポリをはじめとする堅固な要塞が控えている。我々が背後をさらけ出すというのか?」
さらに口を開く諸将。
敵の予想外の動きに、皆が皆敵の手を読むべく思考を巡らしている様子。押し黙っている首脳達も、同様であるようだった。
「ミーノス」
「はい?」
「行けるか?」
「っ!? もちろん」
「では、頼む」
そんな折、シュネシスがミーノスへと向き直り口を開くと、彼は口元に不敵な笑みを浮かべ、その場から外へと駆けていく。
「皇子、どうしたのだっ!?」
「っ!? 小娘、お前は待っていろ」
「何を言うか。私は大事な手駒なのであろう? 持ち主のそなたが手放すな」
「……まったく、分かった来い」
そして、飛竜に座したミーノスに対し、その眼前に立って抗議の声を上げたターニャであったが、はじめこそ焦りから苛立ちを隠さなかったミーノスにやや気圧されていた。
しかし、こちらも負けじと声を張り上げると、苦笑とともに同行を容認してきた。
それだけ、時間が惜しいと言うことであろう。
それを察していたターニャは、空へと舞い上がり、飛竜を駆りながら、改めて口を開いた。
「物見か? しかし、なぜそなたが?」
「万が一のことがあるからさ。兄上は、部下を犬死にさせる気はない。お前はお前で、落とされたとしても、助かる可能性が高い」
「っ!? そなたは皇族であろう?」
「ああ。だからこそ、危険に身を置く必要があるのさ」
「しかし、なぜそこまで慌てる? 勝利が必要なことは分かるが、目先に沸いてきた一万など手頃な獲物であろうに」
「獲物じゃない。我々を釣り上げるための、巨大なエサだっ」
「どういう……?」
「お前の父上は、恐るべき男さ。こちらの状況を鑑みて、動かざるを得ない状況を作り出した。目先の一万を追えば、その後方に控える大軍に待ち伏せをされる。東へ向かった敵を追えば、その先で待ち構える敵に……。そして、どちらを選んだとしても、残った一方によってキエラか東部要塞群が攻勢にさらされる」
静かに、そう口を開くミーノス。
おそらく、彼らの意図としては、敵に先んじて敵戦力を発見し、敵に奪われた主導権を取り戻すことにあるだろうとターニャは思った。
しかし、一つの懸念が彼女の脳裏には浮かんでいた。
「仮に敵本隊を発見したところで、それはそなた達をおびき寄せようとしているのではないのか?」
「……であろうな。だからこそ、兄上はツァーベルの居所を探っている。それに賭けると言うこともな」
静かにそう言い放ったミーノス。
ターニャもまた、それ以上の言を告げることは出来なかった。そして、ほどなく二人の眼には、草原を悠然と進撃する大軍の姿が目に映りはじめていた。
「皇子、これ以上は危険だぞ?」
「分かっている。だが、ツァーベルの姿を見ねば」
「しかし、これ以上は」
「大丈夫だ。弓や法術如きには当たらぬ」
途端に鼓動の跳ね上がる両名。
ターニャからすれば、このままミーノスを巻き込んで落下するだけでも、殊勲を手にすることが可能であろうと思われる状況。
しかし、彼女の脳裏には、それとは異なるものの存在が思い浮かんでいたのだ。
「それらではない、アレはいかなる精鋭を持ってしても……」
その存在を口にしようとしたターニャ。しかし、時は彼女を嘲笑うかのように動き始めていた。
空気を斬り裂く乾いた音が虚空へと鳴り響く。すると、血飛沫とともにミーノスの肩口に穴が穿たれる。
「なっ!?」
「やはりかっ!!」
そう叫んだときにはすでに時遅し、ターニャの目の前で次々に身体を穿たれていくミーノス。
ターニャへと襲いかかってきた弾丸に対し、無意識のうちに彼女の前に出た事で、彼は飛竜もろとも全身を穿たれたのだった。
「――――っ!!」
そして、落下していくミーノスに対し、声にならぬ声を上げたターニャ。
そんなとき、ミーノスを乗せた飛竜が、彼女に対して虚ろな視線を向けたかと思うと、身を翻して彼の肉体を虚空へと投じる。
慌てて飛竜エルクを促し、ミーノスを身体を受け止めたターニャ。そして、その様子に安堵したのか、白色の身体を持つ飛竜は、美しい白髪と白皙の肌を赤く染めた女性の姿へと変え、大地に落下していった。
「っ!? あれは??」
(ぐぅっ!? 最後の力を振り絞って、真竜となった証を……)
必死に身を翻しながら弾幕から逃れるエルクは、女性の姿にそう呟く。
その死に際し、主君を守ったことが彼女を真竜へと変えたのであろうか?
「……皇子、貴公は決して死んではならぬぞっ!! 例え、空で戦うことが出来なくともなっ!!」
そんな真竜の姿から、エレクの背にて横たわり、気を失うミーノスにめをむけると、ターニャは力強くそう叫ぶしかなかった。
◇◆◇◆◇
聖帝無き戦場にあって、将兵が見出した希望。
しかしそれもまた、時代が生んだ渦の中へと飲み込まれようとしていた。
原野にあって、パルティノンの新指導者を待ち構える大帝ツァーベルと総参謀長ヴェルサリア。
彼らとその麾下に従い、復讐に燃える将兵達は、パルティノンの新帝の出現を今か今かと待ち構えているのだった。




