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第7話 聖帝無き戦場①

 急報がパルティノン本隊に届けられたのは、“フェスティアの死”より7日の後。それは、アイアースがタニア村に到着する二日前のことであった。


 それまで、パルティノン側はフェスティアの死を徹底して秘匿し、リヴィエトと対峙する本隊はおろか、各地方軍に対してもシュネシスやアルテアの手の者達を派遣。徹底した箝口令を敷いていた。


 当然、そこから別の憶測が広がり、皇帝重傷説や急病説が各地に流れていたが、結果としてフェスティアの死を予測したものはほとんどいなかった。


 ほんの一部の人間をのぞいて、若き女帝が戦場に倒れることを予測できるものはなく、予測しようとすらしない者が大半だったのである。


 そして、その報を如何なる手段を持ってでも知ろうとするはずのリヴィエト側が、まったく動きを見せていないことも幸いしていた。



 だが、そんな幸いも当然のように終わるときがやってくる。




 リヴィエト軍動く。




 その報が本陣に届けられると、集結した将軍達の表情は一転して曇ることになる。


 シュネシス等の正体を知らぬ将軍達も、ゼークト等によって皇族生存の事実は告げられており、アイアースの到着がなれば、その場でフェスティアの後継者は誕生する。


 だが、その目論見は脆くも崩れ去ったのである。



「物見の報告に寄らば、テルノヴェリに布陣していたリヴィエト軍は車両を先頭に南下。一路、キエラを目指して侵攻中とのこと」


「兵力は?」


「およそ20万。別働隊の生き残り10万とツァーベル直卒の10万、さらに未確認の部隊も多数見受けられます」


 緊急の軍議が招集され、主無き上席を挟んで諸将が列を成す。


 最上位の席には幕僚総長のゼークト。そして、それと相対するようにシュレイ、即ち、第一皇子シュネシスが座している中での報。


 いまだに、シュネシスの席次に納得のいかぬ将軍が多い様子だったが、今の彼らにとっては目の前の事態に対応することが第一であった。



「キエラを目指すと言うことは、そのまま我々に向かって来ると言うことでしょうな」


「敵本隊も先に敗北で数十万を一挙に失った。現有戦力をもっての目先の勝利が必要なのでしょう」


「ラド、モルクワ、加えてスカルヴィナ方面軍が残っているとはいえ、その合流を待たぬとのこと……即ち」



 諸将の言に、シュネシスをはじめとする首脳達は一様に頷く。


 浮遊要塞を前面に立て、敵も動員可能な兵力を南下させている。テルノヴェリでの五〇万にも大軍には及ばぬが、内情は皇帝直属と単独で別働隊を任されるだけの精鋭。



 失態を狙って切り崩せた張り子の虎の大軍とはわけが違う。



 それでも、後方に控える予備戦力を呼び寄せることなく戦を仕掛けてきたのは、こちらの動揺を見抜き、かつフェスティア不在の報も何らかの形で得たと見るのが自然であった。




「飛空戦力も浮遊要塞によって壊滅し、とても戦闘に参加できる状態ではない。奇襲も難しいな」


「面目ありません」


「同じく」


「あればかりは陛下すらも予想していなかったのだ。ふたりとも、今は傷を治すことに専念してくれ」




 ゼークトの言に、重傷を押して軍議に参加しているミーノスとルーディルが口を開く。


 お互いに、浮遊要塞の出現によって巻き起こった乱気流や天変とその後の猛砲撃に巻き込まれて重傷を負い、生き残りの飛空兵達も全員が重傷だった。


 特に、ルーディルは先の奇襲の際に片足を失っており、今も正気を保っているのが不思議なほどの重傷。本人はけろりとしているが、見ている側もおかしな気分になるほどである。


 そんな飛空部隊にあっても、一人、例外がいる。とは言え、彼女を偵察任務や奇襲任務に使うことなど、はじめから想定していない。


 つまり、双方ともに空からの眼を失っている。以下に浮遊要塞と言えど、遙か彼方の軍勢の動きまでを捕らえることはこんなんなのだ。



 敵が動いた以上、こちらが逡巡をしている場合ではない。



「敵との戦力差はいまだに大きい。こちらとて、先の激戦と浮遊要塞の攻撃で数を減らしている。なれば、キエラにて籠城することも一案では?」


「籠城? そんなことをしても、浮遊要塞の攻撃を受ければひとたまりもないぞ」


「いや、先のルーシャ北部への砲撃と今回の攻撃。その規模は確実に小さくなっている。しかも、空間転移によって接近してきたのだ。何らかの理由で、あれ以上の砲撃は行えなくなっているとも考えられる」



 そんな中、エミーナが静かに口を開く。


 たしかに、彼女の言うとおり、キエラにて籠城し、各地方に展開する軍を短期間でも招集できれば、敵主戦力の漸減は可能。



 アイアースが戻ってくれば、一挙に殲滅することも不可能ではない。



 しかし、フェスティアが倍以上の戦力に原野での戦いを選んだのは、長期戦を憂慮したが故。


 すでに、リヴィエトの侵略から数ヶ月。各地方にも綻びは出はじめている。ここに、キエラでの籠城戦が長期化し、フェスティアの死が民へと漏れれば、それこそ取り返しのつかない破綻を生みかねない。


 諸将の言に、シュネシスはそんなことを考えたが、同じような意見を持つものは多く、ゼークトであっても、この場における決定権を有さない状況。


 となれば、戦以前の問題も大きく横たわっている。




「諸将、戦場の決定の前に、一つ提案したい」




 そんな折、それまで黙って軍議に耳を傾けていたヴァルターが静かに口を開く。


 エミーナの言に反抗的な態度を取っていた将軍達や、状況を見つめているだけの将軍達もいっせいに、この年少の将軍へと視線を向ける。


 レモンスク包囲戦、テルノヴェリの戦いとその中枢にあって戦い続け、さらに帝国最後のキーリアという立場も加わる彼は、シュネシスやエミーナ、ハインに比べ、帝国諸将の信を得ているのだった。




「見れば、議論の決着の不透明さは、一重に陛下のご逝去に寄るものと思われる。口には出さずとも、陛下無き今、パルティノン帝室は断絶し、皆が皆、如何なるもののために戦うのか、それが見えてこないと」



 静かにそう口を開くヴァルターに対し、他の将軍達は一言も発することなく彼に視線を向けている。



「なれば、我々の為すべき事は、戦場の決定ではなく、新たなる旗頭を見出すことではないか? 蒼天の御旗の守護者、戦場を駆る白き狼虎の後継者を」



 静かにそう言い放ったヴァルター。それに対し、諸将の反応は様々であった。


 無言で黙り込む者、何を言い出すのかと顔を見合わせる者、ヴァルターの出自が貴族階層であることを思いかえし、彼に疑いの眼を向ける者、その提案に頷く者など様々。



 そんな諸将の反応に視線を向けつつ、シュネシスはヴァルターとゼークトから向けられる視線に改めて気付く。



 今、この場で真実を告げる。



 だが、それを証明する手段は無く、同じキーリアどうしであったカミサの時のようにはいかないだろうとシュネシスは思っていた。


 しかし、このまま時間だけが過ぎていくことの無意味さもまた、分かっているつもりだった。



「静まれ」



 そして、頷いたシュネシスを見たゼークトは、ざわつく席に対して短くそう告げる。



「奇しくも、昨日の本陣跡の捜索の折、陛下の遺命を賜った」



 そう言うと、ゼークトはやや煤汚れ、ところどころが焼け落ちた書状を取り出す。


 箝口令という事情から、本陣跡の捜索は進んでおらず、書状の発見も遅れていたというのが今になった理由だった。



「緊急事態により私が代読する『朕深く帝国の現状、とみに鑑み、忠良成る将兵に告ぐ』」



 そして、ゼークトの言に諸将が耳を傾ける中、シュネシスはその書状の内容へと意識を向けていく。


 フォティーナより、フェスティアの身に迫りつつある危機はなんとなく耳にしていた。子を身籠もっていると言うことも。


 そして、内容を鑑みるに、自身の余命が幾ばくかもないこと、万一に際には戦場に倒れかねないことを懸念していたことが読み取れる。


 もちろん、混乱は避けられなかったであろうが、今のような事態だけは避けたかったのが本音であろう。




「『火急の折に際し、我が後事を託しし、長弟シュネシスを後継者とし、富みに国家の安寧、民の平穏を願し、邪悪なる敵種を退けんことを、ここに願す』……以上だ」




 代読を終え、書状を諸将に対し掲げるゼークト。


 印綬の代わりに血判が押されていること以外は、フェスティアの自筆と分かるそれ。


 しかし、諸将の口をついたのは、納得ではなく困惑であった。




「シュ、シュネシス様??」


「陛下は何を?」


「生存されておられるのか??」




 困惑する諸将が口々にそう口を開く中、ゼークト、ヴァルターの他、傍らに座す4名の主将達。そして、エミーナ、ハイン、オリガ、メルヴィルをはじめとする若手の将軍。



 そして、負傷を押してこの場に出席しているルーディルとミーノス。



 彼らの無言の同意と視線を受けたシュネシスは床机を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がる。


 突然のことに、驚き目をむくその他の将を一瞥することなく、シュネシスは主無き席となった上座へと歩み寄る。




「な、なにを……?」



 背後から誰かしらが呟く声。


 それを耳にしながら、シュネシスは眼前に掲げられた蒼天の御旗を見つめると、諸将に対して振り返る。




「シュ、シュレイ殿っ。その場がいかなる場であるとお思いかっ!!」


「いかに陛下の覚え目出度きキーリアであろうと、その場に足を踏み入れるなど言語道断ぞっ!!」


「黙れ」



 途端に、それまで目を丸くしていた将軍達が色めき立ち、声を荒げる。


 しかし、それまで無言で成り行きを見守っていたゼークトの鋭い声に、皆、目を見開き、口を閉ざす。


 そして、ゼークトを先頭に真実を知る者達が次々に立ち上がり、シュネシスの眼前にて膝を折っていく。



「姉、フェスティアの逝去に際し、諸将に告ぐ。私は、シュネシス・ラトル・パルティヌス」




 そんな光景に諸将が目をむく中、シュネシスの声が陣幕無いに響き渡っていた。



◇◆◇◆◇



 ターニャがミーノスに伴われてシュネシスの天幕を訪れたのは、それから間もなくのこと。


 フェスティアの死はいまだにひた隠しになっているが、フェスティアに重用されていたキーリアのシュレイが、第一皇子シュネシスであったという事実に、全軍がざわめき、事の真相に皆が困惑していた。



「兄上、入りまするぞ」


「おう」


「んなぁっ!?」



 そんな空気の中、新皇帝となるべき人物の元へと足を踏み入れたターニャ。しかし、眼前に立つ男の姿に目を丸くし、声を上げる。



「なんだ? 小娘も来たのか?」


「一応な。それより、兄上……、その、前ぐらい隠した方が……フォティーナもな」


「おう。スマンスマン」


「目の毒だったかしら?」



 そんな二人に対し、シュネシスは全裸のまま部屋の中に立っており、寝床には裸体のフォティーナの姿がある。


 二人の関係を知っており、その手のことにはシュネシス以上に通じているミーノスは苦笑するだけであったが、見た目の通りだったターニャはそれに凍り付いている。



「それより……、大丈夫なのですか?」



 衣服を身に着けるシュネシスに対し、ミーノスはそう口を開く。


 それまでの様子見ても、突如背負うことになった大事に押しつぶされていないかと失敗になっていたのだが、すぐにことに及ぶことが出来れば問題はないとターニャも思った。



「戦の最中に事に及べるのだ。問題なかろう」


「はは、そうだといいんだがなあ」


「……その様子で何か心配があるのか?」


「うふふ、初心なお姫様には分からないことかもしれないわよ」


「なんだとっ!!」




 しかし、シュネシスの口から出たのはそれを否定するかのような言と苦笑。


 ターニャは首を傾げつつ問い掛けるが、それに答えたのは、嫌味のこもった笑みを浮かべたフォティーナであった。


 経験や年齢に差があるとはいえ、同じ女として完全に見下されていることを悟ったターニャは声を荒げるが、同じように苦笑しつつミーノスが口を開く。




「姉上はすでにこの世になく、今幕下に参じている諸将はおろか、戦の趨勢を静かに見守っているパルティノンそのものを率いねばならない。それでいて、俺もそうだが、知りたくもないことを知りすぎた」


「……怖いと言うことか?」


「生意気な小娘だな。まあ、言っていることは正しい。人は馬鹿だからな……、戦の最中も欲を捨てきれないし、不安をごまかすために女を抱いたりもする」




 そんなミーノスの言に、ターニャは再び首を傾げるが、その率直な物言いにシュネシスは苦笑しつつそう答える。


 こういう真っ直ぐな女を見たのはいつ頃かという思いがあったが、思われた本人はそれが気に入らないらしく、さらに声を荒げる。



「小娘とはなんだ。私だって、皇女として」


「分かった分かった。ようはな、いきなり国にトップになって不安だってことだ。重圧に押しつぶされそうにもなる」


「ぬぅ…………、見たところ、そうとう図太そうだが、そんな貴方でもか」


「はは、俺も馬鹿だからな。それだけに、馬鹿な連中が大切なわけさ。お前さんに言っても仕方ないが、民を支配し、すべてを破壊しようとするお前らには、負けるわけには行かないってことさ」


「っ!?」


「はは、まあそう思い詰めるな小娘。お前さんに責任をとらせるつもりはない。相応の報復はするが、抵抗しない者をいたぶる趣味はないしな」



 そんなシュネシスの言に顔を顰め黙り込むターニャであったが、シュネシスは笑みを浮かべて彼女を肩をぽんと叩く。


 一介の竜騎士であり、実力を認められての抜擢であることは対峙したミーノスが一番よく分かっている。だが、皇女という立場だからこそ知り得ぬ内情というものもある。


 むしろ、自国の暗部に眼を背けていない様子は、彼女の評価を上げることにもなっている。




「さてと、小娘。俺は今からパルティノン皇帝その人に戻らなければならない。加えて、その場にあって、お前さんを利用させてもらうつもりだ」


「り、利用っ」


「いろいろと調べさせていただきましたよ。タチアーナ皇女。リヴィエトの内情、大帝ツァーベルの登極の過程。そして、貴方が彼に抱く増悪」


「な、何をやらせるつもりだっ!?」


「別に何も。ただ、貴方がこちら側にいるとなれば、リヴィエト側はどうなるでしょうね? ツァーベルも絶対的な君主であるようだけど」


「…………たしかに、あの男は憎いっ!! だが、私とてリヴィエトの軍人であり姫だ。リヴィエト兵を害することなどっ!!」




 三者からの言に、目をむき声を荒げるターニャ。


 いかに政治的な経験が足りない身としても、その内容から自身をリヴィエト内部の混乱の種に仕様という意図は容易に察することが出来る。


 とはいえ、今このまま戦を続けたところで、両者が行きつく先やツァーベルの意図する未来に希望があるのかと言えば疑問はある。


 もっとも、ターニャ自身、父なる人の治世が決して優れたものではなかったことを知っており、自身が旗頭になったところで大きな意味は無いと言う思いもある。


 だが、三者の意図は別にして、ツァーベルに対する憎悪も捨てきれてはいない。




(母様と姉様を奪った男……。だが、私に……)




 そんな思いを抱くターニャ。


 仮に今、ツァーベルを討ったとして、自身の思いは満足するであろう。だが、その先には何があるというのか。



 各地に侵略し、憎悪と畏怖を一身に集める男。



 それが消え去ったとき、リヴィエトに残るのはいったい何なのか。そして、ツァーベルを討った後、自分はどうなるのか。




「はは、なかなか手強いみたいだぞ? ミーノス」


「……そうですね。だがな、小娘。大帝を討った後、お前はどうする? リヴィエトを背負えるのか?」


「っ!?」


「裏切りであるかも知れん。俺達も、侵略者に対して寛容でいるつもりはない」


「だが、投降、いや同盟国を無碍に扱うつもりはないぞ?」



 黙り込んでしまったターニャに対して改めて口を開く。それは、まるで彼女の心を見透かしたかのような言であり、揺れる心に何かが突き刺さっていた。




 一つの事実が草原を駆け巡ろうとしている。聖帝無き戦場に、再び戦乱の気運が漂いはじめていた。

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