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第2話 弔鐘①

 アイアースは暗がりの中へと続く階段を一人歩いていた。


 時折、目をきつく閉じて頭を振るう。それは、まるで何かを忘れ去らんとするかのように。



 事実、上の広間にいては、感情を抑えることなど出来そうもなかったのだ。



 フェスティアの死。



 祖国の命運を賭けた戦いの最中にあって、常に前線に身を置いていた女帝である。戦場における死は常につきまとっており、あり得ないこととは言えなかった。


 しかし、アイアースは、否、このパルティノンの大地に生き、彼女を敬愛するか、崇拝するか、憎しみを向けるかのいずれかの感情を抱く者達にとって、フェスティア・ラトル・パルティヌスという女傑が、戦場に倒れるという事実は存在していない。


 彼女は、悲劇を乗り越えて帝国を復活させ、その治世は、教団や反逆勢力を駆逐、内では停滞していた経済を活発化させ、外にあっては帝国最大の版図を得た。


 いかに偉人であろうとも、人生のすべてを賭けても為しえないような成果を僅か10年足らずで成し遂げた女傑。


 そんな女帝が、駆逐したはずの教団によって無念の最後を迎えた。


 事実であったとしても、そんなことは決して受け入れられるモノではないのだ。


 そして、暗がりから、ぼんやりとした赤い光りに包まれる空間へと出ると、アイアースは右手の甲にて柔らかな赤い光りを灯している刻印に視線を向ける。


 炎の姿をはっきりと形取ったそれは、世間にて発見される炎の刻印のそれでも、業火の刻印のような上級刻印のそれとも異なる。


 ヒュプノイアよりフェスティアの死を告げられた際、この刻印がひどくうずいたのである。


 そうでなければ、自分は取り乱し、実の曾祖母に討たれるという哀れな最期を遂げていたと今更ながら思う。


 今、全身に浸食しているこの刻印は、自分を宿主とはっきり認め、それを守ろうとしているのだとアイアースは思う。



 しかし、今となってはなんのためにそれを為したのかという思いが募る。



 パルティノンを守るための戦いとは即ちフェスティアを守るための戦いでもあった。だが、その守ろうとする女性はもうこの世にはいない。




「っ!?」




 そんなとき、激情が全身を駆け巡る。


 一瞬、瞑目し目を見開いたその先に浮かんできたのは、白き衣装に身を包み、人形のような表情を浮かべる一人の女。



 シヴィラ。




 考える前にそんな名前が脳裏に浮かび上がる。


 両の剣を抜き、ぼんやりとした光の中をシヴィラに対して剣を振るうアイアース。しかし、空気を斬り裂く音とともに光りとなって飛散したシヴィラの姿は、静かにその背後へと回り込む。


 それを追いさらに床を蹴るアイアースであったが、次に斬り裂いたシヴィラの姿は、光りとなって分散し、グネヴィアの、ロジェスの、ジェストの姿へと変わっていく。



「また、貴様らかっ!!」



 憤怒とともに腹の奥底から声を上げるアイアース。


 幾度も幾度も斬り裂いたところで、光りに包まれるその姿が消えることはなく、アイアースを嘲笑うかのように四散しては別の箇所へと浮かび上がってくる。


 そんな光り達を相手取るアイアースもまた、普段のような軽快な剣裁きや足運びが影を潜め、身体は重く剣先はぶれてばかりであった。



 激情に任せた行動なのである。それも当然と言えた。




「はぁはぁはぁ……」



 ひとしきり暴れ回り、光りが周囲に霧散していく中で、アイアースはシヴィラの姿を頭から両断すると、足がもつれて石造りの床へと倒れ込む。


 鼓動は速まり、息も激しく切れている。


 普段の戦いであれば、どれだけ長き時を戦い続けたとしても、このようになることは無い。


 普段と異なるのはその心のうちが原因であろうか。




「っ!?」




 そんな怒りと悲しみの混在する心持ちの中、ぼんやりとしていた視界が滲みはじめる。


 慌ててそれを拭うが、頬を伝う暖かな血潮が留まることはなかった。




◇◆◇


 


 一人、地下神殿へと降りていったアイアースの後を追うことは出来なかった。


 何人も寄せ付けない悲しみの極地。


 ミュウの目に映るアイアースの背中は無言のうちにそれを語っており、彼は自分の力でそれを乗り越えるしかない。




「さ、フェルミナ」




 ミュウもまた、涙を拭うと胸元で嗚咽をこぼすフェルミナの頭を撫で、優しく声をかける。


 フェスティアのことを知らぬ仲ではないが、ミュウやフェルミナは、それ以上の絶望に苛まされたことがある。


 力になれぬまでも、自分達がいつまでもふさぎ込んでいる理由はない。



「おばあさま」


「なあに?」




 そう思うとミュウは、口を閉ざして瞑目しているヒュプノイアに対して口を開く。


 ヒュプノイアも先ほどまでの凛とした態度は影を潜め、元のほんわかした口調で答えてくる。



「一つお願いがございます」




 アイアースが戻らぬ以上、帝国軍に戻ることは出来ない。


 しかし、どこかで引っ掛かりを覚えることが、ミュウの心のうちにはあるのだった。



◇◆◇◆◇



 アイアースが凶報に接した頃。


 神聖パルティノン帝国軍及び帝政リヴィエト・マノロヴァ王朝両軍もまた、高まる決戦への気運を霧散させるその凶報に接していた。




 胸元の傷はすでに癒え、痛みも身体を動かすことへの苦痛もなく、毒の影響も当に消えている。


 しかし、心の奥底では、何かに身を削り取られているかのような痛みが蠢き続けていた。




「敵の、新兵器により、我等近衛は、総崩れに……。皇帝陛下も、また……」




 シュネシスの眼前では、数少ない生き残りの侍女が息も絶え絶えに、時の状況を告げている。


 この場には、シュネシスの他に、ゼークト、ヴァルター、オリガ、メルヴィル、エミーナ、ハインをはじめとする各軍の指揮官やキーリア達が揃っている。


 そして、皆一様に声を振り絞る侍女に視線を向けていた。


 彼女は全身を無数の槍で貫かれたかのように穿たれ、各所からの出血が続いている。軍医の現によれば、矢傷刀傷の類ではなく、法術のそれに近いという。


 だが、彼女言に寄らば、それを為したのは単なる信徒兵。上級の魔導師の類ではないという。


 このような攻撃法をとる法術も聞いたことがなかったし、氷の刻印による攻撃法術に似たようなモノがあったぐらいに思う。




「分かった。今は治療に専念せよ。陛下も、そなたの死は決して喜ばん」




 侍女の言に、床机に座したまま俯くシュネシス。


 それを見かねたゼークトが、侍女に対してそう告げると、彼女は医療部隊によって運ばれていく。


 それを見送ると、入り口の幕を下ろし、全員が静かに床机に腰を下ろす。


 シュネシスもまた、それに倣おうとするが、ヴァルターとエミーナに促されて最上座へと腰を下ろした。


 一瞬、それに対して訝しげな視線を向ける将軍達もいたが、ヴァルター達の死線を受けると言葉無く俯く。



 事実を知らぬモノもこの場には大勢いる。



 そんな者達にとって、教団のキーリアであった男が事実上の№2の席に着くというのは、無礼以外の何物でもない。


 だが、状況が状況である。フェスティア亡き今、最高責任者は幕僚総長であるゼークトであり、彼が何も言わずに沈黙している以上、他の者達もそれ以上の言葉を継ぐことが出来ないのだ。



 何より、それは一過性のモノ。



 沈黙が場を支配する中にあって、皆が皆目の前の事実に直面すれば、シュネシスの席次を問い詰める余裕など無くなっていくのだ。




「…………はぁ」




 誰とも無く深く息を吐き出す。皆が皆、絶望的な事実に声を出すことも敵わない様子だった。


 歴戦のゼークトやヴァルターであっても、人生においてこのような事態を数度も経験するとはさすがに思わず、声を上げることも出来ない。


 歴戦の者達は、これで何人の主君や精鋭を見送ることになるのかという思いが全身を支配し、若手達もまた、数年前の悲劇の際に直面した無力感に苛まされているのだ。




「死者は帰っては来ない。皆、顔を上げてくれ」




 そんな状況の中、シュネシスは自分に出来ることをやるしかないと思い、腹の奥底から声を振り絞る。


 普段のそれとは異なる声であったが、場に詰める者達は一様にシュネシスに対して視線を向ける。


 その視線は、好機や敵意の他、虚ろ気なモノもあれば、何らかの期待を寄せるものもあったのだ。




「今の我々は、前面にリヴィエトと相対し、後方に教団を背負うことになった。こうして、顔を見合わせている状況すらも惜しいのではないか?」




 一度声を上げれば、後は簡単であった。


 普段と変わらぬ口調で、変わらぬ態度でシュネシスは諸将に対してそう告げていく。途中、敵意を向けていた者達が口を開きかけるが、目が合うとすぐに押し黙る。



 彼らにしても、眼前のキーリアが得体の知れぬ風格を持ち得ていることを本能が察知し、言葉を告げさせないのである。




「フェスティア不敗のまま死す。受け入れ難き事実であるとは思うが、この名を貶めることは諸君の本意ではあるまい。なれば、来るべき戦いに勝利し、侵略者どもを揃ってこの母なる大地の土に変え、反逆者どもを尽く血祭りに上げることこそが望まれるのではないか?」


「そんなことは分かっておる。しかしな、シュレイ殿。フェスティア様の死は、パルティノンそのものの死でもある。我々が、納得したところで、兵は、民はどう思うか」


「今こうして、大陸全土に派を唱え、数多の民族や国家が一つになっているのも、一重にパルティノン帝室という統合の象徴があったが故。それを持ってしても、教団の跳梁は防げなかった。今、聖上陛下無くしてはな……」





 そんなシュネシスの言に対し、古参の将軍達が目を閉ざしつつ口を開く。


 彼らにとって、フェスティアの存在はパルティノンそのものを意味し、その死はパルティノンの消滅に直結している。


 たしかに、フェスティアは子を為すことなく世を去り、世間的にはパルティノン帝室は断絶したことになる。


 だが、古参の将軍達の言は、言外に“パルティノン皇帝”の出現があれば、事態は解決すると言うことも告げている。




「互いの意見はよく分かった。今は自陣に戻り、兵の動揺を抑えるのだ。命は追って下す」




 そうして、再び天幕内に沈黙が訪れようとしたその時、ゼークトが口を開き、緊急の軍議は終了の運びとなった。


 これ以上互いに顔をつきあわせている意味は無い。


 フェスティア亡き今となっても、祖国を守るための戦いに終わりが来たわけではないことも、諸将は心得ており、命令一つでリヴィエト軍に突撃していくだろう。



 だが、将はそうであっても、兵の多くはそんな簡単なことではない。



 志願兵と奴隷兵によって構成されるパルティノン軍であったが、その多くはフェスティアのカリスマ性によって戦場に身を捧げているのだ。


 ある種、彼らを戦場にむずぶつける楔が無くなった今、それを抑えることこそが緊急の課題と言えた。






「難儀なことでありますな」


「レーグ閣下も、察するところはあるのでしょう。こうなった以上、殿下の生存を証明しなくては」





 諸将が退出する中、その場に残った者達に対してゼークトが口を開くと、オリガがそれに応じる。


 シュネシスの正体を知る将軍だけがこの場に下り、彼らにとっては兵達の士気向上以上に、シュネシス等、生存している皇子の存在をいかに証明するかにすべてがかかっている。




「後継指名の遺言などはないのですか?」


「何も。陛下は最後まで、我々に心のうちを話してはくださらなかった。唯一、心を開いていたリリスもまた……」




 続けて口を開くオリガに対し、ゼークトはなおも力なく首を振る。


 元々調整能力や戦略眼に優れる人物。眼前の対処よりも、全体を見ることに力を発揮するが故に、事態の解決は得意としていなかった。




「遺体はみつかっておりません。彼女が簡単に死ぬとは」


「ヴァルター殿。陛下も逝かれたのだ」





 そんなゼークトの言に、めずらしくヴァルターが声を上げるが、一気に老けたかのように見えるゼークトの力のない声に否定される。


 キーリアであるリリスと常人であるフェスティアを比べれば、当然個人の技量はリリスが勝る。


 だが、フェスティアはそんな人を超越した力を持ち、戦に勝利を重ね続けてきた。


 そんなフェスティアが死んだことを考えれば、死ぬはず無き人間など存在しないように全員が思う。




「失礼いたします」



 そんなとき、天幕内に響く女性の声。


 思わず全員の視線がその場に集まると、視線を受けた女性は思わず苦笑する。だが、そんな態度は、激発とは無縁の彼らを苛立たせる。




「フォティーナ。休んでいろと言ったはずだが?」


「殿下。申し訳ありませぬ。ですが、そうもいかぬ状況であるのです」


「状況? そんなことは…………む? ――お前……っ!?」




 そこに現れたフォティーナ。


 シュネシスにとっては、大切な女性であっても、他の者にとっては憎むべき教団に組した裏切り者。張り詰めた空気の中で、彼女の存在は火に注ぐ油のようなモノである。


 だが、シュネシスの目に映る彼女の姿は、彼にとっては驚き以外の何物でもない。




「殿下。そのことは後々、入ってきたらどう? ミュウ」


「ミュウだと?」



 そんなシュネシスに対して、視線を向けたフォティーナであったが、ほどなく彼女の身体は柔らかな光に包まれて、その動きを封じられる。




「皇子殿下。お久しぶりでございます」




 そんな声と同時に、シュネシス達の眼前には妖艶な色気を放つ妙齢の美女の姿があった。



◇◆◇◆◇




 一人の女傑の死。



 それは、彼女に対して神を感じ、その御旗の下に死を厭わず戦い続ける者達の心を一瞬にして打ち砕く。


 彼女とともに戦い、その命を捧げることで得ていた充足を。それを、一瞬にして失ったのだ。

 

 だが、残された者達の充足を失わせ、課せられた重圧と責務が様々な軋轢を生む中でも、時は動き続ける。



 そして、その死は、本来敵であるはずの人物の心にも、大きな影を落とそうとしていた……。

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