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第52話 夢幻の如く……①

「シュネシス様とは如何様なお話を?」



 各所に刻まれた傷に薬を塗り込みつつ、リリスはフェスティアに対してそう口を開く。


 姉弟二人きりの会話。その意図をなんとなく悟ったリリスは、侍女達とともにその場から離れ、持ち込まれた執務を代行していた。


 話はそれほど長引くことはなく、暇を告げたシュネシスに礼をして戻ったところ。


 それでも、フェスティアの表情に影は見られず、話の内容も満足のいくモノであったのだろう。



「先のことをな。ふふ、その心根は変わっておらぬか」



 リリスに身を預けつつ、口元に笑みを浮かべるフェスティア。


 詳しいことまで言うつもりはない様子であり、リリスもそれ以上を求めるつもりはない。時折、シュネシスから感じる野心に不信を抱くことはあれ、あくまでも長子としての責務から来るそれとも判断できる。


 今回の決戦に際しても、全力で戦い抜いたシュネシスに対する不信は今のところはない。



「しかしながら陛下。お傷の方は……」


「大丈夫だ」




 無駄な肉のないしなやかな身体とそこに刻まれた無数の傷。


 爆風による火傷の他にも、抉られたような箇所がいくつもあり、ギリギリの勝負となれば、これらの影響が必ず出てくる。


 しかし、眼前の女性が皇帝である限り、戦場に立ち続ける事は必定。


 それを説得するだけの気持ちもリリスにはなかった。


 リリス自身も、戦場を駆るフェスティアの傍らにあることこそが幸せなのである。とはいえ、主君の命が燃えつきようとしている最中に何も出来ぬ自分のもどかしさも同時にある。



「では、失礼いたします」


「うむ。そなたもゆっくり休め。明日は頼りにしているぞ」


「はい」



 ほどなく治療を終え、侍女達とともに髪や装備を調え終えると、天幕を後にする。


 剣の手入れはフェスティア自身が行うであろうし、後は明日の決戦に備えるだけのこと。それでなくとも、戦況が厳しいことに変わりはない。



(大帝ツァーベル。あの底知れぬ何かはいったい……)



 フェスティアの元を辞し、本陣各所を回りつつリリスはそんなことを考える。


 先頃にフェスティアと対峙したリヴィエト大帝ツァーベル・マノロフ。


 その傲岸不遜な態度もあったが、彼が纏う覇気は、侵略王朝の君主として他国を蹂躙してきた誇りと自信に満ちあふれている。


 しかし、それ以上の何かが、目の前に現れようとする敵主にはあるのではないかとリリスは思うのだった。



 そして、軍そのものを見ても、数の上での劣勢は変わらず、こちらは連戦に次ぐ連戦にて大きく消耗している。



 今のところは、連続する勝利に酔っている兵達であるが、それがいつどこでくじけるかも分からず、まさに綱渡りという状況に変わりはない。



「うん?」



 そんな折、リリスは近衛兵達が何やら慌てて様子で駆けていく様を目にする。



「何事だ?」


「見て参ります」



 そう口を開いたリリスに対し、侍女の一人が駆けていく。


 彼女は普段はフェスティアの侍女であり、身の回りの雑務や政務処理の補助しているが、その実は近衛軍の精鋭であり、フェスティアの身辺警護の任を担っている。


 リリスの後に続く他の二人も同様で、フェスティアが参戦し戦いには常に従軍しており、リリスとも旧知であった。



「リリス様っ」


「どうでした?」



 ほどなく戻って来た侍女であったが、その声は僅かに上ずっている。



「一大事にっ!!」


「なに?」


「結界がっ!! 本陣を取り囲むように結界が貼られております」


「結界?」


「はいっ。人を通すことはなく、外の様子を伺うことも不可能。加えて、武器や魔法による攻撃を受け付けませぬ」


「っ!? 案内せよ」




 息を整えつつ、そう口を開いた侍女。


 積み重ねられた修養により、普段から冷静な態度を崩さない者であるが、今回ばかりはそうもいかない様子だった。


 リリスとしても、それを聞いて不信に思わぬはずもない。


 侍女が元来た方向へと駆け始める傍ら、周囲にてどよめく近衛兵達にフェスティアの天幕を固めるように命ずると、さらに速度を上げる。


 そうしていて、ようやく兵達がざわめく様が目に映りはじめる。


 陣から僅かに離れた原野であり、シュネシスやハインが陣をかまえる場からはさほど離れてはいない。



「どういうことだ?」


「リリス様。我にも何が何だか」



 ちょうど近衛部隊長と本隊の狼騎長達が立ち合っている場に近づき、口を開くリリス。



 しかし、彼らもまた、原因が掴めずに首を振るうばかりである。



 そんな様子に、リリスは苛立ちを感じつつも、闇夜に同化する結界へと視線を向ける。

 



 その刹那。――――世界が赤く瞬いた。




 周囲に響き渡る轟音。跳ね上げられる兵達。そして、燃えさかる炎。



「な、なにっ!?」



 思わず声を上げるリリス。


 彼女の目には、舞い上がる巨大な火球の姿が映り込み、兵達の襲いかかる正体不明の敵達の歓声が耳に届く。


 一瞬のうちに、その場は赤き炎と剣戟の音に支配されたのだった。



「敵襲っ!? 馬鹿なっ!!」



 目の前で起こった突然の事態に、リリスは声を荒げる。


 この場はパルティノン全軍が布陣する平原のやや後方に位置する丘陵。後方は言うまでもなくパルティノン本国であり、こちらの勢力圏である。


 本陣に襲いかかるほどの敵兵力が通過できる余地もなく、ましてや本陣が奇襲を受けるほど警戒を緩めてはいない。



「リリス様っ!!」


「各部隊長は隊をまとめろっ!! 冷静に対処すればいい。近衛軍は後退し、陛下の御身を守る。皆々、冷静さを失うなっ!!」




 狼騎長の声に、リリスは毅然とそう答える。事実として本陣が敵襲を受けていることに疑いの余地はない。


 周囲に降り注ぐ火球が兵達を虚空へと舞上げ、正体不明の敵兵達が法術によって傷ついた兵達の襲いかかっている。


 一瞬のうちに混戦の様相を呈しはじめた現状であり、各指揮官の力量が問われるのだ。




「我々もいったん戻るぞ。陛下の御身をお守りするのだ」




 侍女達や近衛兵達にそう告げると、狼騎長達と別れ元来た大地を駆けるリリス。



 一刻の猶予も許されぬ状況下。一瞬の時間でも惜しいのだ。



 そんなとき、リリス達が駆ける周囲に眩い光が灯ったかと思うと、そこから黒一色に身を包んだ一団が彼女達へと襲いかかる。



「うわあっ!?」


「きゃあああっ!!」




 突然の襲撃に、さすがの近衛兵達も悲鳴とともに斬り伏せられる。


 それを見て取ったリリスは、怒りとともに、二,三人をまとめて斬り伏せる。その圧倒的な武勇に、襲撃者達はリリスの存在を察すると一斉に距離を取る。


 距離を取られると、黒一色に身を包んでいるため闇夜に溶けこんでしまう。


 動きも速く、手にした得物には毒が塗られている様子で、攻撃を受けた近衛兵達が、倒れ伏して呻きながらのたうち回りはじめる。



「リリス様。ヤツ等もしやっ!!」


「なんだ?」


「信徒兵……っ」




 襲撃を免れた二人の侍女が、リリスに対してそう口を開く。


 彼女等は近衛軍の精鋭。そして、彼女等はスラエヴォの悲劇以来フェスティアと行動を共にしている最古参。


 成人前にその悲劇を目の当たりにし、教団を強く憎んでいる人間の一人でもあるのだ。



 その敵種のことを忘れるはずもない。



「信徒兵だと? …………してやられたかっ!!」



 そうして、二人の言にリリスもまた、敵の正体を察する。


 今、中央軍はリヴィエトと対峙し、地方軍は治安の維持や他国の介入に目を光らせている。そして、リヴィエト軍はその主力の多くを失い、残っているのはツァーベルの直属が大半。



 これらのことを考えてみれば、今この時、パルティノンに、ひいてはフェスティアに害を為そうとするのは、教団以外にはないのである。




「この黒き者達は、スラエヴォにても多くの方々の命を奪った相手です」


「暗殺の専門集団というわけか」


「リリス様っ!! ここは、我々に。陛下の御身をっ!!」



 侍女の言に唇を噛みしめるリリス。


 そんなかの時の対して、近衛部隊長が声を上げる。


 奇襲を受けたとはいえ、暗殺者に後れを取るような近衛兵ではない。たしかに、この場を任せてフェスティアの身を守ることの方が先決である。


 周囲の剣戟や歓声の音はさらに大きくなり、敵の数も増している。


 結界の存在を考えても、脱出や増援の見込みはまず無いのだ。体勢を整えて敵に反撃するしかない。



「分かった。そなた達は、ヤツ等を始末して各地へっ!!」


「はっ!! お任せをっ!」


「……あの時の痛みと屈辱は、決して忘れぬっ!! 覚悟しろっ!!」



 再び飛び掛かってきた黒き者を斬り伏せたリリスは、そう言って駆け始めると、近衛部隊長や侍女達もまたそれに答え、黒き者達に飛び掛かっていく。


 暗殺を主体とする者達とあらゆる戦闘の専門集団の戦いである。決着の行方は容易に想像できるが、敵の数がどれほどまでかはリリスにも分かっていないのだ。


 精鋭たる近衛兵達の存在は、他の兵達にとっては大きな支えとなるはずだった。




 そうして、フェスティアの天幕へと駆け戻ったリリス。こちらにはまだ火の手は上がっておらず、集結した近衛兵達が緊張の面持ちで周囲を警戒しているだけであった。


 そんな近衛兵達を一瞥し、頷いたリリスはフェスティアの天幕へと入る。


 緊急事態に際して、声をかけることは不要であるとフェスティアからは言い含められている。



「陛下っ!!」


「謀反か」




 駆け込んだ先にて、フェスティアはすでに軍装を身に纏っていた。


 そして、短くそう口を開いたフェスティアに対して、リリスは短く答える。



「はい。外界とは遮断されて居ります故、周囲に気取られることなく」


「如何なる者の企てだ?」


「陛下。すでに、察しておられるとおりでございます」



 リリスの言に、フェスティアはその白く美しいままの手を固く握りしめ、血が滲みはじめる。



「…………教団かっ」



 その神々しいまでの容姿に怒気を発してそう呟いたフェスティア。


 そんな折、再び火球のよる破壊の音が本陣の轟きはじめた。




◇◆◇◆◇




 天より飛来する火球が、轟音とともに敵陣を焼き払っていく。


 敵陣。


 今となってはそう呼ばねばならぬ立場に、イースレイは静かに瞑目する。




「ふふふ。皇帝陛下も、まさか戦いを前にして寝首を掻かれるとは思ってもいないでしょうね」



 そんなイースレイの耳に、抑揚に乏しい少女の声が届く。


 視線を向けると、再び手に火球を宿したシヴィラが、普段の人形のような表情を崩し、小動物をいたぶる子どもの如き無邪気な笑みを浮かべている。


 思わず顔を顰めるイースレイであったが、彼女を止めることが出来なかった以上、自分もまた同罪でしかない。


 そう思いつつ、眼前で行われている破壊と殺戮に視線を向ける。


 シヴィラの放った法術によって、フェスティアの本陣は次々に焼き払われ、各所でぶつかりあいが起こっている。


 総勢で一万ほどのパルティノン兵がこの場におり、明日に控える決戦に際しても主力になると思われる精鋭達。


 そんな彼らであっても、巫女による傍若無人な法術とキーリアを中心とした信徒兵の圧力に、次々に討ち果たされていく。



「あはっはっはっはっはっ!! いいわよぉっ!! もっともっと、斬りかかってきなさいっ!!」



 視線の先にて、全身を赤く染めたグネヴィアが恍惚の表情を浮かべながらパルティノン兵を斬り伏せている。


 他のキーリア達も同様で、優先するパルティノン兵をあざ笑うかのように次々と死体の山を気付いていく。


 多くが先日の戦いでシュネシスととともに戦った者達であるが、その傍若無人な戦いぶりもシュネシスの統率によってまとめ上げられ、敵の獣人兵を圧倒した。



(それだけの力があるというのに。こうして…………)



 イースレイは、眼前での同志達の戦いぶりをそう悔やみつつも戦場に視線を向け続ける。


 とはいえ、抵抗を続けるパルティノン兵も意地を見せており、こちら側のキーリアを犠牲を出しつつも一人一人と確実に討ち取っていく。


 信徒兵に対して、数の差があれど、戦況は圧倒していると見てもよい。


 彼らの勇戦の背景には、周囲に貼られた結界によって、脱出が不可能なこと。


 加えて、こちら側の情け容赦のない攻撃に、一人とて討ち漏らすような意志が無いことは明白なことが明かなことからであろう。


 しかし、そんな彼らの勇戦も、無慈悲な声によって意味なきモノへと変えられる。




「ずいぶんやるわね。もっと呼ぶとしましょう」



 イースレイに背後にて、シヴィラがそう呟くと、再び眼前に眩い光が瞬き始めると、光の中から次々に信徒兵が姿を現し、パルティノン兵へと襲いかかっていく。


 思いがけない奇襲に、ギリギリのところで信徒兵やキーリアと対峙していたパルティノン兵達もなすすべ無く討ち取られていく。



「皇帝陛下もこれでお終いでしょうね。パルティノンもまた」


「ロジェ、貴方の任務も、これで成功ね。フェスティアに負けたり、お父様に叱責されたりする様は滑稽だったけど」


「…………巫女様」


「いまだにそう呼ぶの? もう、あなた達の操り人形じゃないだから、止めてほしいわね」




 戦況を見つめつつそう呟いたロジェスに対し、シヴィラは小馬鹿にするような口調でそう告げる。


 彼女がリヴィエトの皇女であり、パルティノンを崩壊させるために送り込まれたことはイースレイも聞き知っている。


 ロジェスもジェストもダルトスも、工作員としてシヴィラに同行してきたのだ。




「シヴィラっ!!」




 そんな時、一騎の騎兵が対峙していたキーリアを斬り伏せると、こちらへと向かって馬を駆ってくる。


 その出で立ちから、パルティノン軍の狼騎長であろうが、キーリアを一騎討ちで倒すという驚きの戦果を上げている。


 もっとも、全身を赤く染め、息も絶え絶えな様子であることは、遠目で見てもよく分かったが。




「おいおい。ずいぶん、熱血なヤツだな。パルティノン兵はああいうのばかりでかなわねえ」




 そんな騎兵の姿を目に止めたジェストが、歩行車を揺らしながらそう口を開く。


 アイアースによるフェスティア救出の際に、彼との戦いに敗れたジェストは、歩行の量力を失っており、今ももっぱら法術による支援が主。


 とはいえ、元々の品性の無さに変わりはない。




「っ!? なんだよ?」




 そんなジェストにゴミを見るかのような視線を向けたイースレイは、静かにシヴィラの前に立つと、剣を構え騎兵の接近を見つめる。


 怒りに身を任せた突撃かと思えば、妨害に立つ信徒兵を冷静に撃破している。さすがのフェスティア直属の狼騎長といったところであり、その武勇はキーリアとなれば確実に上位に食い込めるほどのモノとも思う。



「イースレイっ!?」




 そんな狼騎長であったが、眼前に立ちふさがるキーリアの姿に目を剥く。


 しかし、イースレイの背後にはシヴィラがおり、主君を救うためには必ず倒さねばならぬ相手。


 一瞬たじろいだ狼騎長であったが、速度を上げてイースレイへと向かってきた。



(すまない……)



 心の内でそう呟いたイースレイ。


 狼騎長と自分の力量差は隔絶している。それ故に、彼が自分の手によって倒れることは確定事項とイースレイは思っている。


 だが、イースレイは№1のキーリアとしての実力は持ち得ているが、真の武人、もしくは主君に忠誠を尽くす軍人としての心までは持ち合わせていなかった。


 そして、イースレイに迫る狼騎長の脳裏には、とある男の姿が映っている。




「帝国に栄光あれっっ!!」



 剣を合わせよう対峙する両者。


 今まさに白刃が交錯しようとしたその最中、狼騎長はそう叫ぶと、自身の誇りとも言うべき愛馬から跳躍し、イースレイへと飛び掛かる。



「なっ!?」



 まさに虚を突く行動であり、その手に握られた剣は、イースレイの首ではなく、彼の利き腕である右の腕目がけて伸ばされていく。


 咄嗟に身を翻して剣を振るうイースレイ。しかし、それを予測していた狼騎長は、自身の首へと食い込む白刃を気にすることなく、イースレイの膝元を斬り裂いた。



「ぐっ!? ば、馬鹿なっ!?」



 周囲に吹き上がる鮮血。


 互いに組み合うように崩れ落ちる両者であったが、生者と死者の違いはあれど、勝者と敗者がどちらであるのかは明白であった。




「あーあ、何やっているのよっ!!」



 倒れ込み、膝元から吹き上げる血を抑えるイースレイに対し、シヴィラがあきれながら近寄り、治癒法術である光り魔法を施していく。



「も、申し訳ありません」


「腱までいっているな……。№1がなんて様だっ!!」




 思いがけぬ負傷にあきれる首脳達。


 キーリアである以上、重傷もほどなく回復するが、最強の戦力が取るに足らぬ相手によって削り取られたことになったのだ。



 彼らの失望も当然と言える。



 そして、それを待っていたかのように歓声が原野に轟く。




「おいおい、来やがったぞ? こんな時にっ!!」



 歓声に視線を向けたイースレイやシヴィラの耳に届くジェストの声。


 その場にいる者達の視線の先には、白地に青の意匠を施した軍装を纏い、漆黒と赤の外套を身に着けた騎兵。


 その身の黒みがかった銀色の髪を周囲の炎によって赤く輝かせる様は、天上に降り立った軍神と呼んでも差し支え無きほどの姿。


 そして、一刀のもとにグネヴィアを斬り捨てたその目には、はっきりとした憎悪の炎が灯っていた。



「く、来るっ!?」


「へえ。わざわざ殺されに来てくれるなんて、相変わらずお人好しね。イースレイ、私にいったこと、しっかりと果たしてくれるわよね?」


「……命に代えて」




 目の前に現れた女帝の姿に恐れおののく者達。


 しかし、その中にあって“天の巫女”その人だけは、不敵な笑みとともに女帝の姿を見つめている。


 そんな巫女の問い掛けに対して、イースレイは瞑目しつつ、頷くしかなかった。

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