第50話 終幕と開幕③
昨日は投稿できずに申し訳ありませんでした。
戦いの決着はついた。
水晶球に映る戦況を見つめる誰もがそう思うと、皆一様に安堵の表情を浮かべている。
圧倒的大軍を相手に、十分すぎるほどの奮戦を続けたパルティノン軍。
それでも、敵の圧力の前に後退を余儀なくされ、ついには川縁にまで追い詰められる形になっていた。
だが、そこはすでに泥濘になっており、追撃を続けたリヴィエト軍は矢の雨に射抜かれ、さらに矢が尽きれば、大河へと残りのリヴィエト軍を引き込み、それを殲滅した。
入念な下準備と地の利があっての勝利であり、リヴィエト軍の致命的失敗に助けられた面があったとはいえ、その戦力差を考えれば奇跡的な勝利と呼べるだろう。
そして、リヴィエト側の生き残りが対岸にて待ち構えるパルティノン側に最後の意地を見せるべく突撃していく。
彼らにも誇りや矜持があり、降伏することなどあり得ない。
それをフェスティアをはじめとするパルティノン側も理解しており、全力を持って相手をしようとしていた。
と、そんな光景を見つめていた者達の耳に、瓦礫の重なり合う音が届く。
「殿下っ!?」
真っ先に視線を向けたフェルミナが、声とともに音の方へと駆ける。
彼女の向かう先には、全身を赤く染めた青年がたたずみ、破壊された神殿に吹きつける風によって、白と黒の入り混じった髪と耳が静かに揺れている。
「殿下? なんというか、どうしちゃったの~??」
「俺に聞かれても知らんよ」
そんな青年。アイアースは、駆け寄ってきたフェルミナを抱きとめながら、その頭を撫でると、その自然な動作にあきれるミュウの言に首を傾げる。
彼自身も、今の自分の姿に困惑している様子だった。
「ティグの血を目覚めさせることで、刻印の支配に耐えたと言うことであろう。ふふ、両親に感謝することだな」
そんなアイアースに対して、優しく微笑むオイレ。
過酷な試練に挑ませたとはい、彼にとって、アイアースは実孫。無事に帰還したことを喜ばぬはずはない。
「お祖父様」
「しかし、孫ながら、リアと瓜二つとはな。今だけであろうが……」
「わたくしは母上に似ておりますか?」
祖父の言に、アイアースは思わず目頭を熱くさせるが、言葉が続かない。
兄弟達とはまた別の肉親との再会なのである。とはいえ、兄弟達以上の繋がりを感じるようにも思えるのは気のせいなのかとも思う。
とはいえ、オイレ自身も失った愛娘によく似た孫というのはかわいいモノであるのかも知れない。
「うむ。もっとも、中身は父親そっくりなようだがな」
「は?」
「殿下。いつまでフェルミナを抱きしめている気ですか?」
アイアースの言に満足げに頷いたオイレであったが、すぐに苦笑を浮かべはじめる。
父に似ているというはわかるが、それが苦笑に繋がる意味が分からないアイアース。しかし、ジト目を浮かべたミュウが、指差した先には、今も胸元で嗚咽しているフェルミナの姿。
「なにか問題でも?」
しかし、平然とそう応えたアイアースに対し、一瞬目を剥いた大人三人と表情を顰める女性二人。
「悪いわねえオイレ。どうにも、息子と孫の血が悪かったみたいで」
「いえ……。英雄色を……いやしかし」
「……殿下? 覚悟は出来ておるのだろうな」
「はい。――――ですが、そんなことよりも、お祖母様っ!!」
と、頭を抱える大人三人に対し、アイアースは声を上げる。
突然のことに再び目を丸くする三人に対し、顰め面からはっきりとした怒気をたたえる二人。
当然、ミュウとフィリスにとっては、純粋なフェルミナを責めることは出来ず、天然たらしのアイアースに苛立ちが募っていた。
だが、アイアースからすると、今この場で恋愛脳になっている二人の方が間違っているのだった。
「強大な力が、急速に姉上の下に迫っているようです。なんとかできませんか?」
「なんですって!? …………っ!? いないっ!?」
アイアースは先ほど吐き出した法術の影響か、意識を断っており、今し方目覚めたばかりであった。
目覚めのきっかけは、自身の身体に流れる刻印の力が反応したなにかの為である。
その正体がわからずにいたアイアースであったが、ある程度の予想はつく。
その力の向かった先にあるもう一つの力。この正体は、ある一人の女性以外には思えないのだ。
そして、アイアースの言から事の次第を理解したヒュプノイアは、即座に水晶球の先で交戦する両軍から、無人の大地へと水晶に映る映像を切り替える。
思わず声を上げるヒュプノイアだったが、彼女の目に映るそこには、本来映っているはずのモノが映っていなかったのだ。
オイレや飛天魔の王もまた、その状況に目を見開き、額に汗を浮かべはじめる。
「転移かっ!? しかし、あれだけの質量のモノを……」
「不可能ではないはずよ。ただ、今はそんなことを話している場合じゃないわっ」
オイレの言を、ヒュプノイアは生まれてはじめてと言ってよいほど慌てながら否定する。現状、傷ついたパルティノン軍の前にそれが現れたとすれば、待っているのは破滅以外にない。
「私を」
「駄目よ。今行っても死ぬだけだわ」
状況を理解したアイアースが口を開き駆けるが、ヒュプノイアはあっさりと彼の言を封じる。
その視線の鋭さにフェルミナやミュウは身体を震わせるが、アイアースはなおも引き下がるつもりはない。
「なぜです? 私はこの時のために力を得たはずです。そして、お祖母様ならば私を」
「力は得たけど、身体はぼろぼろよ。転移した習慣気を失ってお終いだわ」
「ですが……っ!?」
そうして、ヒュプノイアの言に事情を受け入れたのは、アイアースではなく、周囲の者達。
少々熱くなり、背後を無防備に晒していたアイアースに対し、フィリスが歩み寄るとその首筋を打ったのだ。
「殿下、申し訳ありません」
「今は寝かせてあげなさい。自分で目覚めるその時までね。目覚めた時が、あなたの力を行使する時よ」
静かにそう言いつつアイアースを支えるフィリスとそれを見ていたヒュプノイアは、厳しい表情を浮かべたままそう口を開く。
暴走しかけた恋人や曾孫に対して、少々厳しい扱いであったのかも知れなかったが、仲間に対する思いの結果が無駄死にではあまりにむごい。
長身のアイアースを、フィリス達三人で支えながら寝所へと向かうのを見送り、再び水晶球に目を向けるヒュプノイア達。
今の彼女達には、戦いに敗れて膝をつく男に対し、剣を突き付ける女性に未来を託すしかなかったのだ。
しかし、そんな彼女達の予想すらも上回る自体が、視線の先にある女性へと迫っていることを知るよしもなかった。
◇◆◇◆◇
虚空へと舞い上がる剣が、光りを纏いながら荒れ狂う大河へと身を投じていく。
それを受けて膝をついた男に対し、フェスティアは静かに剣を突き付ける。
「終わったなようだな……」
「…………そのようだ」
フェスティアの言に、バグライオフはそう答えると静かに目を閉ざす。
クトゥーズとの会話から、彼がパルティノンの言語を解することはすでに知っており、自身の敗北を受け入れんとしている様が見て取れる。
「リヴィエト軍を率いての勇戦は真に見事。戦場で会わなければ、よき戦友となれたかも知れぬ。だが……」
そう言って、静かに目を閉ざすフェスティア。
今ここで、彼らの侵略をなじることは簡単である。多くの民が傷つき、多くの兵達が戦場に倒れた。
フェスティアは、彼らの侵略の根拠を知っているが故に、尚更腹立たしくも思う。
とはいえ、憎しみのみで人を斬ることは、彼女自身の美徳にも反するのだった。
「あなた方が、民を、祖国を守るように、我々もまた、リヴィエトの誇りと大帝への忠義を賭けたまでのこと。それを否定するつもりはない」
「…………」
目を見開き、静かにそう口を開くバグライオフに対し、フェスティアは無言で視線を向けるだけである。
眼前の男に目に淀みはなく、すべてを賭けて戦った男に対して、批判や誹謗めいた言動は礼を失する。
「だが、フェスティア・ラトル・パルティヌス陛下。貴方をはじめとするパルティノン将兵の勇戦と采配には、心より敬意を表する。――軍人として、最後に貴方のような方と相まみえたことは、私の誇りであります」
静かにフェスティアに対してそう告げるバグライオフ。
彼に付き従ってきた騎兵達も、皆武器を捨て上官の言葉に耳を傾けている。どこか精々しいまでの振る舞いに、尚武の気風が強いパルティノン将兵は、素直に感動し、眼前の敵種達に対して敬礼する者も出てきている。
「私も、貴公等と相まみえたことは決して忘れぬ。見事であった」
そんな周囲の様子に、フェスティアはそう口を開く。
そして、ゆっくりと剣を振り上げると、他の騎兵達を取り囲んでいたパルティノン兵達もそれに倣う。
死を望む相手に剣を振るうことは、相手に対する礼儀。
少なくとも彼女達はそう思っていた。
それに対して、満足げな笑みを浮かべるバグライオフもまた同様。
そう思っている周囲の者達の目に映るその表情は、なにかをやりきった男のそれであり、察しの良い者であれば、彼の真意に気付くこともあったのかも知れない。
だが、今は勝利を約束された状況。
いかにフェスティアと言えど、心に慢心が生まれたとしても不思議ではない。
「リヴィエトとパルティノンに、栄光と祝福あれっ!!」
振り下ろされる剣に視線を向けつつ、そう声を上げたバグライオフ。
周囲に閃光と轟音が轟いたのは、その刹那。
バグライオフとフェスティアはその閃光に飲み込まれて、他のリヴィエト騎兵の周囲でも、パルティノン兵が閃光に吹き飛ばされる。
「陛下っ!!」
そんな閃光と轟音の中を主君の姿を求めて駆け寄るリリス。
ほどなく光りがやみ、自分によりかかってくる柔らかいなにかを受け止めると、なにかぬめりを持ったモノが自身の手を流れている。
「くぅっ……」
「陛下、陛下っ!!」
「姉上っ!! アルテアっ、フォティーナっ、早く来てくれっ!!」
「大丈夫だ。くっ……、私の腕を持っていくつもりだったか」
リリスが受け止めたのは、全身を赤く染めたフェスティアであり、流れる何かの正体が、フェスティアが全身から流す赤き血である。
それに気付いたリリスは、狼狽してしまい、フェスティアを呼びかけることしかできなかった。
シュネシスはシュネシスで、応急法術を得意とする二人を捜しに陣内を駆け回る。交戦に際し、近接戦に劣る両名は後方へと避難している。
そんなリリスに静かに口を開き、顔を顰めながら左腕を押さえるフェスティア。
急所を庇ったのか、左腕の出血がひどい。
「ぐぅ……、し、死して……、大帝にお詫びを」
耳に届くそんな声に目を向けると、内腑をまき散らし、四肢を分裂させて横たわるバグライオフの姿。
息も絶え絶えに成りながら、静かにそう告げると、バグライオフの目から光りが消え、首がだらりと横たわる。
「……残念だが、腕はまだ動くぞ? だが、見事なまでの忠義だ」
「陛下。いったん安静に。止血をいたします」
「ああ……」
痛みに顔を顰めながら手を握り返し、腕を上下させるフェスティア。
全体の皮膚が抉られ、黒ずんでいる腕であったが、重要な腱や神経は奇跡的に無事な様子だった。
それでも、出血が続けば腕自体が壊死してしまい、早急な処置が必要なことに変わりはない。
外套を脱ぎ、フェスティアを横たわらせたリリスは、救護兵や対岸に詰めていた軍医を呼ぶ様に指示を出すと、応急のための器具を持ってこさせる。
「陛下、少し痛みます」
止血薬と消毒薬を布に浸し、無数に開いている傷口に当てていく。
それでも出血は続くが、止血薬の効果と彼女がもつ守護の力によって傷口は確実に癒えている。
「陛下、ご気分は?」
「痛みだけだな。戦場でよかった……、気をやらずにすむ」
「いったい何が?」
「わからぬ。服の下になにかを仕込んでいた様子だったが……。障壁を破られたときはさすがに肝が冷えたぞ」
「そうですね。私もどうなることかと」
「心配をかけた。だが、兵達が動揺しているな」
至近距離で相手の自爆をもろに受ける形になったフェスティアであったが、その表情に苦痛の類は見られない。
だが、戦場で疲弊した身体である。
加えて、お腹に御子を抱える身。いかに強健な肉体と守護を持っているとしても、身体が限界を迎えれば待っているのは死。
平然としているフェスティアに対し、リリスは心臓が止まるかと思うほどの衝撃を感じていたのだ。
だが、当のフェスティアの関心は、自身の身を案じることよりも、先ほどのことにざわつく兵達へと向けられていた。
「陛下、お待たせいたしましたっ。こちらへ」
「うむ。ただ、少し待て」
慌てて駆け寄ってきた軍医やアルテア等に対し、ゆっくりと身を起こしたフェスティア。
はじめこそ、意図が知れなかったリリスであったが、短く口笛をきったフェスティアを見て、その真意を知る。
慌てて止めようとしたが、すでに時遅くフェスティアは馬上の人となる。
「勇敢なるパルティノンの兵達よ。心配をかけた」
そして、周囲の者達が顔を青ざめる中、フェスティアは血に汚れた軍装や今も血の滲み出す傷を隠すことなく馬を走らせると、高台にて全軍を見下ろし、口を開く。
「敵将バグライオフの見事な意地により、こうして私は傷を負っている。だが、こんなモノは私にとってはかすり傷。戦にはなんの問題もない」
先ほどまでの苦痛はどこに行ったのか、朗々と語り、剣を振るうフェスティアの姿に、はじめこそ消沈していた兵達に目に光りが灯りはじめる。
皆が皆、眼前の若き女傑の存在を頼みとしている。それが、パルティノン皇帝たる所以であり、常に前線に立つことを誇りとしてきた理由。
皇帝として、常に兵の希望にならねばならかったのだ。
「そして今、一つの戦いは終わった。敵リヴィエト軍五〇万はその大半が、パルティノンの大地の藻屑となり、敵総司令官も冥府の門をくぐった。紛れもなき我々の勝利である。勝ち鬨を上げよっ!!」
そして、さらに声を上げるフェスティア。彼女の号令を持って、兵士達が次々に咆哮していく。
そんな兵達の表情に、先ほどまでの沈痛な面持ちはなかった。
「すごいモノだな。姉上のお力は」
「殿下も人ごとではありませんよ?」
「分かっている。しかし、改めて言われるまで、勝利の実感はなかったな」
周囲の勝ち鬨にあわせ、拳を突き上げたシュネシスとリリス。
目の前でフェスティアの負傷を目の当たりにした両者もまた、勝利の実感を感じることが出来たのは今し方。
それだけ、フェスティアの負傷は全軍の士気を崩壊させ、即座に敗北と同等の空気を作り出しかねないのだった。
「心配をかけたな」
そして、悠然と馬を進めてくるフェスティアが、そう言いながら笑みを浮かべる。
全身の傷はいまだに血を滲ませ、血の気もひいているところを見れば、全身が激痛に襲われていることは想像できる。
しかし、自身の責務を理解するからこその立ち姿であるとリリスは思った。
「陛下――――っ!?」
そんなフェスティアに対して、身体を労るようにと誓願しようとしたリリス。
しかし、彼女の言は、突如周囲に巻き起こった突風によってふさがれた。
「な、何事だっ!?」
「っ!? …………あれはっ」
「な、なぜ、この場にっ!?」
吹き荒れる暴風が、天幕や旗指物を吹き飛ばし、草木を激しく揺すぶる。
兵士達もそんな突風に煽られて、必死に周囲モノに捕まり、姿勢を保っている。
そんな中、背後を振り返ったリリスの目に映ったモノ。
フェスティアやシュネシスも、眼前のそれに自身の目を疑い、硬直している。
三人の視線の先にて、暴風を吹き散らせ、その周囲の空間をねじ曲げて雷鳴を轟かせているそれは、リヴィエト軍の本拠地であり、今回の侵略の拠点たる敵浮遊要塞がその姿を現したのである。
一つの戦いが終幕を迎え、もう一つの戦いが開幕を迎えようとしていた。




