第49話 終幕と開幕②
泥濘となった大地は兵士達の死体で埋まっていた。
進むたび足を取られ、矢の的になっていく兵士達。思わず足を止めはじめた後続であったが、その耳に届くのは指揮官達の怒声だった。
「何を止まっているっ!! 貴様らの目の前には、パルティノンの女帝がいる。臆せず進めいっ!!」
そんな指揮官の怒声に、顔を青ざめながら突き進んでくるリヴィエト兵達。
恐る恐ると言った様子で泥濘に足を踏み入れ、慎重に進んでくる兵士達だったが、射掛けられる矢を盾で防ぎ、泥濘を乗り越えてくる。
リリスはフェスティアやシュネシスをはじめとするキーリア達と馬上にて弓をかまえ、次々にそれを放っていくが、それでも敵の兵士達は数を減らしていない。
むしろ、こちらから射掛けられる矢に耐えていくうちに、しびれをきらして味方の死体を足場にする兵士が出はじめている。
「そうだっ!! 足場は次々に出来るのだっ!! 味方の屍を越えて敵を討てっ!!」
後方にてそう叫ぶ指揮官が、両の手に盾をかまえながら前進をはじめる。
「なんと、愚かな……」
そんな敵の様子に、リリスは思わずそう嘆く。
戦いに倒れた兵士達に対してのあまりにむごい扱いであるが、周囲に出来上がる死体の列にリヴィエト兵は躊躇することなく前進してくる。
「味方の死が当然になりすぎて、感覚麻痺しているのかもしれぬ。失敗であったか……」
リリスの言に、フェスティアが静かにそう答える。
たしかに、戦いが始まってから、リヴィエト側に生じている被害はパルティノン側をはるかに上回っている。
元々の数が段違いであるとはいえ、パルティノン側が全体の1割に届かない死者を出す中で、リヴィエト側は見た目だけでも2~3割を超えている。
はじめほどの圧力も、圧倒されるような布陣はもう見られないのだ。
それでも、数的優位が覆されるわけでも無し、全軍がこちら側へと殺到している状況では、前衛部隊は前進する以外に選択の余地はない。
「とはいえ、こちらの矢にも限りがあります」
「そうですね」
フェスティアの言に頷いたシュネシスが矢を放つと、リリスもまた傍らに立つ兵士から矢を受け取り、思いきり引き絞る。
両腕に盾をかまえ、重装の甲冑で身を固める敵指揮官の姿が視界に写る。
騎馬を射抜けば動きを封じることは用意であったが、彼の指揮官は自身の手で討ち取ってやりたい気持ちが先ほどから燻り続けている。
ギリギリと引き絞られる弓弦。
それを引き絞る腕もまた震え始める。射程は十分。弓の性能を考えれば、十分に届く。
問題は、装備の届かぬ場を射抜けるかどうかだけ。
騎射自体はそれほど得意ではないリリスであったが、射程などは己の膂力で補える。そのため、敵の急所を射抜くことだけに意識を傾ければそれでよい。
狙うはわずかに空いた額。
周囲にて死体の列を作る兵達に対して、件の指揮官だけが果敢にも前進を続け、その姿が後続のリヴィエト兵にも勇気を与えている様子だったのだ。
「敵の矢とて無限ではないっ!! 突き進めっ。貴様らが盾になればなるだけ後方の味方は生きる。味方のために進むのだっ!!」
「なかなか当を得ているわねえ」
そんな指揮官の声がこちらへと届くと、グネヴィアがのんびりとした口調でそう口を開くと、泥濘に嵌ってもがいている兵士に対して弓を引き絞る。
放たれた矢は、兵士の肩に突き刺さり、泥濘に倒れ伏すと今度は足を射抜き、さらに兵士がもがきはじめる。
「ふふふ、いいわねえ。あの顔。もっと見せてぇ」
「っ!!」
敵兵士を嬲るように射続けるグネヴィアの言動に苛立ちが募のるリリスであったが、その苛立ちを抑えることで、いっそう敵指揮官を一撃で仕留めることに専心していく。
今も泥濘でもがくリヴィエト兵に対して、肩を、足を射抜き、その度に兵士が苦痛に顔をゆがめる様を見つめて笑みを浮かべるような人間とは一緒になりたくないのだ。
「っ!!」
そして、引き放たれた矢は真っ直ぐに敵指揮官へと向かっていく。
だが、正面から高速で飛来するそれに、敵指揮官が気付き盾を前面に翳してそれを防ぐ。
思わず、唇を嚼んだリリスであったが、矢と盾の激突とは思えぬほどの音が周囲に轟くと、敵指揮官は勢いに押されて落馬していた。
「今だ、射抜けっ!!」
それを見て取ったフェスティアの号令の下、膨大な数の矢が指揮官の周辺に降り注いでいく。
はじめこそ、声を荒げながらそれに耐えていた指揮官であったが、降り続ける矢の雨に、彼の身につけていた甲冑や盾が破損し、やがて彼の身体に矢が突き立ちはじめると、その声も聞こえなくなっていく。
「…………陛下、そろそろ」
そんな敵指揮官の姿を一瞥したリリスは、矢束がすでに尽きかけていることに気付き、フェスティアに対して顔を向ける。
「うむ。全軍、土蜘蛛の陣。決して気取られるなっ」
「はっ。全軍、土蜘蛛っ!! 急げっ!!」
リリスの言に頷いたフェスティアは、静かにそう告げると剣を振るう。
それに答えたリリスは、周囲の騎兵達のそう告げ、彼らもまた各地へと散っていく。そして、リリスは後方に向けて、鏑矢と呼ばれる特殊な矢を引き絞る。
空気を斬り裂く音がパルティノン側に響き渡ると、続けざまにそれが虚空へと放たれていった。
◇◆◇◆◇
眼前に広がる光景に、バグライオフは口を閉ざすしかなかった。
泥濘となった大地に兵士達の遺体が積み重なり、それを足場にパルティノン側へと突撃を繰り返すリヴィエト兵達。
進軍の停止命令を繰り返し発していたが、案の定戦の空気に狂った将軍達に無視され、こうしておびただしい死者を出している。
とはいえ、数を頼みにパルティノン側に肉薄する部隊を出てきており、皮肉にも味方の屍を越えて突き進んだだけの価値は見出せている。
「それで、何か釈明することはあるか?」
「釈明だとっ!? 貴様になんの権限があってこのようなことをっ!!」
そんな前線の様子に眉を顰めたバグライオフは、凍結した視線を足元に転がる人間達に対して向ける。
彼らは暴走した将軍達であり、ようやく前衛に追い付いたバグライオフの命でほぼ全員が捕縛されている。
「権限だと? 私は総司令だ。釈明を聞いてやろうとしているだけありがたいと思えっ!!」
「何が総司令だっ!! 大帝陛下の腰巾着風情がっ!!」
「そうだ。貴様の指揮でどれだけの兵士が死んだというのだ? あげく、敵側を賞賛するような言動を繰り返す貴様などに」
捕らえられてなおも自分に対して怨嗟を向けてくる将軍達に、バグライオフも苛立ち、声を荒げるが、それはさらなる破綻を呼ぶだけであった。
とはいえ、彼らが後方にて兵士達を煽るだけで、前線に飛び込んだ様子は見られない。
そのため、周囲に控える兵士達から彼らを助けようなどと言うものは現れなかった。
「功名のために敵の策に嵌り、こうして兵士が血を流す中で、後方に身を置いていた貴様らが何を言う? 敗戦はたしかに私の責。なれば、一人でも多くの兵を大帝の下にお届けするよう務めるのが貴様らの役目だ。それを放棄し、目先の欲に釣られた貴様らに、私を非難する資格はない。――斬れっ!!」
そして、これ以上の問答は無用と判断したバグライオフは、将軍達から顔を背けると、素っ気なくそう命ずる。
怨嗟の言を喚きながら連行されていく将軍達の列を見送ると、バグライオフは泥濘地に横たわる将兵達に対して瞑目した。
無謀な突撃のために異国の地に屍をさらす同胞達。
だが、それによって作り出された道を進む以外にバグライオフ以下のリヴィエト軍の進む道はない。
そして、バグライオフは、その先に陣取るパルティノン軍を睨み付ける。
パルティノン側も、大地を埋め尽くすほどの死体の列を作り出した以上、矢玉はすでに尽きている様子でこちらに視線を送っている。
そして、後退を重ねた彼らの背後には大河が横たわり、生き残るべくはこちらの正面を突破する以外に道はない。
お互いに最後の激突を望んでいる。
そう思ったバグライオフは、周囲に居ならぶ騎兵や兵士達の対して口を開く。
「諸君。これが最後だ。眼前には、敵女帝の首。他のモノには目をくれなくて良い。リヴィエト軍三〇万をもって、ただフェスティア・ラトル・パルティヌスの首のみを目指せっ!! 死して大帝の恩に報いるのだっ!!」
静かに、そして強くそう言い放ったバグライオフに対し、周囲の騎兵や兵士達が歓声を上げる。
前衛の兵士達はともかくとして、彼の麾下にて戦い続けていた彼らにとっては、バグライオフへの忠義は皇帝のそれ以上。
指揮官が死を選ぶ以上、それに続く以外に選択肢は無い。
そして、得物である槍を天高く掲げたバグライオフは、それをゆっくりと振り下ろすと、手綱を振るう。
棹立ちになり、疾駆に移った騎馬に揺られながら、泥濘に倒れ伏す兵士達を足場にパルティノン軍へと迫っていく。
途中、射掛けられてくる矢を払い、さらに騎馬を進めていく。
ほどなく、敵のキーリアと思われる白き軍装をに身を包んだ一団と、それに守られるようにこちらを見つめている女性の姿。
白と青を基調とした軍装に黒と赤の外套。そして、黒みがかった銀色の髪が陽に照らされて鮮やかに輝いている。
(これが、我々の敵主か…………。まだ、若いのだな)
そんなフェスティアに姿に、バグライオフは故郷に残してきた家族の姿を脳裏に浮かべはじめる。
ちょうど、一番上の娘と同じ年頃ではないかと思うバグライオフであったが、そんな女性を自分の手で討たねばならない。
戦場においては割り切らねばならぬ事でもあった。
「参るぞっ!! フェスティアっ!!」
そんな敵将に対して声を上げたバグライオフは、槍を振るってさらに速度を上げる。
だが、敵将フェスティアは、こちらを一瞥すると、馬首を回して後方へと駆け始めた。
最後の一戦と覚悟を決めていたバグライオフは、思わず裏切られたような思いを感じるが、槍を振り上げてそれを追った。
「逃げるかっ!? パルティノンの女帝よっ!! 貴様らの背後には大河があるだけぞっ!!」
速度を上げながらそう叫んだバグライオフであったが、途端に妙な違和感を全身に感じ始める。
大河を背に布陣していたパルティノン軍はほぼ全軍のはずであり、こちらの攻勢に対して後退する余裕など無いはず。
しかし、現実にはパルティノン側はこちらに対して再びの後退を開始しているのだ。
さらに馬を進めつつそんなことを考えるバグライオフであったが、その答えはすぐに彼の目に飛び込んでくる。
「ば、馬鹿なっ!?」
眼前の光景に思わず声を上げるバグライオフ。
周囲の騎兵や兵士達も、目の前で起きていることが、現実の出来事とは思えなかったのである。
それは、パルティノン軍が、大河の水上を駆けていく光景であった。
「水上橋? しかし、これほど巨大なモノが?」
敵への奇襲に際し、船などを連結させて一時的に橋を作り出す事はあるが、今目の前でパルティノン軍が渡河をしている場は、優に一キロほどの幅がある地域。
数十万の大軍が渡っても十分なだけの広さと耐久性が用意されている証でもある。
「閣下……、如何なさいますか?」
「…………っ!! 前進だっ」
「行かれますかっ!?」
「渡河中のパルティノン軍に伏兵はない。フェスティアが渡河を終えるまでに決着をつけるのだっ!!」
「ははっ!!」
副官の問いに、バグライオフは一瞬瞑目すると、すぐにそう決断する。
橋梁上に伏兵があるとは思えないが、対岸にどれだけの兵が潜んでいるかは想像もつかない。
ここでフェスティアとの決着をつけることだけが、勝利の可能性を見出せるのだった。
再び槍を振り上げて大地を蹴るリヴィエト軍は勢いそのままに河川上へと身を投じていく。
しかし、覚悟を決めた突撃は、同時に死地への誘いでもあった。
眼前のフェスティアの首に目を眩ませて破滅した将軍達であったが、彼女の首だけが目に映っているのは、残念ながらバグライオフも同様であるのだった。
もし仮に、スヴォロフの指揮下にあって手勢をもって事に当たっていればどうなったか。
仮にも前衛軍を率いていた彼は、こうして終始圧倒されていたテルノヴェリの戦いとは比べものにならないほどの果断な指揮と巧みな計略を持ってパルティノン中央軍を相対していた。
しかし、想像を絶する大軍の統率と同胞達からのやっかみが彼の目を確実に曇らせ、破滅へと誘い続けていたのである。
「っ!? なぜだっ!?」
そんなこととは露知らず、眼前のパルティノン軍を追撃するバグライオフであったが、パルティノン軍との距離は開く一方であり、進軍速度も徐々に落ち始め
ている。
「閣下。緩やかにですが、水位が上昇していますっ」
「馬鹿なっ!? ヤツ等、皇帝もろとも我らを葬るつもりかっ!?」
川の中程まで進んだバグライオフであったが、副官の言に速度の低下が水位の上昇によるモノである事を察する。
水上橋が緩やかに水中へと沈みはじめていることはたしかな様子であった。
「し、しまったっ!?」
今となっては後悔したところですべては後も祭りであったが、後退するパルティノン軍は、陣立てを変えて後退する自軍をリヴィエト側に晒さぬよう動いていた。
そうして、フェスティアをはじめとする最前衛が渡りはじめる頃には大半が渡河を終えた後のこと。
そこに、リヴィエト側は全軍で追撃をしてきたのである。当然、水上橋がその重さに耐えるのは困難。
そして、足を奪われた彼らの元に、その最後を告げるための使者が確実に迫っていた。
「閣下……。この音は……」
「なんと言うことだ……。私も無能一人か……」
河上に視線を向け、声を震わせる副官にたいし、バグライオフは静かに瞑目する。
パルティノンはこちらとの数の差を念頭に戦いを続けていた。
それに対して、リヴィエト側はあくまでも数の差を利点に戦いを続け、多くの兵士を異国の地に倒れさせてきた。
実際に、数によって戦況を圧倒したのだから、それは間違っていなかったと思う。
だが、自分達は、パルティノンという国や軍にだけでなく、その大地にすらも負けていたのだろうと今更ながらに思う。
そして、総司令官がその歩みを止めたリヴィエト軍の前には、獰猛なる自然の脅威が巨大なうねりとともに襲いかかろうとしていた。
◇◆◇◆◇
渡河を終えたフェスティア等の耳に、大地を揺るがす轟音が届きはじめた。
「巻き込まれるぞっ!! 総員高台へ急げっ!!」
フェスティアは、そう言って小高くなっている丘へと馬を急がせる。
ほどなく丘の頂上に到達し、後背の大河へと視線を向ける。
ちょうど対岸各所では煙が立ち上り、激しい戦の跡を思い起こさせるが、今眼前を流れる濁流の凄まじさは、それまでの自分達の戦いなどとは比べものにならぬほどの激しさであった。
「敵軍の多くが飲まれたようですね」
「うむ。泥濘部分にいた者は助からなかっただろう」
「長い仕掛けでしたが、なんとかモノに出来ましたね」
「うむ……」
濁流を見つめるシュネシスの言に、フェスティアは静かに頷く。
平原での激闘も、ここまで後退もすべてはこの水計にすべてを賭けるため。
いかに強大な軍勢がいたところで、自然の猛威には絶対に敵わない。それを実現させるための仕掛けであったのだ。
「しかし、二度と出来ない策でもあります」
「当然だ。金がいくらあってもたらん」
今回の水計に当たって、ドニエスル川の支流を余すことなくせき止め、その合流先に幾重もの堰を構築していた。
ドニエスル川そのものを堰き止めるだけの包みを作ってしまえば、水量の変化に気付いた敵の進撃を誘うことは難しい。
敵将の力量はそれまでの戦いで十分に推し量っていたのだ。
それでも、各地に作り出した堰によって農業への影響は甚大であろうし、堰の建設には相当な動員を要している。
「アルテアにこんな才能があるとは思わなかったな」
「そう? 教団内部でもけっこう動いていたからね。姉上、宰相にどう?」
「考えておく」
「あら? わたくしには何もないのですか?」
「お前は……」
「貴様は別だ。宰相になどしたら危なくて敵わぬ」
「功労者に対してそれはひどいのではありませんか??」
「それとこれとは話が別だ」
今回、この策を主導したのはアルテアとフォティーナであった。
両名ともに教団内部の内政面を主導していたが、短期間でこれだけの成果を上げるとまではフェスティアも考えて居らず、激突に間にあったからこその策でもあった。
とはいえ、安易に地位を約束するのも面白くないことであり、論功行賞は戦に勝利してからのこと。
一つの戦いは終わったが、次なる戦がパルティノンの前には残っている。
そして、本当の決着は、それに勝利した先でもあるのだ。
「っ!? 陛下っ!!」
「むっ!?」
そんなやり取りをしているフェスティア達に対し、川へと視線を送っていたリリスが声を上げ、フェスティアを守るように立つ。
声に振り返ったフェスティアの眼前には、虚空へと舞い上がった数騎の騎兵がこちらへと跳躍してくる様が映る。
「ほう? 生きていたのか。よかろう、相手になってやるっ!!」
勢いそのままに振り下ろされた剣を受け止めたフェスティアは、前進を水に濡らした敵将に対してそう口を開くと、鋭気に満ちた笑みを浮かべていた。




