第47話 テルノヴェリの血戦⑤
眼前にて目頭を押さえ、鎮痛する女性の姿は非常に嗜虐心をそそるモノであった。
ゼノン自身、かつて苦痛を浴びせ続けてもなお屈すことの無かった少女の姿を思いかえすも、その際に自身を睨み続けた汚れ亡き視線が脳裏に浮かび、苛立ちが募り続ける。
その苛立ちですらも、こうして眼前にて苦悩する女の姿によって癒されるように思え、ゼノンの脳裏には自身の過去が蘇りはじめる。
敗戦と継承争い。
帝室の都合によってもたらされた不幸は、パルティノン全土に飢饉や混乱を生み、多くの人間を不幸の底へと落とした。
ゼノン自身もその不幸に塗れた人間の一人であり、家族や親類、友人の類を様々な不幸で失っていく。
そんな不幸が、やがて社会や帝室に対する恨みとなり、暴徒に身を落としていく人間は数多にある。
そして、その状況につけ込み、巫女の求心力を利用して組織を拡大していった教団。
彼らの活動は、継承戦争を終え、国内をまとめ上げていく皇帝や宰相の手腕の影で活動を活発化させていく。
どん底に落ちていた民衆にとって、堅実な政策を持って状況を打開していく帝室よりも、奇跡的な力を持って自身を救う巫女や教団の姿が魅力的に映るのだった。
ゼノンもそのうちの一人であり、元々剣伎や戦闘技能に関する才能に溢れていたため、教団の戦闘集団の中でも頭角を現していく。
そんなゼノンに命ぜられた任務は、近衛部隊として宰相メルティリアに取り入り、その信頼を得ていくこと。
自身を不幸のどん底に落とした帝室への恨みは、それを打開しようとする人物すらも憎悪の対象となり、ゆくゆくの復讐のためには頭を垂れることも苦ではなかった。
そして、件のスラエヴォでの悲劇。
巫女によって、帝国最強と謳われた三皇妃は討ち取られ、皇帝と第四皇子は虜囚となり、フェスティアをはじめとする他の皇族も行方知らずとなる。
そんな事実に、宰相が静かに狼狽する様を眺めるのはゼノンにとっては至高の喜びであり、帝都を取り囲む叛徒に対して苛立ちを募らせるメルティリアの姿を、鉄仮面の下で侮蔑していた。
そして、姉妹とも言える三皇妃の磔死体を見せつけられたメルティリア。
普段は魔女の如く冷酷であり、冷静でもある彼女であったが、その実は正義感が強く熱くなりやすい面が隠れている。
そんな真情を知り、怒りからの油断を生んでいたメルティリアに対し、教団の元で磨いていた暗殺術によって隙を突くことは難しくはなかった。
そうして、ゼノンの手柄もあって帝都は落城。
皇帝と宰相をはじめとする帝国の首脳や上流階級は処刑台の露と消え、ゼノンの憎しみの対象でしかなかった帝室は一瞬のして消滅した。
しかし、その生き残りも存在していた。
宰相撃破の褒美として、彼に差し出されたのは、第一皇女フェスティア。
宰相メルティリアの容姿や性格を受け継ぎ、齢16にしてすでに一軍の将としての才を内外に知らしめている“黒の姫騎士”。
そのカリスマ性を持って帝国の支配をもくろむ教団にとって、彼女に対する洗脳策は至極単純なもであった。
「思えば、あの時は私も若かった。憎しみの影で、宰相閣下に惹かれていたのかも知れませんね。彼女が処刑台の露と消えたとき、私の中で何かが壊れたような感覚に襲われもした」
目元を覆うフェスティアに対して、ゆっくりと馬を進めるゼノンは、過去の事実を思い浮かべながらそう口を開く。
「鎖に繋がられたあなたの姿は、得体の知れぬ美しさを持っていた。こうして、戦場に立つあなたとはまったく別のね」
なおも馬を寄せるゼノンに対し、フェスティアは反応を見せずに沈黙している。
そんな主君の姿に、噂に聞いていた事実の正体を知って、呆然としていた近衛兵達が二人の間を遮るように立ちふさがっていく。
「陛下に近づくな。反逆者がっ」
表情に怒りの色を浮かべ、歩み寄るゼノンに対して剣を向けてくる近衛兵達。
帝国最精鋭と呼べる兵士達であったが、尊敬する主君の身に起こった非情の過去を耳にし、その多くが動揺している。
そして、そんな動揺は戦いにおいては枷でしかない。
「どけいっ!! 雑魚がっ」
そんな動揺を見て取ったゼノンは、はじめて声を荒げると一気に間合いを詰め、立ちふさがる近衛兵達を蹴散らしていく。
一騎当千を体現するキーリアに対しては、いかに最精鋭たる近衛兵達でも抗いきることは困難であった。
「さて、過去を思い出してどうお思いですか? あの後、意地を張らずに傀儡して生きれば、このような苦悩の日々を過ごさずには済んだのですよ? 陛下」
「…………」
周囲に倒れ伏し、なおも怒りを向けてくる近衛兵達を一瞥したゼノンは、なおも沈黙するフェスティアに対して視線を向ける。
こちらの挑発にも乗らず、身体を震わせているフェスティアの姿は、あの時の絶望に抗い続ける姿よりも弱々しいようにゼノンは思えていた。
たしかに、フェスティアを襲った困難は、あの時とは比べものにならぬほどのものであったと彼自身も思う。
家族や大切な者をすべて奪われ、傀儡として生きることを余儀なくされた彼女。そして、自身を救うべく立ち上がったテルノア等を自ら討ち果たし、眼前に現れた第四皇子を目の前で殺される。
そうして、一時は心を壊しかけたと言うが、その後に始まった教団との暗闘。
生き残ったキーリア達の支援があったとはいえ、多くの側近達を殺害されながらも、現幕僚長のゼークトをはじめとする忠臣達を得て、イサキオスをはじめとする敵対者を討ち、教団を追放してきた。
そんな強健なる女帝であっても、その心に刻みつけられた傷を癒しきることなどは不可能。
ゼノン自身、若き頃に負った心の傷はいまだに疼き続けているのだ。
「ふふふ、あなたも所詮、人であり女であったと言うことですか。過去に、自分を陵辱した人物を前にして、恐怖で声も出ませんか?」
「…………るな」
「むっ!?」
沈黙したフェスティアに対し、うずいた傷を癒すべくさらに言葉を積み重ねるゼノン。
しかし、そんな彼の言に対し、僅かにフェスティアの唇が動いたことにゼノンは気付く。
そして……。
「勘違いをするなっ!!」
「ぐっ!!」
顔を上げ、鋭い視線を持ってゼノンを睨み付けながらそう叫ぶフェスティア。
突然のことに、抗うことの出来なかったゼノンは、女性とは思えぬ膂力をもって首を掴まれ、息を詰まらせる。
「ぐっ!! がはっ!?」
「言いたいことを言ってくれたな。ゴミクズが。貴様に奪われた純潔など、私にとってはどうでも良いことだっ!!」
絶息し、目を見開きながらフェスティアの腕を掴んでもがくゼノンに対し、フェスティアは怒気をこめた声を発すると、首を掴んだままその体躯を馬から引き上げる。
「むしろ、感謝してやろう。ああすることで、私の中の“女”を殺してくれたのだからな……」
そして、ゼノンに対して顔を近づけ、静かにそう告げるフェスティア。
ゼノンの目に映ったフェスティアの表情は、先ほどまでの凛とした女帝のものでも、かつての可憐な姫騎士の純粋なるものではなかった。
それは、大帝国を一身に背負い、負の感情を覆い隠した彼女が、はじめて表に出した修羅そのもの。
その両の目からこぼれる光りには、深遠なる憎悪の炎が宿り、恨みを抱く者達を焼き付くさんと燃え上がっている様が見て取れるのだった。
そんな目を見つめたゼノンは、自身が大変な者を蘇らせてしまったことを察する。
そして、一騎当千たる力を得、多くの人間を蹂躙してきた男が、今はただ、目の前の脅威に対して身を震わせていた。
◇◆◇◆◇
思い起こした苦痛と屈辱。
しかし、それに囚われることの愚かさをフェスティアは知っているつもりであった。
だからこそ、男を遠ざけることもなく重用し、ゼークトやヴァルターのような忠臣達に真実を告げることで胸のつかえを取り除く努力をしてきたのだ。
今更、かつての事実が表に出たところで、『それが何だ?』と一笑の下に伏せるだけの実績も自身もある。
ただ、こうして敵の油断を誘うにあたり、一部の近衛兵に事実を告げていなかったことだけを彼女は悔やんでいた。
幸い、死者は出ていなかったが、感情にまかせた攻勢を格上の相手に向けたところで待っているのは敗北だけ。
それまで、自身の一部となって苦悩をともにしてきた近衛兵達が気付くつく様は、見ていて苦しかったのだが、こうして復讐対象たる相手が目の前に現れた以上、相応の恐怖や報いを与えてやらねば気が済まないという思いもあったのだ。
それまで、胸の奥底にしまい込んできた憎悪。
今、フェスティアはそれが一気に表に噴き出して来ている事を自覚すると、さらにゼノンの首を掴む手に力をこめる。
「ぐっ、がっ…………かふっ」
すでに腕を掴んで抵抗する力も失っているのか、両腕を下げて痙攣しはじめるゼノン。しかし、このまま絞め殺せばそれで終わりである。
「それでは面白くない」
冷酷な感情が込み上げてくる中、フェスティアは、掴んでいた大柄な体躯を草原へと投げつける。
苦痛に顔を歪ませながら、草原に叩きつけられたゼノンは、即座に身を起こすが、久方ぶりに酸素を身体に取り込むことが出来たためか、激しく咽せこむ。
それを見据え、馬から下りたフェスティアは、その場に取り落ちていたゼノンの言を、彼方へと蹴飛ばすと、腰につけていた双剣をベルトごと外して、近寄ってきた近衛兵に手渡す。
「陛下?」
何事かと思い声を上げる近衛兵と制すると、フェスティアはゼノンへとゆっくり歩み寄る。
「立て。そして、祈れっ。貴様のようなゲスを相手に剣はいらん」
跪くゼノンに対して、拳を握りしめてそう言い放ったフェスティア。
それに対して、何かに惹かれるように立ち上がったゼノンに対し、フェスティアは無言で蹴り見舞う。
膝にそれを受け、靴に顔をゆがめるゼノンは、なおもフェスティアを睨み付けてくる。
「どうした? 一度は手にかけた女が相手なのだぞ? それに、私はあの時と同じく丸腰だ。ちょうどよいハンデあろう?」
「くっ……野蛮な。やはり、帝室など……っ」
「っ!!」
こちらの言に対して、呪詛の言葉を吐くゼノンに対し、フェスティアは拳を振るう。
しかし、それを予期していたのか、ゼノンはそれを受け止めると、腕を掴んだままフェスティアを後方へと放る。
その先には、槍をかまえたリヴィエト兵が待ち構えており、フェスティアを串刺しにせんとそれを繰り出してくる。
しかし、身体にダメージを受けているわけでもなく、それを冷静に見つめていたフェスティアは、繰り出された槍の直前で身を捻ると槍の柄を転がるようにしてリヴィエト兵へと接近し、その首を蹴りでへし折る。
そして、視線を向けると先ほど蹴飛ばした剣へと走るゼノンの姿。
地面を蹴り、勢いそのままに跳躍すると、その背に蹴りを見舞う。
「がっ!?」
思いがけないところからの攻撃に、もんどりを打って倒れかかるゼノン。
しかし、フェスティアは倒れかかるその先に身体を滑らせると、ゼノンの巨体を虚空へと蹴り上げる。
血を吐き出しながら虚空へと跳ね上げられるゼノンに対して、跳躍したフェスティアは、体勢を立て直そうとしてがら空きになっているゼノンの頭部に両の手をあわせた拳を叩きつけ、そのまま大地へと叩き伏せた。
「ぐぅぅっ!! ば、馬鹿なっ」
「キーリアとなった自分が、敗れる様が信じられんか?」
血を吐き出し、前後不覚になりつつも立ち上がろうとするゼノン。
その手には、しっかりと長剣が握られていることにフェスティアは気付く。先ほどと動揺、普段は尊大かつ慇懃に振る舞っている様子だったが、その性根は所詮そんなモノである。
「ふ、ふざけるなっ!! 女風情がっ!! 我々を苦しめ続け、玉座にふんぞり返るしか脳のない皇族風情がっ!!」
そう言ってフェスティアの胸元目がけて剣を繰り出すゼノン。
至近距離であり、避けきることは困難であったが、それでも急所を外せるだけの余裕はある。
怒りに動揺し、肉体も傷つけられた以上、キーリアであっても僅かは歪みは生まれるのである。
剣先をずらし、左の肩口に剣を突き刺したフェスティア。
しかし、彼女は痛みを感じつつも、表情を動かすことはなく、逆に侮蔑めいた怒りを静かに表情にたたえる。
「……っ!?」
そんなフェスティアに対して、はじめて怯えたような表情を浮かべるゼノン。
眼前に立つフェスティアは、すでにかつてのような汚れを知らぬ聖女ではなく、憎むべき敵手を屠らんとする修羅でしかない。
そして、才能と力によって得ていた余裕を失い、はじめていって良いほどの苦悩と恐怖を浴びたゼノンは、その場にて身を硬直させるだけであった。
「殺しはせぬ。動けぬ身体となって、自身の罪を悔やみ続けるのだな」
静かにそう言い放ったフェスティアは、休むことなく拳を繰り出してゼノンの全身を打ち、蹴りを見舞ってその身を跳ね上げさせ、大地に叩き伏せる。
口から血を吐き、全身を晴れ上げさせるゼノンは、無意識にそこから立ち上がるが、すでに目に生気は宿って居らず、本能だけがフェスティアに対して抗おうとしている様子であった。
(これだけの憎悪を、他に向けられていればな)
一瞬、そんなことを考えたフェスティアは、頬に蹴りを見舞ってゼノンの背を自身に向けさせると、その背に向かって拳を向ける。
骨が砕け散る感触が拳に伝わると、ゼノンはあらぬ方に身体を歪ませてその場に崩れ落ちていった。
沈黙が周囲を包み込む。
人としての外面をなんとか保ちつつも、身じろぎ一つせずに倒れ込むキーリア。そして、その表情に虚しさをたたえている女帝。
だが、戦の直中にあって、その沈黙は一瞬でしかなかった。
「陛下っ!!」
「姉上っ」
聞き覚えのある男女の声に、顔を上げるフェスティア。
ちょうど、沈黙していたリヴィエト兵を蹴散らしながら、単騎にてこちらに駆け寄ってくるリリスとキーリア達を従えてこちらへと向かってくるシュネシスの姿が目に映る。
「っ!? ゼノンっ!?」
「裏切り者が…………なぜ?」
側へと駆け寄ってきて、地に倒れ伏すゼノンの姿に気付いた両名であったが、フェスティアはそれに答えることもなく近衛兵が引いてきた軍馬に乗り込み、双剣を腰につける。
「姉上、この男は……」
「道端のゴミを片付けただけだ。それより、私は負傷した。後退するぞ」
シュネシスの言に、フェスティアはひどく残酷な感情が残っていたことを自覚すると、静かにそう吐き捨てる。
そして、ゼノンによって傷ついた肩口を二人に見せつけると、二人は顔を見合わせつつも彼女の意図を察する。
パルティノン全軍が、西南方向へ向けて後退を開始したのはそれからほどなくのこと。
背後から追撃するリヴィエト軍本隊と退路を断ち、包み込むように展開してくるリヴィエト軍別働隊。
両軍の眼前にあるのは、合流してさらに水かさを増す大河の雄大なる流れだけであった。
◇◆◇◆◇
そして、両勢力の激突は、膠着から決着へと動こうとする中、地に倒れ伏したゼノンの姿は、人知れずに消えていった。
まるではじめからその場に存在していなかったかのように……。




