第11話 別離① ~家族~
アイアースは、スラエヴォ離宮地下に張り巡らされた長大な地下水路を歩いていた。
水路と言っても、整備されているのは離宮直下のみであり、敷地から外れはじめると、次第に岩や石ころの類が増え始める。
「きゃっ!?」
「おっと」
傍らを歩くフェルミナがバランスを崩しかけると、アイアースは手を差し出して転倒を防ぐ。
整備されていない流れである。自然と急になってきており、足首までの高さの水であっても子どもの脚力では容易に足を取られてしまう。急いでいるならば尚更だ。
すでに1時間近く歩き続けているが、離宮からどれほど離れたのかは見当もつかなかった。
アイアースは、今共に歩く兄弟達とともにゼノスからこの地下水路の存在を告げられた。
スラエヴォをはじめとするこの地方の水瓶であるティリア湖。スラエヴォ市内を流れる複数の河川の源流となっているが、この地下水路もその支流のひとつである。
周囲を山岳に囲まれた盆地であるスラエヴォは、天然の要害であると同時に包囲に弱い。
街道が非常に少なく、河川も市街地を出れば急流になるため遡上することは困難。そのため、空からの補給を受けるしかない。
となれば、待っているのは飢餓による崩壊だけである。
それを防ぐべく、離宮から蟻の巣のように地下深く広大に張り巡らされたのが、この地下水路であり、方々に伸びたそれは脱出や敵への撹乱にも使用できる。
「ここか……。よし、アイアース」
「はい」
そして、歩みを止めたゼノスがアイアースへと向き直る。
玉座の間にて告げられた脱出法。
それは、囮を用いて皇帝と第一皇子を安全圏にまで脱出させる。それを何よりも優先させることであり、そのためにすべての人間が囮となる旨が告げられた。
もっとも危険な水路の出口からは、フェスティアと随伴の近衛兵すべてが突破する手筈となっている。ゼノスと背格好が似ている兵士がすでに彼の衣服を身につけ、ゼノス自身は近衛兵の制服と防具を身につけていた。
そして、今目の前にある木製の梯子。
手を触れてみると、水気が多い場所にもかかわらず、しっかりとした作りが成されていた。
「アイアース、しばしの別れだ。父の無能を許すな」
そう言うと、ゼノスは胸元にアイアースを抱き寄せる。
父に抱きしめられるのは初めてであったが、印象に比べてしっかりとした体つきをしている。
「また、帝都にてお会いいたしましょう」
「うむ……」
お互いに頷きあうと、ゼノスは他の兄弟達とともに他の脱出先へと進み始めた。
「アイアース」
そして、フェスティアもまた彼のことを抱きしめると、その頭部を優しく撫でた。
(震えている……)
普段は、凛としていて騎士としての姿を崩さないフェスティアであったが、別離に際しては感情がことなるモノなのかも知れなかった。
実際、彼女が赴く場所は、もっとも危険な箇所。すでに死を覚悟し、別れの悲しさを強引に抑えつけているような。そんな感情が脳裏をよぎった。
「死なないで……」
そう言うと、フェスティアは普段通りの『黒の姫騎士』となって、その場を後にする。一瞬、目元に光るモノがあり、それだけでアイアースにとっては十分であった。
「さて、行くとしようか」
「え、ええ……」
そう言うと、アイアースは同行するミュウや護衛達を見まわし、梯子へと手を掛ける。すると、背後から衣服を引っ張られる。
「ん?」
何事かと思い、振り返ると、ゼノスらとともに出発したはずのフェルミナが、目に涙を浮かべながらアイアースの衣服を掴んでいた。
「フェルミナか。そういえば、まだ会って一日しか経っていないんだよな……。ごめんな、俺達のせいでこんなことに巻き込んじゃって」
「…………」
アイアースは、たった数時間席を共にしただけの奴隷に対してそう告げる。しかし、フェルミナは無言で首を振るだけであった。
「とりあえず、俺が死ねばお前は国家の所有になる。父上も兄上も悪くはしないだろうし、国に返してくれるだろうから、元気でいてくれよ」
「…………殿下は」
「ん?」
「いえ、殿下も、死ぬなどとおっしゃらないでください。一緒に行けば、より危険になることは分かっています。ですけど、私は殿下のモノですので……死んでしまわれたら困ります」
「お、おう。…………ははは、そうだよな。たかだか、反乱軍如きに殺されるわけがないよな。俺達が逃げいる間に母上達が敵を壊滅させて終わりだな」
「その通りですっ!! そうだな、みんな」
フェルミナの言に、アイアースは無理に声を上げると、微笑ましそうにその様子を見ていたハインが同調し、周囲の兵士達も賛同する。
消沈していては、助かるモノも助からない。困難であろうと、それは事実であるのだった。
そして、フェルミナはハインに連れられて、皇帝一行の後を追った。
この場に残ったのは、アイアース以下8名。うち、一人はキーリアであり、ミュウも加わっている。
先行していた兵士の手を借りて、外へと出たアイアースは、周囲に生い茂る木々を一瞥すると、手招きするキーリアの元へと歩み寄る。
「殿下、ここから先はいつ敵の襲撃を受けるか分かりませぬ。我らは囮と言えど、殿下のお命を無下に散らすつもりはございませぬ」
「感謝するよ」
「現在位置はこちらです。ここより、南へ下りますとドリエプル川の支流がございます」
そう言って、今回のアイアースの護衛を担うキーリア、フランが地図を指し示す。その指先には、たしかに川があった。
ティリア湖から流れ落ちる川で、急流を示す地図記号が随所に振られていた。
「この河川には脱出用の船隠しがいくつか点在しております。包囲の輪が河川にまで及んでいれば、次なる手段を考えねばなりませぬが……、今はこれにかけるしかございませぬ」
フランはそこまで言って言葉を切ると、手にした荷物をまさぐり、二つの球体を取り出した。
「それは……っ!!」
「流れの刻印の封印球になります。殿下とミュウ殿がこちらをお持ち下さい」
「わ、わたしが~?」
「使用に関しては問題ないでしょう。船を襲撃された場合は殿下を連れて河川に身を任せるのです。流れの刻印が、導いてくれるはずです」
「そ、そんな無茶な」
「無茶でもやってもらわねば困る。聞くところによれば、貴殿は自分で売り込みに来たと言うではないか。その忠節を信じているぞ」
「え、いや、その……。それは……、そのぉ」
「あきらめろって」
フランの言に、すっかり混乱するミュウであったが、アイアースはそんな彼女を落ち着かせる以外に手はなかった。
そして、一行は再び歩みを進めはじめる。
すると、風にのって剣戟の交わされる音や動物の雄叫びのような、何か不気味な声が耳に届きはじめる。
市内では、反乱軍による暴虐が行われ、民間人にも被害が出ていると聞いている。
(母上達は大丈夫だろうか……?)
そんな、アイアースの思いも、草木を分ける音の中に消えていき、それまで彼らがいた場所は、再び元あるはずの静寂へと支配されていった。
◇◆◇
激しい揺れと共に主通路が炎に包まれると、爆風の中から3人のキーリアが飛び出してきていた。
「ちいっ!! やりやがる」
「閣下、お怪我は?」
「お前ほどじゃあない。リア、アル、来たぞ」
「ご苦労様です」
爆風からさっと身を翻し、広間の床に降り立つラメイア以下の三人であったが、所々に傷を負っている。いかに他を圧する力を持っていたとしても、数の差は如何ともし難い。
そして、相手の強大さは歴戦の彼女らをしても脅威の存在であったようだった。
「それで、すでに?」
ラメイアは背後の玉座に腰掛ける男の姿を目に止めると、傍らに立ったリアネイアに対して口を開く。
「ええ…………、サリクス様とは」
「いや、いいよ。わざわざ、顔を見なくたって、それで後悔するような日々は過ごしちゃいない」
腕の傷を手当てしながらそう言ったラメイアは、寂しげながらも笑みを浮かべる。
ここにいる二人も同様の寂しさを感じていることは、彼女も知っている。
「こんな時まで、強がらなくて良いんじゃないの?」
「あんたこそ、時期皇太子の側にいてやらなくていいのかい? メル姐さんは厳しいからシュネ坊も悲しがるんじゃないの?」
「いいのよ。私みたいな阿婆擦れより、姐さんに面倒を見てもらった方があの子の為にもなる。私はちょっと甘やかし過ぎちゃったからね」
「そんなもんかい。よし、出来たっ!!」
アルティリアの言に応えたラメイアは、そう言って傷を叩く。しんみりとした空気はこれで終わり。と言いたいようであった。
「閣下、今からでも皇子殿下共にっ!!」
「我ら、キーリア。帝室のためならば、この身を捧ぐ覚悟は出来ております」
「皇子様方は、まだまだ若輩にござりまする。母親の存在は何もにも代え難いと思いまする」
それを待っていたかのように、広間に控えるキーリア達が声を上げる。全員が三人の覚悟は知っている。だからこそ、言わずにはいれなかったのかもしれない。
人を越えた力を得たとはいえ、人としての感情は当然のように残っている。彼らとしても、帝国の未来のために失ってはならぬ人間達を守ることは当然の責務。皇子達がすでにこの場を去った以上、守るべき対象は三人の皇妃であった。
「そなた達の気持ち、嬉しく思います。ですが、皇妃は皇族に非ず。臣下の一人に過ぎませぬ。特別扱いは無用」
「そう言うこと。さっきまでは母親をさせてもらっていたけど、今は単なるキーリアの上位メンバーってだけだよ」
「それに、私らが追いかけたら、わざわざ逃げ道を教えてやるようなもんだ」
キーリア達の言に、三人がそう応えると、燃えさかっていた広間に一陣の風が吹きすさび、周囲の炎を吹き飛ばしていく。
「おっと、いよいよご登場か」
「首謀者はいかなる者で?」
「は、見りゃあ驚くよ?」
そして、ラメイアの言が終わるのを待っていたかのように、パルティノン帝国軍の軍曹に身を包んだ上位軍人達に混じり、麗々しい貴族風出で立ち者、法衣を纏った聖職者などが勝者じみた足取りでゆっくりと大広間へと足を踏み入れてくる。
「ほう、しぶとく生き残っていたのか。兄弟の中で、もっとも無能で愚鈍な貴様が生き残るとは……パルティノンの行く末も暗くなるのは当然か」
玉座に座したまま、一同を睥睨していたゼノスが、中心にいる小太りの貴族風の男の向かって口を開く。
「しぶとく玉座に居座る貴様に言われとう無いわ」
小馬鹿にしたような言い分に、男は青筋を浮かべながらそう応える。
彼は、イサキオス・ヴァン・アンゲル。皇子の証たる『ヴァン』の称号を名に持つ皇族の一人であった。
しかし、それは過去の話である。先年に継承戦争にて粛清された皇族の一人であり、その際の簒奪首謀者でもあった。
「…………貴様は、グネヴィアによって討たれたはずだが…………、ヤツもこの争乱に加わっていると言うことか?」
「なんにせよ、分不相応な野心が実を結んだな。もっとも、貴様のような無能が、このような周到なことを起こせるとは思えんし、周囲の者も貴様に付き従うほど馬鹿ではあるまい」
ゼノスはイサキオスの周囲に並ぶ軍人達を見まわす。多くが、将来を渇望される中堅の軍人達であり、継承戦争時の反乱鎮圧にて功名を上げた人間ばかりである。
だが、ゼノスの言に応えたのはその軍人達ではなく、年若い貴族風の男であった。
「あなた方を追いとすのは、民衆の恨みですよ。皇帝陛下。アンゲル卿も軍人達も、その風に乗ったに過ぎませぬ」
「なんだ、お前は?」
「死にゆく者達に名のる名はありませぬ」
「民衆の恨み。だと? だが、その風や波を引き起こしたのは貴様等であろう。己が野心のため、民衆を巻き込み帝国を崩壊に導く愚かな行い。恥を知れっ!!」
「ひどい誤解でありますね、総帥閣下。全土に対して行幸啓を行っていたようだが、民衆が救いを求めたのはあなた方ではない。帝国の、いやこの大地の危機に降臨された天の巫女」
リアネイアの声に、貴族風の男はやんわりとそう応えると、左足を引き、右腕を胸の前で横に流すと、芝居がかった仕草で背後に立っていた少女へと一礼する。
驚いたことに、イサキオスや周囲の軍人達もそれに倣う。
そして、前へと歩み出た少女は、無表情のままただ静かに直立している。
そこの少女の意思の類は感じられず、無垢な少女を正装の道具に使っている様は、ゼノス以下のキーリア達の哄笑を誘うだけであった。
「はっ、ちょっと魔法の類に長じた小娘を見つけて、救世主に仕立て上げる。頭の弱い連中を騙すにはちょうど良い」
「貴様っ!!」
「ああんっ!?」
そうして、せせら笑いながら口を開いたラメイアに対して、軍人の一人が声を荒げてそれを遮るが、ラメイアが青筋を浮かべながら睨み付けると身体を硬直させながら、口を閉ざす。
いや、それ以上に少女を盾にするかのように後ろへと引き下がる形になった。
「ふん、幼気な少女を盾にするあんたらが民衆を語るか。馬鹿馬鹿しくて涙が出るよ」
「ふふ、強がりを申しますな。ですが、それもいつまで続くのか、ゆっくりと見物をさせていただきますよ。巫女様」
「…………はい」
アルティリアも、その小さな身体から覇気を発しつつ、一同を挑発するが、貴族風の男は、余裕を崩さずにそう応えると、傍らに立つ少女へと視線を向ける。
消え入りそうな声で頷いた少女が前へと進み出ると、軍人達や後方に控えていた兵士達が一斉に着剣する。
「それでは」
そう言うと、貴族風の男はふわりと身体を浮かせる。
突然の行動に、リアネイア達が目を見開くが、男を追うことは出来なかった。先頭にて剣を構えた少女が、ラメイアに対して飛びかかったのである。
「ごふっっっ!?」
予想外の攻撃に、対処が一歩遅れたラメイアは、腹部を鋭い剣にて貫かれ、口から血を吹き出しながら仰向けに倒れ込む。
「メイアっ!?」
「閣下っ!?」
「このっ!!」
一撃でラメイアが倒されたことに、アルティリアをはじめとするキーリア達が驚愕する中、リアネイアは双剣を構えたまま少女に対して斬りかかる。
しかし、少女は無表情のままそれを受け流し、重い斬撃を受けると身体を浮かせて後方へと飛び下がる。
「どうだっ!! 我らが巫女、シヴィラ・ネヴァーニャ様の力はっ」
「悪逆なる皇帝とその一党の命運もこれまでだっ!! 帝国に死をっ!!」
「帝国に死をっ!!」
一連の戦闘を見て、反逆者達が声を上げる。たしかに、シヴィラと呼ばれた少女の力は、想像以上のものであった。
「覚悟は……、していたけどね」
「ええ。ですが、大人しくやられてやる義理はありません」
アルティリアの言に、リアネイアが頷くと、二人は同時に床を蹴る。
シヴィラの脇をすり抜けると、リアネイアはイサキオスを蹴倒すと、そのままの勢いで周囲に立つ軍人達を切り伏せる。
さすがに、反乱の鎮圧に功のある者達であり、全身が一撃で倒されることはなかったが、それでも先ほどまでの威勢はどこへやら、すっかりリアネイアの覇気に気圧されている。
「どうしました? ――――帝国に死を与えるのではなかったのかっ!!」
リアネイアが、その眼を金色に輝かせ、瞳孔を針のように細めながらそう言い放つと、周囲の軍人達はさらに身を震わせる。
金色に輝く眼、針のような瞳孔。猫科に属する動物にはよく見られる様子であったが、多少、外見を同じくするティグ族においては、感情の変化の一種である。
そして、ティグ族を怒らせた者が生きて帰ることなど無い。というのが、パルティノン軍内部においては常識であった。
――――姿を見せた首魁。
――――激戦の続く離宮。
パルティノンを揺るがす大事件は、まだ始まったばかりであった……。
兄弟達やフェルミナは一旦退場です。
再登場にご期待くさい。




