第45話 テルノヴェリの血戦③
霧の晴れとともに春の陽光が差し込む草原。
本来であれば、春の訪れとともに生命の息吹に包まれるはずのこのテルノヴェリ平原は、この大地に生きる者達と北から現れた侵略者達との血で血を洗う戦いの舞台になっていた。
エミーナ・スィン・ヴァレンシュタイン率いる騎兵部隊の突撃から始まったこの戦いは、日の出から三時間を経過した今も激戦が続いていた。
平原東方では、エミーナ、オリガに率いられた東方部隊が依然として猛攻を続け、留まることを知らぬリヴィエトの増援を蹴散らし続けている。
騎兵が穿った穴を歩兵が飛び込んで徐々にそれを広げ、ついには敵後方の河川にまで到達。
エミーナとオリガ・スィン・ヴォルクはお互いに連携しあうのは初めてのことであったが、長年の相棒のような連携を見せ、見事に敵を蹴散らしている。
ここから彼女らは敵を西へと押し込むだけという状況を苦戦が続く他の戦線に咲き出して作り出していた。
東方部隊とは対照的に、西方部隊は要衝であるニムドの丘を抑えてからはその進軍速度が停滞している。
機動戦の名手であるハイン・ド・カテーリアンと包囲戦を得意とするメルヴィル・シェルナーの両指揮官が連携する部隊であったが、あいにくと歩兵部隊が両名の指揮について行けず、加えてリヴィエトが繰り出した獣人部隊の被害を一手に引き受けている状況もあった。
リヴィエト側も、初撃でパルティノン側に打撃を与えるという意図をくじかれてからはなりふり構わず戦力を投入し、件の獣人部隊は味方であるはずのリヴィエト兵ですらも攻撃の対象として襲いかかっている。
パルティノン側は、教団衛士№6のシュレイの指揮するキーリア部隊が獣人部隊に当たっているが、以前彼が対峙したそれとは異なり獣人部隊は文字通りの獣のように前進するだけであり、キーリア達も暴れ回るだけの対処に困惑している。
とはいえ、獣人部隊の排除がかなわなければ、中央、西方の連携は崩れたままであり、後方より迫ってくるリヴィエト軍別働隊による包囲という脅威が刻々と迫る状況。
老練なるゼークト率いる防衛部隊が別働隊の接近を妨害しているが、数に勝り、若さを武器に勇猛な指揮を取るロマン、アンヌと言った指揮官達の攻勢には防戦一方という状況であった。
そして、中央部。
前衛をヴァルター・モルヴィルに率いられた部隊が突き進んでいるが、東西でまったく逆の戦況を呈しており、一方では挟撃が、他方では乱戦が起こるという状況に阻まれている。
両軍の総指揮官であるフェスティア、バグライオフの両名も自らを前線に立たせて陣頭指揮を取っているが、両者の統率力を持ってしても戦況は混戦の様相を呈してきていた。
◇◆◇◆◇
遙か彼方の地にて、両軍が血みどろの戦いを演じる中、一人の青年もまた全身を襲う戦いの渦中にあった。
思わずのたうち回るほどの痛みに抵抗を続けると、その痛みも落ち着きはじめる。
しかし、落ち着いたのもつかの間。それをあざ笑うかのように別の箇所から血が吹き上がり、痛みが全身を襲っていく。
言葉にならぬ声を上げ、少しでもそれから脱却しようと全身を周囲を取り囲む壁に叩きつける。
だが、想像を絶する力に支配されたアイアースの身体であっても、周囲の壁を変形させることは敵わず、逆にさらなる出血と痛みを伴うだけであった。
「うっ……ぐうううううううううううっ!!」
強引に痛みを抑えようと絞り出すような声を上げるアイアースであったが、それはさらなる苦痛を誘発するのみ。
こんな地獄がどこまで続くというのか?
そう思いつつも、アイアースは激痛に耐えれれば身体を動かすことは可能であることに気付く。
(どうなっているんだ? これだけ血が流れて……、少し動かすだけでも激痛が……)
床に倒れ込み、乾いてどす黒くなった自身の血を見つめつつ、アイアースはそんなことを考える。
すでに目の前には白い光りが瞬き始め、意識も薄れてきているのだが、僅かな身体の動きととも襲ってくる激痛がそれを覚ましてくれる。
このまま眠ってしまえば、どれだけ楽になるのか。
考えるのはそれであったのだが、よくよく考えてみれば、眠ってしまえば最後、二度と目を覚ますことはないという自覚もある。
(痛みが味方? しかし、それは……)
遠退く意識の中で、アイアースはそんなことを考える。
はじめは自身の考えをあり得ないと一蹴していたが、意識が途切れかけると決まって身体が動き、全身を走る激痛によって意識を差し戻される。
強烈な激痛であったが、意識を断ちきられるほどのものでもなく、強靱なキーリアとしての身体が幸いしていた。
そして、アイアースはそんな痛みすらも何らかの意図が働いている様な気がしてきたのだ。
(……これが、刻印の意志、か?)
痛みに支配され、眠ることも許されぬ状態の中で、そんなことを考えはじめたアイアース。
そして、それに答えるかのように、眼前が闇に染まっていく。
◇◆◇
そこには、繁栄を謳歌する世界が存在していた。
人々は整った衣服を身に着け、溢れる食糧を贅沢に消費し、鋼鉄製の箱物を高速で行き来させていく。
そして、小国の都ですら、パリティーヌポリスに匹敵するほどの人口を抱え、それ以上の富貴に富んでいる。
しかし、繁栄の影には巨大な貧困が存在し、想像を絶する虐殺や戦いの姿も闇の中に蠢き続けている。
繁栄と貧困の矛盾。
その世界に存在するそれは、何がもたらし、何がそれをさせているのか?
眼前の見覚えある世界を見つめるアイアースの脳裏に、何者かが問い掛けるようにそう告げると、突如として繁栄と貧困の両世界が、赤き炎に包まれていく。
一人の男が、高々たと声を上げ、それに反対する人間達が男を罵倒し、彼を支持する人間達が男を賞賛する。
そして、繁栄する都市と都市の間で激しい交戦が起こると、鋼鉄製の武器を持つ人間達は壮絶な殺し合いを世界規模ではじめていた。
そして、再び赤き炎に包まれる世界の様が見て取れる。
繁栄を謳歌していた世界は、その炎ととともに崩壊していき、貧困に支配された世界もそれを洗い流すように燃えさかっていく。
かつては青き姿をたたえていた世界そのものが紅蓮の炎に飲み込まれ、その炎は留まることなく世界を焼き続ける。
「これは……、地球??」
脳裏に浮かんでくる映像に対して、アイアースが口に出来たのはそれだけであった。
彼の言うとおり、件の映像は彼の良く知る世界に類似しており、その崩壊の様を見せられた衝撃も一入であった。
しかし、彼はそれ以上の言葉を紡ぐことは出来ず、脳裏を支配する光景は再び別の状況を彼に見せつける。
紅蓮の炎に焼き尽くされた大地に、いくつもの巨大な閃光が走り、それを穿っていく。
見ると巨大な閃光を産み出した漆黒の雲は全世界を覆っていき、やがて両力には白き雪を、行動の周囲を中心とした地域には激しい雨を降らせはじめる。
それは、長き時を留まることなく降り続け、やがて地上は元ある蒼き姿を取り戻していく。
蒼き水のめぐみを得た大地は、再び自身を広大なる緑野へと変えていき、緑野は水とともに生命を育みはじめる。
そして、失われた生命は、やがて元ある形へと戻っていき、多くの生物がその大地にあって共生を続けていく。
そこには、元の地球には存在していない生物の姿もあり、やがてそれはさらなる生活の向上のための進化を続けていく。
そして、人なる者が誕生する過程で、多くの生物種との混血は進んでいく。
多様な姿の人が生まれ、やがて進化を続ける中で、次第に集団を形成し、国家の体を為していく。
そこから先は、アイアースが学んだ人の歴史の過程であった。
当然、歴史書のそれとは異なる面ばかりであったが、おおよその流れに変化はない。
あの忌まわしき敗戦から継承戦争、スラエヴォ事件への過程もアイアースの脳裏に届けられてくる。
そして、脳裏に映る光景は、非常に身近なモノへと変わっていく。
苦痛に顔を歪ませながら、必死に指揮を取る女性。
彼女に付き従い、困難な戦に挑む数多の将帥達。
しかし、その奮戦空しく、戦況は芳しくないように思えていた。
「姉上……っ!! 皆っ!!」
思わず声を上げ、激痛に支配される身体を跳ね上げるアイアース。
しかし、それに支配されうこと無く身を起こすした彼の身体は、赤き炎を纏っているようにも見える。
だが、それに気付くことなく、アイアースは脳裏に浮かぶ光景とそこで戦い続ける者達のことを思い浮かべる。
(……そうだよな。姉上をはじめとする多くの人達が、必死に戦いを続けている。でも……俺は)
全身の痛みに歯を食いしばりながら、そんなことを考えたアイアースは、全身を走る激痛を追いださんと全身に精神を集中させる。
刻印を使役する際のそれと同様に、高揚感が全身を支配し、それにともない、激痛も増していく。
さすがに耐えきれないという思いが脳裏をよぎるが、再び激痛とともに脳裏によぎる親しき者達の姿。
今も必死に武器を手に取り、戦い続ける者達であったが、暗がりの中にその姿が浮かび上がったかと思うと、全員がアイアースに対して振り返ると、何かを訴えかけるように口を開く。
『帰ってこいっ!!』
再び口を開いた親しき者達。
今度ははっきりと耳に届いたアイアースは、思わず全身が震えていたことに気付く。
誰もが自分を待っていてくれている。
思えば、ゼノスとメルティリアを目の前で殺され、孤独の中で絶望していたときやフェスティアを救うべく単身で教団に乗り込んだときも、常に誰かが傍らにいてくれた。
過酷な運命に弄ばれていたのは自分だけではないにも関わらず。
しかし、アイアースは、それらのことも、すべてはこの時のためにあったのではないかと思う。
そして、待っていてくれ人達がいる以上、そこに戻ることは当然の責務であった。
「うあああああああああああああっっっっっっっ!!」
カッと目を見開き、全身の昂揚を解き放つアイアース。
すぐさま全身を激痛が襲ってくるが、全身から湧きだつ昂揚がそれおも超越していく。
巨大な火球が虚空へと舞い上がり、大地を振るわせる轟音とともに、神殿のそのものを吹き飛ばしたのはそれから間もなくことであった。
◇◆◇◆◇
巨大な火球が天へを舞い上がって行く様に、全軍がしばし見とれていた。
「陛下っ!!」
「うむっ。敵はどれほどまで減っている?」
「別働隊一〇万は無傷に近いでしょう。負傷させたモノも含めれば万を超えているでしょうが……」
「姉上っ!!」
リリスもまた、その光景を目にすると、戦闘を停止し、傍らにて剣を振るう自分の分身である主君に対して目を向ける。
頷いたフェスティアの問い掛けに、そう答えるリリスの耳に、聞き覚えのある男の声。
ほどなく、敵獣人兵の制圧を完了させたシュネシスが馬を駆って駆け寄ってくる。
「シュネシス。よく頑張ってくれたっ!!」
その姿に馬上にて剣を振るい、全身を赤く染めたフェスティアが、同じように白き軍装を様々な色彩に染めているシュネシスに対して、笑みを浮かべながらそう告げる。
それに対し、シュネシスは綻びかける口元を引き締めながら頭を垂れる。
戦場の直中であり、自分の戦果は一部隊を制圧したに過ぎない。
シュネシスの表情は、言外にそう告げており、フェスティアもまた弟の態度に満足げに頷いている。
実際、喜びも一入という状況が目の前にはいくつも存在していた。
後方ではゼークト率いる防衛部隊が押しきられ、東方部隊の猛攻もバグライオフ直卒の敵本隊によって押しとどめられている。
現在のパルティノン軍はある一点のみを残して敵への包囲を許して入り状況であり、このままいけば数の利によって押しきられることにもなりかねなかったのだ。
そんな中での敵獣人兵の制圧により、戦線は一気に整理され、敵の圧力も格段に弱くなっている。
必要な時に必要な戦果を上げる。
これが、フェスティアが寵愛するアイアースではなく、シュネシスを後継者に決めている理由であり、長幼の列に則った継承では決してない理由でもあった。
「先ほどのあれは……。アイアースが?」
「うむ。間違いは無かろう」
「では、我々もあいつが戻ってくる場所を用意してやるとしましょう」
「ですが、あの操り人形どもがやっかいです。ヤツ等は完全に息の根を止めるまで戦いをやめません」
状況は依然として苦しいものの、フェスティアとシュネシスに焦りの色はない。
弟が事を為し、それによって絶望的だった状況を打開する一口が見え始めたからであろうとリリスは思う。
となれば、残る一つの脅威をいかに取り除くか。
リリスは前線にて激突する両軍を見つめるそう口を開いたのだった。
「そうだな。だが、そんなモノは無視していればいい。向かって来るならば斬り捨てるまでだ。それよりも、各軍の状況は?」
フェスティアもそれに頷き、現況を確認するが、各個にて分断され掛かっている現況ではやはり敵の数的優位が大きすぎる。
特に、斬り伏せても立ち向かってくる一部の敵兵。敵は操心兵呼んでいるようだったが、それらへの対処が困難を極めていた。
彼らは、味方がやられようと、自身が傷つこうと動揺を見せることなくひたすらにこちらへと向かってくるのだ。
数を頼みにした死を恐れぬ集団。これ以上の脅威は戦場には存在していない。
「東方部隊は敵主力と激戦を展開。西方・中央の各軍は敵操心兵と対峙中であり、リヴィエト軍の多くは後方に下がっております」
「数の利点を生かしているか……。だが、身を休め、鋭気を養っている軍ならば。リリス、シュネシス。時はいまだ。全軍を下がらせるっ!! 行ってくれっ!!」
「はっ。陛下、ご無事でっ!!」
「姉上、対岸にてお会いしましょうっ!!」
そして、状況を鑑み、口元に笑みを浮かべたフェスティアの決断も早かった。
両名を東西の部隊へと走らると、自身は近衛兵とともに、前方へと進軍する。
途中、突っこんでくる敵部隊を一蹴し、前方にて交戦中のヴァルター率いる中央部隊へと向かうフェスティアと近衛部隊。
策を為すためには、中央部隊を転進させ、自分達が矢面に立つ必要があるのだった。
「さあ、貴様らが求める首はここにあるぞ? 食いついてこい、ハイエナども」
静かにそう呟きつつも、速度を上げるフェスティア。
と、次の瞬間、上方より振り下ろされてくる大剣に気付くと、咄嗟に剣を振り上げてそれを払う。
激しい火花があがり、体勢を崩したフェスティアであったが、手綱を引き、鐙を両の足できつく挟んで体勢を整えると、自身に向かってきた敵種を睨み付ける。
しかし、フェスティアの目に映った敵の姿は意外なモノであった。
「キーリア……だと?」
「お久しぶりですね。皇帝陛下……。いや、皇女殿下と呼ぶ方がらしいですかな?」
訝しげな視線を向けるフェスティアに対し、眼前のキーリア。教団衛士№3であったゼノンは、不敵な笑みとともにフェスティアに対して頭を垂れる。
そんなゼノンの態度に、突如として全身を貫く不快感に、フェスティアは眉を顰める。
いずれにしろ、キーリアと対等に戦えるのはこの場においては自分のみ。
何よりも、こうして強敵と相対することは嫌いではなかった。
◇◆◇◆◇
試練を越えたアイアース。
彼を待っていたフェスティアやシュネシスと、彼らに付き従う数多の将帥達。
奮戦の先に待つ勝利を見据えた彼らにとっての希望の光はすでに灯り、フェスティアは再び賽を振ろうとしている。
そんなフェスティアの前に立ちふさがる一人の男。
時の流れが急速に早まる中、一つの因縁が今決着しようとしていた。




