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第43話 テルノヴェリの血戦①

 かの地にて一つの戦い始まった頃、パルティノンとリヴィエトの決戦も目前に迫っていた。


◇◆◇◆◇


 ――――パルティノン軍動く。



 この報がロマン率いるパルティノン奇襲部隊へともたらされたのは、攻撃を明日に控えた時。


 ロマン、アンジェラ、アンヌの旧スヴォロフ配下三将にとって、それはまさに寝耳に水のことであった。


 彼らの目的は、大河を背にした小高い丘陵群に布陣するパルティノン軍への奇襲。そして、リヴィエト軍本隊の待つ草原へと誘引である。


 そのために、パルティノン軍の約半数に匹敵する約10万にも及ぶ大軍団を投入し、本隊との合流から日にちをかけて徹底的な隠密行動をとらせて来たのである。


 それに加えて、本陣から盛んに動かし続けた斥候や東西両面へ差し向けた部隊の労力が見事に損なわれる結果。


 歴戦のロマンとアンヌも思わず苦虫を噛む。




「動いてくれた方がいいってのは本音だったが……」


「ここまで来て動かれるとねえ」




 苦々しげにそう口を開く二人に対し、アンジェラは一人沈黙したまま地図に視線を送る。


 今回のパルティノン軍の行動により、彼ら別働隊はより難しい局面に立たされる結果となっている。



 本来ならば、このまま敵軍の横腹を突けば良いだけのことであったのだ。 


 元々、大河を背に布陣しているパルティノン軍に退路は限られている。本隊と見まがう規模の部隊の攻勢を受ければ、どちらにせよ動かざるを得なくなる。


 原野に出れば、リヴィエト本隊とともに挟撃し、本陣を堅守すれば数によって大河に追い落とせる。


 だが、先に動かれたとあっては、話はそこまで単純ではなくなる。


 今回の敵は、パルティノン皇帝フェスティア・ラトル・パルティヌスが率いる親征軍。


 それ故に、自分達が敵本陣飛び込んだところで、フェスティア直卒の帝国軍最精鋭足る近衛部隊と正面から相対する可能性があり、敵本隊への挟撃が遅れることになる。


 眼前に敵の君主が居るというのに、それを無視して敵の背後を襲うことなど、普通はあり得ない。


 そして、そんな懸念を彼らに抱かせる理由がもう一つある。


 ちょうど丘陵群と草原の間には、リヴィエト本陣前と同様に川が流れており、後背に大河、丘陵、河川を抱えるまさに死地と言った地形に皇帝自らが飛び込んでくるのかという疑問も彼らにはある。


 フェスティアが戦を愉しみ、前線に自らを投じることを厭わぬ性格であることまではさすがに知り得ない以上、一国の君主が死地に身を置くなどと言う常識外のことまで読むこことは出来ない。


 それ故に、彼らが目的とする丘陵群にフェスティア有り。と判断することには、何ら間違いはないのである。




「作戦に変更はない。どのみち、敵の波止場は抑える必要はある」


「しかしな。フェスティアが不在であれば、これだけの大軍は無駄になるぞ?」


「貴様らしくもない。それで、フェスティアが本陣を残していたらどうなる? どれだけの犠牲が出ると思うのだ?」



 顔を見合わせる二人に対して、アンジェラは冷めた視線を向けつつそう口を開く。


 とはいえ、お互いにこれだけの大軍を率いる経験はなく、部隊を分けるべきか否かという迷いがロマンの中にはある。


 普段の彼の果断さを知るアンジェラからすれば、それは首を傾げたくもなるような愚策であり、本来の目的を見失っているように思えた。



 バグライオフが巨大な戦力を持ちながら、積極攻勢に出れなかったように、ロマンもまた大軍の統率に困惑している。



 このあたりは、スヴォロフの死による精神的な衝撃が見えないところで出はじめている証左であるとアンジェラは思っていた。




「そうだねえ。――――まったく、シェスタフが下手を打たなきゃよかったのに」



 アンジェラの言に頷きつつ、苦々しげに吐き捨てるアンヌ。


 飛空部隊壊滅の報はすでにリヴィエト軍各地に届いており、結果として情報伝達の不備もところどころに出はじめている。


 転移石という便利なものがあるが、それは貴重品であり最重要情報の伝達以外に使える余裕は無い。


 そして、何よりも空からの攻撃という陸上戦力の数倍の威力を誇る攻撃が不可となっている。


 パルティノンにも同等の出血を誘っているが、結局数以外の要素で戦力的な優位性はない。



 もっとも、“数”と言うものが、戦においては最重要な要素には変わりなかったが。




「無いものをねだっても仕方がない。なにより、バグライオフ閣下からの指示はない。我々は我々の判断を貫くしかない」


「わかった。暁を待って、敵本陣に突撃する。それまでに、隊を整えておいてくれ」


「了解」


「うむ」




 そんなアンジェラの言に、ロマンもまた普段通りの覇気を取り戻して、両者に倒して力強くそう告げる。




 そして、戦場に霧が立ちこめはじめた頃、息を潜めていた別働隊10万の大軍団が、パルティノン本陣跡へと攻め込んだ。


 史上稀に見る大部隊による奇襲は、暁から東雲へと代わり始める中で実行され、次第に濃くなる霧の中にあったパルティノン残存部隊にとっては青天の霹靂であった。



 そして、霧が薄まりを見せ始め、陽の光が戦場を照らしはじめた頃になって、旧パルティノン本陣での戦いは、パルティノン側の驚異的な抵抗も空しく波止場は制圧。



 パルティノン軍の退路分断に成功する。



 しかし、本陣に女帝フェスティアの姿はなく、霧の中で陣形を整えはじめたリヴィエト軍本隊がその事実を知る術もない。



 そして、そんなリヴィエト側をあざ笑うかのように、草原各所から押し太鼓の音色が轟きはじめた。


 その音色は、最前線に身を置き、来るべき決戦に笑みを浮かべている聖帝の鼓動であったのだ。



◇◆◇◆◇

 

 


 膨大な数の悪意が迫ってきていることは、すでに察していた。


 リリスは傍らにて床机に腰掛ける主君の姿を一瞥すると、さらにその悪意への思考を向ける。



 敵リヴィエト軍本隊が、前衛軍と合流してから数日。



 こちらも東西方面軍と合流し、2対1の兵力差にまで持ち込むことがなっていたが、草原を挟んで対峙する膨大なリヴィエト軍の圧力は、戦を前にしたにらみ合いにあっても兵達の心を乱している。


 互いに戦を待ち望む気配は感じ取っていたが、それでもパルティノン側が先に動くのは敵を誘い込む段階になってからの話。



 敵本隊が決戦の地へと動かねば、こちらも同様に動くことは出来ない。



 それでも、防衛側である以上有利は地形で戦えることは当然。このテルノヴェリ平原は、春の長雨による泥濘から解放され、騎兵が駆け回るには最適の地である。

 




「陛下。敵が動きました」



 そんな中、敵本隊の動きを察したフェスティアが全軍に渡河を命じ、鶴翼への展開を終えた深夜。敵別働隊が旧本陣跡の丘陵地へと迫ったことをリリスは遠見によって察する。


 蒼天の御旗を掲げ、選りすぐりの勇士千人を残しての出陣。結果として、巨大な魚を見事に釣り上げる形になった。



「ふふ。見事に乗ってくれたな……。如何なる名将といえども、大群を擁すればその目は曇ると言うことか」




 静かにそうほくそ笑むフェスティア。


 体調が落ち着いているのか、彫像の如く青白くなっていた肌に僅かに赤みが戻って来ている。

 だが、実際には、戦いへの昂揚が体調の悪さを超越しているのかも知れなかったが。




「っ!? 歓声から察するに、相当な兵力を割いたようですね」


「こちらからすれば、分断策に成功したようなものです」




 そんなとき、南から吹き下ろす風に乗って敵の歓声がこちら側へと届く。


 ちょうど、出陣を前に集結していた将軍達が思わず顔を向けると、ほくそ笑みながらミーノスとシュネシスが口を開く。



 両名は、飛空部隊とキーリア部隊を統率する役目を負っている。



 キーリアは敵獣人部隊に対抗。飛空部隊は、戦場全体を見渡し、留まることを無く各所に攻勢を加えねばならない。




「しかし、これで我々は、退路を断たれました」



 エミーナ麾下の将軍の一人が額に汗を浮かばせながらそう口を開くと、他の将兵達も一応に口を閉ざす。


 多くがフェスティアの外征に従軍した歴戦であり、まだまだ少壮と言った若い人材達。そんな彼らであっても、背水の地に身を置いたフェスティアの身を案じている。




「退路は不要。今日、この場にて敵を殲滅し、大帝ツァーベルを我が前に引きずり出す。そうしてはじめて活路が生まれるのだ。これに失敗すれば、我らに勝利はない」




 諸将の視線を受け、力強くそう言い放ったフェスティアに、諸将は思わず息を飲む。


 実の兄弟であるシュネシスやミーノスも同様で、リリス自身、今のフェスティアの姿をいまだかつて見たことがなかった。




 絶世の美貌に加え、聖帝と呼ばれるほどの風格を備えるフェスティア。



 今も、戦を前にする昂揚から静かな笑みを口元にたたえているが、その笑みを前に、彼女の目には、静かなる狂気が宿っていたのである。




 ほどなく、解散となった軍議。



 しかし、諸将は戦の同行以上に、部下達に何を伝えるべきかを悟っていた。



(伝えるべきは狂気。圧倒的な戦力差を前にして、打てるだけの手を打った以上、残すところは精神面の狂気だけか)




 眼前に立つ、自身と分身と呼べる主君の姿に、リリスはそう思っていた。



「ぐっ!?」


「っ、陛下っ!!」


「姉上っ!?」




 そんなとき、それまで狂気を放っていたフェスティアが苦しげな声とともに、膝を折る。


 腹部を押さえるその姿にリリスや近衛達はある事情が原因にあることを悟ったが、事情を知らぬシュネシスとミーノスは目を見開いて彼女に近づく。




「心配するな。古傷が痛んだだけだ」


「し、しかし……」


「シュネシス。作戦の成否はすべて貴様の手にあるのだ。行けっ」


「っ!?」


「ミーノスもだ。頼むぞっ!!」


「は、はいっ!!」




 なおも姉の身を案じる二人の弟であったが、狂気に光りを湛えた眼光に歴戦のキーリアでもある二人が思わず身を硬直させ、慌てて本陣から立ち去っていく。


 リリスや他の近衛達すらも身震いを感じさせるほどのフェスティアの姿。そうして、立ち上がった彼女は、下腹部を撫でつつ静かに声を上げる。




「ふふ、我が子もまた決戦の気配を感じ取って暴れておる……。だが、今はまだ待ってくれよ」


「陛下……」


「ふふ、リリス。戦場で産気づくなど、私らしいと思わぬか?」


「ご冗談を。お二人とも無事では済みませんぞっ!!」


「ふふ、そう怒るな。だが、我が子すらも感じ取る戦。これほどまでの昂揚は初めてだ」




 めずらしく戯けながらそう口を開くフェスティアに、リリスは思わず声を荒げたが、なおも愛おしげに自身の腹を撫でるフェスティアの姿に、リリスはフェスティアのみに宿った狂気の正体を察した。




(子を守るための雌獅子の恐ろしさは、雄獅子のそれを遙かに超えるという。今の陛下の狂気は、母となる女が見せる最初の母性か――――っ!?)




 そんなことを思うリリスは、その刹那に巨大な闘気の蠢きを感じ、思わず身を震わせる。


 と同時に、全身に粟が浮かび、軍装を内側から濡らしていく。




「殿下が……?」


「始まったか?」


「恐らく」


「…………そうかっ。では、こちらもはじめるとしよう。アイアースとの再会は、敵浮遊要塞内とでも行くか」


 リリスの言を受け、ほんの一瞬弟の身を案じる姉の表情を垣間見せたフェスティア。


 しかし、それもすぐに消し去ると、再び不敵な笑みを浮かべてそう言い放つ。


 それでも、リリスはフェスティアが弟を案じる思いの強さを感じずにはいられなかった。



 彼女もまた、アイアースに託された帝国の明暗とその試練の過酷さを知っている。


 かつて、目の前にいる主君がすべての可能性をかけて挑んだ試練。それに、一人の人間としての情を抱く相手が挑んでいる。


 リリスもフェスティアと同様に、勝利を肴にアイアースの無事を祈るしかなかったのである。



 そして、フェスティアの合図によって、戦場全体に押し太鼓の音色がゆっくりと轟きはじめた。



◇◆◇




 主君の狂気を受け、戦場各地に散っていく将兵。


 そして、その中にある三人のキーリア。


 彼らは戦場から遠く離れた地において、一つの試練の立ち向かう男と数奇な運命で結ばれる身。




 その中の一人、エミーナ・スィン・ヴァレンシュタインは、馬上にて眼前に立ちこめる霧の中を見つめていた。



「風が出てきましたね」


「時もまた、我々を導こうとしているのだろう」



 傍らにて、解放戦線時代から付き従う騎兵が口を開く。


 濃霧によって数百の先も見えぬ状況。


 だが、夜明けとともにもたらされる陽の光は、霧を鮮やかな白に染めながら、それを取り払う風を呼び寄せている。




「時とは?」


「見て見ろ」



 エミーナの言を受け、長く続いた敵前衛軍との激突から戦場をともにする騎兵が変わって口を開く。


 この二人の副官によって、エミーナは指揮と戦闘の両立を可能としており、解放戦線の戦士達はもちろん、その巧みな統率力によって帝国軍の将兵からも信頼を得ている。


 そんな騎兵の言に、エミーナは大地に生え始める草花を指し示す。




「ほう。種類の異なる草花が、共生していますな」


「これらは、春と冬の花々だ。この時期、この地域にのみ見られる現象」


「つまり……」


「ここが、パルティノン本国とルーシャ地方の真なる狭間。そして、それが見られるのはこのテルノヴェリの大地のみ。天もまた、決戦の舞台にふさわしき地を選んだと言うことだ」




 足下に生える草花に目を向け、轡に踏み荒らさても力強く生きるその姿。


 草花すらも強く生きるこの地を決戦の地に選んだのは、時代そのものが強く生きる人間達を望んだ結果なのかも知れないとエミーナは思っていた。



「意外ですな」


「なに?」


「失礼ながら、閣下は理詰めで物事を考えられる御方だと思っておりました」


「そうか? だが、私もキーリアになる前は、そこそこの家の子女であったのだ。多少の教養は身に着けて居るのだよ」




 エミーナの言に、騎兵は恐縮しつつ頭を下げる。


 ヴァレンシュタインの名は、帝国軍人であれば皆がとあることを理解するだけの意味合いを持つ。


 実際、将帥として生きるはずであったエミーナが、キーリアという帝国の守護者であり、見方によっては帝室の奴隷として生きる地位に身を落とさねばならなかった事実がそこにはある。


 彼女自身は、キーリアとなったことに悔いはないし、帝国のために生きることに河原井はないと思っていたが。



 そんなとき、柔らかな風が戦場を吹き抜けていく。



 それを受け、エミーナは腰に下げた剣を手に取ると、その剣先を天に向けてゆっくりと突き上げていく。



 折しも、それは、リヴィエト軍別道隊が、パルティノン本陣跡を制圧したその時のことである。



 押し太鼓の音色が、エミーナをはじめとする将兵に耳に届いていく。


 それは、まるで戦場を包み込む霧を追い払わんとする大地の怒号であるかのように、盛大に原野に響き渡っていく。


 そして、エミーナの目には、霧の狭間よりこちらを見つめているリヴィエト軍の姿が映りはじめる。


 鼓動が高まり、思わず息を飲んだエミーナ。


 それを受け、手綱を引き、馬を逆立ちにさせると、天上へと掲げた長剣を振り下ろすと、歓声が原野を包み込み、馬蹄の響きが全軍に届いていく。


 全身に打ちつける風を感じたエミーナは、眼前にうごめく敵の姿に、腹の底から声を上げると、一気に騎馬の速度を速めていった。



◇◆◇◆◇



 この時、パルティノンとリヴィエトの命運をかけた、テルノヴェリ平原の決戦が盛大に幕を開けたのであった。

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