第42話 強さへの代償②
力を求めるために、大切な者達をその手にかける。
国家の未来に為に力を得ることが自身に託された責務だったが、そのために背負うことになる代償は大きい。
だが自分は皇族。
パルティノンの大地に生きる全ての者達を庇護し、導いていかねばならぬ存在であり、そのためには大切なモノを擲つことも当然のように求められるし、自分の命ですらも当然のように投げ出さねばならない。
そんなことを考えるアイアースであったが、決断をしようとするたびに三人の顔が脳裏に浮かび、考えを改めるとフェスティアをはじめとする多くの人間達の姿が思い浮かぶ。
どちらかを救えばどちらかを手放さねばならず、どちらにしてもアイアースにとっては茨の道でしかない。
(どうして俺の進む先には、苦悩しか無いのだ?)
赤い光に包まれる間にて一人佇みながら、アイアースはそんなことを思う。
たしかに、これまでの彼の人生は苦悩の連続であった。
大帝国の皇子として誕生し、生まれながらに皇族としての責務を背負うまではよい。
一人の人が生きるにはまだまだ過酷な時代であり、生を得るには最良の環境に身を置いていたのだ。
しかし、事故によって過去の記憶が蘇りはじめた頃から状況は変化していく。
それから、一年あまり後、祖父の主導した大親征が失敗し、帝国全土は混乱に包まれはじめる。
そのなかで、アイアースもまた家族とともに皇位継承争いの混乱の渦にき込まれていく。
継承争いが終わると、それを待って居たかのような天変地異による混乱、そして、シヴィラの起こした反乱による家族との別離。
そして、その時より続く多くの仲間達との別れと、血で血を洗う戦いの日々。
そんな中でも、取り戻すことが出来た家族も、戦乱によって失われようとしている。
「何が、俺をこの時代に呼び寄せたのかはわからない。これだって、俺のわがままに過ぎないのかも知れない。でも……、あいつ等をこの手で?」
そう言いながら、アイアースは自身の両手を見つめる。
すでに、多くの血で汚れ、過去の記憶にある世界に戻ることは不可能なほど罪を重ねてきた手。
すでにぬぐい去ることなど出来ないほど、多くの血に染まってきた手であったが、それでも大切な者達をその手にかけること彼は、決断できなかったのだ。
◇◆◇
アイアースが苦悩のどん底に陥る中、彼の決断を待つ者達も一様に苦悩していた。
アイアースの姿を待つ三人の大人と三人の少女。
大人達は一様に口を閉ざし、その赤き光りの中でうごめくモノを前に沈黙している。
フェルミナは、父親との再会の喜びから一点、自身の命を失いかねない自体に茫然自失と言った様子で、父親の背後に佇むのみ。
ミュウはある程度の覚悟は出来ていた様子だったが、それでも額に手を当てると、苦しげな表情を浮かべて何かを思案し続けている。
(わたしはどうなんだろう……)
それまで、他の者達の様子に目を向けるだけ出会ったフィリスは、改めて自分の置かれる立場を考えはじめた。
彼女は、死ぬことを恐れるつもりはない。
覚えている限りでは、二度目の人生。記憶がどうなるのかはわからなかったが、それでも自分が消えてしまうと言う恐怖からは解放されていると彼女は思う。
しかし、これで自分がアイアースに殺されるとなれば、それが必要なことならば致し方ないと思う。
だが、もう二度と会うことはないと思っていた男と再会し、気持ちはいまだに通じ合えていることを考えると、それはとてもわびしい。
何より、自分があの時感じた虚無感を、誰かを傷つけることでしか満たされなかった気持ちをアイアースに抱かせることのなりかねないことが、フィリスにとっては耐え難かった。
(そう。だから、わたしは、あの子をあそこまで追い込んでしまった。それがあんなことになるなんて思いもせずに)
そんなフィリスの脳裏には、かつて、斉御司百合愛という名の学生であった頃の記憶が浮かび上がろうとする。
しかし、フィリスは、それが何の意味もないと言うことを知っている。
過去の苦悩は過去でしかない。
梨亜子が美空が、相次いで去っていたことも彼女達にとっては意味のあることだったのだとフィリスは思っている。
だからこそ、フィリスは百合愛としての過去を全うして、この世界へとやって来たのだった。
「と言っても、わたしは大人になりきれなかったみたいだけどね」
苦笑しつつそう呟いたフィリスは、顔を上げると上の階へと続く通路へ足を向けた。
「どこへ行く気だ? 女騎士よ」
「知れたこと。主君に死を賜りに行くのだ」
「それは、彼の決めることだ。そなたが決断を促すことではない」
「だから、それを聞きにいく。あなたにとっては娘を弄んだ憎き皇子かも知れないが、私にとっては生きるすべてなのだ。そして、あの御方が選ぶことも私は知っている」
「むっ……」
そんなフィリスの行動に気付いた飛天魔の王が鋭い口調で問い詰めてくるが、フィリスは物怖じすることなくそれに応じる。
もっとも、アイアースが決断を下せているともフィリスは思っていない。
彼は自分と同じく、己の生命を投げ出すことは厭わないが、他人が自分のために命を擲つことを受け入れる人間ではない。
そして、戦場などでの瞬間が勝負を決める場では果断でも、悩むときは徹底的に悩む性分であることも理解している。
「好きにしなさい。どちらを選ぶにしても、私はとやかく言うつもりはないわ」
そんな二人の様子を見ていたヒュプノイアもそう言ってフィリスに行動を促すと、飛天魔の王も渋々といった様子で頷いた。
「二人とも、今だけは許して。どうしても、二人で話をさせてほしいの」
「……わかったわ。殿下をお願い」
「お願いします」
そして、フィリスは歩み寄ってくるミュウとフェルミナに対して顔を向けると、伏し目がちにそう口を開くと、二人は歩みを止めてそう答える。
ミュウは少し不満げであったが、アイアースとフィリスには自分達とは異なる内情が存在していると前々から察しており、今は彼女に託すしかないと思い、フェルミナは純粋にアイアースの決断を待つしかないと思っている。
そんな二人に感謝しつつ、フィリスは階段を駆け上がると、先ほどと同じような赤い光りに包まれる空間に出る。
そして、その視線の先には見慣れた後ろ姿があった。
「亜空間みたいなものだと思っていたけど、神殿か何かなのかしらね?」
フィリスは赤い光り包まれる空間もよく見ると壁や柱が存在し、外へと通じる通用口や窓の類が備えられていることに視線を向けつつそう口を開く。
ちょうど、暁時であり、窓から見える外の様子もやや明るみを帯びている。
「夜明け。戦いはそろそろ始まるのかしら。どう思いますか?」
「さあな」
「まだ、むくれモードですか? 殿下」
「むくれと言うよりは、悩んでいる」
「見ればわかりますよ」
そんなフィリスの姿を一瞥し、愛想なくそう答えたアイアースであったが、さらに言葉を紡ぐフィリスに苦笑しつつそう答える。
「おいおい、無理に親しみを出そうとしなくて良いぞ? 俺は、あのけっこうきつめな感じのところが好きだったんだしな」
「だった。って、ひどいわね。あの時の告白は何?」
「返事はまだ聞いてないぞ?」
「一人増えたみたいだけど?」
「…………言い訳はしないよ。幻滅しても、殴り倒してくれても構わない」
「それはそれで卑怯よ? わがままかも知れないけど、そんなときは自分が悪者になってほしいものね」
「いや、だから」
「言い訳は無用ってことよ。正直、こういう世界だから別にね。あの二人だったら、変などす黒さも無さそうだし」
「そうか……」
お互いにそう言い合い、無言で笑いあう。
はっきりとお互いのことを受け入れあい、かつては正直になれなかった気持ちもぶつけあった。
不幸と言えば、それが戦場であったことかも知れないが、二人は戦いそのものをすでに受け入れている。過去の時代に生きていれば、今以上に自分の立場を嘆き続けたかも知れなかったが。
「それで、決めたの、ですか? 殿下」
「ああ、決めた。お前の顔を見たら、よけいにそういう気になった」
「それは、ミュウ様やフェルミナ様にも言うのではないですか?」
「かもな」
そう言うと、アイアースはゆっくりとフィリスが立つ階段へと向かって歩み寄ってくる。
「んっ」
そして、ちょうど傍らに立ち立ち止まったアイアースに対し、フィリスは彼の頬へと口づけする。
「おっ? ど、どうしたいきなりっ!?」
「なんとなくよ。でも、慣れているんじゃないの?」
「ただの女と惚れた女は別なの」
「うわ。たらしの常套文句ね」
「ああ、もう好きに言ってください。否定できないし」
「たらしを自覚するって……。戦争が終わったら、大丈夫ですか?」
「そのぐらいは我慢できる」
「我慢は別にしなくても」
「いや、命が掛かっている話の前に何言ってんですか。フィリスさん」
「好きな人なんだから当然でしょ」
階段を下りつつもそんな話を続ける両名。
アイアースは、それまで悩んでいたことがばからしく思え、フィリスはこう言った話をした方が、真面目なアイアースにとっては、自分が望む決断に持って行きやすい。と、判断した結果。
案の定、今のアイアースに逡巡の類はなく、上手くいったとほくそ笑むフィリス。
彼女は、愛しく思う人を苦しめないためには手段を選ぶべきではないとも思うのだった。
そして、階段を下り、再び元いた場所へと戻ったアイアースとフィリス。
ゆっくりと大いなる力の元へと歩み寄っていく二人に対し、腕を組みながら立っていたヒュプノイアが目を見開く。
「覚悟は出来た?」
「はい」
そして、口を開いたヒュプノイアの声は、いまだかつてアイアースが聞いたことがないほど冷たく、その美しい目元から放たれる視線も氷の如く鋭いものになっている。
(これが、かつて魔后……)
アイアースの傍らに立ちつつ、ヒュプノイアの姿を目にしたフィリスは、魔族の頂点にあった女性の凄みを改めて感じる。
今でこそ、人間との共生を果たし、平和に暮らしているが、パルティノンの征服過程では、激しく交戦を続けた種族。
人間のそれよりも法術体系に優れ、散々に苦しめたと言うが、その後は長年にわたっての平和共存を築いている。
思えば、伝説の白き狼虎をその目で見ている唯一の人でもあるのだった。
「じゃあ、はじめましょう」
「お祖母様。それは、必要ありません」
そう言って、踵を返すヒュプノイアであったが、その細い背中に対して、アイアースは、はっきりと口を開き、そう告げる。
必要無い。
それは、今回の戦いにおいて、浮遊要塞に対抗する力を得る機会を否定したことになる。
「私に、三人をこの手にかけることなど出来ません。……力はほしいですしが、それでも」
「浮遊要塞は、この身にかえても攻略してご覧に入れます」
目を閉ざし、静かにそう告げたアイアースは、さっとヒュプノイアに対して踵を返し、フィリスもまた頭を下げてそれに倣う。
力を得る事が出来ない以上、一刻も早くフェスティア等の待つ戦場へと戻らねばならないのだ。
「いいでしょう」
「はい。お手数をおかけしました」
「何を言っているの? 早く来なさい」
「はいっ?」
そんな二人に対し、静かにそう口を開いたヒュプノイアであったが、続いてカの序の口から出た言葉に、アイアースとフィリスは思わず目を見開く。
「力を与えるから来なさいと言ったんだけど?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!! 殺す覚悟がなければ、それには耐えきれないと」
「覚悟ぐらいでどうにかなるようなものじゃないわよ。三人の命というのは、これに三人の命を捧げることでその抵抗を弱めるためのもの。でも、あなたは必要無いと言ったわけだし、頑張ってもらうわよ」
そして、素っ気なくそう言い放ったヒュプノイアに対し、アイアースが慌てて問い返すと、ヒュプノイアは肩をすくめ、笑みを浮かべながらそう答える。
「そ、それならばはじめからっ」
「あのねえ、覚悟は必要なのは本当よ? それに、はじめから話したってあなたは同じ結論を出すに決まっているしね。思い悩むことで固まる覚悟って言うのもあるのよ」
「そもそも、ようやく再会できた娘の命を差し出すわけがなかろう」
「愛するものの命を奪ってまで勝利に執着するものが、帝国を導けるわけもないしな」
「…………わかりましたっ!! どんなことでも耐えて見せますから、さっさとやってくださいっ!!」
なおも抗弁するアイアースであったが、そこに飛天魔の王とオイレも加わっての悪ふざけじみた答弁の嵐である。
そんな三人に対して、アイアースは額に青筋を浮かべつつそう言い放つ。
しかし、頭に血を上らせる彼に対し、フィリスは先ほどから目を潤ませるフェルミナと表情を引きつらせたままのミュウにようやく気付いていた。
そして、先ほどまで戯けていた三人もまた、表情を凍結させる。
「その言葉を忘れるんじゃないわよ? 来なさい」
再び、絶対零度にまで凍り付いた声でそう告げたヒュプノイアの背後を、アイアースはゆっくりと追っていく。
(殿下…………ご無事でっ)
そんな周囲の様子に、フィリスは自分がとんでもない罪を犯してしまったことを自覚しつつ、愛する男の背にそんな祈りを向けるしかなかった。
◇◆◇
ヒュプノイアが何事かを呟くと、赤き光りを纏っていたそれが鮮やかな光を放ちはじめる。
やがて、光りだけであったそれが、炎を模った刻印へと姿を変えていく。
しかし、その形はそれまでの下級種のそれとは異なり、はっきりとした骨格を持った姿を見せている。
「この刻印は、この世界における炎の力の根源体そのもの。つまりは、人にとってはあまりに過ぎたるもの。正直なところ、あなたが宿す業火の刻印ですらも赤ん坊みたいなものよ。力なきものであれば、刻印は容赦なく焼き尽くすでしょうし、刻印が受け入れたとしても、その継承には想像を絶する苦痛を伴うわ。それこそ、刻印縫い付けることのなんて目じゃないくらいにね」
刻印を前に、ヒュプノイアは静かにアイアースに対して、そう告げる。
通常の刻印ですら、彫り師や刻印師の協力を得て身体に宿すもの。そして、相性が合わないモノは確実に身体を蝕むし、過ぎた使役は身体を傷つけ続ける。
通常のものですらこれなのだ。
目の前の刻印を身に宿せばどうなるのか、アイアースには想像もつかなかった。
「かまいません。元々、拾い続きの命です」
「でも、多くの人達に託された命でもある。私も全力で支えるわ」
「ありがとうございます」
「それともうひとつ。私にとっても、あなたは大切な子どもなのよ? 忘れないでね」
「はい」
炎の刻印が揺らめく中、ヒュプノイアの言にそう応えたアイアース。
そして、ヒュプノイアが再び何某かの言葉を呟くと、それはゆっくりとアイアースの身体へと近づき、眩い光を纏いながら、彼に肉体へと入りこんでいく。
赤き光りに包まれるアイアース。ほのかな暖かさと、包み込まれるような感覚が全身にもたらされる。
「……これで終わりですか? っっっっっ!?!?」
鮮やかな光が消え、思わず拍子抜けしたかのようにそう呟いたアイアース。
――――しかし、その刹那…………。全身から血が吹き上がった。
天を劈く断末魔が周囲に轟いたのは、それから間もなくのことであった。




