第41話 強さへの代償① ※若干訂正しました
一人の男が仲間とともに立ち去った草原は、夜の訪れとともに静寂に包まれていた。
次第に闇に包まれる草原を尻目に、大河を背に陣をかまえたパルティノン側では、長き灯火の中を一人の女性がゆっくりと歩いて行く。
その身は、白と青を基調とした軍装に包まれ、流れるような黒みがかった銀色の髪が、灯火に照らされててに赤銅色に輝いている。
そんな女性、神聖パルティノン皇帝フェスティア・ラトル・パルティヌスの背には、白と青を基調とした軍装とは相容れない黒と赤の外套が風に靡いている。
それは、フェスティアがかつて“黒の姫騎士”と仇名されていた際に、その象徴とされていた闇と流血の証し。
そして、今のそれも闇の中でさらに映え、裏地の赤はこの草原に流れる血の海を想像させる。
床机に腰掛け、その身に着けた軍装と相反する外套を夜風に揺らせる女性は、居ならぶ将兵へと視線を向けるとゆっくりと片手を上げ、諸将に着席を促す。
神聖パルティノン帝国軍にとって、決戦を前にした最後の軍議。
それは、議論と言うよりも意思の確認であり、勝利への宣誓の場でしかない。
「我ら諸将。異論はございません」
「聖上陛下の号令の元、全軍が戦場において命を捧げましょう」
居並ぶ諸将の最前列にて相対するヴァルターとエミーナが口を開き、フェスティアが静かに頷く。
約束された地にて敵を待ち構えるパルティノン軍にとって、決戦の前に大きなほころびは存在していなかった。
そして、草原を挟んで対峙するリヴィエト陣営では、総司令官のロレンツ・バグライオフもまた、敵陣営の動きを敏感に察していた。
闇夜の中、互いの存在を告げている灯火は煌々と光を発し、否がおうにもその存在を相手に見せ付けている。
もはや、時は決戦の時を待つばかりであったが、その時を迎えてなお、リヴィエト側には一つの巨大な懸念が存在していた。
「敵はいまだに大河を背にした背水の地より動いておりませぬ。しかし、彼らを確認するすべもなく、懸念であるフェスティアの在非も判明しておりませぬ」
副官からの報告に、バグライオフは闇間を睨みつつ唇をかむ。
神ならぬ身である彼らに、フェスティアが戦を楽しみ、最前線に身をさらすことを厭わぬことを知る術はない。
噂に聞く勇猛果敢な女帝であっても、祖国の命運を賭けた戦にあって、背水の地に姿を見せることすらも常識からは外れているのだ。
しかし、倍以上の戦力を誇るリヴィエト側に対して、パルティノン側が恐れを抱くどころか、舌なめずりをしながら決戦を待っているように見えるのは、練度の優越性以上に女帝フェスティアのカリスマ性に寄るところが大きい。
バグライオフ以下の将兵達が考えることはそれであり、その僅かな疑心が彼らの決断を揺るがせる。
長大な遠征を経た軍であり、その占領地も広大である彼ら。
しかし、それは連戦の勝利の結果であり、今この場で主力部隊がパルティノンに敗れれば、いかに強大な浮遊要塞を持ってしても、破滅の道に転がりかねないことは皆が心得ている。
新天地を求めるために侵略行動は、勝利の際にはさらなる征服を皆が望むが、一度の敗戦は望郷の念を将兵に抱かせる。
野心に囚われた兵は獰猛になり、戦を求めるが、望郷を抱く兵は本来の力を発揮することすらも敵わない。
「斥候は戻らないか?」
「はい。恐らく、殲滅されたものと」
伝令からの報告に頷いたバグライオフは、背後に控える諸将に方へと向き直る。
その表情に逡巡の類はなく、先ほどまでの疑心も今では表情から消え去っていた。
「作戦に変更はない。今より、本隊は下山。コンドラーチェの敵陣営奇襲を待って、草原に布陣する」
諸将に対してそう告げ、馬上の人となるバグライオフ。
戦場における勇猛さはリヴィエト軍随一であるが、猛将特有の粗暴さはなく、戦の前には今回のようにありとあらゆる状況を検討し、隙を決して作ることはない。
それ故に、先ほどまでの逡巡があったのだが、決断を下した後はそれを揺るがせることはまず無く、その決断は決して時を逸しない。
すでに前日の段階で、ロマンに対し万単位の兵を預けて迂回行動をとらせている。
軍全体から百を超える部隊を抽出しての行動であり、決してパルティノン側に悟られることはない。
数の優位性は、奇襲においても少数者の行うそれ以上の戦果を産み出す。
夜明けを待ってパルティノン軍を陣から追い立て、待ち構える本隊の前に引きずり出せれば上々。
最悪、出陣した後であっても、本隊が交戦中に後方をつく事は不可能ではない。
それだけのことを求められる指揮官でもあるのだった。
◇◆◇
決戦を待つ大地にあって、互いに動きを見せ始めた両軍。
運命の朝が次第に歩み寄る中、戦場は薄らかな霧に包まれはじめていた。
◇◆◇◆◇
水晶球から伝わってくる戦場の空気にアイアースは思わず歯ぎしりしていた。
フェスティアの心意を知ることになり、ミュウをはじめとする仲間達の思いを組んでの今であったが、心の奥底では姉兄達とともに戦うことの出来ない悔しさは燻り続けている。
そして、敵陣営の動きをこうして知る事が出来るにも関わらず、彼の力では何も出来ないことも、それを助長していた。
「皆……」
「あら? みんなを心配するなんて、ずいぶん大人になったのね」
「え? そうでしょうか?」
「そうよ。キーリアになるって言い出した頃は、何かにつけて“姉上姉上”だったわよ?」
「…………そうでしたね。あの頃は、シヴィラへの恨みと姉上を救えなかった悔いだけした」
水晶球を見つめつつ、戦場にて対峙する者達の姿を思い浮かべるアイアースに、ヒュプノイアが柔らかな笑みを浮かべながらそう口を開く。
彼女の言に、目を見開いたアイアースであったが、ちょうど彼女によって死の淵から救い出された時のことを思いかえすと、たしかにその通りだとアイアースは思う。
「そうね~。ちょっと、嫉妬しちゃったわよぉ? それに、一緒にいたのに全然手を出してこないし」
「お前が知らんだけだろ」
「え?」
そんなアイアースの言を茶化すように、行動を共にすることになったミュウが笑みを浮かべながら、普段通りの間延びした口調で言うと、アイアースは素っ気なくそう言い放つ。
思わず硬直するミュウであったが、彼女以上にその言葉に反応する者達もいた。
「で、殿下……」
「殿下?」
「あらあら。さすが、パルティノンの皇族ね」
涙目になって見つめてくるフェルミナ、表情を強ばらせながら見つめてくるフィリスの二人。それを見ていたヒュプノイアも楽しげな表情を浮かべている。
「それより、おばあさま。我々はどちらに?」
「あら? それは、着けばわかるわよ」
「では、なぜ三人を?」
「それも必要になると思ったからね。フェルミナちゃんはそれ以外の理由もあるし」
「そうですか」
「ふふ。そうやって落ち着いている姿。思い出すわねえ」
しかし、アイアースは彼女達の視線を気にすることなく、ヒュプノイアに説明を促す。
今、彼らの周囲は不均等に歪んだ空間になっており、視線を向けると思わず眩暈を誘発しそうな、そんな不気味な場所である。
転移方陣の一種であると言うが、シヴィラによって転移されてきた信徒兵達はこのような空間に押し込められていたのかと思うと、僅かに気の毒にもなってくる。
もちろん、彼らを簡単に許すつもりもないが、今の彼らは、その多くがフェスティアの麾下に集い、祖国防衛のために命を賭ける覚悟を持っている。
志や信じるものは違えど、元は同じパルティノンの民。
憎しみだけがすべてはないという思いを抱く自分がいるとアイアースはしきりに思うようになっていた。
「さて、お待たせしたわね」
そんなことを考えているアイアースの耳に、ヒュプノイアの言が届くと、それまで不気味にうごめいていた周囲は、目の前を覆う眩い光に包まれはじめる。
光が消えると、そこはほのかな灯りに包まれる不思議な空間であった。
赤く発光する周囲であったが、目を眩ませるような光りではなく、何かを包み込むような赤き光り。
それが何を意味するのか、ヒュプノイアをのぞく四人は首を傾げるばかりであったが、自分について来るように指で合図をするヒュプノイアの後に続くと、アイアースは自身の右手がほのかに熱を帯びていることに気付く。
思わず右手の甲に視線を向けると、そこではその場に宿る業火の刻印が、鮮やかな光を発していた。
「え? ど、どういうことなんだ?」
「ちょっと待って」
思わずミュウに視線を向けるアイアースであったが、ミュウも突然のことに困惑している様子である。
スラエヴォでの悲劇の前夜に手に入れ、教団へと身を投じた際にミュウに宿してもらった刻印。
数多くの戦いの場で、アイアースを勝利に導いてきた炎の力の根源体であるが、今回のように自らの意志を表に出すことは滅多になかった。
「あらあら。心配しなくても大丈夫よ。ミュウ、冷静にね」
そんなアイアース達の様子を見ていたヒュプノイアは、静かにそう告げるとさらにアイアース達を先へと促す。
「お待ちください。こちらはいったい……」
「騒ぐな。少年……」
「えっ!?」
「あっ!?」
「あら? 来ていたのね」
そんな調子のヒュプノイアに対して、アイアースはやや苛立ちを隠さずに口を開く。
浮遊要塞への対抗手段を自分が託されたことは理解していたのだが、こうしてヒュプノイアに連れられた先はなんなのか。なんのためにこのような場に来たのかということを、彼は何一つ伝えられていないのである。
しかし、それに応えたのは、ヒュプノイアではなく、やや高めの落ち着いた男の声。
視線を向けると、そこには鮮やかな白色の翼を赤き光りによって染め上げる青年の姿。思わず声を上げたアイアースであったが、彼以上に驚きを含んだ声を上げたのは、彼の背後にいたフェルミナであった。
「お父様っ!!」
そんな声が耳に届いたかと思うと、フェルミナは青年の元へと駆け寄り、彼の胸に抱きついている。
「お父様って……、飛天魔は若作りって聞いていたけど」
「でも、フェルミナの父上と言うことは、飛天魔の」
「ああ。娘が長く世話になりました。皇子殿下」
「……長くはない。だが、お気持ちはわかる。申し訳なかった」
青年の姿に思わず口を開くフィリスに対してアイアースもそう口を開く。
それが耳に届いたのか、胸元にて嗚咽するフェルミナの頭を撫でた青年は、やや冷めた視線をアイアースへと向ける。
その声は先ほどまで以上に冷たく鋭いものであるようにアイアースには思える。
とはいえ、実の娘を奴隷にした男に好意を抱く父親がいるはずもなく、アイアースはその視線を甘んじて受け入れる。実際、彼は解放を約束したにも関わらず、いまだに彼女を縛り付けているのだった。
「謝られたところで意味は無い……。むしろ、この場に伴ったことは、評価せねばならん」
「評価?」
「まだ、何も知らぬのであったな。魔后陛下、ヤツもこの先におります。とりあえずはそこへ」
「そうね。アイアース、もう少し待ってくれる?」
「わかりました」
飛天魔の王の言に、頷いたヒュプノイアは、先ほどまでの柔和な表情を引き締め、改めて歩みをすすめる。
ほどなく、地下へと続く階段があらわれ、ほのかな赤い光りは闇に取り込まれて周囲は暗がりに包まれはじめる。
右手に視線を向けると、刻印も先ほどまでの様子は影を潜め、光は落ち着いたものへと変わっていた。
そして、暗がりは次第に収まり、再び赤い光の支配する空間へとやってくる。
しかし、そこはそれまでのそれとは異なり、何か圧倒されるような何かがそこでうごめいているようにアイアースには思えた。
そして、光り包まれる空間へと一行が足を踏み入れると、視線の先では、白虎の如き白と黒の入り混じった髪と耳、尾を持つ壮年の男が静かに佇んでいる。
その姿を目にしたアイアースは、不思議と鼓動が高鳴っていることを自覚する。
「お待ちしておりました。魔后陛下」
「ええ。それよりオイレ、かわいい孫の訪ねてきたわ」
「おお。アイアース、こうして話すのは初めてだな」
「お祖父様……なのですね?」
ヒュプノイアにオイレと呼ばれたティグ族の男は、アイアースの眼前に立つと静かな笑みを浮かべながらそう口を開く。
その笑顔は、どことなく記憶の奥底にある祖父のそれと似ており、何より炎の中で眠りについた母、リアネイアの姿を想起させる。
そう思うと、思わず目頭が熱くなるアイアースであったが、今はこうして祖父との再会に感動している状況でもないである。
遠き地では、今にも同胞達が戦場に命を散らせようとしているのだった。
「うむ。こうしてみると、リアによく似ているな。私が会ったのは、ほんの赤子の頃であったが」
「はい……、ありがとうございます。それで、お祖父様。私はいったい何をすればよいのですか? 姉上に託された、勝利のために、私は何を……」
「皇子。そう慌てるな…………。何より、貴様には、これから一つの決断をしてもらわねばならぬのだ」
「決断?」
「そうよ。そのために、あなただけじゃなくて、この子達も一緒に来てもらったのよ」
アイアースの姿に眼を細めるオイレであったが、アイアースはその言を嬉しく思う一方で、はやる気持ちを抑えることは困難であった。
そんな彼に対して、飛天魔の王がアイアースを計るような視線を向け、ヒュプノイアも柔和な表情を消し去ったまま、フェルミナ、フィリス、ミュウの三人に視線を向ける。
「わたし達がですか?」
「ええ。どうしても、必要なの」
口を開いたミュウに対して頷いたヒュプノイアは、オイレへと視線を向けると、互いに頷きあう。
そして、アイアースへと視線を向けたオイレは、静かにアイアースへと問い掛ける。
「…………アイアースよ、一つ聞く。そなたは力を求めるか?」
「…………はい」
「それが、身をほろぼしかねない苦痛と苦悩を背負うことになってもか?」
「――それで、パルティノンに勝利をもたらすことが出来るのならば」
「仮に、そなたにすべてを背負わせることになるフェスティアを恨むことになってもか?」
「姉上と恨むことなどあり得ません。むしろ、こうして戦うことの出来ぬ状況の方が私にとってはつらいのです」
「ふっ……、姿は異なっても、やはりティグの血か」
オイレの問い掛けに、アイアースは逡巡することなく答えていく。
戦から外されたことに衝撃でふさぎ込んでいた事実が今になっては恥ずかしいほどに、覚悟のほどが決まってきている。
そんな孫の頼もしい答えに頷くオイレであったが、その傍らで苦笑するヒュプノイアもまた、アイアースに問い掛ける。
「あなたが満足してどうするの? それでね、アイアース。本当に、力を求めるのね?」
「それが必要であるのならば」
「待て、責務を盾にするな。貴様が本当に、それを望んでいるのか、考えてみよ」
「考えるまでもありません。私が力を持たなかった為に、姉上達は今も困難な戦いを続けています。そして、母上をはじめとする多くの人が私の目の前で倒れました。強くなりたい。戦いたいという思いは、今も持ち続けているつもりです」
ヒュプノイアの問い対する答えが、やや義務感めいた言になったため、飛天魔の王が厳しい口調で問い掛けてくるが、それに対してもアイアースは淀みなく答えるだけである。
不思議と、覚悟以上の感情が込み上がってきていたが、それを表に出すことはない。
「もう一度聞くわ。本当に、どんなことにも耐えられるわね?」
「はい」
「ならば、この子達を殺す事も出来るわね?」
「えっ!?」
そんなアイアースに鋭い視線を向けたヒュプノイアは、アイアースの力強い返事を受け、傍らに立つミュウの肩に手を置いて、静かにそう口を開く。
思わず目を剥く四人。
アイアースははじめこそ、冗談だと思っていたのだが、ヒュプノイアの視線はそれまでにないほど冷酷なモノとなり、口を閉ざしたアイアースに対してさらに言葉を続ける。
「大いなる力には相応の代償が必要になる。そして、それが出来なければ、所詮あなたはそれまでだと言うことよ。愛するものを手にかけるだけの覚悟がなければ、無駄に命を散らせるだけだわ」
「そ、それは……」
「時間は与える。外に戻って、殺す覚悟が出来たら戻ってこい。我々はここで待つ」




