第39話 願い①
数万の軍勢が眼前の原野を悠然と進軍していく。
ロマンは総司令官であるバグライオフや彼の麾下の将軍達とともにその軍勢を見下ろしていた。
昨日、戦場に到着したパルティノン東西方面両軍であったが、その数はこちらの十分の一程度。
兵法に則れば包囲殲滅も可能な戦力差であるが、彼らの目指すその先には女帝フェスティア率いるパルティノン中央軍二十万がこちらを睨み、そこから出陣した部隊が眼前を流れる河川の対岸各所に展開している。
数日前より展開をはじめたその各部隊であったが、こちらも南下してくる本隊の収容に追われ、十分な迎撃を行えないまま布陣を許している。
数の差こそあれ、練度に関してはパルティノン側に分があり、こちらも渡河を経ての戦闘では予想外の犠牲を払いかねない。
とはいえ、常に数を頼みに戦いを続けてきたこちらからすれば、兵力の劣る相手に対して守勢を続けるのは全軍の士気にも関わる。
それ故、当初は即時攻勢を求める声も多くあった。
しかし、バグライオフが事前に命じていた威力偵察部隊が、あっさりと壊滅してからはその声も小さくなっている。敵との練度の差は顕著であり、こちらからすれば数を頼んでの決戦という選択肢が残されるのみ。
すでに、前哨戦とも言えるパルティノン側の防衛線は突破しており、両gんの激突を邪魔するものはない。
そして、眼前を通り抜けていく東西方面軍。
その中でも、敵東部方面軍は中央軍、西部方面軍に比べて弱体であるとロマンは思っていたのだが、今回の威力偵察部隊の被害によって、それは指揮官の差であることがわかっている。
すでに指揮は西部方面軍諸将に統一されている様子で、どこから攻めても切り崩すことは容易ではなかった。
それを受け、決戦の気運を感じ取って気勢を上げていた将軍達の多くも今は沈黙していた。
「正直、このまま総力戦に突入してくれるた方が気が楽だね」
敵軍の様子を見つめつつ、アンヌが口を開く。
彼女は本隊とともに昨日に到着したばかりであったが、戦場を包み込む空気に、行軍の疲労が癒えるも間もないという。
あれだけの練度を誇る軍の追撃を受け、目の前にはその数倍の数の軍がいる。
レモンスク周辺とは比べものになる程の重圧が、この場にいる全将兵にのしかかっているのであった。
とはいえ、このまま済し崩し的に総力戦に突入したところでどうなるか。
「獣人兵と車両群が仕えなければこちらが不利だ。そういうわけにもいかんだろ」
アンヌの言にそう答えつつ、ロマンは前方の軍へと視線を向ける。
元々は遊牧騎馬民族を祖とするパルティノンは、今でこそ定住社会となっているが、本国の騎馬隊の精強さは他を圧倒しているという。
山嶺に陣をかまえていたスヴォロフが、一騎兵部隊に敗れ去った事実はその好例。
となれば、こちらも相応の戦力をぶつけるべきであったが、混戦になれば獣人兵も車両群の使用は不可能であった。
「そんなもの、乱戦の中にぶち込めばいいのさ。普段から兵を大切にしない連中が多いんだ。たまには兵の気持ちを味あわせてやればいい」
「先鋒は我々だぞ?」
「それは問題ないだろ」
「まあな」
アンヌの少々過激な物言いに、苦笑するロマンであったが、スヴォロフかツァーベルであればそれをやっているとも思う。
ロマンやアンヌもこちらに構うことなく突撃する車両は、こちらもろとも敵を討ちかねない獣人兵をかわすことぐらいは容易だと思っている。
しかし、総指揮官はバグライオフであり、彼は勇将である。そして、リヴィエト軍にはめずらしく戦場の礼を重んじ、正面からの戦を好む。
近年は老獪さも身に着けてきていると言うが、スヴォロフからは見るとまだまだ甘いというのは、生前に幾度も聞かされていた。
「で、嬢ちゃんはどうしているんだい?」
「天幕にこもったままだ。ふて腐れているんだか、謀略でも練っているんだか」
アンヌ言う嬢ちゃんとは、アンジェラのことである。
育ちのよいアンジェラと女郎出身のアンヌは、正反対の性格にも関わらず仲がよく、嫌味の応酬などはよく見られる。
しかし、そのアンジェラも先日に献策をバグライオフに退けられてからは自身の天幕にこもったままだった。
もちろん、ロマンはおろか、当のバグライオフも天幕を訪れて戦略を話し合っているため何をしているかわからないというのは語弊がある。
ただ、普段のように理詰めで相手を強引に納得させるという行動に出ないことがいささか不気味であったのだ。
「まあ、気落ちしている様はマシだろ……。酒でも飲ませて、閣下の寝所に放り込んどけばよかったかな」
「人のいないところで何を言っている」
「お?」
「あら? 聞こえちゃった?」
そんなことを話しているロマンとアンヌの背後から、凛としたややきつめな性格を思わせる女性の鋭い声。
二人が視線を向けると、眼鏡の奥から鋭い眼光を向けてくるアンジェラがその場には立っていた。
「全然姿を見せないからどうしかたと思ったよ」
「策を練るのが私の役目だ。それで、二人に頼みたいことがある」
久方ぶりの再会に、口元に笑みを浮かべながらそう言ったアンヌに対し、僅かに頷いたアンジェラは、二人に対してそう口を開く。
その仕草に顔を見合わせた両者は、彼女が平静さを取り戻したことを悟ったのだった。
◇◆◇◆◇
鮮やかな夕焼けに照らされながら、東西方面軍五万が大地を駆け抜けていく。
セレネ丘陵を降りた当初は、強引に渡河してきたリヴィエト軍の横槍を受けたが、それも一蹴しての行軍である。
レモンスク近郊からの激戦続きの軍とは思えないほどその気力は充実しているようにアイアース目には映った。
「さて、俺達も行くとしよう。かがり火、旗指物はそのまま。音を立てるな」
背後に控える将兵へと向き直り、アイアース麾下の二千もまた、セレネ丘陵を下り始める。
皆、無言のまま闇に包まれはじめた大地をゆっくりと進む。
そうしているうちに、広大な草原の中に浮かぶ一本の線が薄らと見え始める。
レモンスクからセラス湖沿岸都市へと抜ける街道であり、ここを南下すればセラス湖北岸へと辿り着くことが出来る道。
「ふう。皆、ご苦労だった。ここより南下し、モラク村にて野営する」
そこに辿り着いたアイアースは、麾下の将兵に対してそう告げると前後に斥候を放ち、先ほどまでよりも速度を上げて南下をはじめる。
顔を後方へと向けると、小高い丘を埋め尽くすような炎の川が闇の中に浮かび上がり、一種荘厳な景色がそこには広がっていた。
「落伍者はいるか?」
無人となった村へと到着し、いくつかの人家を間借りしたアイアースは、ジルやフィリス等の報告を受ける。
原野を抜けた後は、疾駆を開始したのだが、連戦で消耗しているのは人も馬も同様。軍馬に余裕がない以上、落伍する者が出る可能性も十分にあった。
「いえ。斥候も帰還し、皆、身を休めております」
「気取られた気配は?」
「今のところは」
「よし。見張りの目は、密におけ。必要であれば私も出る」
そう言うと、アイアースは少し一人にしてほしいと、二人を下がらせる。
一人になり、静寂がその場を支配すると、アイアースは部屋に灯った蝋燭の炎を見つめる。
炎の中に映りこむ女性の姿。
それは、かつて炎の中に散った女性であり、自身の腕の中で眠りについた女性ぇあり、そして……、今も一人すべてを背負う女性の姿でもあった。
◇◆◇
雲間から顔を出した陽の光を浴びて、飛竜の白き外皮が光を放っている。
ゆっくりと着地した飛竜に視線を向けると、飛竜の美しさと相まって、その背に跨がる飛空兵の姿も自分達とは異なる存在であるかのように思えてきた。
「改めて見ると大きいものね」
「ああ。っと言うより、あれは兄上の飛竜じゃないか?」
「え? そうなの??」
飛竜自体は、軍内部ではよく目にするのだが、こうして至近で見る機会は稀である。多くが飛空兵達とともにおり、部外者が近づくのは危険と一般には言われている。
ミュウのような博識でも、実物を間近で見る機会というのは少なく、触れる機会というのはほとんど無に近い。
しかし、アイアースにとっては、飛竜自体よりも、目の前に飛空兵が騎乗してきた飛竜の姿に見覚えがあるように思えたのだ。
「ふ、さすがだな……」
そんなアイアースの言が耳に届いたのか、飛空兵が顔につけている兜に手をかける。
ゆっくりと外されたそれから、黒みがかった銀色の髪が腰まで流れ落ち、首を振るうと陽の光を受けてそれが光りを振りまいているような錯覚を周囲に与える。
一瞬、飛空兵の姿に見惚れていた周囲の者達は、それを受けて我に返り、一斉にその場に膝を折った。
「ふふ、驚かせてしまったようだな。皆、ご苦労だった」
飛竜から下り、彼女を優しく撫でながらそう口を開く飛空兵。
飛竜もまた、彼女に撫でられるのは好ましい様子で、じゃれつくように首を彼女の身体へと寄せている。
「へ、陛下っ。とももつけずに、こちらにっ!?」
「貴公等が居るではないか」
ヴァルターがやや声を上ずらせながらそう口を開くと、飛空兵は、口元に笑みを浮かべてそう答え、その飛空衣を脱ぎさる。
飛空衣の下で身に着けていたそれは、白と青を基調とした、まさにパルティノン皇帝の軍装であり、そして、それをただ一人身に着けることを許された女性の姿がそこにはあった。
「皆、困難な戦をよく戦い抜いてくれた。パルティノン皇帝フェスティアの名において、諸君等の栄誉は必ず祝福されよう。本当によく頑張ってくれた」
そんな女性、フェスティアの言に周囲のキーリアや東西方面軍の将兵達がざわめく。
皆、敵本隊の接近という困難な場面を戦い抜いてきた者達である。失ったものも多かったが、皇帝その人の口から出た感謝の言葉は、それがそれだけの価値があるものだという証明。
共に戦い、戦場に倒れた者達も報われるものであった。
「はっ、ありがたきお言葉にございます」
「ん。ただ、戦はまだ終わってはおらん。諸君等には、今後も私とともに怨敵リヴィエトとの戦に望んでもらわねばならぬ。その間、私は諸君等に何一つ報いてやることは出来ない。それ故に、全員が必ず生き残り、ともに勝利の宴を愉しもうではないか」
そんな将兵達のざわめきが止むのを待ち、静かに頭と垂れたヴァルターに対して頷いたフェスティアは、さらに将兵達に静かに語りかける。
その姿に、将兵達はざわめくことなく耳を傾け、フェスティアの言が終わると皆、静かにかつ力強く頷く。
(……僅か数分で、兵達の顔色が変わってしまった。これが、姉上の力か)
アイアースもまた、膝をつきながらフェスティアへと視線を向けながらそんなことを考える。
アイアース麾下は、精鋭揃いであるが故に今回のような連戦の疲れを顔に出すことはないが、東西方面軍は精兵もいれば弱兵もいる。
それ故に、連戦の疲れや混乱による士気の低下は見られはじめていたのだ。
しかし、今眼前にあらわれたフェスティアの姿を一目見、その言葉を耳に入れた者達は、目に見えて表情を引き締めている。
先ほどまで、疲労にてへたり込んでいた者達とは思えぬほど、その姿は鋭気に満ちている。
「貴公が、敵将スヴォロフ討った者だそうだな」
「……っ!? は、はいっ」
そんなことを考えていたアイアースは、いつの間にか眼前に立っていたフェスティアの言に思わず顔を上げる。
視線が絡み合い、自然とお互いに目を向けあう。
「少し、話がしたい。よいか? 貴公もともに来てくれ」
そんなフェスティアの言に、周囲が再びざわめきはじめる。
内情を知っている者達は知っているなりに、知らぬ者達は訝しげな表情を浮かべる者もいれば、今回の殊勲者に対する羨望の目を向ける者等、あこがれとうらやましさの入り混じった視線がアイアース達の元へと突き刺さった。
そんな視線を背後に受けながら、アイアースとフェスティア。そして、ミュウは、本営から離れ、さらに小高くなっている丘の頂上へと歩みを向ける。
「よくやってくれた。アイアース」
「ありがとうございます。ですが、仲間に恵まれました」
「その気持ちだ。私も困難な命を押しつけたとは思っていたが……」
「帝国のためです。姉上」
「ああ。……ふふ、あの時もそうだったが、頼もしくなってくれたな」
「あ……、はい」
はじめは普段通りの皇帝としての顔を浮かべていたフェスティアであったが、ふと、穏やかな女性の顔になって柔らかな笑みを向けてくる。
アイアースは思わず言葉に詰まり、ミュウもまた驚きの表情を浮かべていた。
「どうした?」
「い、いえその……」
「殿下は、陛下の美しさに魅了されているのですよ」
「ほう?」
そんなフェスティアの表情に、なおも言葉が出ないアイアースに代わり、ミュウがやや悪戯めいた表情でそう言うと、二人はめずらしい者を見るかのような視線をアイアースに向けてくる。
「――まあ、からかうのはやめておいて、アイアース。戦を前に、そなたに頼んでおきたいことがある」
「っ。なんでしょうか?」
と、それまでの柔らかい表情から、先ほどまでの表情に戻ったフェスティアに対し、アイアースは再び居住まいを正す。
「これを……。お前が持っていてほしい」
そう言って、フェスティアは胸元より小さな巾着袋を取り出すと、アイアースに差し出す。
それが何なのか、わからぬ者は帝室に名を連ねていない代物であったが、アイアースはあくまでも平静を装ってフェスティアを見つめる。
「……っ。――これは?」
「皇帝の印綬だ。戦が終わった後、私に返してくれればいい。万一の際には、シュネシスに渡せ」
「な、なぜ私に?」
「戦いは今回では終わらぬ。敵の背後には、大帝ツァーベルの座する浮遊要塞が迫っている。私は、捨て身の戦に望まねばならぬ」
「それは私もっ」
「うむ。だがな、アイアース。そなたは死なぬ。絶対に死なぬよ」
「…………どういう」
「ミュウ、貴様が証人だ。アイアース、貴様はこの場を持って戦場を離脱せよ」
静かにそう告げたフェスティアの言は、アイアースの心を凍り付かせんとするほどのもの。
目を見開き、言葉を発することの出来ないアイアース。
銀色の髪を靡かせ、アイアースを見つめてくるフェスティア。
そんな二人を見つめ、二人の間に何か、重大な思いが潜んでいることを察しているミュウ。
そんな三人の間を柔らかな風が吹き抜けていく。
それは、フェスティアとアイアースの決別を静かに告げているかのような風であった。
フェスティアの真意は次回にて。
明日も、19時の投稿予定です。




