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第38話 皇子到着

昨日は投降できずに申し訳ありませんでした。

 眼下にうごめくそれを見下ろすのは壮観な眺めであった。



「ルーディル。本当に大丈夫なのか?」



 ミーノスは両陣営が睨みあうテルノヴェリ平原上空を緩やかに旋回しながら、傍らにて飛竜を駆る男に視線を向ける。



「問題ないですよ。空にいるだけで私は元気になってきます」



 ルーディルと呼ばれた男は、そう言ってさわやかな笑みを浮かべるが、青白く血の気の引いた顔では説得力がない。


 敵飛空軍団司令官シェスタフとの一騎討ちの際に片足を失い、そこからの出血で生死の境をさまよっていたはずだが、フェスティアの元へと馳せ参じる時が来たら真っ先に空へと舞い上がってる。


 教団の衛士だったころも無断出撃は数えきれぬほどであったと言われるほどの戦好きであり、今回も治療に専念するという選択肢は無い様子。


 たしかに、その武勇を考えれば、今回の戦で彼が倒れることになったとしても、見返りの大きさは間違いないのであるが。



「殿下。言っても無駄ですよ、この人には」


「うむ。私ももうあきらめている」




 背後から苦笑を浮かべるイルマとルーディルの真竜であるガーデの声。


 本来であれば、ルーディルの代行としてイルマとミーノスが赴くはずであったのだが、上空にて待ち構えられていてはどうしようもない。


 上級№であったイルマや相棒のガーデからすれば“よくあること”だそうだが、話半分に聞いていたミーノスからすると、実際に目にしたことの衝撃は大きかった。



「しかしな、あなたを失うことは一軍を失うのに等しいぞ?」


「それでも殿下、私は戦いたいのですよ」


「そこまでか?」


「はい。なぜか、戦いとなると身体うずきましてね」


「皇子よ。言っても無駄だ」



 降下を続けながらもミーノスはルーディルの説得を試みるが、彼は頑としてそれを受け付けない。


 そんな態度に唖然とするミーノスであったが、ガーデの冷静な言に頷くしかなった。


 そもそも、ルーディルの戦いへのこだわりは、新兵だったころに出撃を許されず、憂悶の日々を送ったからだと言う話は聞いていた。


 それでも、ミーノスにこのこだわりようは理解し難い。


 戦いを嫌う訳ではないが、避けられる戦いならば避けた方がいいというのがミーノスの考え方であり、兄のシュネシスも同様だと彼は思う。



 これは、彼らの母親の教育による影響が強い。



 母親であるアルティリアは、猛将型の女傑であったが、第一、第二皇子の母親として、自身と同様の生き方をすることを嫌っていた。


 メルティリアが子どもよりも国家、ラメイアとリアネイアが、自身と同じタイプに息子を教育したこととはこのあたりが異なる。


 それ故に、戦いよりも指揮や謀略の類を幼いながらに学んでいたミーノスであったが、教団に対しては兄のシュネシスのような反逆勢力を築くことまでには至っていない。


 年齢の差もあるが、結局は兄の影としての生き方が彼には根付いているのである。


 兄の補佐や他者との調停役。それらが彼に求められたことであったのだが、影として生きるには、受けた血が悪かった。



 何をやっても他の兄弟に及ばない面が多かった彼が目指したもの。それが、空での戦いである。




 しかし、今もこうして空での戦いにすべてを賭けているルーディルのような人間を見ていると、その思いもなんだか中途半端なように彼は思えていた。




「ふうん、パルティノンにも面白い人間がいるのだな」



 そんなミーノス等に対し、彼らの傍らにて飛竜を駆る少女が口を開く。


 まだ、あどけなさを残す外見であったが、彼女は真竜を駆る正真正銘の竜騎士である。


 ガーデのような濃い緑色、ミーノスの駆る白、イルマの駆る水色の外見とは異なり、深い青色の外見をした竜であったが、そのような外見の竜はパルティノン軍にはない。



「面白いというか?」


「シェスタフ閣下も似たようなお人だったのさ」


「なるほど」



 そんな少女に対するミーノスの問い掛けに、少女は声を落としながら答える。


 先頃、ルーディルとの戦い敗れ、大空に散った男に対して敬称で呼ぶ少女。


 名をタチアーナ・ニコラヴィナ・ヴァシレフスカヤ。愛称はターニャと言い、正真正銘のリヴィエト軍人であると同時に、かつてのリヴィエト皇女でもある。




「それにしても、殿下はなぜ彼女を?」


「捕虜にしたって、機密を漏らすとは思えんのでな」


「その通りだ。誰が話すものかっ」


「胸を張って言うことではないと思うよ?」




 そんなターニャに対して、イルマが何の気なしに視線を向け、ミーノスに対して問い掛ける。


 それに答えて視線を向けたミーノスに対し、ターニャは器用にその薄い胸を張って答えるが、ルーディルの言に恥ずかしげに頬を染め押し黙る。





「別にお前の胸が薄いことを揶揄したわけじゃないと思うぞ?」


「だ、誰がだっ!!」


「なんだ、気にしているのか?」


「まあ、気持ちは分かるかもね」


「ほう? 別に女の勝ちは胸の大小で決まるものではないぞ?」




 そんなターニャの様子に、なんとなく悪戯心が沸いてきたミーノスは口のトニ笑みを浮かべてそう告げると、案の定ターニャは顔を粗に赤くして反論する。


 彼女の怒りにイルマが静かに頷くが、ガーデは首を傾げるだけであった。



(まあ、あのスタイルだったら気にはせんだろうな)



 そんな様子に、ミーノスは人化していたガーデの姿を思い浮かべると、再びターニャへと向き直る。




「まあ、俺は小さい方が好みだから、そういう人間もいると思っていた方がいいともうぞ?」


「貴様の好みなど知らんわっ」


「こらこら、一応俺らは主従関係ってことを忘れるなよ?」


「むっ……。まさか、貴様そういうつもりで……」


「別に女には苦労していないから、そういう気はないぞ?」


「やはりそうなのか……」


「なんだ? 残念か?」


「いや、別に」


「あらら」




 そんなやり取りをしつつ、さらに降下する彼らの目に、蒼天の御旗がはためく姿が映りはじめる。


 原野を埋めつくさんとするそれらは、ミーノス等の帰還に対して、大地を揺るがさんばかりの歓声を持って報いようとしていた。




◇◆◇◆◇




 敵本隊の追撃を続けていたアイアースの眼に、蒼天の御旗がはためく様子が映りはじめる。


 それを目にした東西方面軍の将兵達は、数日にわたって続いていた追撃戦の終わりと、決戦の時が来たことを悟る。


 先頭を駆けるアイアースも同様であり、昂ぶる鼓動を抑えるのに必死である。


 そして、そんな感情を抑えるべく周囲に馬を並べる仲間達に対して口を開いた。




「決戦は目前。それにしても、どれだけ討ったのかな?」


「見当もつきません。それでも、相手にとっては雀の涙でしょうね」


「そうだな……」




 進軍速度を緩めつつ、アイアースの言に答えるジル。


 彼の他にも、ミュウをはじめとする生き残りのキーリア達や奇襲部隊に属する騎兵達が後に続いている。


 多くが、カミサの戦いや解放戦線の時から戦場をともにした者達であった。


 彼らを率いて敵総司令スヴォロフを討ち、多くの敵を葬ってきたが、それでも眼前の大地へと進撃を続ける敵本隊の数は膨大であった。




「四太子殿下、ヴァルター閣下より伝令です。“これ以上の追撃は無用。今よりセレネ丘陵へと向かわれたし”とのことであります」




 アイアース等の元に、西部方面軍司令官のヴァルターから伝令が届く。


 アイアースの正体を知る数少ない人間の一人のようで、装備の類を見るとヴァルターの副官に相当する人物ではないかとアイアースは思った。




「承知した。……数の利を覆すのは難しいと言うことかな」




 伝令の言に頷いたアイアースは、静かにそう呟くと手綱を引いて乗馬を転進させ、右前方より両軍の姿を認められる丘陵群。セレネ丘陵へと部隊を向かわせる。


 アイアースの静かな言には、先ほどまで続いていた追撃戦の戦果を鑑みての嘆き。


 実際、先ほどまでの追撃によって殿を務めた部隊はことごとく殲滅してきたが、倒しても倒しても敵の数が減っているようには見えない。


 スヴォロフとの戦いの際には気にもとめなかった敵の戦力も、こうして正面からの対峙になるとその重厚さに圧倒される。



 実際、前衛軍と合流すればその数は五十万を超える。



 対して、パルティノン側はフェスティア率いる本隊が約二十万。アイアース等、東西方面軍が五万。


 ようやく半数に届くところであり、その多くが連戦にて消耗していた。





「正念場だ」


 

 セレネ丘陵への布陣を追えた東西方面軍首脳が平野を挟んで対峙する様を見下ろしつつ、ヴァルターが口を開く。


 その整った容姿には疲労の色が濃く、事実上の東西両軍の指揮を担う立場としての重圧が彼に双肩にのしかかっている様がよく分かる。




「陛下の想定では我々の追撃によって敵はその数を大きく減じているはず。しかし、現れた敵は、スヴォロフの直属以外の大半を残している。我々の行軍を阻害した部隊の犠牲など敵にとっては取るに足らないものと見るしかない」


「中央軍と合流するか、こちらで待機して気を見るか……。まあ、とるべき行動は一つしかないでしょうが」




 ヴァルターの言にハインが肩をすくめながら、眼下の大地を見下ろす。


 アイアース等が布陣するセレネ丘陵から両軍が睨み合うテルノヴェリ平原の一帯は、肥沃な草原であると同時に、ドニエスル、プリャスクの支流が多い。



 その支流の一つに守られるように広がる丘陵地帯には、リヴィエト前衛軍が布陣しており、さながら天然の堀によって守られた城塞の様相を呈している。



 起伏の続く丘陵は兵を伏せる場も多く、防御には持ってこないの地形。


 以前に、パルティノン側の前哨砦が建設されていた地でもある。


 そんな丘陵に布陣する敵軍に対して、パルティノン側は浅瀬を封鎖するように部隊を展開し、リヴィエト側を緩やかに包囲していた。


 もちろん、全軍に襲いかかれれば格個撃破されてしまう戦力であったが、その場合はやはり川がこちらに味方になる。


 敵を引きつけ撤退するだけの間は十分に稼げる布陣だった。




「我々の合流を待っているかのような。そんな布陣ですね」




 視線を戻し、アイアースはあくまでも一指揮官として口を開く。


 この場にはアイアースの正体を知らぬ将軍もおり、彼らにとってはいまだに教団の衛士という見方があるだけ。


 教団の思惑は理解しているであろうが、アイアース自身も、自らの行為がすべて正当なものであったという思いは無い。



 それ故に、彼らから向けられる複雑な感情も理解できた。



「おそらく。全軍で行くか、それとも一部を残すか。どちらかだな」




 アイアースの言に頷くヴァルターはそういいながら、草原の彼方にてはためく蒼穹の御旗を見つめる。



 実際、フェスティアの意図はどのあたりにあるのか。



 全軍での合流となれば、包囲部隊は逆落としの危険に身を晒すことになるし、一部を残せばその残った部隊は敵中に孤立する。



 セレネ丘陵を包囲することなど、リヴィエトの戦力ならば容易い。




(それでも、姉上ならば残すだろうな。それも、我々を)




 アイアースは出撃を前に、兄弟達とキーリアに対して告げた彼女の言を思いかえす。



 彼女にとっては、この戦いは祖国防衛戦争であるとともに、本当の帝国を取り戻すための戦い。


 そのために、アイアースをはじめとする兄弟達に過酷な任務を与え、自身もまた戦場にその姿を晒している。


 自身の身に何かがあったとしても、戦いの勝てればその後は兄のシュネシスが継げばいいし、生き残れれば兄弟ともに帝国を支えることが出来るという思い。


 それらを考えれば、自ずとアイアースが受け持つであろう任務も予想がつく。


 敵中に孤立する危険性もあるが、決戦の際に敵の後背を突く格好となる軍。


 その勝ちを見逃すような真似をするほど、愚かな人ではない。そんな思いがアイアースにはある。




「何を考えているの?」



 そんなアイアースに対して、背後からミュウが小声で問い掛けてくる。


 戦続きにも関わらず、全身から漂う柔らかな香りに一瞬ドキリとしたアイアースであったが、相手がミュウであることを思いかえして平静になると、それに答える。




「姉上がどうなさるかと思ってな」


「ふうん。私は、あの部隊はあなたが自分の所に戻ってくるためのものだって思ったけどね」


「じゃあ、私の考えとは逆だな」


「あら? 女心がわからないのね。相変わらず」


「相変わらずって、お前なあ……」


「なに? お姉さんの気持ちぐらい察してあげてもいいと思うけど? 大事な兄弟なんだし」


「だからだよ。姉上は女として生きるつもりも、扱われることも嫌うと思うな。どちらかというと、お前の方が兄弟のように思える」


「あらそう? まあ、長年お姉さんをさせてもらったしねぇ~」


「誰がどう見ても妹だ。それにしても、その口調も久しぶりだな」


「やっぱり女心がわかっていないわ。それに、私だって公の場ではちゃんとするわよ」


「つまり、普段は適当にやっていると言うことだな?」


「年中張り詰めていたら禿げるわよ?」


「こらっ!! カズマ、ミラ両狼騎長っ!!」



 そんな二人に対して、ヴァルターからの鋭い声が届く。すでに周囲に人の姿はなく、皆先ほどの本陣へと戻っていた。


 そのことよりもふざけた話がヴァルターの耳に届いたことが叱責の原因のようであったが。




「申し訳ありません」


「気をつけてくれ。それより、来たようだ」




 慌てて頭を垂れる両名に対し、複雑そうな表情を浮かべたヴァルターであったが、すぐに視線を上空へと移す。


 彼の言を受け、空を見上げるアイアースをはじめとする首脳達。




 彼らの目には、青く澄み渡った空を駆ける美しき飛竜の姿が映っていた。

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