第35話 平穏なる闇の中で
夜半になり、方々に散っていた部隊が戻って来ていた。
「そうか……、別働隊は全滅か」
幕舎にて床机に腰を落としたまま報告を受けるアイアースは、イースレイ率いる別働隊全滅の方に目を伏せる。
指揮官のイースレイは遺体も回収されず、行方不明のままだと言うが、彼に従っていた狼騎長以下の全員の遺体は確認できたという。
別働隊の多くは、北辺での生き残り達であり、スノウの工作によってリヴィエト奴隷兵に味方脱する事の出来た者達。
彼らとの再会を終え、眠るように息を引き取った男の思いを受け、今回の任務に望んでくれたのだが、それは彼らを死地に誘うことでしかなかったのかも知れない。
将兵の死を嘆くのは愚かなことであれ、平然としているのも困難。
アイアースは、先の戦闘にて疲弊した身体をゆっくりを震えさせることと、僅かな黙祷によって死したる将兵達を哀悼する。
「彼らも死に場所を得たと言うことでしょう。彼らが引きつけていた二将の部隊は、スヴォロフの直衛以上の精鋭でした」
「追撃に向かったキーリアが一人やられました。潰走に見せかけたしっかりと伏兵を用意していたようで、周到な戦をするようです」
幕舎に集まってきているジルやフィリス、ミュウと言った面々は、スヴォロフを討ち取った後、残敵の掃討に当たらせていた。本陣の二万余に加え、奇襲を察知して集結してきた部隊もキーリアを中心とした部隊によって潰走させている。
復讐に燃える部隊が多かった様だが、それでもスヴォロフの死という重すぎる事実が、僅かな綻びで破綻を呼び込んだようである。
現在、レモンスクに集結中のリヴィエト軍もどことなく浮き足立っているようにも見えた。
「西部方面軍を釘付けにした上でこちらの奇襲を読み、別働隊を壊滅させた。あの二将はスヴォロフも目にかけていた将なんだろう」
「おそらく。私も追撃に向かいましたが、あっさりと後退していきました」
アイアースの言に頷くジル。一人のキーリアが討ち取られた後、残った兵を収容、追撃を駆けたのだが、敵もこちらの力量を見抜いた様子である。
どちらかと言えば、今回の戦は激突以上に敵の力量のさぐり合いに終始たようにも思える。
数ではリヴィエト、質ではパルティノンに圧倒的に分があり、結局の所は指揮官の力量が勝敗を分けることにつながりかねない。
リヴィエトには、東部方面軍の惰弱さが伝わったであろうし、こちらとすれば一部の将を除けば数を頼みするだけという認識が出来上がっている。
良将に率いられた大軍は手強いが、多くは数頼み。戦うだけの土壌はある。
「それだけ状況が見えている敵だ。とるべき道が無い以上、それを選ぶであろうよ」
そうなると、敵がどういった手を打ってくるのかも見当が付くもの。
スヴォロフの意を引き継ぐ者達ならば、相対する軍を御するだけの力は有しているであろうが、スヴォロフのみが見えていた図を描こうとはしないはず。
「姉上が望まれていた敵主力との決戦が実現することになるな」
「……はたしてこちらの意図通りに動いてくれるでしょうか?」
そんなアイアースの言に、フィリスがアイアースの心情を探るように伏し目がちに口を開く。
他の指揮官達も同様の懸念を抱いている様子で、お互いに顔を見合わせている。
その懸念も不思議ではないとアイアースは思った。
敵の動きまでを完全に読むことなどは不可能であったが、可能性は非常に高い。それでも、不安になるというのは、こちらの現状である。
敵の総司令官スヴォロフを討ち取り、敵本隊には大きな動揺が広がっているが、それでもそれを御せる指揮官はいる。動揺のみで、無傷の部隊が多いと言うも事実である。
それに対し、こちらは全軍が満身創痍と言っても過言ではない。
西部方面軍も奇襲部隊も圧倒的な戦力差を互角以上に持ち込んでいるが、それには当然疲労をはじめとする消耗という代償が来る。
キーリアを一人失った追撃戦も、傷つく身体に鞭打っての攻勢であったのだ。結果として、敵に恐慌を与えることが出来たとは言え、負った傷は決して小さくはない。
ハイン率いる部隊が気を吐いただけの東部方面軍も、包囲陣の攻略やレモンスク守備隊の反撃、抵抗によって数を大きく減らしている。
本隊が合流すれば十万を超えるリヴィエト軍に対し、パルティノン側は精々その半数。それも多くが消耗している。
「敵は必ず、正面の姉上。皇帝陛下直属の中央軍に攻勢を仕掛ける」
「ですが」
「敵は総司令官スヴォロフを失った。数を頼みにしているが故に、復讐に燃えるものも多くいるだろう。それに、今も中央軍と対峙する前衛軍。これらの戦ぶりを考えれば、正面からの攻勢以外をとるほど腰抜けではない」
そんな空気の中、アイアースは背後に掲げられたルーシャ地方の地図を差し、レモンスクからキエラにかけての線上をなぞる。
ここは東西の高原に挟まれた広大な草原地帯であり、今もパルティノン中央軍が、敵前衛軍との交戦を続けている。
リヴィエト軍本隊が前衛軍目指して南下することは、こちらの包囲の輪の中に飛び込むのと同様であり、良将達がそのような愚かな選択をするのかという疑問こそが、フィリス以下諸将の懸念である。
しかし、アイアースにとっては、故人の復讐以上に人が燃え上がるものはないとう自負がある。
自分もまた、復讐のために生き続けている。そして、対峙して感じた敵総司令官の人となりを考えれば、報復行動を敵がとらないとは思えないのだった。
ジルやミュウはそんなアイアースの意図を悟ってか、口に出すことはない。しかし、フィリスをはじめとする指揮官達の懸念は、完全に払拭されたわけではないようだった。
「その通りですっ!! 殿下」
「皆も心配することはない。我々は、敵を一気に押し込み、これを殲滅する。それだけを考えていればいい」
そして、アイアースの言に大きく賛同する声が幕舎の外部より届けられる。
皆が目を剥き、視線を向けると、白き軍装に身を包んだ二人の男とパルティノン本国軍の軍曹に身を包んだ男女が幕舎内にやって来ていた。
四人はそうして、アイアースの前にまでやって来ると片膝をつき、恭しく頭を垂れる。
そして、四人の先頭に立っていた男、西部方面軍指揮官ヴァルター・モルディルがまず口を開く。
「皇子殿下、此度の戦勝、真にお祝い申し上げます」
「ああ。皆の奮戦に感謝する…………。それで、なんの真似だ?」
「いやあ、来るべき時のための練習と言うことで」
そんな四人に対して頷いたアイアースであったが、すぐに笑みを浮かべてそう問いかえす。
そして、いたずらのばれた子どものような笑みを浮かべながら答えるハインに対し、他の三人が苦笑とともに責めるような視線を向けている。
首謀者は一目瞭然であった。
「兵達が見たらどうする気だ? まあ、それはともかくとして、西部方面軍司令官の皆様の意見を拝聴したい」
苦笑しつつ、来訪した四将に対し、アイアースはそう問い掛ける。
現状、死したるとされた皇子よりも、歴戦の指揮官達の言葉の方が重みは増す。何より、今後は共同で動く以上、上級指揮官達とは堅密な関係を作っておく必要があった。
◇◆◇◆◇
一つの闘気が静かに消え、他の小さな闘気もまた次なる行動に出るべくうごめいている。
リリスは、闇夜の空へと視線を向けながら、はるか北辺の地で行われていた戦いに決着が付いたことを悟る。
日中に感じた空の戦いに続いて、陸の戦いにも件の皇子達は勝利したことになる。
風を感じながら佇んでいた丘から駆け下り、主君の待つ一室へと舞い戻るリリスは、自身の足取りも普段以上に軽くなっていると思っていた。
「陛下っ。お待たせをいたしました」
室内に入るなり、そう口を開くリリスに対し、彼女を瓜二つの外見を持つ女性は、それまでの気だるそうな様子を一変させ、凛とした佇まいをもって立ち上がる。
彼女の周囲に控える青年や壮年の男をはじめとする幕僚達も、視線をリリスへと向けてくる。
「うむ。動きはどうだ?」
「徐々に、ではありますが、南下の動きを見せ始めております」
「――っ!? そうか……っ」
「姉上っ」
リリスの言を受け、女性、フェスティア・ラトル・パルティヌス帝は、その凛とした表情に喜色を浮かべ、傍らの青年シュネシス・ヴァン・テューロスも口元を綻ばせながら姉の手を握る。
リリスの目には、僅かにわだかまりを姉弟であったが、今は弟の勝利を純粋に喜ぶ姿がそこにあり、来るべき次なる戦いにつながる望みの大きさを感じさせてくれる。
「これで、後方の浮遊要塞だけになりましたな」
歓喜に満ちあふれる天幕の中、壮年の男がゆっくりとそう口を開く。
幕僚総長のゼークトであるが、“だけ”と言った彼の言に、単純に頷くものはいない。彼の言う“だけ”とは、魔の前の戦い集中しつつ注意を払うべき相手を指す。
現在相対する敵前衛部隊もこちらより優勢であり、気の抜ける相手ではないことは周知のこと。それでも、敵総司令官の死によって、こちらの想像を上回る事態への対処という可能性は極めて薄くなったと言えるのだ。
「うむ。だが、件の要塞に関してはどうにもならん。破壊に関しては目をつぶるしかあるまいよ」
「ああ。眼前の敵に集中できるだけでもありがたいと思うしかないな」
ゼークトの静かな危惧に対し、フェスティアとシュネシスが表情を引き締めながらそう答える。
今回、アイアースが敗れていたとすれば、常にスヴォロフの動きを警戒しつつ、眼前のバグライオフとの交戦を続けなければならなかったが、件の老将を失った以上、眼前の女帝に向かって突撃してくる以外の選択肢は無くなる。
敵と直接対峙した訳ではないフェスティア達は、そう判断していたが、それは見ればわかるアイアース等と見なくとも分かるフェスティア、シュネシスと言った面々との経験の差と言ってもよい。
初陣とその後の屈辱以来常に前線に身を置いていたフェスティア。地下に潜っていらい、教団との暗闘を続けていたシュネシス。
アイアースやミーノスも、暗き闇の世界で戦いを続けていたのだが、それは空くまでも個人のものであり、国を背負い続けていた二人にはまだまだ経験値が及ばないのは至極当然のことである。
そんな二人の結論は共通していた。
一国の君主や最高司令官クラスならばともかくとして、現場の指揮官クラスが経済も含めた戦略眼を持つというのは困難。持てたとしても、情冠たる最高司令官を失った人間がとれるような道ではない。
「アイアースは東西方面軍と合流ののち、敵を追撃。ミーノスは補給を終えた後、帰還せよと伝えてくれ。そして、つぎは我々の番だ」
地図に目を向け、敵後方にあったスヴォロフ軍を消したフェスティアは、居ならぶ幕僚達に対してそう口を開く。
顔色はいまだに青白く、本調子にはほど遠いものであったが、それでもその言葉の覇気はまだまだ失われていない。
そして、その体調不良の事実を知るリリスもまた、一つの決意をもって次なる戦いへと望まんとしていた。
軍議を終え、私室へと戻ったフェスティアに同行したリリスは、鎧を脱ぎ椅子に腰を下ろすフェスティアの腹部へと視線を降ろす。
彼女のお腹は僅かに視認できるほど膨らみを持ち始めている。
すでに半年近くが経過しているとのことであり、本来であれば誰の目にも明らかなほどの膨らみがあるはずだが、鍛え上げられた肉体は大きな変化を見せてはいない様子だった。
それでも、安定期が近づいたにも関わらず、彼女の健康状態は極めて不良だとリリスは思っていた。
「リリス。そう心配するな……。戦は間もなく終わる」
「成ればよいですが」
「ふふ、不思議なものだな。母親の私がそれほど気にしていないことを、お前が気にしている。もしや、私の母性的な性質はすべてお前が持っていったかな?」
「ご冗談を。陛下の御子を案ずるのは当然でございます」
不安げなリリスの視線を感じたのか、めずらしく戯けるような口調でそう語りかけるフェスティア。
たしかに、瓜二つの外見であり、分身のような存在である。どこかで口に出さずとも意志を通じ合える面もあるため、お互いの思いも感じやすい。
「それで、いかがなさるのですか?」
「何がだ?」
「殿下に、此度のことを」
「事実は告げぬ。この子は、私の子としては育てぬつもりだ」
そして、リリスは今になって、それまで聞くことの無かった意図をフェスティアに対して問い掛ける。
御子の父親。すなわち、アイアース・ヴァン・ロクリス。
帝国の第四皇子であり、フェスティアの弟の当たる男であったが、血の繋がりはないという事実がある。
その詳細をリリスや部屋に詰める侍女達は知らなかったのだが、それでも皇帝と実の弟との間に出来た不義の子。
世間はそう見ることは想像に難くない。ようやく安定期に入ったとはいえ、今回のリヴィエトとの戦争によって、フェスティアの即位を快く思わぬ勢力は存在し、そこに生存が確認された皇子との不義が発覚すれば帝国の屋台骨は一気に崩れかねない。
そんな懸念が、フェスティアの静かな決意に表れている。
「それで……、本当によろしいのですか?」
「うむ。……わがままを言わせてもらえればな、リリス」
「はい? …………ま、まさかっ!?」
「ああ。この子は、そなたに」
「陛下っ!! 何を言われまする」
思いがけないフェスティアからの提案に、リリスはおろか侍女達も目を剥いている。とはいえ、自分の子として育てられぬ以上、出来る限り側に置いておきたいというフェスティアの気持ちもわかる。
そして、リリスにフェスティアから離れるという選択肢は無い。
「こうなってみて分かってきたのだがな。 そなたもあヤツのことを悪く思ってはおるまい?」
そんなリリスに対し、フェスティアもまた、真剣な表情でそう口を開く。
一瞬、ドキリと鼓動が跳ね上がるリリスであったが、それを表情には出さずに答える。
「それとこれとは話が別です」
「わかっている。戯れ言だ。ただな……」
「そちらに関しましては、考えさせていただければと」
「ああ、それで構わぬ。……私は、ひどい母親であろうな」
「そんなことは……。陛下、お名前は考えられたのですか?」
「いや、まだだ」
リリスの真剣な表情に、力なく笑うフェスティア。その表情に、普段の凛とした皇帝の姿はなく、自らの為すべきことに苦悩する一人の女性の姿があるだけである。
戦いの暇のほんの僅かなとき。
これだけが、フェスティアが女に戻ることの出来る時であった。
◇◆◇◆◇
戦いが終わり、すべてが寝静まる夜。
ミーノス・ヴァン・テューロスに率いられたパルティノン飛空部隊もまた、敵の掃討を終え、次なる戦い備えての休息に入っていた。
激しい空での戦い終え、多くが傷つき、疲れ切ったのか、人も竜もその他の飛空種も眠りにつく。
敵指揮官を討ち、大軍を残さず天へと送り届けた彼らは、敵飛空部隊の残した物資やはぐれ竜を捕獲し、戦いの前夜に身を休めた森に帰還している。
ヴェルナーをはじめとする精鋭を失い、ルーディルも重傷を負ってはいるが、まだまだ戦えるだけの力を有する彼らには、ほんの僅かな休息こそが命綱。
それがわかっているからこそ、すべてを森に同化させて眠りについているのである。
森の住民達も、すべてを預けて身を休める者達に危害を加えるほど、心狭き者達ではない。人間が森や自然からの阻害を受けるのは、大概がその禁忌を犯すが故である。
そんな静寂に包まれた森の中、ミーノスは何かに導かれるように身を起こす。
(なんだ??)
先日のような気配ではなく、竜もまた、静かに寝息を立てている。それは、ミーノスだけを導いているような、そんな気配であった。
無言で身を起こし、野営地を出るミーノス。途中、人化してルーディルの身を温めているガーデと目があったが、彼女もまた、某かの気配を感じている様子で、無言でミーノスに対して頷く。
それは、どこか彼女だけが察しているような、女性と言うよりも雌としての何かを察していたのかも知れない。
森を抜け、件の滝のたもとへと足を向ける。
そして、そこでうごめく黒き影。一瞬、身構えたミーノスであったが、影から殺気は感じられない。
「お前、昨日の……」
(はい……)
「話せるのか?」
(姫様を思うが故に。何卒)
「姫? まあいい、案内しろ」
見覚えのある竜の姿に、ミーノスは静かに問い掛ける。すると、彼の脳裏に直接届く声に、思わず目を剥く。
しかし、竜の言葉にさらに訝しく思ったミーノスは、件の“姫様”の元へと導かれる。彼の言から考えれば、先日の竜騎士のことであろうが……、彼女に手をかけたのもまたミーノスである。
先日の邂逅があった洞窟。
そして、見覚えのある姿のまま、まだ少女と呼べる外見の女性が、苦しげな表情を浮かべながら身を横たえていた。
「……生きているのか?」
(はい……。ですが、私にはどうしようも)
「私は、パルティノンの飛空兵だぞ?」
(キーリアでもあるはずです)
「知っているのか? それとなんの関係がある?」
(……敵士官を捕らえることに、利がないとは思えませんが?)
「それはそうだが……」
(我々にとっては主が運命がすべて。そこに、国家等の存在は関係ございません)
「つまりは、助けてくれと。そういうことか?」
(はい……。むしろ、連れ去っていただければと)
「待て待て。どういうことだ?」
竜の言に、ミーノスははじめて慌てて問い返す。
竜が主人の命を救うべく行動するというのはわかる。ましてや、主と心を通わせた竜だけがなるといわれる真竜ともなれば、その行動は当然とも言える。
しかし、連れ去れと言われれば話は別になってくる。
竜の知性は人のそれを遙かに凌駕すると言われているが、切れ者と呼べる部類に入るミーノスをもってしても、その意図を読み取ることは困難であった。
「よけいな……ことはするな」
(主っ)
「気付いたか……それと、無理はするな」
「うるさいっ。私は……っ」
そんな二人の会話が届いたのか、苦痛に顔を歪ませながら目を覚ます竜騎士。相変わらず気が強いと思ったミーノスであったが、無理に起き上がろうとする彼女に近づくと、自身の外套を彼女に被せる。
「とりあえず、手当てだけでもしよう。竜。お前もだ」
(申し訳ありません)
とんだことに巻き込まれたと思っていたミーノスであったが、首を突っこんでしまった以上は仕方ないと思い、手荷物から応急道具を取り出すとともに、刻印の使役のために専心を集中する。
現状、竜に敵対の意志はなく、負傷している竜騎士に対して後れをとるつもりはなかったのだ。




