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第34話 戦場に落ちる雫

 静寂に包まれていた山嶺から大地に歓声が轟き始めた。


 ロマン、アンジェラの両将は、山嶺に布陣する本陣の兵が次々に潰走してくる様を見やり、彼らをまとめつつ山嶺へと近づいていく。


 見ると山頂からやや下った付近が大きくえぐり取られ、付近が広範囲にわたって黒く焼け焦げている。


 先頃、巨大な閃光とともに上がった噴煙の正体がこれであるのだろうと思ったロマンは、眼前より駆けてくる数騎の騎馬に目を向ける。


 スヴォロフの直衛の一人であり、精鋭として知られる騎兵であったが、全身に傷を負い、部下の騎兵に支えられながらこちらへと向かってきている。



 それまで感じ続けていた予感が胸をよぎる。



「両閣下……」


「無理をするな。そのまま話せ」


「閣下は? スヴォロフ閣下はどうなされたのだっ!?」


「アンジェラ」




 ロマンとアンジェラの眼前にて下馬しようとした騎兵を制し、そのまま報告をするよう促すロマンに対し、アンジェラはいても立ってもいられない様子で話を促す。


 そんな二人に、騎兵は今にも崩れ落ちそうな身体に鞭を打ちながら口を開く。



「パルティノン兵の勢い凄まじく、我ら直衛は総崩れに、閣下は……」


「どうなされたっ!?」




 悔いの表情を浮かべつつ、言葉を繋ぐ騎兵に対し、アンジェラは声を上ずらせながら先を促している。


 ロマン自身も先の言葉を聞きたかったが、すでに報告の予測は付いている。突撃した尾パルティノン兵は僅かに二千余。対する本陣は、スヴォロフの直衛だけで五千。山嶺に布陣している部隊は二万近い数になる。


 それだけの兵力を抱えながら、こちらへ向けて潰走してくるという現実。そこから導き出される真実は一つしかなかった。




「スヴォロフ閣下は、パルティノンのキーリアによって討ち取られました……」


「…………もう一度申せ」




 苦悶の表情を浮かべつつ、そう答えた騎兵に対し、表情を消し去ってそう問い返すアンジェラ。


 彼女にとっては、目の前に立つ男の言がまるで夢物語のように聞こえた様子であり、その事実を受け入れようとしていなかった。



「よせ、アンジェラ。この者も苦悩しているのだ」


「もう一度だ」


「閣下は亡くなられた。雄々しき最後であった。そうだな?」


「……ううっ。はい……。最後まで、我々を……」


「う、嘘をつくな。大帝陛下はおろか、先帝の……登極すらをも導いた不敗の、御方、ぞ……。それだけの御方が」




 ロマンの言に、騎兵も今になってようやく嗚咽し始める。それを受け、アンジェラは視界を彷徨わせながら声を震わせる。


 そうしているうちに、眼鏡越しの大きな眼に涙がにじみ始め、頬を流れ始める。




「副官。全体に通達我々は本日夕刻までレモンスク前衛に待機。夜を待ってタニアへと下がる。それと、潰走してくる兵の収容をレモンスク司令のチェイエス将軍にお願いしろ」




 その場にて、彫像のように動かなくなる両名を力なく首を振りながら見つめたロマンは、副官に対してそう告げる。


 敗北は戦の常であり、兵を失うことをリヴィエトは決して厭うことはない。それでも、失ってはならぬ人間を失ったことの衝撃は、この戦域での戦いの継続を不可能にするほどのものであるとロマンは思っている。


 ふと、目の前の山嶺を見上げる。各所に置かれていた陣は黒煙を上げて萌えており、中腹の広く空いた空間のみに軍の姿見て取れる。


 これが、スヴォロフを討った部隊であろうとロマンは思ったが、仇討ちを挑んだところで意味は無い。



 そう言い聞かせつつ、呆然と涙を流し続ける女を懐に抱いたロマンは、麾下の部隊とともにレモンスク方面へと向かっていった。




◇◆◇◆◇




 耳に届いた歓声は、それまでのものとは異なっていた。


 イースレイは、眼前で対峙するゼノンとともに、その喊声の方角へと視線を向ける。部隊同士の激突や戦場へと到着の際にあげることもあるのだが、戦を前にしたそれと勝利を得た際のそれは大きくことなる。


 まさに、天を劈かんとする歓声は、勝利を告げるものと呼んでも過言ではない。




「終わったようだな……」



 前進を赤く染め、肩で息をしながら、そう口を開いたイースレイに対し、ゼノンは苦々しげな表情に視線を向けると再び口を開く。



「スヴォロフは死に、麾下の部隊はレモンスクへと入るだろう……。先ほどまでの二人は、勢いづいたパルティノン側と戦うほどの馬鹿ではないだろうからな。ここにも、時期に敵が押し寄せてくるぞ?」


「ふん。私には関係ないな」


「関係無いだと? 私とアイアース、そしてジルをはじめとするキーリアを相手どって勝利できると思っているのか? こうして、満身創痍の私を討つこともできん男が」


「…………よかろう。勝負は預ける……。精々、寝首を掻かれぬようにするんだな。あの女は、巫女様以上にしたたかだぞ?」


「ご忠告、ありがたく受け取っておくとしよう」




 挑発めいたイースレイの言に対し、ゼノンはそれに応じることなく変わらぬ態度で応じる。しかし、さすがの彼であっても複数のキーリアを一度に相手取ることは困難と言えるだろう。


 自分だけでなく、精鋭騎兵を相手取った後なのである。


 そして、イースレイ自身、ゼノンがついに№1になれなかった理由を察しているため、こうして軽口を叩いているのである。


 そうして草原に姿を消したゼノンを見送ったイースレイは、静かに血だまりの中に腰を下ろす。



 豪雨の中での戦い。



 彼の周囲にはパルティノンとリヴィエトの将兵が倒れ伏し、そのすべてが物言わぬ骸となっている。


 イースレイに付き従った将兵達。北辺での生き残り達も、多いに奮戦し、戦いを続けていたが、生き残っていた者達も、イースレイの助けとなるべくゼノンに挑み、全員が討たれていた。


 そして、イースレイもまた、アンジェラ、ロマン率いる八千とゼノンが率いてきた二千を含めた総勢一万のうち、その半数討ち取っている。


 彼が身を置いていた森は、二人の激突によって既にその姿を御聞く変えているが、その周囲には足の踏み場もないほど死体が転がり、雨が止んだ後は、流れる血が低きに留まることで血の池のようになっている。


 血の匂いには慣れていたイースレイであっても、戦いの緊張から解放されれば、嫌悪感を覚えるほど、その地は血の匂いに包まれきっていた。




「あーあ……。随分、派手にやってくれたわね」


「なっ!?」



 そんな光景に視線を向けていたイースレイの耳に、聞き覚えのある女性の声が届く。驚きと共に振り返ると、そこには白銀の髪を靡かせ、常緑樹のような鮮やかな瞳を持つ女性が佇んでいる。




「み、巫女様……。い、いかがしてこちらにっ!?」


「転移してきたのよ。あなたを助けるためにね。それにしても、すごい光景……。皇子様のお母様も、ここまでじゃなかったわよ?」


「そ、それは……」




 イースレイは、突然現れた巫女。シヴィラに対して居住まいを正す。しかし、彼女はそんなイースレイの所作には興味が無い様子で、周囲の死体の山に目を向けている。


 彼女の言う皇子様とその母親には、思い当たる節がある。しかし、それが誰なのかということに言及することをシヴィラは望んでいないようにも思える。


 とはいえ、あえて口にすると言うことにも意味はあるのかも知れなかったが、疲労と負傷によって、満身創痍にイースレイに、それ以上の思考を重ねるのは困難であった。




「それにしても。やってくれたわね……皇子様は」


「はいっ。これにて勝利も」


「よけいなことだわ。いつもいつも」


「は?」


「あなたは気にしなくていいの。……ますます苦しめてやりたくなったわよ。皇子様」


「み、巫女様っ!!」


「何よ?」




 普段以上に口数の多いシヴィラの様子に、イースレイはどこか違和感を感じ続けていたが、その僅かな呟きの後、皇子、即ちアイアースに対する憎しみのこもった言動に思わず声を上げていた。


 巫女がどのような感情を抱いているのかは分からなかったが、彼女がアイアースから大切なものを奪い取ってこともまた事実。


 それは大いなる罪であり、二人の間に和解というものは存在しないのかも知れなかったが、イースレイとしてあ、これ以上シヴィラに罪を重ねてほしくはなかった。




「どんな事情があるにせよ、あなたはパルティノンの巫女であります。そして、殿下はパルティノンの皇子。お二人が争うことは……」


「ふうん。キーリア風情が、私にものを言う気なの?」



 そこまで言うと、眼を細めつつ鋭く睨み付けてくるシヴィラ。


 以前はどこか人形めいた所があったのだが、今の彼女はどこか人間味を取り戻していながらも何かが壊れているようにイースレイには思える。


 今も、こうして居丈高な物言いをしてくるのはどこか違和感があった。




「まあ、別に良いけどね。戻るわよ?」


「戻る? それは……」


「何よ?」


「私の戦いはまだ終わっておりません。巫女様、何卒……」


「…………はぁ。私は巫女。あなたは教団の衛士。分かってる?」



 イースレイの言に大きくため息をついたシヴィラは、あきれ口調でそう言い、イースレイに対して指を突き立てる。


 その指先には眩い光が灯っており、返答次第では……。と言うつもりのようであった。




「ですが……」


「そんなに帝国のために戦いたいんだったら、あの子達みたいに皇帝の縛に入ればよかったのよ。いい加減にしてっ!! 私のために戦うんじゃないの? あの時の誓いはなんだったのかしらっ!?」


「っ!? ……申し訳ありませんでした」



 さらに苛立ちを募らせるシヴィラに対し、イースレイはその場に膝をつくしかなかった。


 その気になれば、シヴィラと言えど討ち取ることは可能な力を持つイースレイ。しかし、彼の中にそのような選択肢は存在していなかった。



◇◆◇◆◇



 レモンスク前衛にて陣を組み、敗残兵を収容する。


 周囲を緩やかに包囲していく敵部隊に目を向けつつ、ロマンは敗残兵の収容を急がせていた。




「こちらの誘いを無視していたとはいえ……難儀だな」


「突破できぬこともないが……、大帝の元に戻ったとて」


「当然。潔い自決……。いや、総参謀長閣下直々に首を討たれるか」


「じょ、冗談じゃねえぞっ!! じじいのミスをなんで俺達が」




 レモンスク司令のワシリー・チェイエス将軍を迎え、帰還してきたアンヌ、ヴィクトルとともに席に着くロマン。


 敵東西方面軍の攻勢も予想されたのだが、両軍は山嶺に拠っている奇襲部隊の離脱を優先したのか、こちらを緩やかに包囲しつつ攻勢をかけてくる様子は無い。


 それどころか、前衛軍部隊が待機する原野の間にパルティノン兵の姿はなく、後方から接近する浮遊要塞、こちらの東西両軍が占領するモルクワ、ラドへと通じる街道はパルティノン軍によって封鎖されている。


 つまり、このまま南下してバグライオフ将軍率いる前衛軍に合流するというリヴィエト本隊が予定していた行軍を取ることが最善であるのだが、それは誰がどう見ても誘い込まれていると見るしかない。


 短慮なヴィクトルなどは、即時南下を主張しているのだが、ロマンも、ワシリー、アンヌの両将もそう簡単にことが成るとは思っていない。


 いざ開かれている南方へと進路を取れば、当然背後からの追撃を受ける。


 前衛軍に合流することはすでに決まっていたこととはいえ、追撃を受ける部隊が雪崩れ込めば、混乱は必至。


 そんな状況を、パルティノンの女帝が見逃すはずはない。口に出さずとも、三人の考えは一致していた。


 とはいえ、包囲を打ち破って大帝ツァーベルの元に帰還したところで、スヴォロフの死を受けた大帝の怒りに触れるのみ。


 今回の事に関しては、普段大帝を抑える総参謀長その人の怒りすらも買うことになりかねなかった。




「シェスタフはどうしたと言うのだ?」




 ワシリーの言に、ロマンもアンヌも互いに顔を見合わせる。


 飛空軍団を率いるレット・シェスタフは、今になってもレモンスク上空に姿を見せていない。本来ならば、スヴォロフのレモンスク到着と同時に敵東西方面軍を攻撃。


 補給を経て、バグライオフ軍と対峙するパルティノン本隊に奇襲をかける予定であったのだ。


 それが、今となっても一騎たりとも姿を見せていないというのはどういうことなのか?


 一昨日の夜には、伝令将校がスヴォロフの元に姿を見せており、伝達の不備というのもあり得ない。




「死んだんじゃねえの? じじいも死んだんだ。シェスタフのおっさんだって、ぐおっ!?」


「クソガキがっ!! いい加減にしなっ」


「おごっ!! ちょ、そこは骨折……っ」


「いっそ、もう二、三本折ってやろうか?」


「アンヌ、止めておけ。将軍、こうして顔をつきあわせていても致し方ないでしょうし、参謀殿の決断に任せましょう」


「……大丈夫なのか?」


「軍人です。閣下」


「うむ……。兵の収容や進発の準備は任せておけ」




 なおも軽口を叩くヴィクトルに折檻を加えるアンヌを宥め、ロマンはワシリーに対してそう口を開く。


 為すべき事は理解しているつもりだったが、それでも長くスヴォロフの戦いを見続けてきた参謀。アンジェラの言は、自分達の意見以上に重みのあること。


 敗戦を受けた者達を、再び死地に誘うだけの言葉の重みというのは、それ相応の人間のみ持ちうることであったのだ。




「参謀閣下。コンドラーチェであります」




 今、アンジェラが身を休めている天幕へと向かったロマンは、天幕から離れて敬語をする女性兵士に来訪を告げるが、誰にも会う気はない様子だという報告を受ける。


 とはいえ、同格の将軍を追い返す権限もない女性兵士達は、何かを求めるかのような視線でロマンを天幕へと案内する。


 彼女達もまた、普段のアンジェラの姿と今の様子の乖離に戸惑っている様子だった。



 そうして、断りを入れてから天幕へと足を踏み入れるロマン。



 アンジェラは中央の床机に腰を下ろして、灯りに照らされる剣をぼんやりと見つめていた。




「アンジェラ。入らせてもらったぞ」


「ああ……」




 改めてそう告げるロマンに対し、アンジェラは一点を凝視したまま生気のない声で答える。



「閣下に下賜された剣か」


「それだけではない」


「と言うと?」


「お父様の……」




 剣に視線を向け、そう口を開いたロマンの言に、ゆっくりとそう答えたアンジェラは、炎によって天幕に映りこんだ影をぼんやりと見つめながらそう答える。


 彼女にとって、父親は幼き頃に奪われた存在。


 知る人間はそれほど多くなかったが、スヴォロフより事情を聞かされていたロマンは、その発言の意図を察する。


 ロマン自身は、彼女の父なる人に余りいい印象を持っていないが、彼女にとってはこの世でただ一人の父親。


 スヴォロフに対する視線も、そんな一面から来るモノでもあったのだろうと今更ながら思う。




「ふむ……。それで、どうするつもりだ?」


「…………」




 そんなロマンの言を受け、アンジェラはゆっくりと身に着けている衣服を脱いでいく。


 すでに甲冑の類は脱いでおり、今は衣服のみなっている。そこから、上着と肌着を脱ぎ、下着だけを身に着けた形で上半身が晒されている。


 そんな彼女の様子に、ロマンは構うことなく近づくと、彼女が手にした剣を奪い取る。




「立ち合いになれというのか? 冗談ではないぞっ」



 と、視線が交錯する両者。ほどなく、アンジェラの目からゆっくりと涙が流れ落ち始める。



「死なせてくれ」


「何を言っているっ。早まるなっ」


「リヴィエトの行く末など知らぬ。すべては、閣下あってのこと」




 そう言いつつ、涙を拭うアンジェラ。


 そんなことをロマンはとうに知っている。軍人として、すべての兵達から尊敬と羨望を集めるスヴォロフであったが、その私生活は孤独であり、古稀を迎えた今となっても妻帯することはなかった。


 そんな男に対して、若くして参謀、将軍としての名声を獲得しているアンジェラが抱く感情は、上司と部下以上のものであると彼は思っていた。


 ともすれば、祖父と孫にもなる年齢差。そして、それは形式上はその通りであるという皮肉めいた事実。


 それらが表に出ることを彼女もスヴォロフ自身も望んでいない以上、アンジェラには彼女自身の力で立ち直るしかなかったのだ。




「閣下の薫陶を誰よりも深く受けていた貴公だからこそ出来ることもあろう。だから、今は立ってくれ。俺達だけじゃない。閣下もまた、それを望んでおられる」




 内情を知るからこそ、ロマンはアンジェラに対して、そう告げるしかなかった。



◇◆◇◆◇



 一つの戦いは終わった。しかし、大地はまだまだ多くの血の必要としていた。

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