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第33話 炎の灯る瞳

 大地に劈く音が次第に消え始めている。


 喊声も、悲鳴も、剣戟も、そして、法術による破壊の音すらも耳には届かなくなっている。


 スヴォロフはそんな周囲の変化を感じとり、まるで現世とは異なる世界に来てしまったかのような錯覚を受ける。


 それでも、目の前で双剣を振るう若者の表情ははっきりと目に映り、所作や息づかいまでもが正確に見えている。



 しかし、こちらの振るう剣が当たることもない。



 体力は底を突いているのであろうが、人体実験による肉体改造を生き残り、地獄の底を見てきた少年の目に宿る炎が、この場にて倒れることを肯じえていないのであろう。


 今また、スヴォロフは震えがきはじめている手を力強く握り直し、長剣を振りかぶると膝を折って身を低くするアイアースに対して鋭く振り下ろす。


 スヴォロフもまた、キーリアという人間を越えた猛者を相手取り、老齢と言うことも手伝って肉体が限界に近づきつつある。


 それでも、その剣伎に迷いや衰えは見られず、正確かつ強力な斬撃がアイアースへと襲いかかっていく。



 歯を食いしばって、大地を蹴りそれを交わしたアイアースは、高速の剣を繰り出してくるが、スヴォロフはそれを甲冑にかすめる範囲でかわしていく。


 体力や膂力も上回る相手であり、彼とすれば多少の傷は覚悟の腕体力の温存を図る以外にはない。


 強固な甲冑による防御と歴戦の経験がスヴォロフのアイアースに勝る要素。


 しかし、相手の隙を突いたはずの剣戟は空しく空を切るか、武器で弾かれるかのどちらかであった。



「っ!?」



 そうして、再び長剣と双剣が激しく交錯する。


 互いに歯を食いしばり、火花を散らし合う中、スヴォロフとアイアースは互いに視線をぶつけ合う。



(……憎しみと悲しみを宿す目か。似ているのう)



 一瞬、そんなことが頭をよぎったスヴォロフ。しかし、そんな余裕が通じる相手でもなく、一気に押しきられ、懐へと入りこまれる。




「っ!?」



 慌てて後方へと飛び退こうとするが、胸部に激しい衝撃が襲いかかり、半ば吹き飛ばされる形となって虚空を舞う。


 飛び散った胸甲が陽の光を浴びて煌めく中、身体を捻って後方の大地へと降り立つスヴォロフ。前方では、先ほどの一撃を放った後、肩で息をしながらこちらへと歩み寄ってくるアイアースの姿。


 身体はすでに出来上がっているが、どことなく幼さを残す外見。


 そんな姿でも必死に敵を討つべく、身体に鞭打ってこちらへと向かってきている。スヴォロフはそんな姿に、心を落ち着けながら視線を向けていると、身体の中で何かが破れた。



 腹の底から何かが込み上げてくるような感覚の後、内腑と喉に猛烈な不快感に襲われる。そして、スヴォロフの体内にて抑えきれなくなった何かが鮮やかな赤い色をとともに彼の眼前へと飛び散っていく。


 何度も嘔吐きながら、腹に溜まったものをすべて吐き出す。すると、強烈な倦怠感と睡魔が全身を襲いだしつつも、どこか身体が軽くなったように感じていた。


 口元を拭い、静かに息を吸うと、雨によって澄んだ空気が体内を満たしていく。そうしている間にゆっくりと近づいてくるアイアースの姿が目に映る。。



「ふう……。やるのお、若いの……」



 思わず、そんな言葉が口をついたスヴォロフに対し、アイアースは黙ったまま彼を睨み付ける。顔色は悪く、前進を赤く染めたその姿はまさに満身創痍といった様子。



 スヴォロフと同様にアイアースの身体も限界なのであろうが、それでも一方はすでに立つこともままならず、一方は立ったまま相手を見下ろしている。


 誰が見ても、どちらが勝者で、どちらが敗者なのかは一目瞭然。それでも、両者の間には、まだまだ他人が見ることの出来ないせめぎ合いが存在しているのか、相対したまま二人はその場にて微動だにしなかった。




(炎の灯る目。憎しみと悲しみを知っている目か……。ヤツの目も、同様であったな)



 そんなことを思いつつ、アイアースに視線を向け続けるスヴォロフ。


 そんな彼の脳裏には、とある過去の一幕が蘇ってきていた。




◇◆◇



 それは、今と同じように激しい雨が大地を潤し、何かを祝福するかのように柔らかな陽光が濡れた大地に降り注ぐ日のことであった。






 祝いの席に座るのは、すでに壮年を迎えた壮健なる男と花も恥じらうかのような乙女。


 男は帝政リヴィエト二代皇帝なる人物であり、女はその男の後妻としてゆくゆくはリヴィエト皇后へと上り詰める身。


 とはいえ、すでに熟年期に入ろうとしていた男と二十歳を迎えてもいない少女の婚姻に本人の意志が存在しているはずもなく、将来有望な少女を妃に迎えた男と軍人としての立身を望んでいた少女との間には、当人達以外にも察することの出来るわだかまりが存在していた。


 それでも、満足げに笑う皇帝と満足げな表情を作る少女に、周囲の者達も下手な深入りを避け、祝い酒や料理へと関心を向けるばかりであった。




「ふう……飲んだな」




 そんな祝いの席にあって、スヴォロフは料理によってふくれた腹と酒によって火照った身体を冷やすべく、夜風の吹くテラスへと一人佇んでいた。



「栄達を極めて満足ですか? 国父殿」


「む?」



 そんなスヴォロフの耳に届く、どこか毒を含んだ男の声。


 振り向くと、ちょうど成人を迎えたばかりと思われる三人の若者達が立っており、先頭の若者は、スヴォロフに対して憎しみのこもった視線を向け、他の二人はそんな男の態度に、どうすればよいのかと困惑している様子だった。



「若手士官が揃ってどうした?」


「国父殿にはご機嫌麗しく」


「嫌味か? 慣れない真似をするものではないわ」




 そんな三人に対して、はぐらかすように口を開くスヴォロフ。それに対して、先頭の男は、恭しく頭を垂れるが、普段から不遜な態度が目立つ男。様にはなっているが、本心が伴っていない動作など、すぐに分かるもの。本心を見抜いているスヴォロフは、ジト目になって男の行動を制する。



「ちっ……。それじゃあ、将来の元帥職が保障されて満足か?」


「そんなもんは、放って置いても手に入るわい」


「だったら、なんでっ!?」




 スヴォロフの言に、普段のような態度に戻る男。


 彼の言うとおり、今回の婚儀でスヴォロフの地位は国内でも確固たるものになり、元々の不敗の将としての評価も相まって名実ともに盤石な立場になっている。


 それでも、そんなものは戦乱の時代にあっては時を経れば得る事の出来るもの。スヴォロフ自身、戦働き以外で得ようとしていた地位でもない。




「お前は、皇帝陛下の望みを反故に出来るのか?」


「っ!? な、なっとくがいかなければ」


「そうか。だが、わしにゃあ出来ん」


「ふざけるなっ!! 今の皇帝を皇帝にしたのはあんただろっ!! 自分の娘をあんなじじいに奪われて、悔しくないのか」


「馬鹿者。言葉を慎めっ!!」




 無礼講とはいえ、男の言は完全なる皇帝への侮辱。周囲の人間も彼らに対して驚きの目を向けているが、スヴォロフの姿を目にすると慌てて目を逸らしていく。


 リヴィエトにとって、皇帝の権力は絶対あり、それを補佐する皇后とその一族の権勢も皇帝に匹敵するもの。


 今のスヴォロフはそれだけの栄誉に身を置いているのだった。




「まったく……。だがな、ツァーベルよ。お主の気持ちも分からんでもない。むしろ、そのな」


「…………なんだよっ」


「お主等が好きおうておるのはわしにも分かっておった。だが……」


「言い訳など聞きたくはない」




 スヴォロフは、眼前にて涙を浮かべているツァーベルに対して、静かにそう口を開く。しかし、ピシャリとそう言い放った彼の目には、涙に混じって怒りと悲しみ、そして憎しみの炎が灯っている様をスヴォロフははっきりと目にしていた。



「いいから聞け。わしとて、権勢のためのあの子を養女にした訳ではない。本当であれば、貴様のような……」


「今更どうなる。皇帝の首でもとって、俺を皇帝の座に据えるか?」


「馬鹿を申すなっ!!」




 怒りからか、自暴自棄になってか、さらにとんでもない言を口にするツァーベルに対し、スヴォロフは怒り以前にあきれるしかなかった。


 とはいえ、本心ではそれもよいかも知れん。と言う思いがどこかにあったのも事実である。




 それ故に、その暴言が皇帝の耳に入ったことを知った際には、すぐにツァーベルと同席していたバグライオフ、クトゥーズを揃って最前線へと派遣し、すべての責を自身が取ることを条件に寛恕を願い出たのである。


 幸い、皇后を得て上機嫌の皇帝に彼らを罰する気概はなく、その件は酒の席の戯れ言として処理され大事には至らなかった。



 その後、皇帝と皇后の間には大望の第一子が誕生したのだが、惜しまれるのはそれが女児であったこと。その後も、女児が三人続いたことを受け、皇帝の寵愛は次第に皇后から薄れていく。



 スヴォロフもまた、勝利を重ねながらも、ツァーベル等との一件から次第に疎まれ始め、ついには軍権を剥奪されて自宅に軟禁されるに至る。


 元々、軍政には無関心であり、皇帝や他の軍上層部に対しても容赦なく批判を浴びせる性格であったスヴォロフは、そのたと冠絶する軍才を持ちながらも敵が多かったのだ。



 そして、父親(養父)であるスヴォロフの失脚に伴い、皇后もまた廃位の噂が立ち始めたころ、ちょうど敵対していた国家連合によって前線が崩壊したとこの報告が都へともたらされる。


 すでに老境に入り、かつての覇気を失っていた皇帝はその報告に狼狽。


 慌てて軟禁中のスヴォロフを出仕させ、さらに自身の名代として皇后に出陣を命じるという前代未聞の勅命を発する。


 与えられた兵はスヴォロフ直属の一軍のみであり、皇帝と廷臣達からしてみれば、用済みの両者が前線にて戦死してくれればそれでよいとの判断であろう。


 加えて、第一皇女ヴェルサリアも初陣の歳を迎えていたこともあり、皇后は彼女と他三人の娘も伴っての出撃。



 それは、事実上の追放に等しかった。



 そして、最前線にて再会したとある人物。


 その目には、かつて灯していた憎しみの炎を燃やし続ける男の姿がそこにあった。



◇◆◇



(あれから、幾年が立ったのか……。ヤツが進む先には、常に血が流れ、破壊され続けた世界があった)




 スヴォロフは、そんな過去の記憶を思いかえしながら、その中にある男と同様の炎を灯し続ける少年の目を見続ける。


 そんな少年、アイアースもまた、ツァーベルと同様に血塗られた道を歩み続けることになるのであろうか?


 そんなことを考えつつ、ふっと息を吐きだしたスヴォロフは、全身を襲う痛みに意識を失いかける。



「うっ……。少年よ。貴公の勝ちのようだの」


「そのようです。スヴォロフ将軍」




 吐血を抑え、なんとか口を開くスヴォロフの言に応えたアイアース。スヴォロフは、線の細い外見の割には落ち着いた声だと思いつつ、さらに口を開く。




「帝国の皇子だと聞いたが……なんという名なのだ?」


「…………アイアース・ヴァン・ロクリス」


「ふむ。よい名じゃ……。そして、その目に灯った炎……その憎しみはどこへと向いている?」




 目の前が霞み始める中、アイアースと名乗った少年の言に、満足げに頷いたスヴォロフ。老境に差し掛かり、目の前にいる孫と同等の世代に対してどこか情愛めいた感情が浮かんでいるのかも知れない。




「…………敵対者すべてに」




 スヴォロフの問い掛けに、一瞬目を見開き、僅かに自問していたアイアースであったが、それから絞り出すように口を開く。



「ふむ……」


「なんですか?」


「いや。……そろそろ最後のようです。アイアース殿下、貴公の勝ちじゃ。我が首をもって、勝利の証とするがよかろう」




 アイアースの言を受け、スヴォロフは彼が真に憎しみを向ける相手が存在していることを察する。僅かな自問は、その人物を思いかえしている証左であり、おそらくは自分達リヴィエト以上に憎しみを抱く相手なのであろう。


 しかし、それを何かによって抑えつけられているのもまた事実。そこが、同じ炎を宿しながらも、ツァーベルとは決定的に異なる点であるのかも知れない。


 とはいえ、そのことを告げる必要もないし、憎しみを向ける相手が誰なのかも、目の前に死が迫っている自分が知る必要は無い。そんな思いを抱いたスヴォロフは、静かに目を閉ざしながら、ゆっくりと口を開いたのだった。


 もし、アイアースが憎しみを向ける相手が、自身の孫に当たる少女であることを知ったとすればスヴォロフはどうしていたのであろうか?



 それは、彼にしか分からない。それでも、彼は最後の最後で一つの事実を知ることになる。


 死に際して、剣を振り上げるアイアースへと視線を向けたスヴォロフ。



 身体を十字に刻まれ崩れ落ちる最中、二人の妙齢の女性が彼の背後にて彼を守るように佇んでいる様が見て取れたのである。




(なるほど……。あヤツにはこれがなかったのか)




 そんなことを考えつつ、スヴォロフはゆっくりと崩れ落ちる。


 間もなく、別れを告げることになる現世。崩れ落ちた彼の視線の先には、真っ青に澄んだ空が広がり、そこにはかつて彼が見出した若者達。そして、妻帯することの無かった自分が得る事の出来た何よりの宝物達の姿が浮かび上がっていた。


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