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第32話 雨露の彼方③

昨日は投稿できずに申し訳ありませんでした。

 数度の攻勢をすべて跳ね返すと、敵は一端距離を取り始め、それを見ていた周囲の兵達が集まり始める。


 しかし、一度逃散した兵士である。多くが腰がひけており、強敵との交戦で役に立つとは思えなかった。




「閣下。敵の指揮官の正体が分かりましたぞ」


「ほう? 正体とな?」




 一度下がった敵を睨みながら、一息ついたスヴォロフは、傍らに馬を寄せてきた騎兵の言に興味深げに眉を寄せる。


 白き軍装から、件のキーリアの一人であることは分かっているが、その武勇以上に先ほど見せた破壊の力は尋常なものではない。


 そして、指揮官としても力量は十分であり、こちらの逆落としに気付いた後の行動も迅速であった。


 山頂へと続く間道を守備していた部隊を法術と破術の組み合わせて打ち破るとさっさとこちらの視界から消え、追撃を断ったかと思えば、包囲される前に第三陣を殲滅し、それによって全軍に怯懦を与えている。



 眼前の敵部隊を見つめながら、スヴォロフはそう考えていた。



 正直なところ、スヴォロフ自身も第三陣三千を斜面もろとも消し飛ばした法術の威力には思わず身震いがするほどであった。


 こちら側の浮遊要塞も、パルティノンの大地を広域にわたって蹂躙したが、それは地表面だけの話。


 しかし、件の法術は要塞の砲撃では敗れなかった地中の強靱な岩盤のも消し飛ばしていた。



 兵士が逃散するのも無理はない話である。




「して、何者なのだ?」



 先ほどまでの一連の戦闘を思いかえしつつ、スヴォロフはそう問い掛ける。




「はっ、死したるはずの帝国第四皇子であるとのことです」


「皇子? パルティノン帝室は、シヴィラ皇女の起こした反乱によって、女帝を残して全滅したのではなかったか?」


「そのはずでした。しかし、マクシミリアン閣下からの秘密文書には、生きている皇族がいるとの報告もあったようですし」


「なるほど……。一国の皇子が、地獄に身を置いてそのその血に火をつけたという所か」


「火?」


「いかに優れた血であろうと、年月を経れば腐るものよ。だが、腐っても元は高貴なる血。業火に身をやつせば嫌でもその本質が現れる」


「それが先ほどの……」




 スヴォロフの言に騎兵は額に粟を浮かべている。


 歴戦の男であっても思わず身震いするほどの破壊。それと正面から対峙しているとなれば、誰もが心の奥底で恐れを抱いているのであろう。


 スヴォロフ自身もそれを否定する事が出来ず、先ほどまで敵に飛び込んでいこうとしたのも自身の怯懦の現れであったと思う。


 そして、今は堅陣を強いて敵の攻勢をはね除けているのも、恐怖心から来るものである。



 死に直面して生への本能が、兵達を突き動かしているのだった。



 とはいえ、もう一度同様の法術を使役されればそれまでである。さすがのスヴォロフも、山嶺を吹き飛ばすほど法術に抗うことは不可能であった。




「焦りが暴走を生まねばよいがのう……」



 そう呟き、前方にて停止する敵部隊に視線を送るスヴォロフ。


 こちらから射掛けられる矢の雨をものともせずに叩き落とし、間合いを探っている様子であったが、それまでの戦いぶりや先ほどから原野に轟く歓声を考えれば、敵に残された時間は少ないはず。


 アンジェラやアンヌの部隊が戻ってくれば敵に逃げ道はなく、包囲殲滅の危機に晒されることになる。


 それ故に、勝利を焦った第四皇子が先ほどのような法術を使役する可能性があるが、あれだけの威力を持った火炎を防ぐことが困難であるというのは相手も同様。


 味方を巻き込もうが、こちらを殲滅できればよい。と言うことであれば、はじめからこちらへ向けてかの法術を使役しているはずだった。




「まあ、そうなれば仕方がないがの。どのみち、こちらは待つしかない」




 敵部隊は数名のキーリアが属する帝国最精鋭と呼んでも過言ではないであろう。しかし、一騎当千を体現する人間であれど万を超える兵のすべてに抗いきることなど不可能。


 そして、それらを討ち果たせば、さらに大きな獲物を釣り上げる可能性もあるのだ。騎兵の報告を考えればその可能性は非常に高い。



「閣下っ!!」


「むっ」



 そんなことを考えているスヴォロフの眼前にて、両の手にそれぞれ異なる双剣を手にした若者が声を上げると、彼を先頭に時計回りに弧を描くように敵騎兵が動き始めた。


 弓矢や弩をもって攻撃をかけているが、それらを叩き落とし、さらに速度を上げている。




「衾っ!!」




 その動きに、何を企んでいるのかと思ったスヴォロフであったが、すぐに前衛の長槍隊に指示を出し、先ほど敵騎兵を押し返した際と同様に堅陣を組ませる。



 柵と同様、騎兵対策での正攻法の一つであるが、馬の性質や騎兵の特徴などを鑑みれば、最良の対策と言える部隊。


 しかし、件の騎兵は先ほどまでの攻勢でこちら側に大量の戦死体と破壊された長槍を残していっている。




 鋭い穂先を恐れぬ軍馬。肉体を切り裂かれても怯まぬ敵兵。繰り出される槍を叩き斬ってしまう技量。


 まるで夢見事のようであるが、一騎当千を体現する人間が目の前に存在している以上、それを否定する事も不可能。


 敵が騎兵による突撃を旨とするのであれば、こちらは正攻法にて攻める。防衛戦とはいえ、攻勢には変わりはなく、守りに入った側が破れるというのは自明であった。


 そんなスヴォロフの眼前で、先頭の若者が一瞬こちらを一瞥したかと思うと、麾下の騎兵とともに槍衾に突っこむと、一気に離脱していく。


 そうして、間髪入れずに次なる部隊が突っ込み、再び離脱し、その後方から次なる部隊が、突入、離脱を繰り返していく。



(波状攻撃……っ)



 前線にて持ちこたえる長槍隊に対して、援護を行わせながらスヴォロフは敵の動きを見続ける。



 敵は二千をやや越えたところで、全員が騎乗している。


 それを二百騎、十隊に分けて円を描きながらこちらへの攻勢を続けてくる。その中心には三百ほどの一部隊がおり、騎射と法術による援護を繰り返している。


 まるで車輪と車軸のような連携であったが、離脱した部隊がこちらに背を向け、さらに留まることの無い攻勢によって、離脱した部隊にほんの僅かな緩みが見える。


 そこに矢を射掛け、法術を撃ち込めば撃破は容易と言えるが、実行結果はすべてが不通に終わっている。


 こちらから騎兵部隊に向けられた法術は、中心にいる部隊によってすべてが防ぎきられているのだ。



「閣下っ。味方が押されております」


「後詰めを厚く。突破されれば新手が入りこむのは不可能だぞ」




 はじめは何をしようとしているのかと全軍が静観していたが、速度を上げてからの一気呵成の攻撃はさすがのパルティノン騎兵と言ったところ。


 ぶつかりあう歩兵達も必死に抵抗しているが、周囲の攻勢も騎射による援護で上手くかわされている。




「しかし、この勢いでは……」




 前衛へと視線を向けている騎兵が、額の汗を拭いながら、うごめく自部隊の様子を見つめる。たしかに、今の敵騎兵の攻勢ならば、それらすべてを打ち破ってくることも十分にあり得るであろう。


 騎兵との交戦で長槍隊が一方的に押され続けることなど、なかなか見られないことなのだ。




「それでいい。早期決着が望みならば、叶えてやればよい」


「えっ……!?」




 そんな騎兵の態度に、スヴォロフは口元に笑みを浮かべてそう告げる。ほどなく、周囲の騎兵達が激戦に備える後詰め部隊の元へと散っていった。



◇◆◇◆◇



 最初の激突の際に垣間見た老人。


 それがスヴォロフであろうとアイアースは思っていた。前衛からどれだけの位置にいるかは分からない。しかし、幾重に連なる敵部隊のすべてを打ち破ればヤツの所にいける。


 単純かつ無謀な考えであったが、激突が一度、二度、三度と続いていくうちに、思考は単純になっていくもの。


 駆け回りつつも、自身が肩で息をしていることはすでに自覚し、馬も全身を汗に濡らしながら、徐々に喘ぎ始めている。



 限界は近いが、敵に対して徐々に食い込めてきている。



 ぶつかり合うたびに全身が返り血で染まっていくことがその証拠であるとアイアースは思っていた。


 ふと、全身が軽くなり、喘いでいた馬も息を整え始める。円の中央部では、柔らかな水色や金色の光りが灯り続けており、法術部隊も全力でこちらの支援を続けている。



 皆が皆、この一戦だけにすべてを賭けているのだ。



 そうして、四度目の激突。アイアースは敵の繰り出す数条の光を斬り伏せ、舞い上がる穂先を目に、一気に肉薄し、こちらと同様に前進を赤く染めている敵兵の首を幾重も虚空へと飛ばす。



(――崩れるっ!!)



 そう思ったアイアースであったが、敵はなおも持ちこたえ、アイアースは麾下の騎兵部隊とともにその場から離脱していく。



 そして、背後から喊声。



 振り返ることなく速度を上げると、半周したところで第四部隊が敵の第二陣へと突入していた。


 ほどなくそれを崩し、第三陣へと突っこむと、それも簡単に崩れる。しかし、それ以降は四散した兵が戻り、再び頑強な抵抗を開始していた。


 一枚を剥がせばその後は崩れると考えていたアイアースであったが、敵の粘りも驚異的なものである。


 スヴォロフの直卒であると言うだけで、他のリヴィエト兵とは次元の異なる強さを発揮しているように思える。


 そして、再びアイアース率いる部隊の時が来る。


 手綱を振るい、速度を上げんとする最中、アイアースはひどくおかしな気配を全身に感じる。


 一瞬、目を転じると、その場にリヴィエト兵の姿。


 速度が上がり、考える暇もなく敵陣へと突っこむアイアース。同じように敵兵を切り裂いていくが、やはり何かがおかしかった。



(脆すぎる)




 先ほどまでの抵抗が嘘のように、敵兵はアイアース等によってなぎ倒され、アイアースは深く深く浸透している。


 本来の意図通りの動きであったが、それは、一陣から四陣までが同様に脆ければ言うはなし。第五陣も潰走の気が見える訳でもないのに脆すぎる。




「殿下っ!!」



 そんなアイアースに耳に、ジルの叫び声。



「背後に敵がっ!! 囲まれています」



 いまだ動きを止めることなく駆け回りながらの声。そんなジルの言は、昂揚と興奮から普段よりも甲高く聞こえる。



「なんだと……」


「我々が前衛を崩したことが目隠しになりました。逃散した兵が舞伏していた様子です」


「馬鹿なっ。どこにそんなっ」


「物陰は必要ありません。我々が作り出したものがあるのですから」




 そんなジルの言に、アイアースは荒い息とともに声を振り絞る。しかし、視線の先に積み重なるそれに、思わずアイアースは目を剥く。


 アイアース等が作り出したもの。それは、リヴィエト兵の死体。


 敵陣を崩し、逃散したかに見えたリヴィエト兵は、味方兵の死体の中に身を潜めていたというのである。




「半数を。包囲してくる敵は私が引き受けます。殿下はこのままスヴォロフの首を」


「必要無い、ジル。背後には元から敵が迫っている。今更包囲されると言うなら、それでもいい。背後など無いと思えっ!!」


「背後がない」


「全軍で今一度突撃する。これが最後だと思えっ!! 退却はないっ!!」



 アイアースの言をジルは、目を見開いたまま反芻する。そんな中、アイアースは、そう叫ぶと再び剣を翳して一人前方へと先んじると、馬上にて振り返って全軍を見渡し、振り返りながらそれを前方。敵将スヴォロフへと向けて振り下ろす。



 背に幾本かの矢。すでに痛みなど感じている暇はなかった。



 振り返ると身体に当たる風が心地よい。馬も主の意図が分かっているのか、これが最後と全力で疾駆している様子だった。


 槍衾。考えるより先に、軍馬が跳躍する。


 目の前で消えたアイアースに目を剥く敵兵達。慌てて、上方へと槍を向けようとするが、その顔面を馬蹄にて押しつぶすと、後方から繰り出される槍を穂先から切り裂く。


 そんなアイアースの傍らからジルが守るように前面に出ていくと数十騎を一気に斬り伏せる。


 はじめは単騎であったが、すぐに騎兵達がそれに続く。


 アイアースもさらに疾駆し、敵兵となぎ倒す。すると、背後より火球と風刃が脇をすり抜けていくと、敵を焼き、敵を切り裂いていく。


 視線を向ける。いつの間にか、フィリスとフェルミナが傍らを疾駆し、背後ではミュウが騎兵達に守られるように疾駆しながら目を閉ざして精神の手中を続けている。




「押せっ!! 背後はない。スヴォロフの元まで、押し続けろっ!!」



 そう叫んだアイアース。ほどなく、ジルが敵を突き破った。穿たれた間隙にアイアースは突っこむと、わずかな空白とその先にて待つ騎馬の一団の姿。


 それに対して目を向けていると、大地が青き光に包まれ、後方より轟音が耳へと届く。



 ほどなく、ひどく凍てついた空気が背へ届いた。


 ミュウによる法術であろうかと思ったアイアースであったが、前方の騎兵達がこちらへと向けて疾駆を開始した様を見て再び剣を握り締める。



 歯を食いしばる。



 握りしめた手綱を振るい、両の足で馬腹を締め付けると、先行するジルを追い抜き、アイアースは敵騎兵の中心にある重装の老人に向かって突撃する。


 剣を握りこめる。互いに表情をうかがいあえる距離になると、スヴォロフは表情にどうもな笑みを浮かべていた。



 自分も笑っているのだろう。



 そう思いながら、アイアースは剣を振りかぶる。


 振り下ろすと同時に脇を通り抜ける突風と全身への衝撃。手応えはあったが、こちらも右の胸元から肩にかけてを斬られ、血が吹き上がる。



 しかし、痛みは無視する。



 再び手綱。二度三度跳躍を繰り返して振り返ると、スヴォロフもまたこちらへと向き直っている。



 今度は接近し、剣を合わせる。



 スヴォロフの手にした長剣は、こちらのものよりも長く大型であり、隙は大きくなる。しかし、こちらの攻撃も重装備で身を固めた老人には届かず、一進一退の攻勢となる。


 火花が散り、周囲のすべてが停止したかのような錯覚に襲われるアイアース。と、そんなときに目の前に飛来した矢が馬のこめかみに突き立った。




「なっ!?」



 思わず声を上げるアイアースを無視して、全身を痙攣させて竿立ちになるスヴォロフ。


 馬に隠れて姿は見えないが、一条の光が眼前に刻まれたと思うと、アイアースは身体を後方へと倒す。


 痙攣する馬の首が光りによって落とされると、そこには剣を振り切ったスヴォロフの姿。


 腹に力をこめて身を飛び起こすとそのまま、スヴォロフへ向かって飛び掛かる。



「ぬうっ!!」



 甲冑が激突によって大きな音を立てる中、互いに大地に叩きつけられるアイアースとスヴォロフ。


 一瞬、絶息するが、跳び上がるように立ち上がり剣を構えるアイアースの前で、のっそりとした動作で立ち上がり、長剣を構えるスヴォロフの動作は対照的である。



「っ!!」



 無言のにらみ合いから再び地面を蹴り、互いの剣を合わせるアイアースとスヴォロフ。



 近距離で剣と剣がぶつかりあい、互いに首、肩、腹、足を狙い、防ぐ。


 その度に飛び散る火花。流れる汗と血。お互いがお互いの隙を探り、誘い、突く。


 再びの接近。と同時に、アイアースの全身に走る衝撃。


 重装備のスヴォロフが、アイアースの身体に突撃し、思わず大きく仰け反らせられる。


 それを見て下から突き上げるように剣を振るってくるスヴォロフ。しかし、アイアースは仰け反ったことでそれを交わすと、反動を利用して身体を回転させつつ回し蹴りを見舞う。


 それを同じように身を反らせて交わしたスヴォロフであったが、アイアースは回転をそのままに軸足を変えての蹴り。


 鋭いそれは、スヴォロフの肩に当たると、そこを覆っていた肩当てを吹き飛ばす。



 僅かにバランスを崩しながら、距離を取り再びぶつかり合う両者。



 剣を交わしつつも再び互いの隙を探り合うと、スヴォロフが後方へと身体を捻る。強打撃が来ると読んだアイアースであったが、両の手に握られた剣が僅かに下方向を向いていることに気づき、瞬時に跳躍すると足元を剣が通過していく。


 咄嗟のことであり、今少し気付くのが遅れれば膝を斬り裂かれているところ。そんなアイアースもまた、跳躍した勢いそのままに剣を振り下ろす。



 すんででかわされ、再び剣と剣のぶつかりあいが続く。



「はぁはぁはぁ……っっ!!」




 そんな中、激しい息づかいが耳まで届く。両の手が剣を振るい、スヴォロフの首をとばさんとするが、早朝より続く戦いにアイアースは肉体の限界が近いことを悟る。


 キーリアとはいえ、敵を一瞬で焼き付くほどの法術は、常人であれば即座に死に至るほど危険なもの。今もこうして戦い続けられるのが不思議なほど、アイアースの肉体は疲弊しきっているのだ。


 そして、対するスヴォロフもまた、老齢を押しての軍事行動と、相手がキーリアという人間を越えた存在との戦い。


 歴戦の猛者であり、戦を前に笑みを浮かべるほどの戦人とて、その肉体に限界は存在している。



 決着は一瞬。



 一騎討ちの決着は、同時に、戦の決着も意味する。そして、それは着実に近づきつつある。






 光りによって天が切り裂かれてから数刻。


 陸と空で激しい戦いが行われている大地であったが、不敗と不勝の戦いの決着が迫る中で、大地は静けさを増しつつあった。


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