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第30話 雨露の彼方①

 眩い閃光とともに空が引き裂かれるとそれまで大地に降り注いでいた豪雨は止み、吹きさらしていた暴風は何処へと立ち去る。



 そうして始まった、老将と少年の対決。



 そんな時、付近にて戦っていたリヴィエト軍とパルティノン軍の両軍の戦いもまた、一つの節目を迎えようとしていた。





 先頃まで、帝国のキーリア率いる一部隊との死闘を繰りひろげていたロマンとアンジェラは、それらの抑えを裏切り者のキーリアであるゼノンに任せると、彼からもたらされた、残りの奇襲部隊の捜索へと向かっていた。


 数は先ほどの部隊をさらに分けたものである以上、それほど大きな規模ではないはず。しかし、そんなものの相手をスヴォロフにさせるのは申しわけがない。


 そう考える二人は、スヴォロフが布陣したと思われる山とレモンスク周辺に広がる草原へと兵を進めていた。


 両名が率いる部隊は元々は、総勢で八千。しかし、今はその数を五五〇〇付近にまで減らしていた。


 敵のキーリアの武勇は聞き見知ったものに違わず強大であり、それに付き従う騎兵達も相当な精鋭揃い。


 元々、個々の質でパルティンのに敵うはずもないほどの差があるリヴィエト側であったが、一〇倍近い兵力を抱え、こちらとしても中々の精鋭を取りそろえていての結末である。


 敵の力量を褒め称えるしかないと言うのが、両名の感想であった。


 そして、雨が上がったのを待ち、休息を取っていた両名の元にもたらされたのは、大地を揺るがす振動と耳を劈くような轟音。


 慌てて視線を向けると、スヴォロフ本陣と思われる山の麓から、巨大な火柱が立ち上り、その周囲を巨大な竜巻が暴れ回っている光景だった。




「な、なんだとっ!!」


「……っ、愚かな。千をようやく数えるような数でスヴォロフ閣下に戦いを挑むか」


「その割には笑っている様子だが?」


「おっと、いかんいかん」




 その時の、アンジェラとロマンの反応はそれぞれ真逆であったが、二人が為すべきことは一つだけ。



「本当に閣下の首のみを狙ってくるとは……。それだけ、閣下のお力を恐れてと言うことか」


「寡兵のものが乾坤一擲に策にすがるのは当然と言えば当然。我々にとっては、大帝と閣下を失うことこそが敗北になるのだからな」




 天幕に火をつけさせ、馬に跨がった両名は、互いにそんなことを口ずさむ。


 スヴォロフが戦前に彼らに言い含めていた奇襲の可能性。それを考慮して、見破ったのが、スヴォロフを含めた彼ら3名であったが、敵がそこまでの危険を冒してくるのかと言う疑問も当然存在していた。


 レモンスクへの攻勢にも東西からの大部隊を割き、正面では女帝フェスティアが陣頭指揮を取る精鋭。


 全領域には、まだまだ溢れんばかりの兵士が存在していることであろう。


 ロマンが口にした寡兵と言う言葉は、彼なりの皮肉ではあったのだが、現状のパルティノンが動員できる限界の戦力をリヴィエト側が大きく上回っていることもまだ事実だった。



 そして、軍は頭脳を失えば弱い。



 こちらの総司令官は、生涯不敗であり、戦場における死等とは無縁である。それ故に、戦場にあっては兵士からの無言の信仰を受けており、その死がどれだけの衝撃を軍全体にもたらすのかは想像もつかない。




「目標はスヴォロフ閣下本陣っ!! 続けぇいっ!!」




 そんなことを考えているロマンの脇で、詠唱を終えたアンジェラが得物である短槍を手にそう声を上げ、上空に向かって法術を放つ。


 ロマンはそれを見ると、一気に手綱をうち、馬を疾駆させた。


 ほどなく、眩い光が上空にて炸裂すると、時を同じくして各所から似た光りが舞い上がる。




「全軍を持って包囲殲滅に移る。……のって来てくれよ?」




 全身に風を受けつつ、そう呟くロマン。現状、本陣に突入した部隊はスヴォロフによって簡単に料理される。


 自分の獲物を逃したことは悔しかったが、彼はアンジェラ等が行った事に関して、それ以上の獲物を誘い込もうという策を察したのだった。



◇◆◇




 スヴォロフ本隊とアイアース奇襲部隊の静かなる攻防の最中、昼夜を問わずに続いていたレモンスク前衛での戦いは、暴風雨によって強引に中断を余儀なくされていた。




「ふうむ。ミーノス殿下がやってくれたようだな」




 天幕より空を見上げるヴァルターは、傍らに立つメルヴィル、オリガの両名に対してそう口を開く。


 西部方面軍を指揮してきた三人であったが、東部方面軍が動きに精彩を欠くため、レモンスク周辺の戦闘は、ほぼ西部方面軍が一手に引き受けてきた。


 それでいて、レモンスクと前衛部隊の敵兵達は、スヴォロフ本隊のような精鋭ではなく、彼が事前得ていた情報通りの兵士達。


 何かに操られるようにこちらへと向かって来る敵兵達に対して、麾下の兵隊を鼓舞し続けながら戦うというのは非常に骨が折れた。


 それでも、東部方面軍がレモンスクをきっちり包囲してくれていればよかったのだが、よりによって北辺の最重要地をあっさり攻略されるという失態を演じている。


 騎兵部隊をすべて麾下に編入したハインだけが気を吐いている状態ではまともな戦力として期待することなど不可能である。



「敵は、どう動くのであろうな? 正直なところ、敵に戦術の類があるのかすらも分からない状態だ」


「どちらにしろ、現状の我々は眼前の敵を相手取るしかない。雨も止んだことだし、戦闘も再開されるぞ」


「空からの攻撃が無いと見ていいというのも大きいな。正直、いつ空から来るか戦々恐々だった」




 メルヴィルの言に、ヴァルターは額宛を付け直しながら答える。長い髪が雨を吸い、額にへばり付くことが煩わしくて仕方ないためであり、オリガもまた水に濡れて金色に輝く髪を布で拭きながらそう口を開く。



「二人とも、余裕だな。私は、疲労の極みで参りそうだが……」


「伊達にキーリアはやっていない。お前達は全軍の統括が主任務だし、下手に動こうとする必要は無いだろう」


「私もいっぱいだぞ? とはいえ、戦の最中だ。割り切るしかない」


「そうだな。しかし、ヴァルター。仮に、スヴォロフがレモンスクに入らずにこちらに襲いかかってきたらどうする? 予定通りに南下するか? それとも、東へ抜ける街道を守備するのか?」


「どちらにせよヤツをそのまま前線に行かせるわけにはいかん。殿下だダメならば、“私が”やるしかない」


「私がと……」


「貴公等は当初の予定通りに南下し、敵の捕捉を断ってから埋伏するしか無かろう。東はハインになんとかしてもらうとしよう」


「随分、投げやりだな。……殿下を信用していると言うことか?」


「それもある。同時に私自身、キーリアとして為さねばならぬことがあるのさ」




 メルヴィルの言に、表情を変えずに答えるヴァルター。


 今回の作戦は、アイアースによるスヴォロフの撃破が第一目的であり、東西両軍の攻勢はそのための陽動に過ぎない。


 とはいえ、アイアースの奇襲が失敗すれば、自ずと矢面に立たされるのは自分達である。フェスティアとゼークトが、わざわざヴァルターとハインを東西に分けたのは、万一の際の保険としての意味合いもある。


 とはいえ、数名のキーリアを派遣しても為せなかったことをただ一人のキーリアでなることもまた無謀。しかし、ヴァルター自身、かつて自分が犯した罪の重さを感じない日々はない。


 まだ年端もいかぬ1人の少年にすべてを背負わせてしまったという自分の罪。


 その償いのためにも、無謀を実現させない訳にはないか無いのである。




「報告っ!! リヴィエト軍が転進を始めました」


「何っ!? レモンスク城内へ入っているのか?」


「そ、それが……、都市を迂回し北へ向かっている様子で」


「北へ?」



 そんなとき、伝令将校が彼らの元へと駆け込んでくる。その報告を受け、言葉を返すメルヴィル。しかし、伝令将校のもたらした報告は意外なものであり、三人は目を見合わせると慌てて天幕より外へと出る。


 視線を対峙しているリヴィエト軍を見つめる三名。


 たしかに、リヴィエト軍が動き始めている。



「……追うか?」


「いや、様子を見よう」


「今なら、敵に打撃与えられると思うが」


「それでもだ」




 メルヴィルの言に短くそう答えるヴァルター。その言に、顔を見合わせた後、変わってオリガが口を開く。



 しかし、ヴァルターは首を横に振るだけであった。



 もちろん、相手の罠を警戒するという面はあるが、生気を失った状態で前へと向かってくる敵軍である。横や背後からの攻撃には決定的に弱いと思われる。


 だが、誘いと見ることも出来る。実際、レモンスクの城壁が視界の大半を覆っており、北の状況はまったくと言っていいほど掴めていないのだ。


 深入りする危険は、アイアースよりもたらされるはずの脱出の合図を待ってからであった。



「強いては事をし損じる。か……。乗ってみるのも手かもしれんぞ?」



 なおも攻勢を促す強気のオリガに、ヴァルターは歯切れ悪く首を横に振るうしかない。守勢に優れ、情報を重んじる彼の欠点は、どこか積極性に欠けることであったが、万能な人間が存在しない以上、それも致し方のないことである。




(ご武運を…………っ!)




 敵を背後より睨み付けたヴァルターは、北の地にて戦いを続ける主君の姿を思い浮かべるしかなかった。



◇◆◇



 アンジェラからの合図からすでに半刻。しかし、レモンスク南部での大きな動きは見えなかった。



「ふうん。随分、冷静だねえ」



 包囲陣を攻略した後、東部軍の一隊と小競り合い祖続けていたアンヌ率いる前衛軍一万もまた、豪雨をやり過ごした後、次なる戦闘へと移ろうとしていた。


 幸いにしてもっとも手強い騎兵部隊は、泥濘での戦闘を嫌って離脱している。動くにしても今しかない。




「痛てて……、もう少し丁寧にやれよ」


「うるさいよ。敵にとっつかまって草原に捨てられてた分際で」


「うるせえっ!! 敵の小僧があんな強えなんて聞いてねえぞっ!!」




 豪雨の中、斥候が拘束されて草原に打ち捨てられていたヴィクトルを休出してきたのは先ほどのこと。


 敵側から暴行を受けたのか、戦傷だけではない傷が身体のあちらこちらに刻まれている。それでも、驚異的な快復力でこのように元気だけはある様子だったが。



 彼の言う小僧というのは敵の指揮官のことであろうか? どちらにせよ、アンヌが知る所ではない。




「私が知るか。それより、あんたも行くよ」


「あ?」


「閣下を助けに行くんだ。どうやら敵も馬鹿じゃないらしいし、次の手を打たないとだ」


「待てよ。俺は大怪我を……」


「リヴィエトでは骨折なんて怪我のうちに入らん」


「マジかよ……。やってられねえぜ」


「マジ? それより、閣下の本陣の場所を漏洩しておいて、その態度か?」




 アンヌの言に、ヴィクトルは顔を赤くして反抗してくるが、眼を細めながら睨み付けるアンヌの言を受けると、途端に顔を青く染め始める。




「え、えっと、それは……」


「不問にしてやるから戦え。雨と同時に敵が本陣に突っ込むなど、都合がよすぎる」


「正面から突っ込む馬鹿がいる訳ねえだろ。そもそも、敵のキーリアだって、参謀達に囲まれているみてえじゃねえかっ!!」


「ニブル丘陵に残っていた敵はすでに出撃している。それでいて貴様の隊が壊滅した。となれば、敵が目指すのは閣下の本陣しかない」


「んな、ばかな……」


「馬鹿なんだよ。戦争屋ってのはね」




 そう言うと、アンヌはヴィクトルの首根っこを掴んで、馬を引いてきた兵士の元へと投げ飛ばす。


 盛大に泥を跳ね上げながら馬の元へと倒れ込んだヴィクトルを、軍馬が服を噛んで立ち上がらせる。


 一瞬、アンヌを睨み付けてきたが、睨み返されると途端に目を逸らして馬へと乗り込んだ。




「敵は、スヴォロフ閣下の本陣だっ!! 続きなぁっっ!!」




 それを一瞥し、荒々しく声を上げたアンヌは、颯爽と馬を駆る。


 差し込む陽の光が本陣のある山を照らし、次第に剣戟の音が耳に届き始めめていた。



◇◆◇◆◇




 剣戟の音は山頂にまで届いていた。


 先ほど舞い上がった火柱と吹き荒れた竜巻やそれによって起こされる大地の揺れ、そして、周囲に轟く轟音。


 それらのすべてが、尋常ならざる空気を周囲に感じさせている。



「いったい……」



 騎兵の一人が唖然とした様子で口を開く。


 暴風雨がようやく収まり、大地に静寂が帰ってきた矢先の混乱。今少し時をおけば、喧嘩等の狼藉が起こりかねなかったが、直前まで風雨を防ぎ、己の身を守ることに専心していた状況。


 一部、状況に戸惑うことで乱心する者はいるであろうが、それが全体に伝播するほどの時は経過していないのだ。



「ま、まさか……」


「ふむ。そうであろうな……」


「っ!? す、すぐに御下命をっ」


「不要。敵はすでに侵入し、麓はすでに交戦状態。今更早馬を送ったところで、混乱を招くだけだ」


「し、しからば……」




 別の騎兵の呟きに、スヴォロフは素っ気なく応じると、周囲の騎兵達も同様に色めきだつ。しかし、すでに交戦状態となっているところに、よけいな命を下せば、単に混乱を招くだけである。


 本陣故に強兵を集めてはいるが、全員が全員自立的に考え、行動することが出来る訳ではない。


 数の多さ故、まずは指揮官の指示に従いことを為すことを第一義としているのだ。そして、指揮官自体も上級指揮官の命を受け行動する。


 しかし、こちらの命令を寸分の狂い無く実行に移せるような指揮官は稀。いたとしても、すでに前線へと派遣されていることの方が多い。


 この時のスヴォロフ本隊にあっても、アンジェラ、アンヌといった巧者やヴィクトルのような将来性を期待されている指揮官はすでに各地へと派遣されている。




「総員、着剣」


「はっ!?」




 やや混乱の色合いを見せ始めた騎兵やその麾下の歩兵達。しかし、スヴォロフはその様子を静かに見つめ、短く口を開く。


 すでに、騎兵には騎乗を命じ、歩兵達も整列している。そのため、スヴォロフの号令一つで戦闘に移れる状態にはなっているのだ。


 しかし、直前までの暴風雨によって、前線だけでなく最後尾のこちらもまた混乱しつつある。


 そのため、スヴォロフは静かに、そして簡潔な命を下したのである。


 武器を取るよう命じられたことが、何を意味するのか? それすらも理解できぬような将兵まではこの場にはいないのである。


 そして、スヴォロフの言に思わず声を上げた騎兵は、再び戦神へと姿を変えているスヴォロフに思わず背筋を凍らせていた。


 すでに引退を考えている老将であるはずが、突然の奇襲による混乱の最中にあっても、笑みを浮かべているのである。


 そして、普段の好々爺然とした立ち姿は影を潜め、どこか数十年ほど若返ったかのようにその顔つきは、獰猛さを持ちつつある。


 そんな指揮官たる男の姿に、それまで唖然としていた将兵達もまた、普段の戦場における平静さと勇猛さを取り戻した様に、身を正し、指揮官からの命を待つ。



 そんな兵達のもと、スヴォロフは静かに時を待っている。



 戦いはすでに目前に迫り、すぐにでも騎馬を駆って山を駆け下りたい衝動が全身を襲っている。


 今はまだその時ではない。自身にそう言い聞かせつつ、眼下に迫る敵種の存在に視線を向けるスヴォロフ。


 昂揚が全身を支配し、心の底から沸き上がるような笑みが浮かび始める。


 その最中、スヴォロフの目に草原の各所より舞い上がる光りが目に映りはじめる。



(気付いたか……。まあ、合格よ)



 光りに目を向けながら、満足げにそう思ったスヴォロフは、背後の兵達を一瞥すると、馬を棹立ちに、手にした長剣を振り上げる。



 そして、長剣を振り上げると同時に斜面を蹴る軍馬。



 傾斜も相まって全身に吹きつける風が血と泥の匂いを運んでくる。


 崖と呼んでも良いほどの急峻な斜面を一気に駆け下りるスヴォロフの目には、そんな血と泥の匂いと剣戟の音がこだまする場所にて暴れ回る白き軍装の一団の姿が映っていた。

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