第28話 運命の雨②
風雨は激しさを増して、大地へと降り注いでいた。
すでに大地は急流の如く水が上から下へと流れ落ち、石や草に足を滑られせて転倒する兵も出てきている。
森の出口に布陣したこちらは雨風を凌ぐことが難しく、逆に数少ない森の中に留まる敵兵達は風雨をも味方につけてこちらの攻勢に抗っているのだった。
「くそっ、しぶとい」
傍らにて、眼鏡をかけた妙齢の女性が、眼鏡の露を煩わしく払いながら、苦々しげにそう口を開く。
彼女が率いてきた一隊はまだ森の中で戦闘を続けているが、彼女に託された任務はこの場に留まって戦い続ける事ではない。
そのため、こちらの陣へと下がって来ているのだが、離脱する様子は一向に見せていない。
「アンジェラ殿。閣下の元へと戻らなくて良いのか? ここは、私がどうにかするが?」
「分かっている。だが、これを見ろ。雨の流れが赤く染まり、まるで血の海だ。我らが同胞達がこの地でどれだけ死んだのか……。あの男に報復の一つもくれてやらねば気が収まらんっ!!」
流れ落ちる水を蹴り上げると、血の匂いがよけいに立ち上るような気がしていた。
多くはやや高所になっている森から流れ落ちてきており、今も眼前の緩やかな傾斜を流れる水は、赤く染まっている。
森の中では断末魔が留まることなく響き渡り、剣戟の音が鳴り響いている。敵の数は千にも満たず、総勢で8千近くいたこちら側が押されている現状には、アンジェラを宥めているロマン自身も歯がゆく思えていた。
「かといって、我々が直接出向くわけにもいかないな。あんなヤツと戦っては命がいくつあっても足りん」
「だが、兵士達をむざむざ死地に送り込むというのも……」
「防御に徹させている。どのみち、数はこちらが上。それに、私からの伝令を聞けば、閣下の事ださらなる増援を送り込んでくるだろうさ」
「当初は、眼前に引き込んで包囲するはずであったが……」
「それに引っかかるような馬鹿ではない。むしろ、森から引き出したら、真っ先に閣下の元へと飛び掛かっていきかねん様なヤツだ。今こうして森の中に留まってくれていることを奇貨とするしかない」
「ぬう……」
ロマン自身、最初の正対で相手の力量はある程度把握している。
たった一度、互いの様子見で剣を合わせただけで、ロマンは虚空へと跳ね上げられ。返す刀で首を飛ばされかけた。
背中を見せても恥にならぬほどの隔絶した力を誇る相手。その武勇の前に、こちらとすれば数にモノを言わせた攻撃を続ける以外に手はない。
アンジェラ自身もそれは理解しているし、戦闘に直面する以外の場面であれば、こちらが宥められる側であったであろうとロマンは思う。
だが、元々が好戦的な性分であるため、前線に立つと抑えが効かなくなるっているのだが、それも兵を思う気持ちが強い故。
生粋のリヴィエト軍人ではない彼女にとっては、兵を駒のように扱う戦いには神経を著しく消耗する様子であった。
「それより、そろそろ行け。閣下の指揮に支障が出るぞ?」
「私如きがいなくとも閣下ならば……と言いたいところだが、今回ばかりはそうも言っていられぬな」
なおも戦いの続く森の中を睨み付けていたアンジェラであったが、ほどなくふっと息を吐くと、ロマンに言にそう答え、後方へと振り返る。
スヴォロフはレモンスクに到着するかしないかと言ったころ合いであり、万一暴風に当てられていれば、いかに名将とは言え、老齢には堪えるであろう。
眼鏡越しの彼女の視線には、そんな上官を心配する色が浮かんでいる。
「むっ?」
そして、後方へと目を向けていたアンジェラが、声を上げる。
ロマンもまた、耳に届く水を跳ね上げる音の接近に気付き、彼の情と同様に後方へと視線を向ける。
ほどなく、風雨の中に騎影が一騎また一騎と浮かび上がり、ほどなく現在交戦中の友軍と同程度の軍勢が姿を見せ始める。
「ほう? 両将ともにおそろいで。なかなか難儀しているご様子ですな」
そして、その先頭に立ち、白き軍装にで身を固めた巨漢の男が、騎乗したまま前へと進み出でる。
「皇女の犬か。何をしに来た?」
「当然、戦いをしに」
「不要だな。我らの戦いは我らのもの。裏切り者の手を借りる気など無い」
「アンジェラ」
「止めるな。元々、こやつ等はいけ好かなかったのだ。マクシミリアン卿の謀略に載せられ、忠を尽くすべき祖国に牙を剥き、あまつさえ敵国に寝返る。よくものうのうと表を歩けるモノだ」
「忠を尽くすべきは、その忠に見合うだけの国家であればこそ。大帝陛下も力によって至尊の地位を得、多くの者達の忠を得ているのではありませぬかな? そう言えば、全王朝の皇女様は、いまだにリヴィエト軍の気質になれず、総司令の庇護によって地位を保障されていると聞き及びましたな」
「…………っ!!」
眼前へと進み出でたゼノンに対し、アンジェラは嫌悪の光り彼に対して隠すことなく向ける。元々、降伏した訳でも無し、こちらへと寝返ってきた将兵に対する扱いは奴隷と同等のものであり、いかに武勇に優れたとことで軽蔑の対象でしかない。
とはいえ、ゼノンもまた言われ放題のままにしておく事はなく、ちくりちくりと嫌味をこめてアンジェラの言に応える。
それに対して、言葉を詰まらせるほどの怒りを表情に浮かべるアンジェラに対し、ロマンは素早く彼女の前に立つ。
「よせ。気持ちは分かるが、こいつの武勇は、あヤツに匹敵する。ゼノン。ここに来たと言う事は、あのキーリアの相手はお前が担うと言う事で良いのだな?」
「はい。相手は、№1のキーリア。とてもではないが、あなた方に敵う相手ではありません」
「ふ、ならばそれは任せる。我々は他の兵を殲滅する事としよう」
「それにも及びませぬ」
「……なに?」
同輩の激発を防いだロマンであったが、彼の問い掛けに対するゼノンの返事は、彼にとっても意外なものであった。
「彼のものは、ほんの一部に過ぎませぬ。本当にスヴォロフ閣下の首を狙う鼠どもは、この豪雨の中で静かにその時を待っているはず。私は、閣下よりイースレイを討伐しろとの命を受けております故、動く事は出来かねますが、ロマン殿は敵奇襲部隊の殲滅を任務とするはず」
「……やはりいたのか。眼前のキーリアに気を取られすぎていた」
ゼノンの言に、ロマンもまた唇を噛みしめる。
タニアの街を出立する際に感じた大きな闘気。それこそが、奇襲部隊の指揮官であり、間道を抜けての行軍は、まさにスヴォロフの首をとらんとするが故の行動だと読んでいたのだ。
ニブル丘陵に残っていた敵兵は、所詮、脅威にならぬ弱兵。そんな思いがあった事をロマンは否定できない。
「まだ時はございます。ですが、この豪雨の最中。一刻を争うものと」
「ふ、私の鼻はそこいらの犬よりもよく効く。問題はない。現在待機中の舞台はすべて連れて行くが、問題ないか?」
「はい。そのためにお預かりしてきた部隊であります故」
「うむ」
不気味にほくそ笑むゼノンに対し、ロマンは不快感を表に出すことなく頷くと、兵をまとめるために踵を返す。
その後をしれっとアンジェラがついてくるが、その気持ちも分からないでもないため放っておく事にした。
「しかし、見落としがあったか……。私もまだまだだな」
静かにそう呟くロマン。
しかし、彼の目に灯った炎は、自身の失態を嘆くだけのような脆弱さは微塵もない。
さらに強く荒れ狂い始めた暴風雨の中、ロマンはその先にあるであろう、敵種の存在に、思わずほくそ笑んでいた。
◇◆◇◆◇
豪雨の中をひたすら疾駆する一団。
その上空では、背に黒き翼を得た少女が、一人その様子を見まもるように滑空していた。それまで胸に引っ掛かり続けていたわだかまりは、今はほとんど感じないものになっている。
斥候の任を任されたのもそれを証明できたからであり、今もこうして仲間のために行動できている事は、フェルミナにとっても望外の喜びであった。
とはいえ、進めども進めども敵の姿は見えず、索敵範囲を広げようにも、この豪雨では騎馬隊の姿を見失ってしまう。
元々、単騎先行して敵部隊の発見に努めたかったが、そこまではアイアースも許してはくれなかった。
「っ!?」
そんな折、フェルミナは風雨の彼方より接近してくる騎影の姿を感じ取る。
飛天魔はその性質上、視力に優れ、遠方をのぞき見る事にたける。件の騎影からは、フェルミナやアイアースの姿を視認する事など不可能な距離であった。
そして、フェルミナはアイアースが騎馬を駆る前方へと舞い降りると、手にしていた槍を胸元にかまえ、空いた左腕を水平にクロスさせる。
「むっ!!」
フェルミナの合図に気付いたアイアースは、握りしめた拳を掲げる。二の腕は方と同じ高さであり、拳はちょうど頭の上の高さになっている。
アイアースはその動作をとりながら、徐々に騎馬の速度を緩めていくと、麾下の騎兵達もそれに倣って徐々に速度を落とし、やがて全騎が停止する。
それを待って、握りしめた拳が開かれると、瞬時に小隊ごとに分散し、一定の距離をとって布陣する。
声による合図が一般的であったが、今回のような隠密行動では基本的に手信号にてやり取りを行う。
馬には薄い木片の噛ませており、ほんの僅かな嘶きも許さぬよう、細心の注意をはかっていた。
そうしている間に、件の騎影の姿は徐々に大きくなりつつある。
フェルミナは思わずアイアースに視線を向けると、アイアースは一瞬、何かを訴えかけるような視線を向けてくるが、すぐに表情を引き締めると、ゆっくりと頷く。
彼が何を言いたかったのかはだいたい想像がつくが、それには応えることなく、フェルミナはゆっくりと翼をはためかせる。
敵か味方かの把握が困難な際にはフェルミナが先行し、数によっては先制攻撃を加える事で交戦の合図とする。
静かに両の腕の刻印に光りを湛えながら、接近するフェルミナの目に、リヴィエト軍の軍装が目に映る。
数も今のアイアース等と遜色なく、このまま進ませれば鉢合わせになりかねない進路ととっている。
そこまでを瞬時に考えつけたフェルミナは、両の手に灯した刻印を一気に解放させる。
暴風雨に支配された空間の中で、緑色と青色の光りを灯した刻印は、一気にその力を解放し、その場に暴風雨以上の鋭く舞い上がる竜巻と大地より噴き出す水の刃を発生させる。
突然の竜巻と刃の攻撃に、件の騎馬隊は戦闘の騎馬が棹立ちになり、指揮官と思われる若い男がぬかるんだ大地へと倒れ込む。
結果として、彼はそのおかげで竜巻と水の刃の引き起こした攻撃にさらされる事はなく、目の前で乗馬が血塗れの姿に変わる様を見るだけで済んだのだが、彼の麾下の騎兵達は予想外の攻撃をまともに受け、全員が全身に傷を負って馬から転がり落とされる。
そして、騎兵を襲った竜巻と刃の攻勢は、後方の歩兵部隊へと襲いかかり、周囲に悲鳴がこだまし始める。
それを待って、アイアース率いる騎兵達が敵に対して突撃し、法術によって身体を斬り裂かれた敵兵達は、今度は迫り来る刃によって首を飛ばされ、胸を突かれ、運の悪いものは軍馬に蹴倒されて肉塊へと変えられていく。
フェルミナもまた、それに続いて急降下すると、突然の攻撃に目を見開いた歩兵の顔を槍で突き、飛び出る目は体液を冷めた眼で見つめながら、周囲で慌てふためく敵歩兵をなぎ倒す。
握った槍から肉を斬り裂く嫌な感触が手に届くが、それを強引に脳内から遠ざけると、再び翼を駆って突き出される槍をかわしながら上空へと身を遠ざける。
そんなフェルミナの姿を追っていた歩兵達であったが、その油断が命を縮める結果となる。
敵騎兵をあっさりと殲滅したアイアース等が歩兵の元へと到来し、再びその場は血の海へと変わっていくのである。
古来より、全滅とは部隊の4割強が討ち取られた結果を言うが、今のそれは、文字通り全員が滅された結果と言える。
そして、敵歩兵の蹂躙が続く大地にあって、フェルミナの視界の端にてうごめく影。
見ると、先ほど落馬した敵指揮官が、静かに立ち上がると、戦場を離脱するべく動き出している様子が見て取れた。
「っ!!」
一人でも逃せば敵に捕捉される。ましてや、指揮官ならば尚更である。
そう思ったフェルミナは、躊躇することなく翼を駆り、敵指揮官の前へと躍りかかる。
「うおっ!?」
背後から不意を狙った攻撃であったが、敵指揮官をそれを難無くかわすとすぐに腰に下げた剣を手に取り、フェルミナと距離をとる。
「ちっ。二度も不意打ちをしてくるとは。随分じゃねえか」
こちらへと怒りに満ちた視線を向けてくる相手は、思っていた以上に若く、それでいて粗暴な印象を与える青年であった。
今も、グチグチと文句を言いつつも、フェルミナの姿を舐め回すように見つめる。
「ったく。暴風雨といい、ろくなことがねえ。……でも、黒い翼に銀髪の飛天魔か。連中は、殺しに熱狂しているみたいだし……」
「戯れ言を。降伏なさい」
「はっ? 誰にものを言っているんだ? 飛天魔ちゃん」
「あなたにです。すでに勝敗は決しています。あなたの仲間の殲滅も時間の問題ですよ?」
「別に仲間じゃねえよ。あんなヤツ等」
「それならそれでよろしい。武器を捨てなさい」
「嫌だと言ったら?」
「あなたの首を飛ばします」
「おお、怖い怖い。ま、条件次第じゃ、武器を捨てるぜ?」
「……言ってみなさい」
「ちょうど、飛天魔がほしかったところだ。悪いようにはしないぜ?」
「なるほど。残念ですが、私はすでに……。あきらめなさい」
青年に対して、降伏を促すフェルミナであったが、それもある意味で精一杯の虚勢である。
対峙してみて始めて青年の技量に触れた彼女は、先ほどまでそれを隠していた青年の恐ろしさを感じるとともに、本気になれば自分が敵うはずはないという事も察している。
今のつまらぬ押し問答も、なんとか時間を稼ごうとそれにのっているに過ぎない。
そして、青年の言に、フェルミナは額を撫でると、奴隷の証である結印を男に見せる。
もちろん、すでにアイアースからの結印は解かれているのだが、フェルミナはミュウに頼み込んで秘密裏にそれを施したままにしている。
もう一度、彼を失う事に自分は耐えられそうになく、それであればともに……。と言う思いからの行動であったが、すでにそれも必要無くなるように彼女は思っている。
それでも、青年の興味を削ぐ事にはつながったようである。
「なんだよ……。それじゃあ、主人をぶち殺せば、俺にも機会はあるってことだな? その主人はどこにいるんだ?」
「そこです」
「はっ?」
「誰をぶち殺すって?」
なんとか時間を稼ぐ事が出来、フェルミナは青年の背後に立つアイアースの姿に、安堵し、全身から力が抜けていくように思える。
青年がアイアースによって無力化され、拘束されるまで、フェルミナはその場に座り込むことを余儀なくされていた。
◇◆◇
敵の殲滅を為したとき、フェルミナの姿無い事に気付いたアイアースは、思わずぬかるんだ大地を駆けだしていた。
背後からは状況を悟ったフィリスとジルも続いており、万一に事は無いように思えるが、それでも時間をかける訳にはいかない。
そして、暴風雨の先にて、対峙するフェルミナと男の姿。
アイアースは思わず声を上げかけるが、それでは彼女が男の注意を引いている事の意味が無くなる。
暴風雨の中で背後からの接近を悟るのは極めて困難であり、男もそのあふれ出る闘気から、相当の使い出である事は予想がつくが、それでも油断している今ならば、十分であった。
「誰をぶち殺すって?」
不意に聞こえてきた、男の言葉に短くそう応えると、アイアースは男の首筋に剣を突き付ける。
男の不用意な言に、母上もお怒りのようにアイアースには思える。敵兵の血を多いに吸ったそれが、小刻みに震えているように見えたのだ。
とはいえ、殺してしまっては意味がない。指揮官である以上、ある程度の情報は持ち得ているはずであり、それを生かさぬ手はない。
そう考えると、アイアースは剣を突き付けたまま男に対して回し蹴りを見舞うと、濡れた大地に叩きつけられた男をジルが抑えつけ、フィリスが腰から取り出した縄を取り出して手際よく男を拘束した。
「だから、知らねえって言っているだろっ!!」
「嘘をつくなっ!!」
「ぐっ!!」
拘束された男に対して尋問が始まったのは、ほどなくして。力自慢の兵士に抑えつけさせ、ヴィクトルと名乗った男に対して、敵軍の情報を突き詰めていく。
ある程度の事はすんなりしゃべったヴィクトルであったが、ことスヴォロフの現在位置に冠しては同じことの繰り返しである。
「部隊指揮官を任されているのに、総司令官の位置を知らぬか。随分信用されていないのだな」
「けっ!! こっちから願い下げだ。それより、知っている事は全部話したんだから、縄を解けよっ!!」
「うるさいぞ。やれ」
「ふんっ!!」
「痛えっ!? なんだよ、全部話したんだぞっ!!」
「うるさい男だ。少し黙れっ!!」
「がふっ!?」
なおも態度を崩さないヴィクトルにアイアースもさすがに怒りが込み上げてくる。それは、尋問や折檻を加えるジルやフィリスも同様であったようで。さすがに我慢が限界になったのか、フィリスが鞭でヴィクトルの背中を打つと、さらに喚いた事に憤慨し、顔に向けて思いきり鞭を叩きつけた。
皮がめくれ、血が噴き出すとさすがのヴィクトルも大地に倒れ伏し、大人しくなる。
「もう一度聞くぞ? スヴォロフの位置で何か聞いた事はないか?」
「知らねえ……って言ってんだろ?」
「どんな些細な事でもいい。街道を進んでいるのかどうかとかその辺だ」
「街道は進んでいねえ……。それだったら、俺らも合流している。その辺の丘あたりで休憩してんだろ……」
「丘か……」
「もういいだろ? 元々、俺はリヴィエトのために戦う気なんてねえ」
「いかがいたしますか?」
「まあ、仕方がないっなっ!!」
「がっ!?」
ようやく某かを応えたヴィクトル。しかし、それは、先ほどまでその事実を隠していた事の証左でもある。
それに対しての罰は当然のように与えられてしかるべきであり、アイアースは彼を立たせると、再び先ほどと同様の回し蹴りを見舞って、彼の意識を瞬時に刈り取った。
「丘……か」
倒れ込んだヴィクトルを一瞥したアイアースは、暴風の吹き荒れる空を見上げる。
この風雨の先にて待つ敵将の姿。それを知る者はこの場にはいないが、その膝元には確実に近づきつつある。
しかし、この雨が止んだとき、自分達は敵のまっただ中へと取り残される事になる。
「殿下。参りましょうっ!!」
「ああっ!!」
そんな不安が一瞬頭をよぎるが、フィリスの力強い言に頷いたアイアースは、再び馬上の人となる。
◇◆◇◆◇
にわかに暴風雨は雹混じりの雨へと変わり、この大地にて死闘を繰りひろげる将兵達に打ちつける。
しかし、そんな雨も、歴史の歯車の中では、一時の悪戯に過ぎなかったのかも知れない。
草原を駆けるアイアース等の一団。
山上にて時を待つスヴォロフの軍団。
森の中で対峙するイースレイとゼノン。
新たな敵を求めて風雨の中を駆けるロマンとアンジェラ。
そして、各地で激しく交戦を続けるパルティノンとリヴィエト。
それらが激しく交錯する大地に、一条の巨大な光りが舞い降りる。
それは、ほんの一時、大地に降り注ぐ暴風雨を消し去り、穿たれた雲間から差し込む陽の光が、ある一点を柔らかく照らし出していた。
この時、老将と少年の激突を告げる時の鐘が、静かに鳴らされたのであった。




