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第26話 深淵を知る者

 アイアース等が陣取るニブル丘陵と城塞都市レモンスクの中間に位置するタニアの街。


 その街の領主の館からニブル丘陵を見つめる男、ロマン・コンドラーチェは、先ほどもたらされた書状を一瞥すると、口元に笑みを浮かべながら眼前の丘陵へと視線を向ける。



「閣下。予想通り、敵陣がにわかに騒がしくなっております」


「うむ」



 副官の言に、ロマンは手にした一輪の花を目の前へと掲げる。


 長身で色白の美丈夫である彼に、美しい花はよく似合うが、戦場にあってはひどく不釣り合いのように思える。



「それは?」


「さきほど、スヴォロフ閣下より届けられた、戦場に花さかせし白百合。純潔を意味するこの花は、すなわち女帝フェスティア。そして、白き姿は、彼女の麾下に在りしキーリア」




 そう言うと、ロマンはゆっくりと白百合を振るう。すると、花びらがゆっくりと散り落ちていく。




「では……」


「我らに敵キーリアを討てとのご命令だ。出撃の用意を」




 短くそう告げたロマンに対し、副官は街の広間を示す。そこには、すでに軍装を整えて居ならぶ兵士の姿があった。



「閣下のご下命あらば、即座にタニア守備隊五千は死地へと赴くでしょう。ご命令を」


「ふむ……」



 副官の言に満足げに頷いたロマンは、再びニブル丘陵へと視線を向ける。


 こちらが相手を窺うように、相手もまたこちらの動きを窺っている事は明白。さすれば、いかにして相手の目を欺きあうかが戦いの趨勢を左右する事になる。



「敵は何処を進むのでしょうか?」


「敵の気持ちになって見るといい」


「敵の?」


「うむ。パルティノンは兵力に劣るが、そのすべては精兵。我が麾下と比べ、他の軍の練度は低いが、その分損失を恐れはせぬ。だが、数に限りのあるパルティノンは常に数の確保に気を取られる」


「つまり、原野を横断し、スヴォロフ閣下に戦いを挑むような真似はしないと?」


「おそらく。そして、敵は交戦中のヘイム山を盾に間道を進む」


「原野であれ、起伏の間を抜ければ姿を見せる事はない。加えて、ヘイム山付近は森林が続いておりますな」


「身を隠すには好都合。だが、所詮は手の平の上。彼奴等が動いたとき、我らがこれを捕捉し、これを叩く」




 静かにそう言い放ったロマンは、今一度丘陵を一瞥すると、広間に集まる麾下の兵達の元へを足を向ける。


 その背は、すでに勝利を確信した自信にみなぎっていた。



◇◆◇◆◇


 敵の視線を鋭く感じつつも、アイアース等は、決戦のための準備に追われていた。




 すでに幾重もの書き込みがなされている地図に赤き線が引かれていく。



「スヴォロフの予想進軍ルートはこれです。そして、迂回路を抜けていくとなると……敵との遭遇の有無にも拘わらず、正午前には捕捉できると思われます」



 地図に線を塗り込んだジルは、そう言うとアイアースとイースレイを交互に見つめる。


 途中、通過予定のヘイム山での戦闘は今も続いている様子で、小高い山地の各所から煙が上がり、剣戟の音や歓声も続いている。


 件の地の守備隊は敵の猛攻にも耐え続けている様子であった。




「うむ……。イースレイ、本当にキーリアを伴わなくても良いのか?」


「殿下がお許しになれば、単騎で討って出る事も厭いませぬが?」


「よせ。彼らの思いを無碍にするな」



 ジルの言に頷いたアイアースは、そういいながらイースレイに対して顔を向けると、イースレイは真顔でアイアースに向き直り、そう答える。


 たしかに、彼の力を持ってすれば単騎駆けにて敵を引きつけることは十分に可能であろう。しかし、いかに一騎当千たるキーリアであっても、所詮は人。


 人足らざる力とあらゆる痛みに耐えうる肉体や精神を持ち得ても、心臓を貫かれれば死ぬし、首を飛ばされれば生きてなどいれない。


 そして、キーリア№1を失う事の衝撃の巨大さは、戦闘の最中という事を鑑みても皇族の戦死に匹敵するであろう。


 つまり、アイアース等がその正体を一部にしか明かしていない現状では、彼の死は皇帝フェスティアの死に唯一匹敵するだけの衝撃を全軍に与えかねない。


 それを分かっているからこそ、イースレイも同行する同志達を拒まなかったのである。




「殿下、我々の願いをお聞き届けいただき、真に感謝いたします」



 イースレイとともに先発隊として出撃する騎兵の一人がそういいながらアイアースに頭を下げると、他の者達もそれに倣う。各所から精鋭を集めて編成された部隊であるが、彼らは昔なじみのように統率が行き届いている。




「感謝は寄せ。俺……私は貴官等に死を命じているようなもの。恨んでくれても構わぬ」




 そんな騎兵達の様子に、アイアースはゆっくりと首を振るいながらそう答える。


 イースレイのような人を超えた力の持ち主ならばともかくとして、いかに精鋭であっても今回の任務は生還の見込みは極めて低い。


 アイアース自身も覚悟をの決めてのことであったが、それを他人に強いるというのは、自分自身で覚悟を決めたときよりもはるかに重くのしかかってくる。




「いいえ。殿下は、あヤツに償いの機会を与えてくださいました。我々も、死にゆくあの男を恨み続けることもなく、こうして雪辱の機会を得る事が出来ました。殿下には感謝こそすれ、恨む事などありませぬ」


「……そうか。だが、作戦が失敗すれば、私も死にゆく身となる。その時は、天にて恨み言の一つでも言ってくれ」




 騎兵の言にアイアースは、一瞬目を閉ざす。


 彼らは全員が北辺より脱出してきたスカルヴィナ方面の守備隊出身。前哨戦となったパルティノン解放戦線とリヴィエト軍奇襲部隊との激突の際に、スカルヴィナ方面軍狼騎長、スノウの手引きによって戦線を離脱した者達である。


 元々はスノウの裏切りによって捕虜となり、望まぬ戦いや拷問などに倒れた仲間達も多くいたという。それでも、そのスノウによってその立場から脱出できた彼らにとっては、死したる友の仇を討つ戦いでもあるのだ。




「敵と遭遇したときは、これを使え。それを合図に我々も動く」


「こちらは?」


「ミュウお手製の魔導級球。衝撃を与えれば、強烈な閃光を発する。これを利用して敵の目を眩ましてもいい」


「了解しました」


「だが、目的はあくまでもスヴォロフの首。敵との戦闘は出来うる限り避けるのだ」


「はい。……ですが、道を阻む敵兵はすべて倒しても構わぬでしょう?」


「ふっ……好きにしろ」




 口元に笑みを浮かべながらそう軽口を叩くイースレイに対し、アイアースもまた笑みを浮かべる。


 ほんの一瞬、穏やかな空気がその場を支配するが、すぐに両者ともども表情を引き締めると、腰に下げた剣を抜き放つ。


 互いに振るった剣が二人の間で激突し、火花を散らす。


 金属どうしがぶつかり合う鮮やかな音が周囲に響き渡り、それが止むと同時に、イースレイ率いる先遣隊はスヴォロフ本隊へ向けて出撃していった。



◇◆◇◆◇



 先頭を駆ける白き装束に身を包んだ男の姿を視界に捉えたアンジェラは、静かにほくそ笑むと、傍らに立つ副官に対して片手をあげる。


 すると、それまで激しい戦闘が行われているかに見えていたヘイム山中より、剣戟の音と歓声が止み、あたりは不気味な静寂へと変わっていく。


 そんな山中の変化に気付いたのか、パルティノン騎兵部隊指揮官は速度を緩めることのないままにヘイム山を一瞥し、さらに速度を上げた。




「ほう? 我々は眼中にないという事か。それもよかろう」



 静かにそう呟いたアンジェラは、先ほどまで浮かべていた笑みを消し去ると、改めて副官を一瞥し、合図をする。


 ほどなく、ヘイム山山頂より白色の煙が立ち上り始める。



「全軍、追撃」



 立ち上る煙を一瞥したアンジェラは、軍馬へと跨がると短くそう告げる。


 ほどなく、森の各所よりヘイム山にて交戦中と思われたアンジェラ率いるスヴォロフ軍別働隊が姿を現し、イースレイ等が通過していった間道を疾駆し始める。


 その大地を揺るがす馬蹄の響きは、同じように間道を疾駆するイースレイ隊へと届こうとしていた。



◇◆◇



「イースレイ殿っ!! 後方より敵がっ!!」


「……構うな。先を急ぐっ!!」



 狼騎長の言に、イースレイは後方を一瞥するも、そのまま前方へと向き直る。


 敵との遭遇は想定の範囲内のこと。スヴォロフの首をとると息巻いたとは言え、本来の任務は敵の撹乱にある。


 アイアースは、敵将スヴォロフを過剰なほど警戒するあまり、麾下の将兵を軽んじている面があるとイースレイは思っていた。


 これだけの軍を動員できるリヴィエトの国力を鑑みれば、有能な将帥はパルティノンに勝るほど存在していても何ら不思議な事ではない。


 後方にある将も、ヘイム山をこちらに気取られることなく攻略し、偽装を続けながらこちらが動き始めるのを待ち続けていた。


 となれば、こちらを討つための罠が幾重にも張り巡らされていると見て間違いはない。


 あえて罠に掛かった以上、残るはどれだけの敵戦力を引きつける事が出来るか。巨大な津波の如く押し寄せるリヴィエト軍の波間にアイアースを突入させる事が出来るかが彼にとっての戦いとなっていたのである。



 そう考えつつもイースレイは徐々に騎馬の速度を緩め始める。



 ほどなく歩くほどの速度になった軍馬が停止すると、イースレイはゆっくりと腰に下げた長剣を抜く。


 彼の眼には、間道をふさぐように展開する数千にも及ぶ敵兵の姿が映っていた。



◇◆◇



 眼前にて剣を抜き放った男の姿を一瞥すると、彼もまた手にした長槍を握り直す。



「やはり来たか」



 短く、そう呟いた男、ロマン・コンドラーチェは、槍を握る手で前方にて停止する一団を指差す。



「行くぞっ!!」



 短くそう叫んだロマンは、槍を高々と頭上に掲げて騎馬を疾駆させる。


 それに応じた全身を白色の軍装に身を包んだ男もまた、長剣を握りしめてロマンへと躍りかかる。


 疾駆する騎馬どうしが馳せ違い、金属のぶつかり合う火花があがり、互いの衣服が舞いあげられる。



「っ!?」



 しかし、馳せ違ったはずの騎馬にロマンの姿はなく、彼は気付いたときには虚空へと身体を跳ね上げられていた。


 強烈な浮遊感を感じたロマンは、虚空にて身を捻ると眼下より突き出される無数の穂先が陽の光に照らされて鮮やかにひかる様を見て取る。


 それを一瞥しながら、無意識のうちに振るわれた槍が、その穂先を斬り飛ばすと、バランスを崩した騎兵達の中央に降り立ち、槍を一閃。血を吹き上げて倒れ伏す軍馬と騎兵の姿を一瞥すると、後方へと身を投げ出す。



 鋭い風が頭部をかすめると、頭部を覆う頭巾が斬り飛ばされて四散する。


 再び体勢を立て直したロマンが視線を向けると、先ほど馳せ違った男が後方より駆けつけてきたアンジェラ部隊へと突入し、男が通った場所からは赤き鮮血が舞い上がっていく。




「閣下っ!! ご無事ですかっ!?」



 今になって馬を引いてきた副官の言が耳に届く。


 馬に跨がりながら背後に視線を向けたロマンは、その光景に思わず目を見開いた。



「……どういうことだ?」


「あの男です。たった一騎で、それも一瞬のうちに百余の兵を血祭りに上げていきました」




 副官の言に、ロマンは改めて背後へと振り返る。


 両断された人や馬が倒れ込み、その場は文字通り血の海となっている。そして、その後方で歴戦の精兵達が怯えるようにこちらへと視線を向けていた。




「――――これが、キーリア……」




 喉の奥底から絞り出すように声を出すロマン。


 パルティノンの守護神として、一騎当千の武を誇る史上最強の戦闘集団。投降したパルティノン兵より伝え聞いていたが、実物との戦いは、こちらの想像以上に困難を極める事になりそうであった。




「スヴォロフ閣下に伝令。我、パルティノン軍と遭遇。その地に、白き軍装に身を包み、目元に悪魔の紋様を刻みしキーリアあり」


「はっ!!」




 副官に対してそう告げると、ロマンは再び馬を駆る。


 さきほどイースレイと対峙した際、その目元に刻まれる、紋様を認めていた彼。それは、リヴィエトに伝わる神話に登場する羊角の悪魔のそれに酷似している紋様であった。

 

 

◇◆◇◆◇



 イースレイ隊とリヴィエト軍の交戦の様は、風にのってアイアース等の元へともたらされてきていた。



「殿下……っ」


「騒ぐな」



 傍らに立つフェルミナが、身体を震わせながら身を寄せてくる。


 先頃から、こちらへと轟いていたヘイム山からの剣戟の音や歓声がぱたりと止み、頂上よりのろしが上がる様子を目にしている。


 それは、戦闘が終わったと言うよりも、演技を中断したという方がしっくり来るような、それほど突然の終わりであったのだ。


 そして、再びの歓声が風にのってもたらされ、剣戟の音や法術が炸裂する爆発音も風を通さずに聞こえ始めていた。




「やはり、いたのですね」


(スヴォロフの他にも、こちらの意図を読める将がいたか……)



 フィリスの言に、アイアースは顔を顰めつつそう思った。


 敵の動員戦力を鑑みれば、リヴィエトは相当の人口を誇ると見て間違いはない。


 そして、人口が多ければ、優れた才を有する人間の数もそれに比例して増えるとしても何らおかしくはない。


 こちらが大陸の過半を制覇したように、リヴィエトもまた、永久氷域の果ての世界を制覇し、パルティノンに対して戦いを挑んできたのだ。




「どこかに、侮りがあったというのか?」



 静かにそう呟くアイアースに対し、傍らに立つフィリスが静かに口を開く。



「殿下、参りましょうっ!!」



 短く、それでいて意志の強さを持った凛とした声。



「イースレイ殿が簡単に討たれるはずはなく、敵との交戦があるという事は、タニアかヘイムの兵は居りませぬ。突破は十分に可能なはずです」



 フィリスの言に、他の将兵達が一斉に同意する。


 皆が皆、死地と分かっていながらそこへと赴いたイースレイ達に対して、その戦いを無駄にするべきではないと考えている。


 しかし、アイアースはそれには応えず、視線を歓声の彼方へと向けているだけであった。



「殿下っ!!」


「やめなさい。フィリス」



 なおも決断を促すべく、アイアースに対して声を上げるフィリス。しかし、彼女は普段とは大きくことなる鋭い女性の言によってその場に止められる。



「皆さんも落ち着いて。すべては殿下が決めることよ」



 さらに言葉を続けるミュウの言に、ジルも静かに頷いている。


 両名ともに、教団の衛士としてこれまでにはないほどの死地を経験してきている。それは、軍人が経験するそれとは趣の異なる、闇の地でもあり、一つ感情を乱せば、昨夜のアイアースのような一種の発作を誘発しかねないほどの恐怖。


 しかし、戦という恒常的に命の危機に晒される状況になるほど、心の平静を保たせる不思議な力が彼らには経験としてもたらされている。


 戦場特有の昂揚か、地獄の底を見た者の余裕かは分からなかったが、一度心に火が灯った者達も、平静な者の姿に心を落ち着ける。



「フィリス。気持ちは分かるよ。俺とて、一時はイースレイ等の元へと駆けつけたくなった。だが……、信じよう。頂点の孤独にある者の力を」




 再び平静へと戻った丘に立ち、アイアースは静かにそう口を開く。


 №1として生きる人間の底知れぬ力。


 かつて、母であるリアネイアが持ち得ていたそれは、一つの時代の頂点に立った者だけが背負う責任と孤独の代償として垣間見る事の出来るもの。


 当代の№1として、教団と国家の深淵の闇を垣間見た男が、簡単にへこたれるはずはないのである。



「……淀んできましたね」



 そんな折、にわかに空が荒れ模様を見せ始め、柔らかな風が、冷たく鋭い風へと変わり、天露が静かに大地に降り注ぎ始める。



「天祐かっ」



 一瞬の心の躍り上がりに、思わずそう呟いたアイアースは、即座に総員に騎乗を命ずる。


 何かが動く。そんな予感を感じ、丘の頂上へと馬を進める彼に、麾下の将兵達も後へと続く。


 やがて、雨足は強まり、空には雷鳴が轟き始める。


 そんな周囲の様子に、静かに息を飲むアイアース。


 鼓動は徐々に早まってきている。視線の先では、大地が見えぬ力によって揺り動かされ、自分を導こうとしているように思えてきた。




 そして、ヘイム山からやや南へ下った草原の一角より、天を切り裂かんばかりの眩い閃光がアイアース等の元へともたらされた。

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