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第24話 戦火の暇に②


「ほらよ」



 手にした器を目の前に差し出すと、やや驚いたように目を見開く。


 アイアースは、そんなイースレイの傍らに腰を下ろすと、蓋を開いて中の食事を口に運び始める。


 携行食であったが、ちょっとした味付けの変化で十分に味は良くなると言う。


 加えて、今回はフェスティアの発案で、アイアースにとっては懐かしく感じる品物が用意されていた。




「む? これは……」


「これか? 東方スメラギの携行食の一種で、“おにぎり”っていうそうだ」


「いや、知っています。しかし、なぜ今回?」


「さあな。姉上の発案だそうだ……。我々の祖先は北東の遊牧民だし、東方の味が合うのかも知れん。スメラギは飯の旨さで有名だしな」


「なるほど……。ふむ、簡単ですがうまいですね」


「だろ? 原料は主食になるし、塩で味付けをしているから、塩分の補給にもなる」



 丁寧に握られたおにぎりにかじり付く両者。


 フェルミナやミュウははじめて見たと言うが、フェスティアから発案された際に、アイアースが手解きをしたが、数回作っただけで、すでにアイアースよりも上手く握れている。


 フィリスも故郷で作ったことがあるとのことで、女性兵士達がこぞってそれに取り組んでいる様子は、すでに遠いものとなった過去に似たような記憶があった事を思い起こされる。



(しかし、最近はよく思い出せないんだよな……。まあ、思い出す余裕がないだけだろうけど)



 そんな事を考えつつ、おにぎりを頬ばるアイアース。漬け物があると良かったな等とも思っていたが、それでも懐かしい味であった。



「しかし、炊き加減も良いですね。って、殿下っ!?」


「うん??」



 同じように頬ばりながら、なかなか詳しい事を口にしているイースレイが、アイアースに視線を向けた後、声を上げる。


 過去の事を懐かしんでいたアイアースであったが、イースレイの声に我に返ると、目頭が妙に熱くなっていることに気付く。



「あれ? どうしたってんだろうな?」



 突然の事に、困惑するアイアースであったが、よく見るとイースレイもなんとなく目が潤んでいるように見える。



「なんだ??」


「どういうことでしょうね??」



 お互いに困惑する二人であったが、大の男が二人仲良くおにぎりを頬ばりながら泣いているというのも不気味な構図であるため、二人はさっさと食事を済ませる。


 久々の味をもったいなくは思えたが、他人に見られたときのことを考えると、両名ともに気恥ずかしさのほうが勝ったのである。


 ほとんど同時に食事を終え、腰に下げた水筒で喉を潤す両名。


 先ほどから妙に息が合い、今回は水分を取り終えて息を吐くタイミングまでが同時であった。



「うーむ……」


「いかがなさいました?」


「いや、なんだか腹が膨れたら、どうでもよくなってきてな」


「……私の処断に関してででしょうか?」


「ああ。姉上からは、僅かでも感じるところがあれば斬れと言い含められている。だからこそ、今まで警戒もしていたんだが」


「いや、当然ことですよ。――殿下が私を信用してくださった事はありがたいのですが、私の忠誠は巫女様の元にある。もちろん、陛下や殿下、祖国パルティノンの為に戦う事に偽りはございませんが」




 食事を終え、原野にうごめく両軍に目を向けた後、アイアースはそう口を開く。


 イースレイの行動に関しては、フェスティアをはじめとする首脳からも言い含められていたが、アイアース自身、教団で顔を合わせていた頃から妙な違和感を感じてもいる。


 実際、№1の座に君臨していたグネヴィアを敗って、№1に上り詰めたわけであるが、教団衛士で8年間のうちにグネヴィアに挑んだのは、№3のゼノンのみであり、数年ぶりの挑戦となった。


 そして、あの化け物に勝利したという事実は、戦慄とともにアイアースに強い興味を抱かせてもいたのである。


 もっとも、その後すぐに北域での戦闘に回されたため、まともに話すのは今回が初めてのことでもある。


 たった一回の邂逅で人を見抜けるほど、アイアースの目は肥えていないし、今のイースレイの言が真実かどうかの判断も難しかった。


 直感も含めれば、嘘をついているようには思えず、巫女への忠誠と帝室や国家への思いの狭間で苦悩しているようにもとれる。



「巫女か……。なれば、後々、我々は敵同士になるわけだな」


「やはり、殿下は巫女様をお許しにならないのですね?」


「当然だな。私だけではない、兄上達も姉上達も、決してお許しにはならないだろうよ」



 巫女の名に、アイアースはカミサへの出撃前に目にした姿を思いかえす。


 記憶にある少女がそのまま成長した姿であったが、あの時の巫女はどこか様子がおかしかったようにも思える。


 もっとも、リアネイアや自分との戦いの際に見せた錯乱や妙な達観を考えると、精神的にどこか壊れている事は明白であるようにも思える。


 だからと言って、許せずはずもなく、ことが落ち着いた後に待っているのは、法に則った処断だけであろう。


 リヴィエトとの戦役が終われば、狂信者達もろとも排除する事に躊躇いはない。



「しかし、なぜなんだ?」


「なぜとは?」


「私は、母上を殺され、父上や義理の母、一族、忠臣達を殺した憎い敵という思いしかない。でもそれは、私が敵としてしかヤツを見ていないからであろう? お前はどうして、国家との天秤にかけられるほどの忠誠を向けられるんだ? それは、お前にしか分からない事だろう?」



 黙り込んだイースレイに対し、アイアースはそう問いかける。


 もちろん、真実を口にするとは思っていないが、理解できない事を悪し様に切り捨てると言うのも愚かな事のように思えるし、自分達と敵対したからといって、巫女がすべてに対して悪であるはずもない。


 そう考えるアイアースであったが、こうして冷静に敵種の事を考えられるのは、一重に眼前の男が冷静に話の通じる相手であるからであろう。



「……あの御方、いや、あの子には平穏に生きてほしい。それだけですよ」


「そうか。――まあいい、俺は先に戻っているぞ」



 目を閉ざし、静かにそう口を開いたイースレイに対し、アイアースは一言そう答えると、一口水を口に含んで立ち上がる。


 答えたイースレイの顔は、普段のほとんど表情を動かさない鉄面皮ではなく、悲痛に沈んでいた。


 それに対して、その思いを否定するつもりはアイアースにはない。


 ただ、この男が巫女に抱く思いは、他の信者や幹部達が持つものとは大きくことなると言う事だけはアイアースにも痛いほど伝わってきていた。





 イースレイが野営地に戻ってきたのは、夜の帳が完全に降りてからのことであった。


 アイアース等は原野に灯る灯火の下、点在する両軍の位置を整理していた。



「レモンスクはここになります。ここからでも街の姿ははっきりと捉える事が出来、その北方にある膨大な数の灯火は、敵本隊と見て間違いないでしょう」


「星々の位置を見ると、我々の現在地はこのあたりになるかしらね」



 アイアースの眼前で、ジルがリヴィエト軍を示す赤い駒を各所に配置していく。それに対し、星見を行っていたミュウが、自分達の予想地点を書き込む。


 現在位置は、レモンスク南西にあたり、眼前の原野では東西両軍の主力とリヴィエト前衛軍の後詰め部隊が交戦しており、それを挟むようにレモンスクと西方軍に包囲されているタリアの街がある。



 現在、敵本隊はレモンスク北方ルドニャの町に到着。


 夜明けとともに南進し、レモンスクに入り東西両軍を攻撃するか、そのまま南進して前衛部隊と合流するか。そのあたりの見込みはついていない。


 東西両方面軍は、モルクワとラドを占領していたリヴィエト軍との戦闘を重ねた上でのレモンスク包囲に望んでおり、継戦能力は限界に近い上、ヴァルター指揮下の西方軍に比べて東方軍はハインの騎兵部隊のみが精強で、他はお世辞にも精強とは言い難い。


 これを敵将スヴォロフが見破っていれば、包囲部隊を撃破した勢いそのままに両軍の掃討にかかるであろうし、見破っていないとすれば、南方の主力を潰走させて前衛部隊と合流し、フェスティア、シュネシス中央軍との決戦に挑むであろう。


 やはり、絶対的な戦力差がここに来て痛手に出ている。再編によって中央軍は史上最高レベルの精強を誇っているのに対し、各地方軍の動員は今回はないに等しい。



 他の地方軍は、スカルヴィナやラドからの侵攻に備えるエウロス方面各軍とモルクワ、ウヴァルイ方面からの侵攻に備えるステップ方面各軍、東方からの侵攻に備えるシヴェルス、オアシス方面各軍は動くに動けず、南部の諸都市は兵糧と武器の確保に人材を割き、北域の難民達を受け入れたためその敬語や治安維持等々に全力を注がせている。


 広大な支配範囲を抱え、民を戦に巻き込む事を嫌うフェスティアの潔癖さ故ではあったが、勝利の結果、国そのものが限界を迎えてしまえばどちらにせよ国は滅ぶ。




「殿下。そろそろ、皆に告げてもよろしいのではありませんか?」



 駒を並べ終え、周囲を一瞥したジルが改めてアイアースに対し、口を開く。


 今回、アイアースに託された任務。


 この場で知っているのは、アイアースの他は、イースレイ、ジル、ミュウと他5人のキーリアと近衛部隊のフィリスだけであるのだが、全員がアイアースに課せられた重大な使命の存在は感じ取っている。


 少数精鋭を持ってあたるとすれば、奇襲か撹乱であろうが、包囲戦が行われているレモンスク近郊にまで進出してきた以上、目的は絞られてくる。



「そうだな……」



 そういって、アイアースはゆっくりと目を閉ざす。



 思えば、今こうして落ち着いていられるのが不思議なほどのこと。それまで、単身フェスティアを救うべく帝都に舞い戻った事や、アイヒハルトとの一騎討ち、獣人部隊との交戦、テルノアとの戦いなど、無謀な戦いを挑んできた経験がそうさせているのだろうか?



 しかし、それらはすべてが個人の戦い。



 ともに戦う仲間はいても、部下である人間は一人もいない戦いであった。


 だが、今回は戦。部下を率い、敵軍を打ち破って一人の人間を討ち取らねばならない。


 出撃の前日までは、気が落ち着かず、数人のモノ好きにぶつけた事もあったが、今ではそのように気持ちが昂ぶる事もない。


 そんな折、まぶたの先が明るくなってくるように思え、目を見開く。


 折しも、雲間から差し込んだ月明かりがアイアースの周囲を照らしていたのだった。




「――皆もすでに察していると思うが……、今回の我々の任務は、敵主力への奇襲である」



 ゆっくりを口を開くアイアースに対し、居ならぶ者達は全員が口を閉ざしたまま視線を向けてくる。


 言葉を切りながら、その者達を見つめたアイアースは、再び目を見開き、自分自身へ言い聞かせるかのように胸の奥底から声を発する。


「目標は、敵総司令官アレクシス・スヴォロフ。現在、レモンスク北方ルドニャにあり、明日明朝より、レモンスク目指して南下を開始するはずだ。我々は、それを奇襲し、これを討つっ!!」



 声の調子を落としつつ、はっきりとそう告げたアイアース。


 それは、兵士達に作戦内容を告げることだけでなく、自分自身に兵率いて戦うことへの覚悟を植えつけるようであった。


 その瞬間、鼓動が跳ね上がり、全身が強ばる。額に汗が浮かび、目の前がせわしく暗転し始めている。



「皆の健闘を祈る。以上だ」



 なんとかそう言いきったアイアースは、ゆっくりとその場に腰を下ろす。


 目の前は暗くなっていったが、意識を断ちきることなく軍議の終了までアイアースはその場に留まっていた。



◇◆◇



 軍議が終わり、一部の見張りを残して全軍が休息に入ろうとしていた。


 座したまま、ジルやイースレイ、各部隊長等の進言に目を閉ざしたままゆっくりと頷いていたアイアースは、その場で結論を出すことはなく、軍議は解散となった。


 皆が散開した後になってようやく目を見開いたアイアースは、地図をしばらくの間見つめた後、ゆっくりと立ち上がって自身の軍馬の元へと歩み寄っていく。


 その様子を一瞥していたフィリスは、どこか様子のおかしいアイアースの後を追う。


 彼女の視線の先にて、軍馬の鬣を撫でたアイアースはそのまま糧秣の元へと歩み寄ると、水樽から水をすくい頭にかけはじめる。


 二度三度それを続けるアイアースに対し、フィリスはゆっくりと駆け寄る。


 水は十分に確保されており、明日の出撃に際しても携行するものはすでに用意されている。彼女が危惧したのは、あくまでもアイアースの体調であった。



「殿下。それ以上は……。お身体に障りますっ!!」


「フィリスか? 私の事はいいから、早く休め」


「っ!? ……如何なされました?」



 声を抑えながら、アイアースの手を押さえるフィリスに対し、顔を向けてきたアイアースの顔は、月明かりも合わせて青白く、目も淀み、生気を失っているように見えた。



「緊張の度が過ぎたんだろうよ……私もすぐに休むから」


「殿下からお先に。何卒ご自愛ください」


「分かった。これを飲んでからな…………うっ!?!?」



 静かに諭すようにそう告げるフィリスに、アイアースもようやく正気を取り戻したのか、目に光りが戻って来ている。しかし、そういって水を口に含むと、口を押さえながらその場にへたり込んだ。



「で、殿下っ!?」


「だ、だいじょうぶだ……」


「大丈夫なはずがないでしょう。私でよろしければ、何かおっしゃってください。口に出す事で軽くなる事もあります」


「大丈夫だと言っているだろう。明日の戦いは激しさを増す。身体は休めておくんだ」


「殿下のお身体のことの方が大事です。それに、そのようなお身体では、兵の士気にも関わってきます。これは、殿下個人の事ではなく、全体の為でもありまする……。陛下をまた泣かせるおつもりですかっ!?」


「っ!! またとはなんだっ!! またとはっ!? 俺とて姉上を傷つけるつもりなど無かったんだっ!!」




 なんとか、覇気を取り戻しつつあるアイアースであったが、その表情はいまだに険しく、強引に不調を押さえ込んでいる様がはっきりと見て取れる。


 そんな彼の態度に、フィリスもまた引くに引けなくなってしまい、アイアースにとってもっとも持ち出されたくない人物ことを引き合いに出してしまう。


 案の定、激高したアイアースであったが、それでも周囲に気取られまいと感情を抑え込む様が、フィリスにとってはよけいに心に堪えた。




「でしたら、ご自愛ください。殿下の苦しみは、私の苦しみですっ!!」


「なに? フィリス、お前はとは旧知の仲ではある。だが、それも一時の事……お前と」


「かつての恋人です。殿下。いえ、和将」



 一瞬、すべての刻が止まったかのようにフィリスには思えた。しかし、彼女の脳裏にある思い。正確には、恋人と呼べるような存在ではなかったのだが、それでもお互いの気持ちは通じ合っていたと今でも思っている。


 そんな気持ちが、アイアースが口にしようとした言葉で決壊したのか、秘め続けていた言葉が口をつく。




「…………な、なに?」


「私は、百合愛。斉御司百合愛よ。和将……」



 目を見開き、フィリスを見つめるアイアースに対して、静かにそう告げるフィリス。ある時、突然脳内に流れ込み、成長するに従って蘇ってきたもう一人の自分の記憶。


 その告白は、恵まれた地位に生を受けながらもどこかで孤独を纏い続けた男にとって、あまりに予想外のものであった。





 そして、月明かりに照らされながら互いを見つめ合う男女の姿を、暗がりの中から見つめるもう一つの目。


 ゆっくりとその場から離れた少女の背には、黒き翼がゆっくりと風に靡いていた。



「フェルミナ?」


「ミュウ様……」



 ほどなく、自分の寝床へ戻った少女を出迎えたのは、キーリアでありながら、その地位がもっとも似合わぬ女性ミュウであった。


 彼女の姿を目にしたフェルミナは、思わずその胸元へと飛び込む。



「ど、どうしたのっ!?」



 驚きとともに彼女を抱きとめたミュウであったが、フェルミナはゆっくりと首を振るう。 今は気持ちの整理が出来ず、どうしていいのかも分からなかった。



「今だけ……、今だけはこうさせていてくださいっ」


「……わかったわ。でも、いまだけなんて言わないで。朝までこうしていましょ? 泣きたいときは泣けばいいわよ」



 フェルミナの言に、そう答え改めて寛恕を優しく抱きしめるミュウ。


 数年の時を経て、身長差も逆転していた二人であったが、ミュウが持つ年齢以上の母性は、キーリアとして戦いに身を置く人間には似合わなくとも、こうして一人の女性としては代え難い価値あるものであった。



◇◆◇◆◇



 この日、夜明けとともに、リヴィエト軍本隊の先遣隊がレモンスクへの兵糧輸送を完了。


 日の出とともに、アレクシス・スヴォロフ率いるリヴィエト軍本隊がレモンスクに向けて進撃を開始。


 そして、その後方では、浮遊要塞が文化都市ホルムガルド上空へと侵入を開始していた。



 両雄の激突まで、残された時間はあと僅かであった。

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