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第21話 天翔るもの④

 雷鳴が耳をつき、乱流が飛竜を激しく揺さぶっている。


 シェスタフは、飛竜を駆りつつも自身の後に続く部下達や、周囲を駆っているであろう他部隊の苦闘を思いつつも、さらに竜を進めていた。



「閣下。今し方、六騎が落伍。消息が不明となっております」


「致し方ない。このまま進む」



 傍らを駆る副官の言に対してもとりつく島もなく切り捨てる。


 雷鳴に討たれる者もいれば、乱流にバランスを崩し、飛竜や天馬から転落した者もいるのであろう。


 普段であれば重大事であったが、今回の作戦ではそれすらも見込まれている。


 今は、パルティノン本隊前衛への攻勢が最優先であった。



「しかし、強行軍故、兵の疲労は激しく……」


「パルティノン側にこちらの奇襲を察知された可能性がある。このまま進むのだっ!!」


「それは分かっております。ですから、それを逆手取っては?」


「逆手にとって後退し、逆撃を交わせという事か?」


「はい。どのみち、このままでは後の作戦に支障をきたします」


「うむ、その通りだ。だが、今回ばかりはそうもいかん。我々が留まっている間も、友軍は雄敵パルティノン軍との死闘を続けている。我らが行かず、どうやって勝利を得る? 友軍にさらなる苦闘を強いるというのかね?」



 そんなシェスタフの言に、副官は言葉を詰まらせる。


 シェスタフ自身、普段であればこのような言い方で副官の進言を封じる事はない。むしろ、今回に関しては彼の言い分の方が正しいのである。


 スヴォロフ総司令官からの指令書にも、本隊のレモンスク到着を待ってからの攻勢を命じられているのだ。


 とはいえ、それは厳命というものではなく、ある程度の行動権を自分に託されてもいる。


 これは、今回の作戦行動がパルティノン本隊との決戦にはないからでもあり、現在最前線にて激突するバグライオフ将軍率いる前衛部隊も、相手の防御を一枚一枚丁寧に剥ぐような戦い方をしている現状、敵の殲滅を想定した戦いは空くまでも補助的行動である。


 とはいえ、飛空部隊の役割自体には、決戦でも陽動でも変わりはない。


 目標となる敵前衛部隊が、主戦力から予備戦力になる違いぐらいで、殲滅を目

的とした攻撃には変わりがないのだ。



「っ!? 閣下。敵前衛を視界に捕らえましたっ!!」



 と、雲間を突き進む彼らの眼前で雲が薄まっていくと、薄雲の先に蠢く何かを目にした別の副官が声を上げる。


 先ほどの報告では、レモンスクまで数キロに迫ったリヴィエト本隊に対し、パルティノン側は有効な手立てを打てていないという。


 先だってレモンスクに兵糧を運び込んだ部隊が、包囲中のパルティノン部隊を切り崩し、それに呼応して本隊先鋒が攻勢を開始。


 レモンスク前方に配置されていた部隊も周辺の部隊に対して攻勢を加えているという。


 さらに、最前線にて交戦を続ける前衛部隊も、本隊の接近によって指揮ますます盛んになり、さらなる攻勢に打って出ているという。


 パルティノンの女帝、フェスティアもまた眼前の大河を渡り、前線部隊を正面から相手取るべく布陣しているとの情報も入っていた。



 時は今。



 そう思ったシェスタフは、一気に飛竜を滑空させ、乱雲を一気に突破する。


 それに続く部下達もまた、それに続き周辺から千にも達しようかとする飛空部隊が乱雲の中から氷雨に濡れるパルティノンの大地へと顔を出していく。


 そして、上空より見下ろす大地を蠢く無数のもの。


 両軍の兵達が見上げるなか、シェスタフは片手を掲げる。


 これを振り下ろした時、背後に控える無数の飛兵達が散開し、眼下に蠢くパルティノン兵の頭上に、投石や法術、火計を仕掛ける事になるのだ。


 しかし、それを振り下ろすだけで勝利が約束されたにもかかわらず、シェスタフはそれを為すことが出来なかった。



(何故だ??)



 自分の身体が、まるで自分ではないかのように硬直している事にシェスタフは気付く。しかし、彼にとっては数分にも及ぶ硬直であったのだが、周囲の人間達にとってのそれは数瞬。


 彼らにしてみれば、上官が時を探っているという風に見えていたのである。



(な、何だというのだっ!?)


(っ!? レットっ!! 上だっ!!)



 声にならない声を上げたシェスタフ。


 そして、相棒の様子のおかしさにようやく気付いた飛竜が、その原因を察し、一気に自分の身体を気流に任せて上空へと跳ね上げさせる。



 刹那。



 数丈の雷を一点に集約したかのような光の束が、轟音と共に周囲を切り裂いていった。


 咄嗟に回避行動を取ったシェスタフであったが、そのあまりに巨大な破壊の衝動によって、飛竜共々氷雨の吹き荒れる空間へと投げ出された。



◇◆◇



 巨大な閃光が視界を奪い取ると同時に、飛竜を揺るがす突風が周囲に吹き荒れる。


 ターニャは自身の周囲に張られた光の幕に守られつつ、光と雲が混ざり合うように周囲の飛兵達を吹く飛ばしていく様をただ見つめているしかなかった。



「な、なにが……?」



 光が消え、突風が止むと、先ほどまで周囲を包んでいた暗雲は消え、荒ぶっていた雷鳴も聞こえなくなっている。


 そして、それまでそれがあった場所には、巨大な空洞が穿たれ、空と下界を繋ぐ通路のような光りの筋が大地を照らしている。


 その光の中を、無数の黒い何かが落下している様がターニャの目に映る。それは、よく見ると人や竜の形をしているように見えた。



「た、隊長っ!! 敵がっ!!」


「なにっ!?」



 そんな破壊の跡を呆然と見つめていたターニャの耳に、背後から部下達の悲鳴混じりの声が届く。


 振り返ると、太陽を背に無数の飛竜達がこちらへ向けて降下してきていた。



「総員、迎撃っ!! ヤツ等を生きて帰すなっ!!」



 とっさに飛竜を反転させ、敵飛竜部隊へと向き直ったターニャはそう叫ぶと、槍を掴んだ手に力をこめる。


 先頭に立つ飛竜操主の金色の髪が、陽に照らされて鮮やかに光り輝いている。



(あっ!?)



 その見覚えのある顔に思わず目を見開いたターニャ。そんな、一瞬の油断の隙に、鋭く振るわれた大鎌が彼女の首を弾き飛ばさんと迫ってくる。



「っ!!」



 咄嗟に手綱を放し、竜の背を蹴るターニャ。


 跳躍と同時に膝を折ると、突風を纏った鎌が自身の膝下を通り抜けている事が分かった。


 そして、彼の後方を駆る飛兵に対して、身体を前転させながら迫ると、その突飛な動きに目を見開いていた顔に躊躇うことなく槍を突き刺した。



「っと……っ」



 そして、虚空に投げ出された身を飛竜が舞うよう拾ってくれる。


 手綱を取って、そのまま突き進むと、先ほど自身が倒した飛兵が雲海の狭間をゆっくりと落下している様が見て取れる。


 しかし、直援を担うべく配置されていた部下達のほとんどは、相手に攻勢によってほとんどが倒され、今も彼女に付き従うのは当初の二十数騎の半数にも満たない五騎。


 奇襲であったとは言え、全滅に等しい惨状であった。



「おのれっ!!」


「隊長っ。ご無事ですか」


「ああ。呆けている暇はない。いくぞっ!!」



 旋回し追い付いて生きた部下の言に頷いたターニャは、すでに雲海の中に突入している敵飛兵を睨み付け、そう口を開く。


 技量もそうであるが、速度も速く、端から見ても一騎を相手にこちら側は五騎以上でもってようやく対等になるような状況に見える。


 攻撃部隊は、投石や火炎装備を懐に抱いており、飛竜や天馬の動きが通常より誓約される事も大きかった。



「くそっ……っ!! やはり、私が……っ」



 ターニャは、先ほど交戦した敵指揮官と思われる男の顔を思いかえしながら、唇を噛みしめる。


 血が流れ出たそれを拭うと、嫌が応にもあの時の感触が思い起こされる。


 胸の鼓動が耳に届く。それは、相手を討てと本能が判断しているのだとターニャは思っていた。



「隊長っ!! 竜騎士を討ったんです。まだまだ、やれますよっ!!」


「竜騎士?」


「さっきのヤツですよ。たしか、ヴェルナーっていう大物ですよっ!!」


「ま、待てっ!! 竜騎士と言ったな。それでは、その竜はどこに行ったっ!?」


「えっ? ああっ!?」



 そんなターニャの様子に、部下の一人が元気よく声をかけてくる。


 彼らが昨日のターニャの失態を知らないのは当然であったが、今も悔しげに唇噛む彼女の姿は、直援にも関わらず敵の奇襲を許した事への悔やみであると思ったのであろう。


 ちょうど、声をかけた部下は年齢もターニャに近く、普段から比較的仲の良い飛兵であった。


 しかし、そんあ部下の声をありがたいと思いつつも、部下が口にした言葉がターニャの耳をつく。


 自分が倒した相手が竜騎士であるという。


 しかし、自分は繰主を討っただけであって、飛竜までは倒していない。


 と、ターニャの言に状況を悟った部下が再び声を上げる。振り返ると、こちらを睨み付けるように飛翔する飛竜が、その鋭い牙の並んだ口を大きく開いているところであった。


 刹那。身を焦がすような激しい炎がターニャらに襲いかかる。


 生き残っていた数騎が焼かれ、ターニャもまた再びバランスを崩す。


 飛竜を何とか宥め、体制を整え直すターニャ。しかし、再び顔を上げたターニャの眼前に、妙齢の女性が飛び掛かってくる様が見て取れる。



「くっ!?」



 身体を叩きつけるように飛び掛かってきた女性を受け止めると、ターニャは再びバランスを崩して、女性共々虚空へと投げ出される。


 なんとか、ふりほどこうと手に力をこめるが、女性はそれ以上の力でターニャを抑えつめる。


 よく見ると、女性の目は鋭く切れ長で、黒目がまるで針の如く鋭く、こちらを睨み付けている。


 手先の爪の鋭く半円を描いており、背中まで伸びた濃緑色の髪は先ほどまでの飛竜の鱗と同色。そして、その髪の隙間から飛竜の翼によく似た突起物が風に揺られている。



「よくも……主をっ!!」


「貴様、“真竜”か?」




 竜騎士呼ばれる者達が駆る竜は、人の言語を解し、竜騎士と意思の疎通が可能となる。そして、僅かに聞き及んでいた事であるが、竜が人の姿となってさらに繋がりを深める事もあるという。


 とはいえ、その事実は竜騎士達が否定していたり、その様子を目撃している人間がいない以上伝説の類を脱してはいなかった。



 しかし、今こうして竜としての特徴を持つ人間が目の前にいる。



 飛竜の姿の時とは比べようもないが、今自身に掴みかかるその膂力は成人女性のそれとは比べものにならぬほど力強く、腕の骨が軋んでいる。



「くうっ!!」



 歯を食いしばりながら腹筋に力を入れると、下半身を跳ね上げるようにして女性の顎に蹴りを見舞う。


 思わぬ攻撃に一瞬、仰け反った女性。


 その隙を逃すことなく、ターニャは腰に下げた剣を抜き身と同時に斬り上げる。



「があああああっ!?」



 抜きあげられた剣は女性の肩口に食い込み、そのまま腕を斬り上げる。


 吹き上がった血と共に断末魔が響き渡るが、なおも残された腕はターニャの腕を掴み、それをへし折らんと掴み続ける。


 その美しい容姿を歪ませた怒りに満ちた形相は、深い繋がりを持った相棒を失った怒り故か、激痛に叫び声を上げつつもターニャを離すつもりはない様子であった。



「――っ!? あああっ!?」



 そして、骨の砕ける音と共に右腕に激痛が走る。


 思わず叫び声を上げ、剣を取り落として腕を押さえるターニャ。そんな彼女に対して、女性は怒りに歯を食いしばったまま残された片腕を振り上げる。


 覚悟を決め、女性を睨み付けるターニャ。しかし、その振り上げられた腕が売り降ろされんとしたまさにその時、女性の胸元から槍の穂先が突き出されてきた。



「なっ!?」


「隊長っ!! 遅くなってすいません」



 思わず声を上げたターニャの耳に届く男の声。


 急所に槍を受けて、全身を痙攣させていた女性であったが、やがて槍が引き抜かれると全身を硬直させてそのまま落下していく。



「大丈夫ですかっ!?」


「腕を折られた……くそっ!」



 飛兵の竜へと移り、落下する女性を睨み付けながらそう口を開くターニャ。


 折れた腕ではまともに戦う事も出来ないし、現状戦場から離れた自分達に何が出来るのかも分からなかった。



「とりあえず、戻りましょう。隊長の竜も行き場を無くしていますし」


「……そうだな。ヤツをはぐれ竜にするわけにはいかん」



 飛兵の背に座り込んだターニャは、自身に飛竜の姿を思い浮かべる。主を失った竜は、例外なくはぐれ竜となり、人を襲う怪物と化してしまう。



「しかし、貴様。なぜ、私を?」


「指揮官がいなくてどうするんですか? 俺は新米ですし、隊長の指揮がなくちゃどうしようもないですよ」


「情けない事を言うな。と言いたいところだが、今は感謝する」


「いえ。……隊長はもっとそうやって笑っていた方がいい気がしますよ?」


「なにっ?」


「いえ、立場ってもんがあるのは分かりますがね。時には力を抜かないと参ってしまいますよ?」


「……そう見えるのか?」


「えっ!? は、はい……」



 飛兵の言に、ターニャは思わず首を傾げる。


 それまでそんな事を考えもせず、ただただ、国の中枢にある姉たちの助けになりたいと願い、任務にあたってきた。


 古参兵達にも可愛がられていたという自覚もあったが、よくよく考えれば彼のような同年代の兵士からは距離を置かれていたようにも思える。



「まあ、よい」



 とはいえ、今は戦場。それらを考えるのは、戦が終わった後の話である。



「…………ありがとう」


「えっ!?」


「ほら。ヤツが見えてきた」



 思わず感謝の言葉が口を着くが、飛兵には届かなかった様子であり、途端に気恥ずかしくなったターニャは、眼前に見え始めた飛竜の姿に安堵する。


 そうして、飛兵の背後に立ち、飛竜へと移ろうとしたまさにその時。



 風が吹いた。



「えっ!?」



 再び感じる浮遊感。


 ほどなく、自身の身体が落下し、それに合わせて見覚えのある球体と物体が、血を吹き散らせながら傍らを落下していく。



 ゆっくりと周囲に視線を向けたターニャの視界には、陽の光に当てられた金色の髪を揺らす一騎の竜騎士の姿が映っていた。

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